コーヒー前史〜コーヒーノキの起源

コーヒーノキは、北回帰線から南回帰線の間の、いわゆる「コーヒーベルト」と呼ばれる、多雨な常緑樹林地帯を中心に生育しており、南北アメリカ・アフリカ・マダガスカル島・アジア・オセアニア・ハワイなど世界中で見ることが可能です。しかし、これらのコーヒーノキのほとんどは、人の手で持ち込まれて農園で栽培されているものか、あるいは自生しているように見えても元々は栽培されていたものが帰化したものが多く、ほとんどはアラビカ種(Coffea arabica)またはカネフォーラ種(C. canephora、ロブスタ)のどちらかです。これに対して、本当に元から自生していたコーヒーノキの仲間の分布がどうなっているのか、ということは、昔から各地の植生が調べられてくる過程で徐々に明らかになってきました。まず確実に言えることとして、「コーヒーの起源」の説にも登場するように、エチオピアを含んだアフリカ大陸には、野生のコーヒーノキの仲間(Coffea属の植物)が自生しています。またマダガスカル島やその周辺の島々(マスカレン諸島、コモロ諸島)にも多くの種類のコーヒーノキが自生していることも古くから知られていました。またもう一箇所、同じようにコーヒーノキが自生していると考えられていた場所があります。それはインドを中心とした南〜東南アジアです。インドのベンガル地方には、コーヒーノキと同じような特徴を持った植物が自生しており、これはベンガルコーヒーノキ(C. bengalensis)と名付けられ、コーヒーノキの一種と考えられていました。またインドには、欧米人の手でコーヒーが持ち込まれる以前からアラビカ種が自生していたとも言われており、これらのことからこの地帯もコーヒーノキの自生域だと考えられていた時代がありました。

しかしその後、インドのアラビカ種は欧米人が持ち込む前にイスラム教徒によって到達していたことが広く知られるようになりました。また、ベンガルコーヒーノキはいくつかの点でCoffea属とは違った点があり、むしろ同じアカネ科の植物でCoffea属と非常に近い親類であるPsilanthus属(プシランツス、シランサス)に分類されるべきものだったことが判明しました。これらのことから、それまでアジアにも自生していたと考えられていたコーヒーノキは、アフリカとマダガスカルにだけ自生している、という考られるようになり、現在はこの説が支持されています。

そもそもの始まり

「コーヒーの起源にはいくつかの説があり〜」という文章で始まり、山羊飼いカルディとシェーク・オマルという二通りの「発見」のエピソードを紹介する、というのは、ある意味コーヒーに関する本では定番の書き出しだと言ってもいいでしょう。どちらのエピソードも、いわば「伝説」の類いであって、実際の人類とコーヒーとの出会いがどうであったかは判らないというのが正直なところですが、何にせよ「コーヒーの歴史」と言えば、人類とコーヒーノキとの出会いから話を始めるのが定番です。

しかしコーヒーノキという植物は、人類が巡り会うずっと前から、文字通り「人知れず」山の中に生えていたのです。では、一体いつ頃から、どういう経緯でコーヒーノキは生まれてきたのでしょうか? この疑問に対する答えも(他の問題と同様に)まだ「正解」と呼べるものは判っていません。しかし、1990年代後半からの遺伝子研究の発展によって、いくつか興味深いことが判ってきました。ここでは、これら最新の研究成果を元にして、コーヒーノキという植物の起源について考えてみましょう。

なお以下本稿では、「コーヒーノキ」はCoffea属に属する植物種の総称として用います。植物学的分類およびCoffea属のリストも参照してください。

世界的分布

コーヒーノキのゴンドワナ起源説Psilanthus属という植物は、ほとんどの人にとって耳慣れない名前だと思います。実際、コーヒーノキが世界中で利用、栽培されているのに対して、Psilanthus属についてはそのような利用が行われておらず、そのためあまり研究も進んでいない「野生植物のひとつ」という位置付けにあります。しかし、このPsilanthus属とCoffea属の地理的分布から、いくつかのことを推測することが可能です。Coffea属がアフリカ大陸とマダガスカルにだけ分布するのに対し、Psilanthus属はインドからオーストラリアのすぐ北にかけての、南〜東南アジア一帯と、西〜中央アフリカの二つの地域に離れて生息しています。

