妊産婦とコーヒー 〜妊娠中・授乳中のカフェイン摂取について〜

総括(一般の人向けの解説)

妊娠初期にコーヒーを多量に飲みつづけている(カフェインを過剰に摂取しつづけている)人では、そうでない人と比べて流産のリスクが高い(=正の相関がある)ということが、複数の研究で指摘されています1-7図1)。その因果関係補記1についてはまだ結論がでていませんが、安全側に倒して考えるならば、普段の摂取量が多い人は、妊娠していることが判明したら、量を減らした方が(1日1〜3杯以内)安全かもしれません。妊娠中には激しい運動を避けたり、喫煙、飲酒を控えたり、あるいは薬を飲むのを止めるよう、産婦人科の先生から指導を受けますが、「カフェインを過剰に摂取しつづけないこと」についても、それらと同様に、妊娠中に気をつけるべき注意事項の一つだと考えて下さい。 ただし、あくまで「カフェインを過剰に摂取しつづける」ことが問題なのであって、過剰摂取にあたらない程度の量であれば、まったく摂取しなかった場合と比べて、流産のリスクには差がみられないという報告が大半です(なお、もともと妊産婦のうち約15%のケースは自然流産することが知られています補記)。これらの報告からは、たまに飲んだりすることはもちろん、適量であれば妊娠期間中に飲みつづけても問題はないと考えられます。また、妊娠後期の適度なコーヒー摂取は妊産婦のストレスを緩和させる効果があることも報告されています8。上手に活用する方法を知っていれば、コーヒーはマタニティライフに有用な飲み物だと言えるでしょう。 どこからが妊産婦にとって「過剰に摂取しつづけている」ことに当たるのかについては、まだ確定していません。とはいえ、これまでのデータから「1日あたりコーヒー1杯(カフェイン100mgに相当)摂取しつづける」ことにはまず問題がなく、「2〜3杯以内(カフェイン 200〜300mg 以内)なら摂取しつづけ」ても影響はないとする報告が多数派です(図1)。世界保健機関 (WHO)では1日あたりコーヒー3〜4杯9、イギリス食品基準局 (UK FSA)は1日コーヒー2杯に当たるカフェイン200mgを指標にしています10。日本でも「1日3杯以内」を目安として提案されている産婦人科の先生もいます1。データの信頼性まで考慮した上で「1日5杯以内」までは大丈夫だろう1などいろいろな考え方がありますが、実際、どこまで大丈夫かについては今後の研究で明らかにされていくでしょう。なお、お茶やウーロン茶、栄養ドリンクなどからカフェインを摂取している場合は、その分も考慮に入れてコーヒーを飲む量を減らすなど、カフェインの摂取量全体を指標にして計算して下さい補記。過剰摂取が問題となる(可能性がある)時期については、これまで行われた調査では妊娠期間との関係について解析したものが少ないためにまだ確定していません。8〜28週くらいの時期(妊娠初期〜中期のはじめ)について注目されており、これ以外の時期については、一般的な範囲では大きな問題はない(少なくとも1日あたり800〜900 mg以下であれば差はない)ようです5,7。また、妊娠前のカフェイン摂取歴についても、一般的な範囲では流産リスクには影響しない(1日あたり900mg以下であれば差がない)と考えてよいようです5

妊娠中のコーヒー(カフェイン)の摂取については、妊娠初期の流産リスクの増加以外にはほとんど問題がないと考えられています1,2。赤ちゃんがやや小さめ(出生体重が低め)になる傾向があるようですが、大量に(妊娠中、1日あたりカフェイン600mg以上)摂取しつづけるのでない限りは、問題のない範囲に収まると考えられていますし、その後の発育にも影響はないと考えられています1,3,11。その他の先天疾患のリスクにも影響しません。また、カフェインは母乳にも移行することが知られていますが、これも一般的な摂取量の範囲であれば、授乳による赤ちゃんへの影響はほとんどない(母親が1日あたりカフェイン500mg(100mgを1日5回)を5日間摂取しつづけても乳児の血圧や睡眠時間などに影響しなかった)ことが報告されています12

「コーヒーを飲みたいけれど、どうしてもカフェインが気になる」という人には、デカフェ(カフェインレスコーヒー)で代用するという選択肢もあります。「カフェインは深煎りにすれば減る」と言われてはいますが、焙煎で減少する量はわずか数%13程度なので、カフェイン摂取量を減らしたいという目的には、深煎りにしても有効とはいえません。カフェインを含まない代用コーヒーも複数ありますが、これらの影響については、有用面も有害面も科学的に判っていない点が多いというのが現状です。デカフェは普通のコーヒーの影響を調べる際にその比較対象として調査されてきたことと、欧米での利用者が多いことから、安全性の確認は代用コーヒーよりも進んでいると言ってよいでしょう。

