By Artfarmer2026年9月23日
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YouTubeを見ていると、ときどき不思議に思うことがある。
その人は、本当に「自分がやりたいこと」を発信しているのだろうか。
もちろん、純粋に自分の好きなことを発信している人もいる。しかし動画を見続けていると、「こう見られたい」「こういう人だと思われたい」という人物像を、自分自身で作り上げているように見える人がいる。
さらに興味深いのは、その「見られるための自分」を作ることが、やがて収益につながっていくということだ。
ここに、現代社会における「承認欲求」の大きな変質があるのではないか。それが、この文章で考えてみたいことである。
最初は単純だったのかもしれない。
自分の経験を伝えたい
自分の知識を教えたい
自分の生活を見てもらいたい
自分の作ったものを紹介したい
つまり、自分が何かをする。その結果として、人に見てもらう――という順序である。
ところが、視聴者が増えてくると事情が変わる。再生数が表示される。登録者数が増える。コメントが付く。
「この動画は伸びた」「この話題は反応がいい」「このキャラクターだと視聴者が増える」ということが、データとして見えてくる。
すると、人は学習する。「こういう自分を見せれば、人は見てくれる」と。
ここで、順序が逆転する。自分がやりたいことを発信するのではなく、「見てもらえる自分」を作って、それを発信する。これが、私がYouTuberを見ていて感じる、一つの大きな変化である。
ここで重要なのは、演技をしているかどうかではない。
本人が意識的に演じている場合もあるだろう。しかし、本人にその自覚がない場合もある。最初は自然体だったとしても、
「この話し方が受ける」
「この表情が受ける」
「この考え方を出すとコメントが増える」
という経験を繰り返すうちに、その部分が少しずつ強化されていく。そしていつの間にか、
「自分がこうだから発信する」ではなく、
「こういう自分なら見てもらえるから、そうする」
となる。つまり、「自分」を発信しているようで、実際には「見られるための自分」を作っている。
これはYouTuberだけの話ではない。SNSでも、仕事でも、日常生活でも起こり得ることだと思う。
ここで、アドラー心理学の考え方を一つの手掛かりにしてみたい。
もちろん、これから述べることは「アドラーがYouTubeについて説明した」という話ではない。アドラーの概念を、現代のSNSや動画配信の世界に当てはめて考えてみる、私なりの試みである。
私が注目したいのは、優越性・虚栄心・承認欲求という三つの言葉である。そして、そのさらに根底に「本能」があるのではないかと考えている。
あえて単純化すると、次のような流れになる。
本能 → 優越性 →(虚栄心)→ 承認欲求 → 自己演出 → 数字 → 収益
もちろん、人間の心理をこれだけの直線で説明できるわけではない。しかし、現代の「承認経済」を考えるモデルとしては、面白いと思う。
優越性は「人より上になりたい」だけなのか
アドラー心理学で語られる「優越性の追求」は、単純な意味での「他人より偉くなりたい」ということではない。人間には、今の自分からより良い状態へ向かおうとする動きがある。
昨日より上手くなりたい。もっと知りたい。もっとできるようになりたい。これは必ずしも悪いものではない、むしろ成長の原動力である。
ところが、そこに「他人からどう見られるか」が加わると、少し様子が変わってくる。
「自分が成長したい」から「成長した自分を人に見せたい」へ。さらに「人より優れていると思われたい」へ。ここで「優越性」と「承認欲求」が接近する。
虚栄心はどこに入るのか
そこで登場するのが「虚栄心」である。
「自分はこういう人間だ」ではなく、「こういう人間に見られたい」という気持ち。この二つは似ているようで、かなり違う。
そしてSNSやYouTubeには、「こう見られたい」という願望を実現するための道具がそろっている。映像、音楽、タイトル、サムネイル、話し方、服装、撮影場所、編集――すべてを使って、自分という人物を演出できる。
つまり現代では、「見られる自分」を自分で設計できる。ここが昔とは大きく違うところなのかもしれない。