このように地理的に離れているにも関わらず、同じ属の植物が自生しているというのは、Psilanthus属に限った話ではなく、他にもいくつかの植物で見られる現象です。その理由を説明するものとして「ゴンドワナ植物説」というものがあります。

「ゴンドワナ」というのは、恐竜が出現しはじめたジュラ紀ごろの太古の地球に存在したとされる、巨大な大陸(超大陸)の名前です。三畳紀(ジュラ紀の前の時代)には、現在の大陸は「パンゲア」と呼ばれる一つの大陸として存在しており、それがジュラ紀にはローラシア大陸(現在の北アメリカ、ユーラシアを含む)と、ゴンドワナ大陸(現在の南アメリカ、アフリカ、アラビア半島、マダガスカル、インド半島、オーストラリア、南極大陸を含む)という、南北二つの大陸に分割したとされています。この当時、アフリカとマダガスカル、インドは隣接して地続きの状態であったと考えられています。

ジュラ紀の終わり頃にはこのゴンドワナ大陸はさらに分割していきます。インドとマダガスカルの部分は当初二つでくっ付いたまま、アフリカから離れていき、さらにマダガスカルとインドもそれぞれ分離して、マダガスカルはアフリカのそばに残り、インドはそのまま北上をつづけてユーラシア大陸に衝突して、現在のインド半島になったと考えられています。これがいわゆる「大陸移動説」と呼ばれる仮説で、現在は「プレートテクトニクス理論」という理論に組み込まれています。

上述したような地理的に離れて分布している植物について、それぞれの分布している地域をこのゴンドワナ大陸での位置に当てはめてみると、一箇所にまとまっているということが見つかっています。このような植物を「ゴンドワナ植物」と呼び、これらの植物の祖先が出現したのは、丁度この頃、すなわちジュラ紀ごろではないかと推測されています。このような仮説をゴンドワナ起源説と呼んでいます。

ただしこのゴンドワナ起源説にはまだ疑問も残っています。ゴンドワナ植物とされる植物には被子植物も知られている(コーヒーノキもこれに含まれる)のですが、被子植物が地球に出現したと一般に考えられているのはジュラ紀の終わり頃で、その後の白亜紀にかけて被子植物が多様に分化していったと考えられています。したがって、ゴンドワナ大陸が地続きだった頃には、そもそもその「ゴンドワナ植物」が生まれていなかったのではないか、というのが大きな疑問として存在しています。ただし、被子植物の出現時期はもう少し早く、三畳紀にはその祖先となるものがあらわれていたのではないかという仮説も存在し、ゴンドワナ起源説の正否については、まだよく判らない、というのが正直なところです。他のゴンドワナ植物の起源が何らかの形で明らかになれば、コーヒーノキについての答えも得られるかもしれません。

コーヒーノキのゴンドワナ起源説は1960年代初頭にマダガスカルの野生のコーヒーノキの研究を精力的に行ったLeroyによって、1982年に提唱されました。その当時はまだ、PsilanthusCoffeaの分類についての意見はばらばらでしたが、Leroyは近縁の植物が、アフリカ大陸、マダガスカル、インドに分布しているということから、コーヒーノキのゴンドワナ起源説を提唱したのです。ただし、その後の調べによって、マダガスカルのコーヒーノキは大陸が分裂したずっと後になって、アフリカ本土から渡ってきたものに由来することが明らかになり、また上述のようにインド周辺のものがCoffeaではなくPsilanthusだと考えられるようになったことから、少なくとも1980年代当時の考えのままでは正しくなかった、ということが判っています。

それでは現在の知識で、どのように考えることができるでしょうか? Psilanthus属が地理的に離れて分布していることから考えると、ゴンドワナに由来するのはCoffea属ではなく、Psilanthus属の方だったという可能性の方が高いと考えることができます……もちろんジュラ紀当時の植物と現存している植物は「全く同じ」というわけではありませんから、正確には「Psilanthus属の直接の祖先に当たる植物」になりますが。

