「潰瘍性大腸炎手記」
40歳2010年4月30日
40歳2010年4月30日
「心の持ち方について(潰瘍性大腸炎を通じて学ばせて貰ったこと)」
私が体調の異変を感じ始めたのは、4年ほど前の正月過ぎくらいでした。一昨年末から工場を任せられるようになり、社内人間関係でのトラブルや、実家での遺産相続でのストレスから開放されて、ホッと一息付いた頃でした。一日中咳が出て止まらなかったり、トイレに何度も行ったり、時々下痢をしたりで、おかしいとは思ったものの、市販の下痢止めや消炎解熱鎮痛剤を飲んで適当に誤魔化していました。「酷くなったら病院に行って強い薬を飲めば良いだろう。」と、体の免疫力という観点から今考えると、とんでもないことを考えていました。
明らかに体の異変を感じ始めたのは、その年の7月末くらいで、排便時には必ず下血を伴うようになり、回数も1日4~5回に増えていました。「ひょっとして大腸癌にでもなったのではないか。」という不安から病院に行くのも億劫になり、毎日不安を抱えながら過ごしていました。これ(病気に対する恐怖)も今考えると、相当免疫力を下げたのではないかと思います。本来なら、ストレスにより体の不調を全て引き受けてくれている大腸に感謝しなくてはならなかったにも拘らず、思い通りにならない体を恨めしく思っていました。
体調は日々悪化していき、10月下旬に妻の実家近くの病院で、初めて内視鏡による検査をしました。付いた病名は“潰瘍性大腸炎”でした。「私は大腸癌でなくて良かった。」とか「大腸に潰瘍が出来たのか。」とか位にしか考えなかったのですが、病院の先生がすごい剣幕で「この病気は一生直らない。」とか「大腸を全部取らないといけないかもしれない。」とか言っていたらしい(私はあまり本気にして聞いてなかった。)ので、家族は相当心配していました。結局、1ヶ月以上の長期入院を強いられました。ペンタサという消炎鎮痛剤を毎日服用するように言われ、絶食もしたこともあり、下血は入院してから1週間ほどで治まりました。
それからというもの退院してからは、薬は毎日服用していましたが、厳しい食事制限の元、排便回数も1日1回ほどに収まっていました。病院も地元の病院に変えて、2週間に一度の通院生活を送っていました。
それから別に何かストレスを感じたわけでもないのに、退院してから2ヵ月後、2症状が徐々に悪化していき、排便時にどろどろとした多量の粘液が混じるなど、発病時にはなかった症状が出てきました。病院に駆け込んだところ、内視鏡検査の結果、明らかに当初より病状が悪化していると言われました。「薬をきちんと服用していたのに何故?」と当時は頭の中が真っ白になってしまいました。病院の先生から新しくプレドニンという薬を渡され、1日に2錠(10mg)服用するように言われました。この薬の恐さを色々説明していたようですが、おそらく先生自体もこの薬に関しては良く分かっていなかったようで、特に気にすることも無く服用していました。
免疫という観点から考えた場合、これほど恐い薬はないことを当時は全く気付きませんでした。1ヶ月ほどして症状は完全に落ち着きましたが、それから半年後、今まで体験したことが無いような、前回より更に酷い症状が出て、仕事どころではありませんでした。同時に、このころから病院での治療に疑問を持つようになりました。私が納得できなかったのは以下のことです。
・どの医者も、かぜ薬などの消炎鎮痛剤は症状を悪化させるので絶対服用するなと異口同音に言うのに、何故ペンタサとかいう消炎鎮痛剤は、毎日、しかも1日3回も服用しないといけないのか。明らかに矛盾している。
・先生の言うとおり、薬を服用すると短期間だけ一時的に病状は治まるが、(特にプレドニンの場合)服用量を減らしていく段階で症状が徐々に悪化していく。結局、恐い薬だと説明しておきながら、プレドニンの服用量は増加している。この点も矛盾している。
