「自分の病気と向き合って(潰瘍性大腸炎途中経過)」
33歳2016年5月19日
33歳2016年5月19日
私が潰瘍性大腸炎を発症したのは今から5年前の2011年11月頃でした。その年の9月に娘を出産し、初めての子育てが始まって間もない頃でした。出産するまでは特に大きな病気もなく、毎日快便でしたし(妊娠中は便秘がちになりましたが)、まさか自分が大腸に病を抱えることになるとは思ってもいませんでした。最初は普通便に血がついている状態が時々ありました。以前から快便でも時々切れ痔のようなことはありましたので、このときも痔かなと思う程度でした。しかし、だんだん腹痛も起こるようになり、排便の際の出血の量も増え、便の状態も軟便、粘液便が見られて気になるので近所の胃腸科と肛門科をしている個人病院に行くことにしました。
人生で初めての内視鏡検査を受け、診断されたのは「潰瘍性大腸炎」でした。肛門から近い、直腸の5cm程にびらんが見られるということでした。軽度な方だと説明を受けました。その頃授乳中ということもあり、飲める薬は限られるのでビオフェルミン剤を処方され、それで様子を見ることになりました。潰瘍性大腸炎は、その時初めて聞いた病名でした。病院で渡された冊子と自分でパソコンで検索した情報から、難病で薬を飲みながら病状を抑え一生付き合っていかないといけない病気、重症になると腸を切除するような手術をすることもあるということがわかり、なぜ私がこんな病気になってしまったのか疑問を持つと共に、この現状を受け入れるしかないのだと諦めというのかこんなものなのだと理解するしかありませんでした。
その後も一ヶ月に一度のペースで毎食後服用するビオフェルミンを処方してもらう日々が続きました。よく覚えていませんが、便の状態には波があったと思います。急激に腹痛が起こり、トイレに駆け込むこともたまにありましたし、ビオフェルミンを服用したからといって良くも悪くもならず、ただただ気休めに飲んでるような感じでした。症状に波があり、出血もなく、普通の状態のときも多かったのでだんだん病院に行く回数も減りました。
そのうちに授乳期間も終わりましたが、子育てに追われて忙しい日々ということもあり症状も時々出るくらいでしたので1年半ほど病院にも行かず放置していました。(一応、ストレスを溜めない、食事はあまり繊維質なものは腸に負担をかけるから良くないと聞いていたのでなんとなく気をつける程度の生活を心がけていました。)
そんな中、また腹痛、出血、粘液便が頻繁に出るようになりました。2015年に入るころです。ちょうどその時期、私の実家の引越しがありそのことでストレスを感じていました。その症状をみて、ストレスからきてしまったかなと思いました。子育てもだいぶ落ちついてきて、自分の病気とちゃんと向き合わないといけないと思い、しばらくぶりに病院に行き、症状を伝え、前回の検査から間があいているのでまた内視鏡検査を受けることになりました。結果は前回と同じところに炎症があるということでした。
そして、またビオフェルミンで2ヶ月ほど様子を見ていました。その間、以前と同じように症状は良くも悪くもならず、アサコール錠も服用することになりました。アサコールを服用すれは、劇的に効果が現れるのかと思っていましたが、全く変化がみられず、服用している意味があるのかわからないくらいでした。でも、飲み続ければいつしか効果がみられるのかな・・・という気持ちで5ヶ月が過ぎました。(後半2ヶ月はペンタサ座薬も処方されましたが、座薬を入れての睡眠は気になってなかなかぐっすり眠れなかったので数回しか使用しませんでした。)
そんな時、症状がずっと平行線である私の話を聞いていた主人が「病院変えたほうがいいんじゃないか」と転院を勧めました。「転院」、私もそうしてみるべきだという思いもありましたが、どこに行っても同じような薬を処方されてその薬と付き合っていかないといけないんじゃないか、それだったらこのまま続けて通うのがいいのでは、とよくわからない理由で悩んでいました。主人には発症したときにすでに病名やどういう病気か伝えていたはずでしたが、あまり深刻に受け止めていなかった(私が主人に心配かけてはいけないので自分の症状をあまり言ってこなかったので)ようで、転院の話をしてくれたときに「難病指定の病気」ということを認識し、真剣に潰瘍性大腸炎について調べて理解しょうとしてくれ、病院も探してくれました。
