味物質

動物やヒトが味覚として感じることのできる化学物質を、味物質(または味覚物質)と呼びます。それぞれの基本味について、その味を生じさせる味物質が存在していますが、中にはサッカリンのように苦味と甘味の両方を誘導するなど、複数の味覚を生じさせる味物質も存在します。また、それぞれの味物質を知覚するためには一定以上の濃度が必要になり、濃度が低すぎる場合には知覚できません。この、味を知覚できる限界の濃度を閾値(いきち)と呼び、閾値が小さいほど強い味物質ということになります。複数の味覚を生じさせる味物質の場合、それぞれの味覚に対する閾値は異なり、例えば上述したサッカリンは甘味に対する閾値が苦味よりも小さいため、低濃度では主に甘味を感じますが、高濃度になると苦味が感じられるようになります。

甘味物質

甘味の元となる甘味物質には、ショ糖(スクロース、サッカロース)やブドウ糖(グルコース)などの糖類、アスパルテームやサッカリンなどの人工甘味料、漢方薬のカンゾウ(甘草)に含まれるグリチルリチンなどの配糖体、モネリンやクルクリンなどの甘味タンパク質と呼ばれるタンパク質の一種も甘味を呈するものがあります。この他、変わったところでは、酢酸鉛(有毒)のような無機金属化合物や、クロロホルム(CHCl3)のような有機溶剤にも甘味を呈するものがあります。糖類ではブドウ糖や果糖(フルクトース)などの単糖類や、ショ糖や麦芽糖(マルトース)などの二糖類など、重合度が低くて分子量が比較的小さいものが甘味を生じさせますが、デンプンなどのように重合度の高い多糖類になると甘味を失います7

甘味物質は多種多様ですが、その立体構造において共通となる部分があり、この部分を介して甘味を呈しているという説があります2

うま味物質

うま味の元となるうま味物質としては、アミノ酸の一種であるL-グルタミン酸が挙げられます。この他、イノシン酸やグアニル酸などのヌクレオチド(核酸関連物質)もうま味を呈すると言われますが、これらのヌクレオチドは同時に、L-グルタミン酸のうま味を増強する、うま味増強物質としても作用します。これ以外には、ハエトリシメジ(食用キノコの一種)に含まれるトリコロミン酸や、毒キノコであるテングタケに含まれるイボテン酸など、変わった構造を持ったアミノ酸の仲間に、強いうま味を呈するものがあることが知られています。

うま味は5つの基本味の中ではもっとも新しく発見されました。1908年に東京帝大教授であった池田菊苗が、だし昆布のうま味成分としてL-グルタミン酸を発見したのが最初であり、以後、日本で大いに研究されました。欧米ではあまり注目されていませんでしたが、現在では5つ目の基本味として世界的に認められており、英語などでも"umami"という言葉が通用しています。

苦味物質

苦味の元となる苦味物質は極めて多種多様で、その種類は数百種類にものぼると考えられています。その中には、「にがり」の主成分である塩化マグネシウム (MgCl2) などの無機金属塩や、カフェインやキニーネなどの植物性アルカロイド、オレンジの皮に含まれるリモネンなどの苦味テルペノイド、生薬のセンブリの苦味成分であるスウェルチアマリンなどの苦味配糖体、チーズに生成する苦味物質として分離されたジケトピペラジンなどの苦味ペプチドなど、非常にたくさんの種類のものが含まれます。甘味とは異なり、苦味物質には立体構造上の共通点はあまり認められていません。

酸味物質

酸味の元となる酸味物質としては、しばしば塩酸や硫酸、炭酸などの無機酸や、酢酸、クエン酸などの有機酸などの酸が挙げられますが、その本体はこれらが水に溶けて生じる水素イオン(H+)です。

「酸が水に溶ける」ということは、水中でイオン化して、水素イオンと、それと対をなす陰イオン(塩酸ならCl-、硫酸ならSO42-、酢酸ならCH3COO-など)とに解離するということを意味します。水中で解離する割合が高いものほど水中の水素イオン濃度が上がり、このような酸を強酸と呼びます。塩酸や硫酸などは強酸にあたります。一方、解離の程度が低いものは弱酸と呼ばれ、炭酸や酢酸、クエン酸などの弱酸は、強酸に比べると同じモル濃度の水溶液での水素イオン濃度が低く、酸味も弱くなります。水溶液中の水素イオン濃度の指標としてはpHが用いられます。pHは溶液中の水素イオン濃度9の逆数の対数を取ったものです。蒸留水における水素イオン濃度は 10-7 mol/LでpHは7になり、このとき水酸化物イオンOH-の濃度と釣り合っているため、中性になります。

pHがこれより低い(水素イオン濃度が高い)場合に溶液は酸性になり、酸味を呈します。一般にpHが小さいほど酸味が強くなりますが、同じpHの溶液でも、陰イオンの種類によっても酸味の強さが異なることが知られており、必ずしもpHと酸味の強さが相関するわけではありません。中和滴定法を用いた酸度(滴定酸度)の方が、酸味との相関は高いと言われています。代表的な酸としては、同一pHで酢酸>酒石酸>クエン酸>塩酸の順に酸味が強いと言われています。