地球が生まれて、最初の生命が生まれ、そこからやがて藍藻類などの光合成細菌、単細胞の藻類など水中で植物の祖先が生まれ、さらにそれらは陸地に上陸して、コケ類、シダ類などの胞子植物を経て、ソテツなどの裸子植物が生まれます。やがてジュラ紀の途中(あるいはもっと早く三畳紀)に被子植物の祖先が生まれ、やがて様々に分化していく過程で、アカネ科植物の祖先が生まれます。そこからさらに「Psilanthus属の祖先に当たる植物」がゴンドワナ大陸上で、現在のアフリカ〜インドに相当する地域で、最初に生まれます。その後ゴンドワナ大陸の分裂によって、Psilanthus属はアフリカ大陸とインドに分断されます。ひょっとしたら当初はマダガスカルにもその子孫が残ってたのかもしれませんが、途中で途絶えてしまったと考えられます。

やがてPsilanthus属の祖先はそれぞれの生育に適した、標高のそれほど高くない、アフリカやインドの湿潤な常緑樹林帯でそれぞれ繁栄していきますが、アフリカ大陸側でこのPsilanthus属の祖先から、さらにもう一つの子孫となるグループが生まれます。それが現在の「コーヒーノキの共通祖先」−Coffea属のルーツだと考えることができます。実は以前は、Coffea属が誕生したのはアフリカ中央の高地地帯だという考え方がありましたが、もし現存するPsilanthus属植物が当時の性質を維持しつづけているのなら、ひょっとしたらCoffea属が生まれたのはもう少し西側よりの、やや標高の低い地帯なのかもしれません。

アフリカでの分岐アフリカ大陸で生まれた「コーヒーノキの共通祖先」はアフリカ各地に分布を拡大していきます。しかし一口に「アフリカ」と言っても、その気候や地形はさまざまです。コーヒーノキはいずれも基本的には、湿潤な常緑樹林帯を好みますが、中には乾期のある地域や落葉樹林帯に適応していったもの、標高の高い地域に適応したもの、逆に標高の低い海岸線間際まで生育が可能になったものなど、それぞれの地域にあわせて、さまざまな「コーヒーノキ」が生じていきました。

現在、Davisによる2006年の分類によるとCoffea属には103の種が含まれていますが、それらはその地理的分布から、5つの「クレード」と呼ばれる系統に分けられています。

    • W (West) クレード:西アフリカ

      • ギニア、ガーナ、コートジボアールなど

      • 代表:C. stenophylla ほか

      • 比較的標高の低い、湿潤な常緑樹林帯に生息するが、やや乾燥したむき出しの傾斜地や山頂部などを好む

    • WC (West-Central) クレード:西中央アフリカ(西リフトバレーより西側)

      • ギニア、ガーナ、コートジボアール、ナイジェリア、カメルーン、コンゴ共和国、コンゴ民主共和国、中央アフリカ共和国、ガボン、アンゴラなど

      • 代表:C. congensis, C. brevipes, (C. canephora, C. liberica, C. anthonyi) ほか

      • 比較的標高の低い、湿潤な常緑樹林帯に生息。特にカメルーンでの調査が進んでいる。

    • C (Central) クレード:中央アフリカ(東西リフトバレーの間)

      • タンザニア北部、ルワンダ、ブルンジ、ウガンダ、アンゴラ、エチオピアなど

      • 代表:C. eugenioides, (C. arabica) ほか

      • 標高の高い湿潤な常緑樹林帯に生息

    • E (East) クレード:東アフリカ(東リフトバレーより東側)

      • タンザニア東部、モザンビーク、ジンバブエなど

      • 代表:C. salvatrix, C. racemosa, C. zanguebariae ほか

      • 標高の高い地帯から海岸線沿い、湿潤な常緑樹林帯から乾期のある地域や落葉樹林帯まで多岐に分岐。特にタンザニアでの調査が進んでいる。

    • M (Madagascar) クレード:マダガスカル(とマスカレン諸島)

      • マダガスカル島本土、コモロ諸島、マスカレン諸島(モーリシャス、レユニオン)

      • 代表:C. resinosa, C. gallienii, C. humblotiana(コモロ諸島), C. mauritiana(モーリシャス、レユニオン)

      • 湿潤な常緑樹林帯を好む。マダガスカルの多様な標高に適応。マダガスカル西部にはBaracoffea亜属に属するものが分布。

括弧で示したうちC. canephora, C. libericaについては、アフリカ各地で帰化が進んでいるため、本来の自生域より広い範囲に分布している可能性がある。

