嗅覚受容体

嗅細胞がどのようにして匂い物質を感知するのかについては、複数の仮説が存在しました。

立体構造説:嗅細胞の表面にある受容体に、匂い物質が特異的なリガンドとして結合する。

膜吸着説:嗅細胞の細胞膜に匂い物質が非特異的に吸着して、膜電位そのものが変化する。

分子振動説:細胞表面に結合した匂い分子固有の分子振動が神経の共鳴や電気振動として伝わる28

立体構造説は、一般的な細胞にも見られる、受容体とリガンドの結合によって嗅細胞が活性化されるという考え方であり、もっとも普遍的な考え方だと言えます。しかし、ヒトは数万種類とも言われる匂い物質をごく微量の濃度で感知し、しかも別々に嗅ぎ分けることが可能であるため、それほど高感度な受容体が果たして存在するのかが疑問視されました。また本当に受容体による特異的な識別が行われているのであれば、数万種類もの匂い物質を別々嗅ぎ分けるためには、少なくとも数百から数千種類もの受容体が必要だと考えられ、その考え方には無理があるのではないか、ということから、膜吸着説や分子振動説などの仮説が提唱されてきたのです。

ところが1991年、分子生物学的な手法によって嗅覚受容体の遺伝子が同定され29、解析が進んだ結果、実は最初に提唱された立体構造説が正しかったということが判明しました。ヒトのゲノム上には400種類弱の嗅覚受容体の遺伝子が存在しており、それぞれの受容体が数種類〜数百種類の、同じ立体構造を分子構造内に含んだ「匂い物質」と結合し、それが嗅覚受容の引き金になっていることが明らかになったのです。

嗅覚受容体(OR, odorant receptor)は、甘味、うま味、苦味受容体と同様の、Gタンパク質共役受容体(GPCR)ファミリーに属する、7回膜貫通型の膜タンパク質です。甘味やうま味受容体に見られるような大きな細胞外領域を持たないことから、どちらかというと苦味受容体に近い構造を持っています。またヒト以外の動物、特にマウスの鋤鼻器(じょびき)に数多く見られる、フェロモン受容体(VR, vomeronasal receptor)とも近い構造を持っています。現在までに、ヒトには388種類の嗅覚受容体遺伝子と5種類のフェロモン受容体遺伝子が存在していることが明らかになっています30。なお、マウスには1037種類の嗅覚受容体と248種類のフェロモン受容体が存在します。

また一つの嗅細胞の表面には、一種類の嗅覚受容体だけが発現していることも明らかになりました。これは甘味やうま味の味細胞が、それぞれ一種類の味覚受容体だけを発現しているのと同じです。つまり言い換えると、嗅細胞はそれぞれ一種類の嗅覚(〜数種類の匂い物質)に特化した細胞だと言えます。味覚と同じような考え方をしていいのならば、その嗅細胞の種類の数、すなわち400弱もの「基本臭」が嗅覚には存在するということになります。これが嗅覚のパターン化、言語化の難しさの原因の一つだと考えられます。

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