コーヒーの酸味物質

焙煎されたコーヒー豆に含まれる酸としては、生豆に由来するクエン酸、リンゴ酸、コハク酸糖の酸化によって生じる、乳酸、グリコール酸、プロピオン酸、酢酸、ギ酸、リン脂質の一部(フィチン酸)から生じるリン酸、またクロロゲン酸類に由来するものとして、クロロゲン酸、キナ酸、コーヒー酸、フェルラ酸などが存在します。コーヒーに含まれる酸味物質は、基本的にいずれも弱酸に分類されますが、その中にも比較的強めのものと、さらに弱いものとが入り交じった状態にあり、またその濃度も物質ごとにまちまちです。下表にはコーヒー液中の濃度が比較的高い、代表的なものについて、その濃度とpKa、および滴定曲線(右下図)を示しました26。この他、揮発酸として分類される低分子の酸や、比較的高分子の脂肪酸類まで、コーヒーには多種類の酸が含まれています。

酢酸やギ酸など揮発性を持つものは、揮発酸としても分類され、それ以外のものは不揮発酸と呼ばれます。コーヒーには、酢酸やギ酸以外にも多くの種類の揮発 酸が含まれていることも知られています。それらの揮発酸は、上述した代表的な酸と比べると、それぞれの量はそれほど多くないため、酸味物質としての役割は それほど大きくはありませんが、鼻腔に移行して香り物質としても作用するため、それぞれが香味に特徴のある酸味物質として働くと言われています。

これらの酸味物質が酸味を生じるためには水に溶けた上で水素イオンを放出する必要があります。このため基本的に、これらの酸味物質の水溶性は、他の味物質と比べると高いことが予想されます。この他、コーヒーには分子量の大きな酸(High moleculer weight acids)も含まれていることが示唆されており、呈味上の影響を与えることが知られていますが、その分子本体の構造やpKaなどの特性はまだよく判っていません。一部の、分子量が大きな酸(脂肪酸など)には、極端に疎水性が高いものもありますが、これらは逆に水に溶けにくい (=イオン化しにくい)ために、水素イオ ンを放出する、すなわち酸味を生じる能力も低くなります。先にも挙げたように、「酸味の本体」は、これらから放出される水素イオンそのものであることも合 わせて考えると、苦味物質とは異なり、疎水性が高いものについては酸味全体に与える効果が比較的少ないと考えてよいでしょう。

種類ごとの役割

この区分は、それぞれの酸が実際のコーヒー液中で、弱酸としてふるまうのか、あるいは強酸みたいにふるまうのかによって大別したものです。タイプAが強酸みたいにふるまうもの、タイプBが弱酸としてふるまうものです。

前述したように、コーヒー抽出液は通常pH 5 前後であり、コーヒーの酸味の強さはそこからpH 6になるまで滴定するときの滴定酸度とよく一致することが知られています。

上表の酸はいずれも、化学分野では通常、弱酸に分類されます。しかし、このpH 5-6という範囲でのふるまいだけに着目すると、少し見方が変わってきます。

例えば、タイプAに示したキナ酸やクロロゲン酸はpKa 3.4で、実際のコーヒーのpH域よりもかなり小さなpKaを持ちます。コーヒー抽出液と同じpH 5のとき、キナ酸やクロロゲン酸はそれぞれ、約97%が解離した状態(H++A-)にあり、解離していない状態のもの(HA)は全体の3%程度です。このため、このpH域においてこれらの酸は「とても強い弱酸」としての役割を担っていると見なすことができます。ギ酸、乳酸、グリコール酸は、キナ酸などと比べるとpKaがやや大きいためこれらには劣るものの、やはり「強い弱酸」としての役割を担っています。またリン酸については、一段階目のpKaが低く、二段階目のpKaが7前後とやや大きい値を示すため、pH 5-6の範囲について考えれば、概ね「一価の強い酸」としてふるまうと見なせます。これらタイプAの酸は、いずれも先に示した酸ごとの滴定曲線で見ると、pH 5-6の範囲の動きが急激で、俗に「pHジャンプ」と呼ばれる現象が見られているのが、共通する特徴です。

一方、タイプBに示した酸は、pH 5-6に比較的近い部分にpKaが存在しており、それぞれの滴定曲線でもその範囲での動きが緩やかであることがわかります。このようなpKa付近のpH域のことを、それぞれの弱酸の緩衝域と呼びますが、タイプBの酸はいずれもpH 5-6 付近に緩衝域を持つ酸だ、ということが言えます。

コーヒーの抽出液において、タイプAの酸は大部分がすでに解離し、水素イオンを放出している状態にあります。このことは、コーヒー抽出液全体のpHに対する影響が大きい、とも言えます。反面、すでに水素イオンを放出しているため、そこからpH 6 までの滴定を行っていく過程にはあまり影響しません。これに対して、タイプBの酸は、抽出液中ではまだ解離していない状態の分子が比較的多く存在するため、抽出液全体のpHに対する寄与もさることながら、そこからpH 6までの滴定を行う過程で徐々に中和される、言い換えると水素イオンを放出する形になり、実際にヒトが酸味として感じる部分への寄与が大きい、ということができます。なおタイプBのうち、リンゴ酸ではpKa2の、クエン酸ではpKa2とpKa3の緩衝域が、それぞれpH 5-6あたりに作用すると考えられ、いずれもpKa1の付近ですでに水素イオン一つを放出しているため、リンゴ酸とクエン酸については、タイプBとしての 役割だけでなく、タイプAの役割も併せ持っています。

コーヒーの細やかな酸味の違いには、タイプAよりはタイプBの酸味物質の影響が大きいと考えてもいいでしょう。ただし、タイプAの酸味物質の量の変動は抽出液全体のpHへの影響が大きく、それを介してタイプBの酸味物質の感じ方を大きく変動させます。このようにコーヒーの酸味物質が相互作用しながら、コーヒー全体の酸味が決定されていくことになります。

上記のような酸味物質が混在することで、コーヒー全体の酸味が作り上げられています…と、通常はここで話を終わらせてしまうことが多いのですが、もう少しだけ、それぞれの役割についてまで踏み込んでみましょう。上表に挙げた代表的な酸味物質を、二つに大別します。タイプA

キナ酸、クロロゲン酸、ギ酸、乳酸、グリコール酸、(リン酸)

タイプB:酢酸、(クエン酸、リンゴ酸)