昔から、人には「認められたい」という気持ちがあった。
家族に認められたい。仲間に認められたい。職場で評価されたい。地域で必要とされたい。これは特別なことではない。
しかし、インターネットによって、それが数字になった。「いいね」「フォロワー」「登録者」「再生回数」「コメント」という数字である。
そしてYouTubeでは、その数字がさらに別の数字へ変換される。
再生数 → 広告収益
つまり、
認められたい → 見てもらいたい → 見られる自分を作る → 数字で評価される → その数字が収益になる
という仕組みが成立する。ここに私は、現代社会の大きな変化を感じる。
承認欲求そのものは、昔から存在していた。しかし、それを直接的に収益へ変換できる仕組みは、昔にはなかった。
今は違う。「人に見てもらいたい」という気持ち、「人から認められたい」という気持ち、「自分を価値ある存在として見てほしい」という気持ち。それらが、視聴回数や登録者数という数字になり、その数字が広告収益や仕事につながる。
つまり、承認欲求が経済活動の入口になった。
さらに面白いのは、その仕組みを一度経験すると、人は学習することである。
「この自分なら見てもらえる」
「この話をすれば反応がある」
「このキャラクターなら登録者が増える」
そして、「こういう自分を作れば、お金になる」というところまで到達する。
これは単なる承認欲求ではない。承認されるための自己演出を、ひとつの技能として習得する。ここに、現代の「承認ビジネス」の特徴があるのではないだろうか。
では、なぜ人は「見られたい」のだろう。ここから先は、さらに慎重に考える必要がある。
人間には、集団の中で認められたい、仲間外れになりたくない、自分の位置を確保したい、といった社会的な欲求がある。これは、人間が社会的な動物であることと無関係ではないだろう。
昔なら、数十人、数百人という集団の中で起きていた「評価」が、現在では何万人、何百万人という規模で起こる。しかも、それが数字として毎日表示される。そして、その数字がお金になる。
考えてみれば、これはかなり特殊な環境である。人間の古い欲求と、現代のテクノロジーが結びついているからだ。
だから私は、あえて、
本能 → 優越性 →(虚栄心)→ 承認欲求 → 自己演出 → 数字 → 収益
という一本の線を考えてみた。これは科学的に証明された心理モデルではない。あくまで、アドラー心理学の概念と現代のSNS・YouTube文化を重ね合わせて考えるための、一つの仮説である。
ここで、一つの疑問が生まれる。
「見られるための自分」を作り、それが評価され、収益になる。それを繰り返しているうちに、その人自身も変わっていく。最初は「演じていた自分」だったものが、いつの間にか「本当の自分」になってしまうこともあるかもしれない。
すると、
自分が自分を作っているのか。
それとも、他人から評価される自分を、他人の評価によって作らされているのか。
分からなくなってくる。
これは、YouTuberだけの問題ではない。SNSを使う私たち自身にも、無関係とは言えない。
「こんなことを投稿したら、どう思われるだろう」
「この写真なら、いいねが増えるだろう」
「こういう発言をしたら、評価されるだろう」
そう考えた瞬間、私たちもまた、「見られるための自分」を作り始めているのかもしれない。
昔は、自分がいて、他人から評価される――という順序だった。
今は、他人から評価される自分を作り、その自分を世の中に提示する――ということが可能になった。そして、その評価が数字になり、その数字が収益になる。
ここに、人間の欲求 × テクノロジー × ビジネスの接点がある。
YouTuberを見ていると、その構造がとても分かりやすく見えてくる。だから私は、YouTuberを特別な人たちとして見るよりも、「YouTuberという存在を通して、現代人そのものを見ている」と考えたほうが面白いと思っている。
私たちは、誰かに認められたい。誰かに必要とされたい。誰かに見てもらいたい。その気持ちは、決して新しいものではない。
ただ現代では、それを「数字」にできる。そして、その数字を「お金」に変えることができる。
だからこそ、承認欲求はビジネスになった。そして、その入口にあるのが、
「見られるための自分を作る」
という、現代ならではの自己演出なのではないだろうか。