そのときにインターネットで検索して見つけてくれたのが、松本漢方クリニックでした。沢山書かれてある松本先生の理論や患者さんたちの手記を拝見して、難病と言われている潰瘍性大腸炎が漢方、鍼灸を用いて免疫力を上げることで治ると知り、衝撃が走りました。ホームページを拝見すると、潰瘍性大腸炎だけでなく、私の子どものころにあったアトピーや今もあるアレルギー性鼻炎など、他の病気も治ると書かれてあることにとても惹きつけられました。理論については、難しい部分もありますが何回も読み何とか理解することができました。摂津に住んでいる私にとって高槻はそう遠くないということもあり、迷いもなくすぐに行くことに決めました。
2015年、9月13日主人と共に初めて松本漢方クリニック受診。日曜日の9時頃でしたが、すでに沢山の患者さんが待合室におられたので驚いたことを覚えてい3ます。院内に漢方の匂いが漂い、時々診察室から聞こえてくる松本先生の元気なお声、どんな診察をしてくださるのかと緊張しました。診察室に入り、これまでの経緯などを聞いていただき、最後に「絶対治るから!大丈夫や。」と握手をしてくださいました。先生のそのお言葉に、頑張ろう!とパワーをいただきました。
その日から、食前、食後の漢方薬とアシクロビルの服用とお灸の生活が始まりました。漢方薬は今まで粒状のものは飲んだことがありましたが、煎じて飲むのは初めてでその一口目は衝撃的でした。想像以上に苦くて独特な味で、えづいてしまうくらいでした。これをこれから続けていけるだろうかとかなり不安になりましたが、徐々に慣れて今では鼻もつままずに普通に飲めます。慣れってすごいですね。(煎じるのはお鍋だと大変ですので、主人がとろ火団欒という煎じ器を購入してくれました。とても便利です。)
お灸も初めてのことでしたが、ツンとくる熱さが良くて、体に良い刺激を与えていると感じました。血が混じった軟便、下痢だったのが通い始めて一ヵ月後便秘になり、いきんでもほんの少ししか出ず、苦しい状態が4、5日も続きました。いきみすぎで肛門にイボ痔ができているような感じがあり、そして、微熱も出ました。病院に行こうと思っていた前日に辛すぎて、先生に電話で話を聞いていただき、下痢止めの食前の漢方を飲むのをやめる、お尻に紫雲膏を塗るようにと教えていただきました。
そして、翌日朝から受診し、食前の漢方を違うものに替えてくださり、それで様子をみることになりました。帰宅してから数時間後、突然猛烈な寒気が来て全身の震えが止まらなくなり、横になりました。震えが治まると今度は39度の高熱。そんな中でも便意がきてトイレに行くも、いきんでも出ない。この数日苦しみが続いているのでかなり疲労もあり、弱気になっていました。朦朧とする中、また先生に電話し、「その熱は腸からきてる。菌と戦ってるんや。」と先生が言われ、思わず「耐えるしかないんですね」と私が言うと「戦うんや。そんなんで死んだりしないから大丈夫や。嫌やったら救急病院でも行ってきたらええねん。すぐ楽になるんちゃうか。そのかわり何されるか知らん。その場はしのげても根本的には治されへんで。」と。一瞬、早くこの状況から逃げ出したいと思いましたが、先生のお言葉でそんなことをしても無駄だと思い直し、「頑張って戦います」と返事をしました。「またいつでも電話しておいでや。」先生のお言葉にとても心が救われました。
その日から三日ほど、寒気が来て高熱が出るという波がありました。食欲はなく、便意も何度もあり、腹痛もくるので何度もトイレに行きました。夜中もぐっすり眠れず、腹痛があるたびにトイレに行くので寝室ではなくトイレに近いリビングで寝ていました。徐々に便秘が治まっていきましたが、今度は泥状や水便と出血が見られるようになってしまいました。その間、近所に住んでいる主人の両親に娘を預かってもらったり、色々とお世話になり、主人もできるだけ早く仕事から帰ってきてくれたりと支えてくれました。このとき、病気を治すには本当に周りの人の協力が必要なんだと実感しました。最初に高熱がでてから四日目くらいにようやく平熱になり、体も楽になりました。でも、まだ頭の隅で「また高熱がでるんじゃないか、腹痛くるんじゃないか」と不安は消えませんでした。