また地理的分布ではC. anthonyiはWCクレード(南カメルーン)だが遺伝子解析ではCクレードに近い。

C. arabicaはCクレードだが遺伝子解析ではWCクレードになる部分がある(後で詳述)。

研究者によっては、WとWCはひとまとめにして「WCクレード」として扱う場合もあります。大体の目安としてはグレート・リフト・バレー(大地溝帯)が境目になっており、西リフトバレーより西側と、東リフトバレーより東側、そして東西リフトバレーの間が、それぞれWC、E、Cクレードとされています。それぞれのクレードは、地理的分布が異なるだけでなく、遺伝的な近縁関係で比べた場合も、同じクレード内のもの同士の方が、他のクレードのものより近い関係(例えば「いとこ同士」)にあることが判っています。またこれらのクレード同士で比べると、MクレードとEクレードは比較的近く(例えば「はとこ同士」)、これと比べると、W, WC, C, (E M) の差はやや大きい(「遠い親戚」)ということが報告されています。遺伝子研究の手法の違いによって、これらの結果はまだ必ずしも一定しているとは言いがたいのですが、少なくともMクレード、すなわちマダガスカルのコーヒーノキはアフリカ大陸本土でさまざまに分岐していったもののうち、東アフリカで繁殖したEクレードのものが海を越えて到達し、それがマダガスカル島という独特な環境で独自の進化を遂げていったものと考えられています。

アラビカ種の起源

現在、世界で栽培されているコーヒーノキの約80%はC. arabica、すなわちアラビカ種です。残りの20%がC. canephora、カネフォーラ種(いわゆるロブスタ)だと言われていますが、こちらはインスタントコーヒーなどの原料やブレンドに配合されることが多く、我々が日常口にする「コーヒー」は、ほとんどがアラビカ種だと言ってよいでしょう。また植物学の分野でも、初めてヨーロッパ(アムステルダム)に持ち込まれ、リンネによって初めてCoffeaという学名が付けられたのも、このアラビカ種です。しかし、それほど身近な存在にも関わらず、実はこのアラビカ種は、コーヒーノキの中ではほとんど例外的と言ってもいい、「変わり種」に当たります。

まずいちばんの違いは、その染色体の数にあります。Coffea属に属する他のコーヒーノキはすべて、その染色体の数は22本です(2n=22)。しかし、アラビカ種だけは例外で、そのちょうど2倍の44本の染色体を持ちます(2n=44)。

それからもう一つの特徴は、自家受粉が可能であるということです。他のコーヒーノキのほとんどは「自家不和合性」と言って、同じ個体の中では受粉が成立しないという性質があり、自家受粉せず他の個体同士でのみ子孫を残していくことで、遺伝的な多様性を確保していると考えられています。このため他のコーヒーノキの場合、「別の樹から別の樹」に花粉を届ける必要があり、多くは風媒によって受粉が行われていると考えられています。これに対して、アラビカ種はコーヒーノキの中では例外的に自家受粉が可能です(ただしミツバチの関与を示唆する論文もある)。この性質は、103種のコーヒーノキのうち、アラビカ種の他では数種(C. heterocalyxC. anthonyi、またC. humilisは部分的に自家受粉可能と言われる)だけに見られる特徴です。

また現在、アラビカ種が自生しているのはエチオピア南西部の標高の高い地帯、いわゆるエチオピア高原(アビシニア高原)で、特にグレートリフトバレー西側の斜面の地域(Jimmaなど)に多いと言われていますが、この地域ではアラビカ種以外のコーヒーノキの野生種は知られていません。地理的にはCクレードとして分類されるものの、もう一つのCクレードの代表であるC. eugenioidesとは地理的にも少し離れて分布しています。

これらの特徴から、アラビカ種はコーヒーノキの中ではちょっと特別な存在なのではないかと、昔から考えられてきたのです。特に重要視されたのは染色体数です。他のコーヒーノキの「ちょうど2倍」の染色体数を持つという特徴から、いずれかのコーヒーノキの変異によって偶然生じた四倍体の植物(通常の植物は二倍体でこれをXXとするとき、四倍体はXXXXに相当する)がアラビカ種の起源ではないかとも考えられていました。

遺伝子解析による解明

アラビカ種の故郷

コーヒーノキの系統分類において、カネフォーラ種はWC(西中央アフリカ)クレード、ユーゲニオイデス種はC(中央アフリカ)クレードと、それぞれ別のクレードに属しています。またカネフォーラ種は比較的標高の低い地帯、ユーゲニオイデス種はより標高の高い地帯に生息しています。果たして、このように生息場所の異なる両者が交配して、アラビカ種の祖先を生み出すことがありえたのでしょうか?

