小括:クロロゲン酸分解物とコーヒーの味

これらのクロロゲン酸由来の苦味物質は、実験室でも人工的に作り出すことが可能です。Frankらは、コーヒーに含まれるさまざまな成分を、コーヒーの焙煎と似た加熱条件である、220℃で15分加熱して生成する焙焦産物の苦味を比較しました8。例えば砂糖を単独で加熱したもの(カラメルを主成分とする)は強い苦味を呈しますが、これはコーヒーの苦味とは異なった苦味として感じられるものであり、試した中でもっともコーヒーの苦味に近かったのは、クロロゲン酸を単独で加熱したものでした。これはクロロゲン酸ラクトン類に、少量のビニルカテコールオリゴマーが混ざったものによって生じた味だと考えられます。

    1. 一方、コーヒー酸を単独で加熱したものも強い苦味を呈しましたが、こちらはエスプレッソのような深煎りのコーヒーに近い苦味でした。こちらはクロロゲン酸ラクトンを含まない、ビニルカテコールオリゴマーだけによる味だと考えられます。なお興味深いことに、コーヒー酸ではなくフェルラ酸を加熱したものからは苦味物質は生じませんでした。これらの結果を総合すると、コーヒー焙煎の過程では、まず浅煎り〜中煎りの段階でクロロゲン酸ラクトン類が生じて「コーヒーらしい」苦味を生み出し、深煎りにしていくにしたがってクロロゲン酸ラクトン類が減少し、代わりにビニルカテコールオリゴマーが増加して、深煎り独特の苦味が生まれるのだという図式が考えられます。この図式は、実際のクロロゲン酸ラクトン類の増減パターンや、また生成する際の化学反応のステップの多さなどとも矛盾しないため、焙煎によるコーヒーの苦味の変化を説明する上で、コアになる重要な考え方になることが予想されます。 これらの最近の研究結果から、クロロゲン酸類が苦味の生成に対して重要な役割を担っていることが明らかになりました。ではクロロゲン酸類が多ければ多いほど、コーヒーらしい苦味を生み出せる良い生豆だと言えるでしょうか? これに対する答えはおそらく「ノー」です。それどころかむしろ、生豆におけるクロロゲン酸類の量が多いほど、カップテストでの品質は劣るという考えの方が一般的です。一般にクロロゲン酸類の量はアラビカよりもロブスタの方で多く、また発酵豆や黒豆などの欠点豆でもクロロゲン酸類の量が多いものがしばしば認められるからです。これに対する主な解釈には、以下のようなものがあります。クロロゲン酸類の総量だけでなく、種類の違いが品質に影響する。

    2. ロブスタでは、クロロゲン酸類以外の糖類や有機酸の含量もアラビカより少なく、品質にはむしろこれらの成分含量が大きく影響する。

    3. 生豆の段階でクロロゲン酸類の量が多い場合、酵素(ポリフェノール酸化酵素)による発酵によって生じるクロロゲン酸類の酸化物の量も生豆中には多くなる。これらが異味や異臭の原因となるため品質が落ちる。

おそらく、これらの要素が複数重なりあうことで、生豆にクロロゲン酸類が多い場合にはカップ品質の低下につながるのではないかと考えられます。実際にロブスタでは、通常のクロロゲン酸(CQA)の量ではアラビカとの差は少ないものの、イソクロロゲン酸(diCQA)やフェルロイルキナ酸(FQA)の量が多いという特徴があります。ロブスタではクロロゲン酸ラクトン類もビニルカテコールオリゴマーも、アラビカよりも高濃度で生成しますが、その組成はアラビカとは違うことが予想されます。クロロゲン酸ラクトン類でも、苦味が強いジカフェオイルキナ酸ラクトンが生成しやすく、またビニルカテコールオリゴマーの量も多くなるでしょう。この苦味物質の多さに比して、ロブスタでは元からショ糖や有機酸の含量が少ないため、苦味だけが強く現れるのだということが予想されます。また土臭さなどの異臭の発生と、クロロゲン酸酸化物の関連も示唆されており、実際、ロブスタや発酵豆ではポリフェノール酸化酵素の活性が高いことが知られています。クロロゲン酸類は苦味の生成をはじめ、コーヒーの味や匂いの生成に、さまざまな形で深く影響するものですが、だからと言って「多ければ多いほど良い」というような単純な考え方で解釈することはできないのが実情です。

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