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小野為八(おのためはち)

教育・文化

奇兵隊を指導した砲術家

小野為八

【生没年】文政12(1829年)- 明治40(1907年)
【享年】 79 歳
【誕生地】阿武郡椿郷東分香川津(萩市)
【墓】萩市北古萩町(海潮寺)

 文政12年(1829)藩医山根文季の長男として生まれ、藩医小野家の養子となる。しかし、医業にはつかず、天保15年(1844)吉田松陰に入門して兵学を学んだ。安政2年(1855)には実父文季に随行して外国船来航を警戒する相州(神奈川県)三浦半島の警備につき、砲術家としての理論と実践を身につけた。  安政5年(1858)、松陰が幕府老中間部詮勝の要撃を計画し地雷火の実験を試みた際、幽閉の身の松陰を背負って現場に行き、この実験を見学させたという。  文久3年(1863)長州藩が下関海峡で米・仏・蘭の外国艦船を攻撃した攘夷戦では、癸亥丸に乗り込み、砲戦の陣頭指揮をとった。同年奇兵隊が結成されると、砲術の教師として兵士たちを指導した。その後、慶応2年(1866)の長州戦争(四境戦争)などにも、砲隊を率いて活躍した。  維新後、写真術やバターの製造も試みた。また、「等魁」という画号をもつ雲谷派の絵師でもあった。  山根孝中の兄。山根正次の伯父。

(C)萩博物館