塩味物質

一般には、「塩味(しおあじ)」とは塩化ナトリウム(食塩、NaCl)の味を指しますが、味覚科学の分野では、「塩味(えんみ)」が、塩化ナトリウムや塩化カリウム(KCl)などの無機塩の味を指す用語として、基本味の一つにされています。一口に「塩味(えんみ)」と言っても、実際に我々が感じる味はさまざまで、いわゆる「塩(しお)の味」を感じさせるのは塩化ナトリウムだけであり、ある意味、塩化ナトリウムだけは特殊な塩(えん、塩類)であると言えるでしょう。

塩味の本体、すなわち塩味物質は、これらの塩類が水に溶けて生じるイオンの一種です。この中には苦味物質として挙げた塩化マグネシウム(にがり)のように苦味を生じるものも含まれますが、特に塩味を呈するものは、リチウム、ナトリウム、カリウム、ルビジウムなど周期表の一ばん左の列にあたるもの、第一族元素あるいはアルカリ金属と呼ばれる元素の陽イオン(Li+, Na+, K+, Rb+)です。これらとハロゲン族(塩素、臭素、ヨウ素など:周期表の右から二番目の列の元素グループ)が反応して出来た金属塩は、水に溶けると容易に解離して、ナトリウムイオンと塩化物イオン、カリウムイオンと臭化物イオンのような形になります。このとき生じるナトリウムイオンやカリウムイオンなどの一価の陽イオンが、塩味の元になります 。また金属イオンではありませんが、同じく一価の無機陽イオンであるアンモニウムイオン(NH4+)も塩味を生じます。第一族元素のイオンの中でも分子量の小さいリチウムやナトリウムは塩味のみを呈しますが、ルビジウムやセシウムなど、分子量が大きくなるにしたがって苦味を呈するようになります。また、対となる陰イオンの種類によっても呈する味に違いが現れることがあり、塩化カリウムは塩味を呈しますが、臭化カリウムは塩味と苦味の両方を、ヨウ化カリウムは苦味を呈します。また陰イオンの種類によっては溶液のpHにも影響を与えるものがあり、例えば重曹(炭酸水素ナトリウム、NaHCO3)は、水溶液中で生じる炭酸水素イオンのために弱アルカリ性となり、苦味を生じます。

味覚変革物質

またそれ自身が味物質ではありませんが、他の味物質の感じ方を変化させる物質が知られており、これらは味覚変革物質と呼ばれます。味覚変革物質には、ある味覚を感じさせなくなるもの(味覚抑制物質)と、ある味覚を別の味覚に変えてしまうもの(味覚修飾物質)があります。

歯の治療の際に用いるような麻酔薬(局所麻酔薬)には非特異的な味覚抑制作用があり、すべての味覚を阻害します。またインド産の植物の一種、ギムネマ・シルベスタ(Gymnema sylvestre)に含まれるギムネマ酸や、ナツメの葉に含まれるジジフィンという成分は甘味だけを阻害する甘味抑制物質として知られています。

西アフリカ原産のSynsepalum dulcificumという植物の実はミラクルフルーツと呼ばれ、この実をしばらく口に含んでおくと、その後、酸っぱいものを甘く感じるようになります。これは、ミラクルフルーツに含まれているミラクリンというタンパク質が、酸味から甘味への味覚修飾物質として働くことによるものです。ミラクリンはそのままでは何の味も示しませんが、摂取してしばらくの間は舌表面に付着して残ったままになります。この状態で酸っぱいもの、すなわちpHの低い溶液を作用させると、ミラクリンが結合した細胞表面の受容体の立体構造が変化して、甘味を認識する受容体がミラクリンの一部と結合して甘味を生じます。これと似たものとして、クルクリゴCurculigo latifoliaという植物に含まれるクルクリンというタンパク質があります。クルクリンは単独でも甘味を呈する甘味タンパク質ですが、さらに酸味を甘味に変化させる味覚修飾物質としても作用します。

コーヒーの生豆などにも多く含まれているクロロゲン酸にも味覚修飾作用があります。クロロゲン酸の味覚修飾作用は、水の味を変えるもので、クロロゲン酸を含む溶液をしばらく口に含んだ後に蒸留水の味を甘く感じるようになることがあります。この現象は、1934年にAAAS(アメリカ科学振興協会)の生物学者たちが晩餐会を行った際、アーティチョーク(チョウセンアザミ)のサラダを食べた人の6割が、その後で飲んだ水を甘く感じたこと10から見いだされたもので、1972年にその本体がクロロゲン酸と、その類縁化合物であるサイナリンであることが明らかにされました11。ただしその作用メカニズムは不明です。またクロロゲン酸やサイナリンによる水を甘くする作用については、ヒトによって感受性の差があり、全く甘味を感じないヒトもいることがわかっています。

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