数日は不安もあり、外出がほとんどできませんでした。もう大丈夫かなと思って、久しぶりに娘と公園に行ったとき急激に腹痛がきて、トイレまで数メートルのところにいたのに間に合わず、漏らしてしまいました。そのときはかなりのショックを受けました。外に出るのが怖くなりました。外で間に合わないなんてことはなかったので、本気でもう紙パンツを履かなくてはいけないのかなと思いました。
それから一ヶ月ほどは軟便~水便、出血が続きました。朝目覚めると同時に腸も活発になり、すぐに便意がきてトイレに駆け込む日々が続きました。時々、間に合わないことがありました。トイレに行きたいと思ったらすぐに行かないと間に合わないのです。ガスが出そうになるのです。ガスと共に水便が出てしまうのです。朝は本当に大変で、何度もトイレに行きました。目覚めてからの二時間で多いときで4回くらい。早く治したい!と諦めずに漢方とお灸は頑張って続けていました。
先生に毎回、「ストレスのある生活してないか?ちゃんと自分の心と向きあわなあかんで。」と言われ、できるだけストレスの少ない生活を心がけるようにすることにしました。とは言ってもなかなか難しいことです。もともとストレスを溜めやすい性格で、主人にもよく「ストレス発散の仕方が下手や」と言われています。いまは子育て中ですし、なかなか自由のきかない日々なのでさらにストレスを上手く発散できていない部分はあると自覚しています。人に頼れるところは頼って、自分の体のことも考えてやっていかないといけないと感じています。
12月には便が普通便になり、腹痛も落ち着いてもしかして治ったんじゃないかと思えるくらいでした。でも、血液検査の結果からはまだ数値は良くなっていないとのことでがっかりしました。年末年始あたりにまた便の状態が悪くなってきてしまったのでした。トイレの回数も大体一日5回くらいでしたが、多いときは7、8回の時もありました。松本漢方クリニックで他の患者さんの手記を拝見すると、もっともっと症状のひどい方もおられることを知り、私はまだましな方でもっと辛い思いをされている方がいる、そして快方に向かってる方がいる。私も頑張って乗り越えなくては!と自分を励まし言い聞かせていました。
2月の後半くらいから徐々にまた調子がよくなってきました。トイレの回数も2、3回になり、便の状態も軟便~普通便になりました。それからは5月の今までずっと快調で、朝一トイレに駆け込むこともなく、朝食後に便意がきてトイレに行くという生活に戻りました。便の状態もこの三ヶ月普通便です。三月に受けた血液検査の結果では、炎症の数値、ヘルペスの数値も下がっており、快方に向かってるようです。
ただ、気になっているのは、クラススイッチとされるアトピーが全く出ていないことです。まれにアトピーが出ない人もいるとお聞きしましたが、私はどうなんでしょう。そして、松本先生にお世話になってからの約7ヶ月を振り返ってみると、10月に高熱が続いたことが大きなリバウンドだったのかなと思います。発症してから幸いにも授乳期間があったので、薬漬けにならずに済み、アサコールを服用しましたがそれも短期間のうちにさよならし、松本先生と出会うことができました。もしあのままずっと同じ病院でアサコールやペンタサを処方される生活を今も続けていたらと思うとぞっとします。漢方薬は高額ですので経済的に大変な部分もありますが、完治させるなら投資する価値はあると思います。
また、今年に入ったくらいから、テレビでも潰瘍性大腸炎や腸内フローラについてよく取り上げられているのでそれを見ていて、腸内環境を良くする事が大事ということを意識し2月末くらいからビフィズス菌のカプセル状のサプリも摂取し始めました。松本先生に教えていただいた、発芽玄米も指定の方法で食事に取り入れています。
このまま完治に向かっていけたらと思っています。先生がいつも仰る「病気は自分で治す」という言葉は本当だと実感しています。そして、病は気からと言うように、自分の気持ちの持ちようも大事だと思います。これからも先生にお世話になりながら自分としっかり向き合い、完治させたいと思います。