さて一方、1980年代から、生物学の研究の主流は、遺伝子(DNA)の解析をメインとした「分子生物学」へと大きく変化していきました。コーヒーノキの遺伝子解析も、他の植物に比べると若干出遅れたきらいはあるものの、1990年代の後半から大きな進展を遂げました。そこで分子生物学的な手法によって、アラビカ種が、他のどの種類のコーヒーノキと似ているかを解析することで、アラビカ種の起源がなんであるかつきとめる複数の研究が行われました。「遺伝子解析」というと、ヒトゲノムプロジェクトのように、ある生物の遺伝子 の全配列を明らかにするような手法をイメージする人もいるかもしれません。しかしそのようなゲノム解読は非常に時間と手間と予算がかかり、研究者が何十人も共同 研究してようやく可能になるような作業です。近い生物同士の系統を明らかにすることが目的の場合には、わざわざそれほどの巨大プロジェクトの成果は必要がなく、それらの生物に共通してみられる特定の遺伝子領域にだけ注目し、その部分で生じている比較的小さな遺伝子の変異を利用して解析が行われます。ただし、このとき最初に「どの領域に注目するか」が極めて重要になり、その条件によって異なる結果が得られることもあります。また解析方法にも、例えば遺伝子の特定領域の配列比較や、RFLP, RAPD, AFLP, SSR-PCRなどいくつかの方法が開発されており、この方法も結果に影響することがあります。

右に示したのは、さまざまな種類のコーヒーノキについて、細胞核内に存在する染色体DNAの一部(核リボソームDNAのITS領域)と、葉緑体DNAの一部(trnL-trnF)の配列を比較し、その相同性から系統図を作成したものです。

染色体DNAはいわゆる「ゲノム」であって、母方と父方の両方から半分ずつ受け継がれるものです。染色体の、ある特定の領域に注目した場合、アラビカ種はカネフォーラ種と極めて近縁であることが判りました。同様な結果は、他にRFLP法やSSR-PCR法を用いた解析でも報告されています。

これに対して葉緑体DNAは、植物細胞の中にある葉緑体がそれ自身で持っているものです。葉緑体はミトコンドリアと同様に、細胞全体の分裂とは関係なく細胞質内で分裂・増殖しており、細胞分裂のときにそれぞれの細胞に分配されます。植物同士が交配するときにも葉緑体DNAは混じり合うことなく、母方のものだけが受け継がれます(母系遺伝)。この葉緑体DNAに着目した場合には先ほどと異なり、アラビカ種は、むしろCクレードの代表であるC. eugenioides ユーゲニオイデス種と近縁であるという結果が得られました。

その後さらに、アラビカ種の持つ44本の染色体について、それぞれカネフォーラ種とユーゲニオイデス種のどちらに近いか調べてみると、ちょうどその半分の22本はカネフォーラ種に近く、残りの22本はユーゲニオイデス種に近いということが判明しました。二倍体であるカネフォーラ種とユーゲニオイデス種をそれぞれ「XX」「YY」で表すと、アラビカ種は四倍体でありながら「XXXX」でも「YYYY」でもなく、むしろ「XXYY」として表されるものに近いことが判ったのです。

このように、異なるタイプの染色体からなる四倍体のことを「異質四倍体」と呼び、特に「XXYY」として表される、二つの2倍体が結合したようなものを「複二倍体」と呼びます。すなわちアラビカ種は、カネフォーラ種とユーゲニオイデス種が異種交配(通常、その子孫は「XY」になる)したときに、たまたま生じた複二倍体(XXYY)から生じたという可能性が示唆されました。

もちろんアラビカ種が生まれた当時、その元になったのが現在のカネフォーラ種やユーゲニオイデス種と「全く同じ」ものであるかどうかは判りません。しかし少なくとも現在のそれらに近縁なものが、アラビカ種の祖先になっている可能性が高いと考えられます。したがってこれらの結果からアラビカ種は、母方にユーゲニオイデス種(またはその近縁種)、父方にカネフォーラ種(またはその近縁種)を持つ複二倍体に由来するという可能性が高いことが判明したのです。

