「おいしさ」を感じる仕組み〜味覚と嗅覚の生理学

「コーヒーは○○である」というフレーズの、「○○」に入る言葉は、それぞれの人によって異なります−ある人にとっては「加工食品」であり、ある人にとっ ては「植物」や「農作物」であり、また、ある人にとっては「薬」だったり「毒」だったり、「商取引の対象」であるかもしれません。しかし、もっとも多くの 人に共通する「いちばん最初に挙げるべき答え」を一つ挙げろと言われたら、「コーヒーは嗜好飲料である」と答えるべきでしょう。すなわち「コーヒーは味や香りを楽しむ飲み物である」というのが、コーヒーを考える上でもっとも重要視しなければならないポイントです。

こ れら無数の「○○」は、そっくりそのまま、コーヒーを関心の対象とした学問分野からの観点と合致します。食品工学的観点から見ると、コーヒーは加工食品で あり、植物学的観点から見ると植物であり、農学的観点から見ると農作物であり、医学的観点から見ると毒や薬であり、経済学的観点から見ると商取引対象であ る…このようにさまざまな分野から、コーヒーは研究対象の一つになりえます。しかし、こういった多くの学術分野の観点以上に「コーヒーは嗜好飲料である」 という観点、つまり「コーヒーの味や香り」に注目し、それを科学的に捉えることこそが、コーヒーを本当に科学的に理解する上ではもっとも重要です。

そ して、それを正しく理解するためには、我々が感じている味や香りというものが一体なんなのか、そして我々はそれをどうやって感じているのかという、味覚や 嗅覚のメカニズムについて背景知識がどうしても必要になります。これまで、コーヒー学やコーヒーの科学を謳った書籍はいくつかありましたが、この部分を避 けずにきちんと説明しているものは多くはありませんでした。…とは言っても、それは必ずしもそれらの本の著者がサボっていたというわけではなく、実際の自 然科学の分野でも、味覚や嗅覚についての研究はなかなか進んでこなかったためだ、というのが背景にあります。しかし、1990年代以降、特に過去10年く らいの間で、味覚や嗅覚のメカニズムについての研究は飛躍的な進歩を遂げました。そこで、ここでは最新の知見も交えながら、「味と香りを感じる仕組み」について、総合的に解説したいと思います。

とは言っても残念なことに、味覚や嗅覚についても、またコーヒーの味や香りについても、まだ十分にはわかっていない部分が多く残っているので、仮説段階の話を途中で交えながらになることをあらかじめご了承ください。