「妻に勧められ松本漢方クリニックを受診(潰瘍性大
腸炎手記)」
匿名希望 29 歳
2015 年 11 月 14 日
匿名希望 29 歳
2015 年 11 月 14 日
私は現在、結婚し、妻と二人暮らしをしております。仕事で忙しい日々が続いておりますが、何気ない幸せを感じて毎日を過ごすことが出来ております。私はここ数年で、大きな「出会い」を二度も経験することが出来ました。この「出会い」がなければ、今の私がどうなっていたのか、考えるだけでも恐怖を感じます。
私が潰瘍性大腸炎と診断されたのは、専門学校に通っていた19歳の頃です。授業やバイトに励んでいた日々の中で、不安が一つありました。それは、大便の際に血便が出るということです。初めは少量で、痔にでもなったのかと安易に考えていましたが、徐々に下痢が続くようになり、便の回数も 1 日に10回以上となってきました。
そして、ある日突然、便器が染まるほどの大量の血が出たのです。自分の健康には、ほぼ無関心だった私ですが、さすがに病院へ行こうと決心せざるをえない状況でした。
この時の病院は、家からさほど遠くない大きな病院を選びました。ちなみにこの病院へは9年間通い続けることになります。受診すると、すぐに大腸ファイバーの予約を取ることになり、その日は帰宅しました。病院の先生からは、「良くて痔、悪くてポリープ」と聞いており、検査までは痔の坐薬を使用していた事を覚えております。
そして、大腸ファイバーの検査当日、下剤や薬を飲み、腸をからっぽにし、眠くなる薬を打たれ、検査の途中に痛みで目が覚め、また薬を打たれ・・・。今まで大きな病気もせず、検査もろくに受けたことがなかった私が初めて味わう苦痛でした。しかし「検査の結果がわかれば治療が出来る。また普通に生活ができる」と信じていたので、検査を気力で乗り越えることが出来たのだと思います。
ですが、検査結果を聞いたときに私は愕然としました。「潰瘍性大腸炎」。全く聞いたこともなかった病名でした。そして「潰瘍性大腸炎は難病で完治することはない」と先生から伝えられ、多くの食事制限や投薬の継続等について説明され、「今後私の人生はどうなるのか」と不安を感じ、正に“お先真っ暗”という状態でした。
その日から私の戦いが始まりました。薬を毎日飲み、食事はパンが中心で、かなりの量を減らし、エレンタールで栄養を確保するという生活でした。薬の影響で顔はむくみ、周りの友達からも心配されるほど痩せていきました。薬を飲み始めてからほどなくして、便の回数も少し減り、血便もなくなりました。さすが薬の効力!!と思い、私は「うまく病気と付き合っていけば意外と大丈夫なんじゃないか」と感じておりました。食事はお肉も食べ、薬も飲まないことが多くなり、病院へも行かなくなりました。・・・そして再燃。病院に行き、先生に怒られ、また薬漬けの生活に逆戻りしました。
飲めば症状は治まっていきました。おそらく薬の影響で、寛解と呼ばれる状態になっていたのだと思います。当初は、薬を飲まなかったり、食事が合わなかったりすると再燃すると考えていました。
私は28歳になるまで、寛解と再燃を繰り返しておりましたが、薬の効力が落ちていたせいか、だんだんと再燃の期間が長くなり、症状も悪化していることを自覚し始めていました。約9年という長い間、私はこうした自覚があったのにも関わらず、薬を信じ、「難病だから仕方ない」と思い込み、毎日を過ごしていました。今思えば、後悔でしかありません。もっと早く行動していれば・・・もっと早く松本先生に会えていれば・・・ですがその時の私には、薬を疑う知識も、自分で病気を治す程の関心も持っていませんでした。
2014年10月、またも再燃します。しかも今回は間違いなく今までよりも症状がひどく、仕事にも影響する程でした。便の回数は多く、血便も止まらず、先生から告げられた治療は、ステロイドの使用でした。毎晩、肛門からステロイドを入れ、まずは血を止めるというのです。
しかしステロイドを使用しても、血は止まらず、便の回数は減らず、免疫を下げている為か、毎日倦怠感があり、体重も激減していきました。何をするにもしんどく、何もしたいと思わない。寝たい。それだけでした。それでも私は薬を信じ、症状が和らぐことを願っていました。ただ私のすぐ傍で、病気や薬についてたくさん調べてくれている私の妻がいました。
妻とは2014年11月に入籍していますが、病気のことももちろん伝えていました。苦しんでいる私を見て、なんとか病気を治してあげたいと思ってくれていました。そして探し出してくれたのが、漢方治療を行う「松本漢方クリニック」でした。
妻の誘いで松本漢方クリニックに行くことになりましたが、私は漢方についての知識もなく、とりあえず話を聞こうという甘い考えで松本漢方クリニックに通院しました。その結果、先生からめちゃくちゃ怒られました。「何の知識も考えもなく来るな!」「帰れ!!」と言われました。松本先生は、私が漢方を疑っているということに気づいていたのでしょう。正解です。とりあえず話を聞いて・・・という時点で私が間違っていたのです。ですが妻は手記だけではなく、漢方についてたくさん調べていました。先生との会話も妻と先生だけで分かり合っていました。正直に言うと、私は病院に来るときから、疑いがありました。しかし、妻が必死に探してくれた「漢方治療」は受けるつもりでいました。結局、私の漢方治療は妻のおかげで始めることが出来ました。私だけではおそらく帰らされていたことでしょう。
この日から早速、漢方治療が始まります。初めて煎じ薬を飲んだ時は苦くて衝撃を受けました。「これを毎食時に飲むのか」と。最初は苦くて飲むのが嫌でしたが、1~2週間で早くも効果が出ました。ステロイドを使っても全く良くならなかったのに、すぐに血便が減り、少しずつではありますが、便の回数も減っていきました。
現在、漢方を飲み始めてから半年が経っておりますが、血便は全く出ていません。便の回数も数回までに減っています。少し下痢が残っていますので、もう少し漢方を飲み続け、便秘を目指しています。
この手記では、松本先生に出会うまでの私の病気について、多く書かせて頂きましたが、随分長く、辛い日々を過ごしてしまったと思っています。もっと早く松本先生に出会っていれば、もっと早く、楽に治療が出来たと思います。
ただ、妻に出会ってなかったら、妻が松本漢方クリニックを見つけていなかったら、松本先生に出会ってなかったら、おそらく今でも私は治らない病気と薬漬けの日々の中で戦っていたのだろうと思います。あのステロイドを使い続けていれば、今頃、入院や手術をしていたかもしれません。今日のような何気ない幸せを感じることもなく、妻に怒られるくらい仕事バカにもなれていなかったと思います。妻と出会えたこと、松本先生と出会えたことが私の人生を大きく変えてくれました。そして、「自分の免疫が病気を治す」。松本先生から伝えてもらったこの言葉のように、自分自身が病気を治す為に様々な知識を得て、正しい治療を自分の身体にしてあげることが大切である事を覚えました。
この出会いに感謝して、必ず完治させます。
以上