・原因不明の病気に対して、何故服用する薬(ペンタサ、プレドニン、イムラン等)は決まっているのか。患者の症状が悪化しているのは、薬が合っていないのではないかと(特に大学病院の)医者は考えたことは無いのか。
結局、病状が酷かったため、地元の病院を無責任にも放り出され、地元近くの大学病院で入院して、1ヶ月に渡る絶食をして、プレドニンの服用量は60mgにまで増えていました。炎症が酷かったので、このときばかりはプレドニンの多量服用も仕方がなかったかもしれませんが、ここまで酷くなったのは今までの治療方法に問題があったことは明らかでした。大学病院・消化器科の先生は患者をモノとしてしか診てないような先生でした。
妻は先生の言うことに対して怒りを覚えましたが(私は怒りを通り越して呆れてしまった。)、「医学に合掌」とかいう信念を持つ私の母親は、薬剤師の免許を持っているにも拘らず、大学病院の先生に洗脳されてしまい「いざとなれば大腸を全部取れば良いから。」とか周囲にも平気で漏らすようになり、そのことも私に大きなストレスを与えました。私の母同様、大学病院の先生から一方的に言われたら、“まな板の上の鯉”ではありませんが、患者は従う以外に方法がないような気がします。
結局殆どの患者は破綻していくことになります。大学病院などで大腸を全摘出された殆どの患者が、その後どれだけ悲惨な人生を送っているのか、インターネットで調べれば直ぐ分かることです。
そして約2ヶ月の入院生活から開放されました。それと同時にこの病気に対して、医者の言うことなど鵜呑みにせず、自分で真剣に勉強しないといけないと思うようになりました。その時、偶然目に留まったのが“安保徹先生”の“薬をやめれば病気は治る“という本でした。自信たっぷりなコメントの割に、患者の臨床データが無いことなどに多少の疑問を感じましたが、潰瘍性大腸炎で処方されている薬は、実は症状を抑えるだけで免疫力を低下させ、病気を難治化させていることが分かったのは大きな収穫でした。このときから病院には内緒でプレドニン、更にはペンタサの服用量を減らしていき、昨年の2月、丁度一年前に病院から処方される薬の服用を止めました。
薬を止めてから体調は約3ヶ月毎に良くなったり悪くなったりと長期で安定することは無かったのですが、以前のように仕事が出来ないほど症状が悪化するようなことはなくなりました。
それと同時に、白血球のバランスデータ(顆粒球(好中球)とリンパ球の割合)を取り始め、自分の免疫力の低さに驚き、免疫力の低下と共に体調が悪化しているのが分かりました。原因不明といわれている病気の原因が少しずつ分かってきました。ただ、薬は止めたはずなのに免疫力が上がらないのは何故と、たまに出る不快な症状に顔をしかめながら考えていました。この時はまさか病状に唾を吐き続けていることが、免疫力を低下させていることなど気付きもしませんでした。
仕事の関係上、薬局周りをしている内に、潰瘍性大腸炎を直せる医者がいるという噂をちらほら耳にするようになり、患者の臨床データがある(信頼できる)医者をネットで探している最中、松本先生のHPにようやく辿り着きました。先生の理論は直ぐには理解できなかったのですが、松本先生は、私の言うことを多少なりとも理解してくれるのではないかと思いました。九州在住の私ですが、周囲の反対を押し切り、昨年の8月末、何かに導かれるように大阪の病院に足が向かっていました。「絶対に治る。」という力強い言葉が印象的でした。帰りに2種類の漢方薬(煎じ薬)を頂き、自宅でお灸をすることを指示されました。最初は漢方薬を服用し、お灸をしても、何の効果も無かったことに対し、先生の治療法に対して疑いを持っていました。
しかし、「そういえばHPに、ステロイドの服用量が多かった場合(私の場合、累計で約5,000mg)、なかなかクラススイッチは起こりにくいと書いてあったなあ。」とか思い出しながら、漢方の服用とお灸を毎日続けていました。そして10月中旬くらいだったと思いますが、お風呂に入るとき、足全体、特に膝から下に強烈な痒みが起こりました。妻に赤い斑点だらけの足を見せると、「それって、(松本)先生が言っていた“アトピー”じゃない。」といわれました。「ようやく抗体のクラススイッチ(IgG抗体⇒IgE抗体)が起こったかな。」と喜んでいましたが、潰瘍性大腸炎の症状はなかなかなくなりませんでした。
