「息子が小 6 で発症した潰瘍性大腸炎を治してもらって」
匿名希望(お母様記述)15 歳
2017 年 5 月 4 日
匿名希望(お母様記述)15 歳
2017 年 5 月 4 日
現在中3の息子は、小6の夏休みに潰瘍性大腸炎と診断されました。漢方治療を選んだ理由は、私自身が原因不明のブドウ膜炎の治療の為に使ったステロイドで苦しんだ経験からです。松本漢方クリニックでお世話になる事に決めたのも、漢方や潰瘍性大腸炎などのメカニズムについて、ここまで理論的に書いておられるお医者様がおらず、自分だけなら近所の漢方医でかまいませんが、子供の治療にはやはり不安があったからです。
息子は幼い時からアレルギー体質で、離乳食を始めると肘や膝の裏がかさかさしてきました。馬油や皮膚科で出された保湿剤を塗るようにしていましたが、眠れないのも可哀想なので、ひどくなった時は1番弱いステロイドを数日塗っていました。3歳では花粉症と診断され、幼稚園では常に耳鼻科通いでした。薬を大量に出され、「このような粉薬を半年も飲んで大丈夫なのか」とお医者様に聞いたところ、「皆飲んでいます」と言われましたが、飲み薬はほとんど捨てていました。
この頃より体質改善に漢方薬を時々飲ませましたが、やはり子供には飲みにくく、あまり飲んではくれませんでした。このように“なんとなく大きくなれば治ると良いな”と思いながら、食べ物については添加物の多いものや加工品を避けて過ごしていました。
我が家は転勤族の為、幼稚園入園前と小学校入学時と小学校の半ばで引っ越しをしてきました。主人も忙しく、正直夫婦仲も安定せず、子供にはいつも気を遣わせるような状態です。そのせいか息子はとてもしっかりして、幼稚園から現在まで学級委員などの代表をやるような大人や先生からみるととても良い子でした。
小6になる前に主人が転勤になり、さすがにもう転勤は可哀そうで主人が単身赴任となりました。子供も一緒に行くかだいぶ悩んだようです。うちは1人っ子なので2人の生活が始まりました。そして小6の夏休みに入った途端息子の体に異変が起きました。食事中に何度もトイレに行くようになり、はじめは代謝が良いのかと勘違いしていましたが、「お母さん・・・トイレが赤くなっている」と言われ、すぐトイレに見に行くと便器の底に血が溜まって、真っ赤でした。腹痛も熱もなく元気なのですが、不安を抑えながら近所の小児科を受診して、“何かにあたったのだ”と信じようとしました。しかし何の菌も出ず、大学病院での受診を勧められ、近所の大学病院で検査入院をしました。実は私の妹が妊娠中に潰瘍性大腸炎を発症していたので、小6でまさか発症しないであろうと毎日祈っていましたが、祈りもむなしく大腸内視鏡検査の後、潰瘍性大腸炎の診断が下りました。
頭が真っ白になりましたが、たまたま入院先の部屋に一つ年上の男の子が潰瘍性大腸炎で入院していて、その子も小6の時に発症して長い休みの時に毎回検査入院しているとの事だったで、少し心強かったです。ただ大腸内視鏡検査は子供にはとても辛いもので、2リットルのまずい下剤を飲むのが大変でした。そして「検査中に腸が破れても責任を問いません」という内容の承諾書を書かされたので、研修医の先生に「こんなのなぜ書くのか」と聞いた所、「今まで事故はないが、一応書いてください」と言われ、不信感で一杯になりました。
診断後はアサコールを処方され、言われた通りに病院で過ごしました。同い年くらいの子が多く、ゲームなどをして割と楽しく過ごしていました。ただ、食事は驚くような物で、朝は添加物だらけの菓子パンに缶詰の果物と豆乳、昼間は山盛りの白ご飯に野菜のおかずが少し。これでは体が良くなるわけはないのでせめて朝のパンを添加物の入っていない天然酵母のパンを持参するので変えて貰えないかと担当医にお願いした所、「病院の食事に従って下さい」の一点張りでした。私の不信感は募るばかりでした。食事の脂(油も含む)は1日40gまで。なるべく穀物からカロリーをとるように言われ、相撲取りじゃあるまいし白飯を毎食2杯。そんな食事を本当に続けないといけないのかと絶望的な気持ちになりました。さらに一生アサコールなどの薬を飲まないといけないことが、死刑宣告に感じました。この日から必死に仕事の後インターネットで毎晩情報を集めました。“潰瘍性大腸炎 漢方”で検索すると松本漢方クリニックが出てきました。