この仮説は、他のいくつかの傍証からも支持されます。まずアラビカ種が自家受粉可能な点についてですが、一般に同質四倍体に比べて異質四倍体の方が稔性が高いということが知られています。このことは、アラビカ種がいずれか単一のコーヒーノキの倍数化によって生じた可能性より、異質四倍体由来である可能性が高いことを間接的に示唆しています。

またアラビカ種の生態や代謝上の特徴には、カネフォーラ種とユーゲニオイデス種のそれぞれに似た部分が存在しています。アラビカ種はコーヒーノキの中では標高の高い地帯に自生するものの代表の一つですが、この特徴はユーゲニオイデス種などCクレードに共通してみられるものです。またアラビカ種のカフェインの含有量は、カネフォーラ種とユーゲニオイデス種の中間に当たります。カネフォーラ種はカフェイン含量が高いのに対し、ユーゲニオイデス種のカフェイン含量はアラビカ種の数分の一程度だと言われています。

なお、ユーゲニオイデス種においてカフェイン含量が低い理由は、コーヒーノキに存在する、カフェインを代謝して分解する酵素の活性が高いためだと言うことが、芦原教授らの研究から明らかになっています。ちなみに、UCCではこのユーゲニオイデス種とアラビカ種を戻し交配することで、カフェイン含量が少ないコーヒーノキ(低カフェインGCAコーヒー)を作出することに成功しており、早ければ2010年にも入手可能になるかもしれません。

ところで上でも少し述べたように、野生のアラビカ種はこのエチオピア高原を中心にした地域に自生していますが、ここには他の種のコーヒーノキは見られません。これは一体何故なのか、実際のところは不明ですが、Lashermesによって興味深い仮説が立てられています。ジュラ紀から白亜紀を経て、第三紀(6500万年〜180万年前)の頃、地球上は温暖で世界中で多くの動植物が繁栄します。しかし第三紀の終わり(500万年前〜)頃には寒冷化が始まり、今から180万年〜1万年前の更新世(洪積世)と呼ばれる頃は、いわゆる氷河時代になりました。氷河時代には、氷期とよばれる寒い時期と、間氷期と呼ばれるやや暖かい時期が、およそ10万年周期で繰り返されたと言われていますが、これにより大きな気候変動が繰り返されました。例えば今から7万年〜1万年前の最終氷河期には、アフリカ北部のアトラス山脈やエチオピアの一部の山地にも氷河が存在したと言われています。

このような厳しい気候変動は、そこに生息していた生物にも当然大きな影響を与えます。気候変動が特に激しい地域では、その地域の中でも比較的変動が少なかったごく狭い地域だけに、適応できたごくわずかの生物が生き残り、細々と子孫を残していくことが出来ました。そして、今から1万年前に最終氷河期が終わり完新期(沖積世、1万年前〜現代)に入ると、この地域を中心にして、生き残った生物が繁殖しながら徐々に分布を広げていったのだと考えられています。

アラビカ種は他のコーヒーノキに比べて、より寒い環境に適応していることが知られています。これらのことから合わせて、現在の分布から、おそらくアラビカ種は氷河時代(更新世)以前に出現しており、エチオピア高原に残された「避難場所」(おそらくはわずかに点在した森林)で、かろうじて氷河時代を乗り切り生き延びたのだと考えられます。同じ場所に生息していた他のコーヒーノキでは、この地域の厳しい気候を耐え抜くことが出来ませんでした。そして氷河時代が終わるとともに、アラビカ種だけがそれぞれの「避難場所」を中心にして、標高の高いエチオピア高原から、やがてはグレートリフトバレーの東側斜面へと分布を広げていったのではないかという仮説を、Lashermesは提唱しています。

まとめ 〜ゴンドワナからアラビカ種へ〜

そこはアフリカ最大の湖、ビクトリア湖の北西〜西部です。ビクトリア湖から北西に流れ出る水は、ウガンダにあるアルバート湖と呼ばれる湖を経てナイル川へと注ぎ込みますが、このアルバート湖の周辺、そしてそこからさらに南西にかけて、エドワード湖、キブ湖、タンガニーカ湖へと続く高地が、この条件にマッチしています。この地域から少し北東に移動すると、そこはグレートリフトバレーの大渓谷につながっており、そこから渓谷沿いに北東に進んでいくとアラビカ種が自生しているエチオピア南西部(水色の領域)に至ります。アラビカ種は氷河期の生き残り?