体の内部、腸管で潰瘍性大腸炎、体の外部、皮膚表面ではアトピーというおかしな状態が2ヶ月ほど続きました。腸管でなかなかクラススイッチが起こらない、つまり免疫がまったく上がらないことに、正直苛々していました。今更ながら自分の性格を考えると、嫌なことがあるとなかなか頭から離れず、一日中そのことばかり考えていていました。プライドが高いためか、気に障ることを多少言われただけで、直ぐに頭に血が上り、いつも他人を非難していたような気がします。薬を止めさえすれば免疫力は直ぐにでも上がると容易に考えていましたが、潰瘍性大腸炎を含めた“膠原病”は全て心の病であり、大腸はストレスから来る体の不調を全て引き受けてくれたに過ぎなかったということに本当に気付かせてくれたのは、年末に目を通した一通の手記でした。
松本漢方クリニックの門をたたいた方なら一度は目を通しているとは思いますが、「心と体(リウマチさんありがとう)」というタイトルの安江さんの手記でした。正月休みは先生の素晴らしいコメントを含め、何度も繰り返し手記を読んでいました。読んでいく内に今までの自分の考え方が間違っていたことに気付き、今更ながら恥ずかしくなりました。何度も同じコメントを繰り返しますが、今までこの約4年間は、私は自分の病状に唾を吐き続けていました。
しかし、今年からは不快な症状(下血や下痢)が出た際には、体に変なストレスを与えていないか考え直し、「全てを引き受けてくれてありがとう、今後は注意するよ。」とお腹をさすってやるようにしました。すると不思議なことに症状が少しずつ消えていきました。今ではトイレに行くのも朝の2回程に落ち着いています。嫌なことがあると直ぐ考え込むのは相変わらずですが、最近は“般若心経”を唱え、心を落ち着かせています。
まー、私は安江さんみたいに心の中を全て覗くことは出来ないので、完全な健康体を手に入れるのにはもう少し時間が掛かると思います。従って、漢方薬の服用、お灸は日課にもなっていることもあり、当分の間続けますが、心の持ち方さえしっかりしていれば、いずれは止めても大丈夫だと思っています。
地元の病院(妻がお世話になっている産婦人科?)で、先日(1月末)に血液検査をしました。ここ数年では初めてリンパ球の割合が30%に、更には、3月中旬にも検査をしましたが、リンパ球の割合が33%に達していました。しかし、炎症反応の値(CRP)は0,6だったので、まだ若干の炎症が残っているようですが、様々な不快な症状を乗り越え、免疫力が向上していたことは大きな自信になりました。
これから先、どのような症状が出て、腸の炎症が取れていく(CRPの値が下がっていく)のでしょうか。今は仮に症状が出たとしても、症状が出る度に免疫力が高まっているのであまり気にならないと思います。むしろ健康な体を手に入れるためには、症状が出ることに感謝しなくてはいけないでしょう。ただ、免疫力を下げないよう心の持ち方など注意はしなくてはいけないと思っています。
最後になりましたが、以上、一般的に原因不明とか言われている病気に対し、こういう風に考えられるようになったことは、松本先生のお陰だと思います。大事なことを気付かせてくれた松本先生には感謝の心で一杯です。もう暫くお世話になることとは思いますが宜しくお願いします。
漫画“ブラックジャック”でブラックジャックの恩師である本間丈太郎が、主人公ブラックジャックに言った一言をつい思い出しました。
「君は患者をロボットにするつもりなのか?病気は医者が治すのではない。医者はあくまでも手助けをするのであって、病気を治すのは患者自身なのだよ。」と、おそらく手塚治先生は、一流の医者だったのでしょう。(免疫のことを勉強されていたかどうかは分かりませんが・・・・・。)