味覚受容体と味細胞

一つの味細胞が受容する味覚は、5つの基本味のいずれかに特化しています。これは味細胞にどの味覚受容体が発現しているかによって決まります。甘味受容細胞には基本的に、甘味受容体であるT1R2とT1R3が発現しており、この両者が組み合わさって出来た、T1R2+T1R3という一種類の受容体だけを持っていると考えられています。同じT1RファミリーでもT1R1は発現しませんし、またT2Rファミリーの受容体も発現しません。このことによって、甘味受容細胞は甘味受容体だけを発現し、甘味の受容に特化していることがわかります。うま味受容細胞も同様にT1R1+T1R3だけを発現して、うま味の受容に特化しています。苦味受容細胞の場合もやはり、甘味やうま味を受容するT1Rファミリーの受容体を発現せず、苦味の受容だけに特化していています。しかし、発現しているT1Rファミリーの種類が甘味とうま味で、細胞ごとに分かれていたのに対して、T2Rファミリーの種類にそのような細胞ごとの分担があるのかについては、まだよくわかっていません。少なくとも、細胞ごとに出ているT2Rの種類には違いがあることと、それぞれ結合するリガンドが異なる何種類かのT2Rが、同じ苦味受容細胞で発現していることが判明しています。ただし一般に、ヒトはたくさんの種類の苦味物質を、細かく区別することなく、すべて同じような「苦味」として知覚しているのではないかと考えられています。このことは言い換えると、我々は数百種類もの物質を「苦味」として認識するけれども、それぞれの苦味物質の違いを区別して、その種類を「感じ分ける」機能までは持っていない、ということになります。これは、苦味が毒を見分けるためのものとして獲得されてきたと考えると、非常に無駄がなく、理に適っていることです。動物が生き延びるためには、その食べ物が毒であるかどうかこそが問題であって、毒であると認識して吐き出すときに、それがどういう種類の毒かまで判別する必要はないのですから。ところで、甘味、うま味、苦味受容体は、いずれもGタンパク質共役受容体という、同じグループに属するタンパク質であり、これはいずれも細胞内でGタンパク質と呼ばれるタンパク質と連結して機能します。実はこのため、それぞれの種類の味細胞の違いは表面の受容体の種類だけで、そこからのシグナルが送られる経路(シグナル伝達経路)の下流はいずれも共通しています。受容体の下流で味覚のシグナル伝達に特異的に関わるタンパク質として、ホスホリパーゼCβ2(PLCβ2)と呼ばれる酵素やTRPM5と呼ばれるチャネル分子などが見つかっていますが、これらは甘味、うま味、苦味細胞に共通して発現しています。一方、酸味受容体の候補であるTRPチャネルを持つ細胞には、甘味、うま味、苦味に対する受容体が発現していないばかりでなく、下流の分子であるTRPM5なども発現していません。

味細胞と味覚受容体の分布に関連しては、興味深い実験も行われています19。マウスとヒトでは苦味受容体の種類にいくらか差があり、ヒトの苦味受容体で認識される一部の苦味物質は、マウスには知覚されません。そこでこの研究では、このヒト特異的な苦味受容体を、マウスの苦味細胞だけに発現するようにデザインした、遺伝子改変マウスを作製しました。この受容体と反応するヒト特異的な苦味物質を混ぜた水を用意しておくと、元々のマウスは無反応で、全く普通の水と同じように飲みますが、この遺伝子改変マウスは嫌がって飲もうとしなくなりました。つまり、ヒトにより近い苦味の感覚を持ったマウスが作製されたわけです。またこの苦味受容体を、今度はマウスの甘味細胞だけに発現するようにデザインしたマウスを作製したところ、このマウスはその苦味物質が入った水を、まるで砂糖水と同じように好んで飲むようになりました。この実験は、味細胞が反応する味物質の種類だけでなく、脳での情報処理による味覚の嗜好性までが、細胞表面の受容体の種類、すなわち味覚受容神経の最も末梢のレベルで決まってしまうということを示しています。

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