(息子が幼稚園の時は、“漢方 アトピー”でヒットしませんでした。7、8年前だったからでしょうか)運が良い事に同じ関西圏なので、すぐ予約をして息子が退院したら行く手筈を整えました。退院間際に再度内視鏡検査をされ、あまり炎症が治まっていないようだけど自覚症状もひどくないので退院することになりました。8月の下旬に退院後、電車で2時間弱かかりますが特に途中トイレに行くこともなく病院に着くことができました。病院に着くと強い漢方の匂いで大学病院の冷たい雰囲気と違い安心しました。松本先生にはネットの通り強い口調で、「お前が子供をこんな病気にしたのだ」と怒鳴られましたが、治療法がこれしかないのでやめるつもりはありませんでした。息子には「必ず治る」と言って握手をしてくれました。普通の医者であれば親にそのような事を言ったらすぐ問題になると思います。しかし先生は治す為の治療をしているので、私の子育てから治すおつもりなのだと感じました。受験勉強はさせていませんでしたが、いつ引っ越して環境が変わっても良いように、勉強は常にさせていました。私が厳しく息子に接しているのを先生はすぐ見抜きました。「自分が優秀なら子供のDNAも一緒だから必ず優秀になる。自分があほなのに無理矢理子供に勉強させるな」など激しく叱咤され、子供が中3の今、おっしゃっていた事が理解できます。
この日からアサコールをやめ漢方のみの治療に専念しました。漢方を煮出すのは手間ですが嫌がらず飲んで学校にも持っていき飲んでいました。漢方風呂はのぼせるので嫌がりますがお灸は嫌がらず受けてくれます。漢方を飲みだして1週間後、頬がおたふくのように赤く腫れました。熱はなく数日で治まりました。その後便も3回から5回くらいで便も崩れていたり固まっていたり出血は常にありましたがさほど辛そうでもありませんでした。食事はあまり油っぽくないものにしてなんでも食べていました。給食も普通に食べていました。9月に入り大学病院も不信感があるものの縁を切る勇気がなく血液検査に行っていました。薬は飲んでいると先生には言っていたので便潜血がなかなかマイナスにならない事に苛立っている様子でした。血沈は前日のストレスによっても変わるから腸の炎症とは関係ない。もともとCRPは18程度と高くないからこれ以上内科的にする事はないのでL・CAP、パルス(成長期だからステロイド治療はしないでと言ったのに)タクロリムスがあるよと勧めてきました。「でも便の回数も2回くらいで減っているし、そんな必要があるのか」と聞きましたが「治るものではないから」と言われました。息子も常に暗い口調の先生が苦手で「大学病院に行く方がストレスになる」と言い出したので、行くのをもうやめる事にしました。
10月、11月は一進一退の状況でした。12月は寒さのせいか急に便の状態が悪くなり7、8回とトイレの回数が増えました。その後リバウンドが始まりました。トイレの後お腹が30分程度は痛いようでうずくまるようになり少し下着に便がつくようになりました。1月になり少し落ちついたように思いましたが学校が始まると微熱が出てきました。
1月の末には38度を超える高熱が出てはらはらしましたが、抗生剤だけ飲ませ様子を見ました。次の日には熱は少し下がり、また上がったりを繰り返し、学校には行けず、毎日家で寝て過ごすようになりました。この時期が最悪の時期でした。ただただ寝て漢方を飲んで食べられるものを食べる日々で、一体この子はどうなるのかと不安でたまりませんでした。でも大学病院で出されるような薬を飲ませるつもりはなかったので、水分をこまめにとり頭にタオルをのせて様子をみました。
2月も体調が良くなく、家で寝ているだけの日々が続き、卒業前の小学校のUSJ旅行も諦めていましたが息子が行きたいというので、バスは避け、現地まで電車で送って行き、なんとか参加することができました。その後は体調というより休んでしまった気まずさもあったのか卒業式まで学校は行けず、卒業式だけ出席しました。
体調はそれ以降、熱も出ず、便も食べたものによるのか固まったりふわふわだったり様々で、出血も底にたまるほどではないですが止まることはありませんでした。便に混ざっているような状態です。
4月になり中学へ入学しました。子供にはお手洗いに行きたくなったら気分が悪いと保健室に行くよう言いましたが、今まで1度も授業中トイレに行ったことはありません。緊張のためでしょうか。学校のほうが便の回数が減るようです。
