「潰瘍性大腸炎完治に向けて 便秘・アトピー症状を待っています」
39歳2015年11月1日
39歳2015年11月1日
僕のこの病気の始まりは、20代前半の頃でした。便を拭いた後に鮮血が少し付くようになり、地元の病院で検査を受けた結果、直腸型の潰瘍性大腸炎と診断されました。先生からは「原因不明で一生治らない病気ですが、命に関わるような病気ではなく、薬で抑えることができます。」と言われ、リンデロンを処方されました。リンデロンを使うとすぐに出血が止まったのですが、その事を先生に伝えると「薬を使い続けてくださいね。」と言われました。ただ、僕は面倒くさがりな性格だったため、勝手に通院しなくなり、薬も自己判断で症状がないときは使いませんでした。(今思えば、かえってよかったのですが(笑)。)
しかし、ストレスや暴飲暴食をきっかけに調子が悪くなり、また通院を始めることになりました。そしてその後は、ペンタサ、当時新薬のアサコールなどを使用し、寛解と再燃を繰り返していました。そして2年前には、プレドニン錠剤を使用しても良くならなくなったため入院をしました。
入院先の病院の先生には親身になっていただき(その先生は「本当はプレドニンも使いたくない。」と言っておられました)、僕も必死で絶食し、プレドニン点滴、直腸からのペンタサ注腸と続け、最後はLCAP(白血球除去)を10回受けました。両腕に注射で管を通すのですが血管が細く毎回何度も注射され、僕も先生方も大変でした。その間、内視鏡検査も何回か受けました。検査の際にはK大の先生が来られ、内視鏡をしていただきましたが、傷を無意味にガリガリ擦られて、とても不快でした。プレドニンやストレスで精神的にも疲弊し、本当に辛い思いをしたのですが、妻やいろんな方の支えにより1ヶ月半ほどで退院することができました。
しかし、そんな入院生活の中で1つだけ決めたことがありました。そのきっかけになったのは、病気のことを調べていた中で、たまたま見つけた松本漢方クリニックのホームページでした。とても難しいことが書いてあり、充分には理解できていなかったのですが、いろんな方の手記や「必ず治る。」と言う先生の言葉を見て、「次に再燃したら、ここに行こう。」と決めたのです。
そして、ついにその時がきたため、地元の先生にその事を話し、妻と一緒に高槻に向かいました。初めて松本漢方クリニックに入った時には、漢方の匂いと朝から来られているたくさんの患者さんに、何故か馴染みやすさを感じました。そしてついに先生と出会いました。先生の声は診察室の外からもよく聞こえて、見たこともない、ちょっと口の悪いとても元気なお医者さんでした(笑)。
先生は、「なんで今頃来たんや?そのまま治療しとればよかったのに。」と言われました。そして「病気は誰が治すんや?」と問われ、「自分です。」と答えると、「そうや!自分の免疫が治すんや」と言われました。そして「絶対治したるからな!おまえの免疫が治すんや!」とガッチリ握手してくださいました。とても嬉しかったのを覚えています。
他の手記を書かれている方のおっしゃる通り、漢方は苦く、高額で、手間がかかり、お灸、漢方風呂もなかなか大変で、家族の助けが絶対必要です。(今では当たり前のように思ってしまっていますが、その点をもっと妻に感謝すべきですね(笑)。)
免疫抑制剤を多く使っていたこともあり、始めの頃は1ヶ月半ほどリバウンドの下痢がひどかったです。1ヶ月ほどで両腕に少しアトピーなのか蕁麻疹のようなものが出ました。その後、下痢は収まったのですが、下血がなかなか止まらず不安でしたが、10ヶ月たった頃から下血も止まり始め、ホッとしました。今は普通便より固くなってきている気がします。まだ本格的なアトピーは出ていないように思うのですが、先生のおっしゃるようにクラススイッチし、アトピー、便秘という風に早く完治することを願っています。松本先生は診察の時、よく医者と一部政治家に対する怒りを交えて話をされました。そして「勉強せえ!」と怒られました(笑)。間違った医学や政治家の食いものにされないために、もっと怒って自分自身が正しい知識を自分で身に付けなければならないのだと思います。この病気を経験し、そのことを少なからず実感しました。
最初先生にお会いした時、「ワシはペテンかもしれんで?(笑)」と言われたのですが、実際は正直で真実を言われていたからこそ、僕としても『信じきれる何か』があったのだろうなあと、今でも思います。