より詳しい解説

カフェインと流産リスク

「カフェインを多く摂取すると流産リスクが上がる」という説自体は1970年代の終わり頃から唱えられてきたもの(1977年Weathersbeeらがモルモン教徒を対象に行った調査報告が最初14) です。その後、複数の調査が両者に「相関関係がある」こと、つまり「カフェインを多く摂取している妊婦グループでは、そうでないグループと比較すると流産 リスクが高く見られる」ということを報告しています。ただし、両者に「因果関係がある」かどうか、つまり「妊娠中にカフェインを摂取することがヒトの流産 の『原因になっている』」かどうかについては、まだ結論が得られているとは言えない部分が残っています。

カフェインとヒトの流産の関係については、直接の証拠にはなりませんが、(1) 動物実験では、非常に高濃度のカフェイン(ヒトに換算すると通常摂取の10倍量以上)を投与すると流産することが確認されている、(2) カフェインは胎盤を通過しうる、(3) 胎児は薬物代謝能力が低くカフェインが体内に残る時間が長い、などの状況証拠から、おそらくヒトにおいても、通常摂取される範囲を超えた「『非常に大量の カフェイン』を妊娠中に摂取することは流産の原因になる」だろうことは予想されています。

ただし、これまでの疫学調査では、流産リスクとの関連が見られるカフェイン摂取量が、予想される量よりも少ないことが報告されてきました。このた め、本当にその程度の量のカフェインでもヒトでは流産の原因になるのか、それとも疫学調査の方法自体に何らかの問題があるために本来よりも少ない量で影響 があるように見えているだけなのか、という点が現在も一つの争点になっています。

未解決の問題点

「カフェインと流産」の関係については、まだ相関か疑似相関か補記に ついて、議論が続いています。実際に、妊娠中には味や匂いへの嗜好の変化やつわりなどによってカフェイン摂取量が減る傾向がありますし、またカフェインを できるだけ控えるようにと医師から指導を受けるケースも多く見られます。日本では非妊産婦では1日平均200mgに対して、妊産婦では約60mg程度にな ると言われています1。 このため「妊産婦ではそもそもカフェインを多く摂取する例が少ないため、正確な調査ができないのではないか」という点や、「正常な出産に至るケースの方が カフェインを受け付けない体質になることが多いために調査結果がそう見えているだけのではないか」ということから、1990年代の終わり頃には一つの論争 になりました。

この論争の過程で、「つわりの重い人ほどカフェインをとらなくなるのでは?」「つわりの重い人ほど流産リスクが下がるのでは?」という組み合わせ や、「カフェイン減量を指導するような産科医にかかり、その指導をよく守る人ほどカフェインをとらないのでは?」「カフェイン減量を指導するような産科医 にかかり、その指導をよく守る人ほど流産リスクが下がるのでは?」という組み合わせなどの可能性を除外していくような、より細やかな調査を増やしていく必 要があるのではないかと指摘されました。これらを踏まえて2000年以降は、つわりの程度についても同時に検討するなど、より細かい条件に配慮した研究が 報告されるようになっています。つわりの影響については、おそらくは関係ないだろうという結論が出つつありますが、全体としてはまだこの論争には結論が出 たといえる段階ではなく、今後も同様に細やかな調査が増えていく必要があります。

また、それらの調査から仮に疑似相関ではなく相関があるという結果が得られたとしても「相関関係がある」とは言えても「因果関係がある」とはまだ言 えません。「カフェインを多く摂取するグループでは流産リスクが高い」という表現と「カフェインを多く摂取すると流産リスクが高くなる」という表現は一見 同じことを言っているように思えるかもしれないけど別物であって、厳密には、前者(相関関係がある)は言えても、後者(因果関係がある)は言えないので す。

本当に「カフェインがヒト流産の原因かどうか」を最も直接的に証明するには「介入試験」と言って、実際にたくさんの妊娠中の女性を使って試験する必 要があるのですが、これにはもちろん倫理的に大きな問題があります。これはいわゆる「人体実験」に当たりますので、その実施は制限されます(されなければ ならない)し、しかも病気の治療法を探るような介入試験(臨床治験)とは異なり、「流産のリスクを高めるかもしれない」処置を施す(あるいはそういうリス クを負うかもしれないグループをわざと見過ごす)ことになりかねない、という問題があるからです。

このように直接の証明が難しいケースでは、通常は (1) 疫学的な相関関係が見られること、(2) 実験動物などによる代替実験で支持する結果が得られること、というような間接的な証拠を積み重ねて、直接の証明の代わりにされます。ただし、前述のように 動物実験の結果とヒトの調査結果との間で、高リスクになるカフェイン摂取量に開きがみられることから、これが(A)ヒトと実験動物の違い(動物種差)によ るものなのか、(B)疫学調査で正確な数値が得られていないことによるものなのか、を明らかにするためにも、より細やかな条件に配慮した疫学調査が行われ て、その数値の正当性が示されることが、今後の検討課題になると考えられます。

対応の状況

妊娠中のカフェイン摂取について、世界保健機関 (WHO) は2001年に発表した"Healthy Eating during Pregnancy and Breastfeed" (妊娠・授乳期間中の健康な食事について)という文書9の中で、「妊娠に与える影響は確立していない」としながら「コーヒーなら一日3-4杯以内(お茶、ココア、コーラなどの飲料はコーヒーの半分のカフェイン量として換算)」を心がけるよう呼びかけています。

