コーヒーとがん

「コーヒーはがんの発生原因になる」という指摘も、カフェインの毒性と同様にコーヒー有害説の立場をとる人が主張することが多いものの一つであるが、これについても実際のところはどうなのであろうか。

コーヒーには発がん性がある?

実は、コーヒーはWHO(世界保健機構)の下部組織であるIARC(国際がん研究機関)が公開している「IARC発がん性リスク一覧」において「グループ2B:発がん性が疑われる」に分類されており1、 このことがしばしば「コーヒーには発がん性がある」という根拠として取り上げられることが多い。しかしながら、このIARCの項目には但し書きがあ り、(1)発がんリスクの上昇は膀胱がんについて報告されたものであること、(2)大腸がんについては発がんリスクの低下の報告がいくつかあるこ と、(3)それ以外のがんについては発がん性があるとは言えないこと、が補足されている。すなわち、少なくとも膀胱がん以外についてこれを根拠に「コー ヒーには発がん性がある」と主張するのは誤りである。では「膀胱がんについてはどうなのか」ということになるが、IARCリストにコーヒーが収載されたの は1991年(Vol.51)のときで、実は1970年代から30年を超える論争が未だに続いており結論が出ていないのが現状であり、この状況を受けて IARCは、発がん性が「疑われる」グループ2Bに位置づけているのである。疑いは疑いであって、リストに収載されているからといって「発がん性がある」 というわけではないことに留意されたい。膀胱がんについては、依然として発がんリスクが上昇するという報告と、差がないという報告の両方が入り乱れている のが現状であるが、1990年代以降「リスクが上昇する」として報告されたもののほとんどは一日4〜5杯以上の大量に飲用する(heavy consumption)グループで差があったとするものであり、それ以下の飲用で差が見られないということについては、既にほぼ合意があると考えて良い 状況にある。さらに大量飲用に関しても、差がある/ないという両方の報告がなされているが、メタアナリシスやシステマティックレビューなどのように複数の 調査の結果を総合的にまとめたものでは、膀胱がんについても大きな差は認められないという見解を示したものがあることから、将来的には、まだしばらくは混乱は続くものの、発がん性についての疑いはさらに縮小されることが予想される。

コーヒーには発がん物質が含まれる?

コーヒーの発がん性についてのもう一つの指摘に「コーヒーには○○という発がん物質が含まれている」というものがある。これについてはどうだろうか?

コーヒーには確かにいわゆる発がん物質が含まれている。コーヒーでは、焙煎の際に生じる過酸化水素やアクリルアミド、あるいは生豆に生じるカビに由 来するオクラトキシンA(いずれもIARCグループ2A〜2B)、その他メチルグアヤコールやさまざまな焙焦化合物が含まれており、これらはそれぞれいわ ゆる発がん物質候補として考えられている。つまりその主張自体は正しい。しかしながら重要なのは、これらの化合物がコーヒーに含まれている状態(量など) で本当に発がんリスクを高めるのかどうかということである。そして、それを実際にコーヒー飲用について調査した結果は前項で述べた通りであり、それら個々 の物質がどうであろうと、「コーヒー全体としての発がん性」が問題にならない以上、それらを気にする必要はほとんどないという結論になる。

コーヒーは一部のがんを抑制する?

「コーヒーには発がん性がある」という疑いがかけられたことは、コーヒー愛用者から見れば不幸であったかもしれない。しかしながら結果的には、その 疑いがほとんど晴らされたばかりか、予期せぬ副産物が得られている。それはコーヒーが大腸がんの発生リスクを低下させる可能性が示唆されたことである。

コーヒーと大腸がんの関係についての疫学調査は複数存在するが、1998年の時点でそれらを総合して判定するメタアナリシスという手法を用いて解析した結果、コーヒー飲用者で大腸がんの発生リスクが低下することが報告されている2。 この原因については明らかにはなっていないが、カフェイン以外の何らかの成分による作用と考えられており、(1)コーヒーに含まれるさまざまな抗変異原物 質の存在、(2)コーヒーの急性作用の一つである大腸運動亢進による便通改善、(3)腸内細菌に対する影響など、いくつかのメカニズムが考えられている。 ただし、この1998年の発表以降新たに調査報告された疫学調査では、コーヒーと大腸がん発生に関連がなかったとするものも増加しているため、これらを含 めた再評価が必要であろう。その結果如何によって大腸がんとの関連については見直しを迫られる可能性もあることを付記しておく。

また大腸がん以外のがんでは、肝がん(肝細胞がん)について、コーヒー飲用者での発生リスクが低下するという報告がある。肝がんについては論文数がまだ少ないため総合的な判断を下すには時期尚早であるものの、日本の厚労省研究班の多目的コホート(JPHC)による報告発表3が なされている点は特筆すべきであろう。この調査では1990年と1993年に全国の40〜50歳を対象にしたアンケート調査を元に10年間の追跡調査を行 い、コーヒー飲用者で肝がん発生リスクが低下することが見出された。この原因についてもカフェイン以外の成分の関与が考えられるが、その活性本体は未詳で ある。この調査結果は2004年に新聞などのメディアで大きく報じられたことから記憶している人も多いだろう。しかし疫学調査というものは一つの調査結果 だけから総合的な結論を導くことができない性質のものであることは忘れてはならない。この調査から言えることは「1990年頃にコーヒーを飲んでいた 40〜50歳の日本人では、10年後に」肝がん発生リスクが低かった、ということであり、この条件に当てはまらない人にまで拡大して解釈できるかどうかに ついては、他の複数の疫学調査や傍証となる研究があって初めて言えることである。これまでにギリシャおよびイタリアの症例対照研究4でも同様の結果が、またコーヒー飲用者では肝機能が向上する傾向にあること5が、 それぞれ報告されてはいるものの、現時点ではまだ論拠が少なく「コーヒー飲用が肝がん発生リスク低下につながる」とまで言い切ることはできない。また日本 では肝がん発生の最大の危険因子はB型およびC型肝炎ウイルスの感染であり、コーヒーが本当に肝がんの予防因子になるかどうかについては、それぞれのウイ ルス感染者の中でコーヒー飲用/非飲用の差を検討する必要がある。上述した日本のコホート調査では、それぞれのウイルス感染者でも同様の傾向は得られては いるものの、例数が少ないため結論づけるには時期尚早であると論じられている。以上の背景を総合して考えると、肝がん発生リスクの低下について現時点で結 論することは時期尚早であろう。しかし今後の研究の進展に大いに期待される分野であることは間違いない。