山県伊三郎(やまがたいさぶろう)

政治・軍事

鉄道国有化を進めた逓信大臣

【生没年】安政4(1857年)- 昭和2(1927年)

【享年】 71 歳

【誕生地】長門国萩川島(萩市)

【墓】東京都文京区(護国寺)

下級武士勝津家に生まれ、のちに叔父の山県有朋の養子となる。明治4年(1871)岩倉使節団に従いドイツに留学。外務省翻訳見習となり、ドイツ駐在公使館勤務を経て、明治16年、太政官に入り、愛媛県書記官、内務書記官を歴任する。明治29年、徳島県知事となった。 明治34年(1901)内務省地方局長となり、総務長官・次官を経て第1次桂太郎内閣で内務行政を統括する。明治39年、第1次西園寺公望内閣に逓信大臣として初入閣、鉄道国有法を成立させる。明治41年、鉄道建設の予算が折り合わず辞任し、貴族院議員に勅選された。 明治43年(1910)、寺内正毅韓国統監のもとで副統監をつとめ、韓国併合を強行する。引き続き朝鮮総督府の政務総監となり、言論・出版の統制を強化して、一進会をはじめとする韓国の政治団体をすべて解散させた。さらに諸制度の整備、土地制度の調査など、植民地政策の全般を指揮した。大正5年(1916)長谷川好道朝鮮総督のもとで朝鮮神宮の造営にあたる。大正8年、三・一独立運動を鎮圧後に辞任。その後は関東長官、枢密顧問官などを歴任した。

山県伊三郎

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