また国によっては個別に、公的機関が妊娠中のカフェイン摂取についての指針を発表しているところもあります。アメリカ食品医薬品局(US Food and Drug Administration, FDA)は、1980年代にラットを使った動物実験で妊娠中のカフェイン摂取の問題点を指摘し「妊娠中のカフェイン摂取は避ける、あるいは制限すべき」と いう見解を示していますが、近年のヒトでの研究動向を反映したものではなく、具体的な摂取量に踏み込んだものでもありません。イギリス食糧基準庁 (UK Food Standards Agency, FSA)も1984年に同様の指針を発表しましたが、こちらは2001年、2008年に改正され「コーヒーなら一日2杯(カフェイン200mg以内)」という具体的な 目安が盛り込まれています10。一方、日本では、このような具体的な数値基準は厚生労働省などの公的機関からは出ていませんが、多くの産科医が「妊娠中、カフェインはできれ ば摂取しないように」というような形で、具体的な量については触れずに、指導をすることが多いようです。これはFDAの考え方に近いものだと言えるでしょ う。これに対して百枝1は2005年に、当時最新の疫学調査の結果に基づいて、より具体的な数値基準として「1日3杯以内」という指針を提案しています。この数値はまた、同じ時期にWHOやFSAなどが出している数値ともほぼ等しいということからも、妥当な数値であることが支持されるでしょう。

なおこれらの数値は、いずれも指針が発表されるまでに報告された疫学調査の結果を元にして導き出されているものです。このため、新しい調査報告が増えて、それらの結果から旧来の基準を見直すべきだという判断がなされた場合などには、将来的に改正される可能性もあります。

2008年1月22日の新聞報道について

先日も、新たに「妊娠中にカフェイン200mg以上を摂取していると流産リスクが2倍以上になる」というアメリカの疫学調査の結果が、新聞各紙でセンセーショナルに報じられました7。 報道では詳しく述べられていませんが、この報告では、「カフェインを摂取しなかった人」「概算で1日あたり0-200 mg飲みつづけていた人」「200mg以上飲みつづけていた人」に分類し、他のリスク因子(年齢、過去の流産歴、喫煙、飲酒、つわりの重さなど)の影響を 排除した上で、統計学的な解析を行った結果、「摂取しなかった人と0-200mg以下のグループでは大きな差は見られない」こと、「200mg以上飲みつ づけていた人では流産リスクが高かった」ということを報告しています。この新しい研究結果が優れていた点は、2000年以降の他の研究と同様に、多くの条 件に配慮した研究であるということに加えて、「前向きコホート調査」という、「症例対照研究」よりも手間のかかる信頼性の高い方法で解析を行ったことと、 妊娠中のカフェイン摂取量の増減についても初めて検討を加えているということが挙げられます。

ただし、この研究結果にはいくつかの課題や問題点もあります(この研究に限らず、他の同様な研究についても言えることです)。まず「カフェイン 200mgでリスクが2倍」というのは、とても判りやすい数字なので、メディアなどで独り歩きしがちですが、この数字をそのまま捉えるのは誤解の元です。 これらの調査の常として「正確なカフェイン摂取量」を求めるのは困難なので、例えば「コーヒー1杯あたり100mg」というような数値を使って概算した値 になっています。コーヒー1杯でも、実際のカフェイン量はカップごとに大きくばらつきますので「200mg」という数字は絶対のものではない、という点に 注意が必要です(ただし以下は便宜上、200mgということで話を進めます)。

また、この報告からは「200mg以下はおそらく問題がない」ということは言えますが、「200mgがボーダーラインであって、それを超えると危 険」ということはまだ言いきれません。実際のボーダーラインは200mgかもしれないし、300mgかもしれないし、500mgかもしれないのですが、こ の研究では(おそらくは調査対象とした集団にカフェインを多く摂取する妊産婦が少なく、有意な解析が行えなかったなどの事情から)それらは「200mg以 上」としてまとめられてしまっているからです。また、上述したように、妊娠中のカフェイン摂取量の増減についても解析を行った点がこの報告の特長ですが、 この部分の解析は「カフェイン摂取量が減った(減らした)/変わらない/増えた」というだけで評価しています。この手法が妥当かどうかについては、今後検 討の対象になることも予想されます。さらに、疫学調査全般に言えることとして、優れた実験デザインの研究結果であっても単回の調査結果だけでは、まだ十分 に信頼できるとは言えない補記部分があるため、特にこの摂取量の増減の関係やボーダーラインの値については、別のグループによる追試験によって確認されることが必須になります。

これらのことを併せて考えると、今回の調査報告はこれまでの「カフェインを多く摂取するグループでは流産リスクが高い」ということと「適量摂取する 分には問題がない」という見解を裏付ける上では重要なものであると言えます。しかし、これまでWHOなどで言われて来た「1日3杯以内」という基準値を見 直さなければならない、と言えるほど正確な数値を示した報告というわけではありません。私個人は、現段階でボーダーラインを引き直す必然性はあまりなく、 追試験の結果を見てからの方がいいだろうと思います。