実はその可能性がある場所は、狭いながら確かに存在しています。実はカネフォーラ種は標高250-1500 m、ユーゲニオイデス種は1000-2000 mの地帯に主に生息しています。このため、標高1000-1500 mの地帯では、この両者が同時に生息することが可能です。西中央アフリカから生息域を広げていくWCクレードのカネフォーラ種(右図中、緑色の領域)と、中央アフリカで繁殖するCクレードのユーゲニオイデス種(赤色の領域)が出会う、標高1000-1500 m地帯(黄色の領域)が存在するのです。上に挙げた各クレードの分布でも、WCクレードとCクレードが交わる部分が見て取れるでしょう。

    1. これらの証拠と仮説からあわせて考えられるのは、以下のような仮説になります。コーヒーノキの遠い祖先(CoffeaPsilanthusの共通祖先)は、おそらく白亜紀(1億3500万〜6500万年前)頃までに、ゴンドワナ大陸の、現在のアフリカ〜インドにかかる地域で生まれた。

    • Wikström (2001)らによると、アカネ科植物を含むリンドウ目と、近縁のナス目の分岐が起きたのが、白亜紀中期と後期の間頃(8300〜8900万年前)とされているため、Psilunthusの出現はそれよりも後だと考えられます。

    1. アフリカ大陸が完全に分かれた後、コーヒーノキの共通祖先がアフリカ大陸(現在の中央〜西アフリカ?)で生まれ、分布を広げていった。

    2. 約1000万年〜500万年前にグレートリフトバレーが形成されると、コーヒーノキの共通祖先はそれぞれの地域に分断され適応していった(その後一部がマダガスカル島に渡る)。これがカネフォーラ種やリベリカ種、ユーゲニオイデス種など、それぞれの地域での現存種(2n=22)の祖先に当たる。

    3. ビクトリア湖の北西部で自生していたユーゲニオイデス種(またはその近縁種, YY)の花に、カネフォーラ種(またはその近縁種, XX)の花粉が交配して、雑種 (XY) が生まれた。

    4. その雑種の中からたまたま複二倍体 (XXYY) が生まれ、それがさらに交配をつづけ、自家受粉が可能なアラビカ種の祖先 (2n=44) が生まれた。

    5. アラビカ種の祖先はアルバート湖周辺からエチオピア高原へと分布を広げていった。

    6. 約180万年〜1万年前の氷河時代の気候変動で、エチオピア高原のごく一部の地域にアラビカ種だけが生き残った。

    7. 最終氷河期が終わると、生き残ったアラビカ種が繁殖を再開した。他のコーヒーノキとは地理的に断絶した状態で、エチオピア南部〜南東部へと分布を広げていった。

このように考えていくと、現存するコーヒーノキが「いつ生まれたか」という時期について、ある程度まで絞り込んでいくことができます。とはいえ、現時点で言えることとしては、現存するさまざまなコーヒーノキはいずれも500万年〜1万年前の間に生まれたものであり、アラビカ種はその中では比較的(カネフォーラ種やユーゲニオイデス種よりも)新しいものだろう、という程度ですが。

ただしごく最近、Lashermesらはインド洋上のコーヒーノキの分岐と花粉化石のデータを基にして、コーヒーノキのもっとも近い分岐が起きたのが約35万年〜15万年前頃だと言うことを学会発表しているようです。

一方、人類 (ヒト、Homo sapiens) もまた、同じアフリカで生まれます。40万年〜25万年前に中央〜西アフリカで生まれた人類は、奇しくもアラビカ種が進むのと同じように、グレートリフトバレーに沿ってエチオピアからアラビア半島に渡り、そこから世界中に広がっていったと考えられています。ともに氷河期を生き延びた、人類とアラビカ種のコーヒーノキは、エチオピアの山中で巡り会い……やがて人類はコーヒーを積極的に利用するようになり、自分たちの暮らす地域に小規模な移植などを行っていきます。そして、やがてその一部がイエメンに持ち込まれ、そこで栽培規模が拡大して、作物として利用されるようになった……最新の遺伝子解析の結果からは、このような仮説を考えることが可能になるのです。