中学に入ってすぐの旅行も行き、海にも入りました。バスが心配でしたがなんとか大丈夫だったようです。常に体調は一進一退。Naokiさんのように劇的な回復はありませんがなんとか日常は過ごせる状態でした。
秋になり冷えからか朝、排便後「お腹が痛い」とうずくまり、学校に遅刻するようになりました。そのまま1日休むことも増え登校拒否の状態になりました。午後は元気なので学校に行くよう言いましたが、生真面目な息子は途中から行く事が出来ず、結局中1はそのまま学校へ行けませんでした。
中2に入り、「もう内申点もあるし休めない」と説明し、学校に行くよう説得しましたが、息子の足は学校へは向かず、家で本を読んだり、夕方に塾に行くだけの生活になりました。私も最初は引きずって行かせようとしましたが、「そんな事をしたって学校へは行かない。自分は行けないわけではなく、行かないのだ」と言うので諦め、うるさく学校の事を言うのをやめました。テストも受けていません。
夏にはアトピーが見たことないくらい酷くなり、外に行くと他人から2度見されるくらいに顔の皮が剥け、酷い状態になりました。私も「学校に行け」などとはとても言う気になれない有様でした。ともかく血だらけでしたが松本漢方クリニックで処方された2種類の塗り薬を塗る毎日でした。時々様子を見に来てくださる担任の先生も驚きを隠せないようでした。
暑い時期がすぎるとアトピーは治まってきましたが、これもリバウンドなのだと思います。中2の生活はこのように家と週2回の塾の生活で、友達と遊ぶこともなく終わろうとしていました。
中2の3学期の期末、ふいに「テスト受けようかな、でも皆と会うのも気まずいから別室で受ける」と言いだし、期末テストを受けに行きました。結果は平均点くらいしかとれませんでしたが、学校も行っていないのに平均点が取れるだけすごいのかもしれません。
中3も行かない事を覚悟していて、4月になってすぐの修学旅行もキャンセルしようと思っていましたが、「なんで自分が行かないと思うのだ」と私に言い、中3から急に学校に行き始めました。4月の沖縄の修学旅行も楽しんで行ってきました。松本先生には「そんな状態で行けるのか」と言われましたが、学校の旅行は中1でも行っていますし、家族が海外に在住の為、海外へも3度ほど行っていますので、飛行機の勝手も分かっているし、それほど本人は不安ではなかったようです。バスでは飲んだり食べたりしないよう自分で注意していました。旅行の2泊3日の間、漢方は全然飲んでいませんでしたが、帰ってきてから大きく体調を崩す事もなく、今はゴールデンウィークで連休中ですが今日も部活のお友達とカラオケに行き楽しんでいるようです。急に学校に行けたのが私も不思議です。この後も学校へは行けると思います。なるべくヘルペスが増えないようプレッシャーをかけない生活をして、なんとか学校へは行って欲しいです。受験もあるのでどうなるのかこの後が心配ですが、松本先生から「この子は治りにくい」と言われているので、上手く付き合って社会生活を送れるよう、生きていて楽しいと思えるようにサポートして行きます。
今このように生活できるのも化学治療ではなく漢方を選択したおかげです。ステロイドなどの化学治療は他の臓器の負担になり、リバウンドも激しく、頻繁に入院することになっていたでしょう。たとえ完治と言われる状態にはならなくても症状が穏やかであればコントロール出来るようになると思います。幼くしてこの病気になった親御さんの心配は、お子さんが普通の生活を送れるかということだと思います。潰瘍性大腸炎ではなくても単にお腹が緩くて学校に行くまでに漏らしてしまったお笑いの芸人の髭男爵さんは、それだけで学校に行けなくなり、大学も大検で行ったという記事を読みました。とても多感な時期ですし、ただでさえ心配なのに、この病気を患った事で親御さんの不安はそれ以上だと思います。
自分の免疫を殺す化学治療には未来がありません。いつも松本先生は「最高の医者は自分自身で、自分の免疫以外で病気は治らない。熱いお灸と漢方風呂、苦い漢方で免疫を上げるのだ」と仰います。息子は漢方風呂が苦手なようで、「あまり入らず言うことが聞けないなら病院に来るな」と、親子でお叱りを受けております)漢方を煮出したり、金銭的な負担も多いですが、この治療法で後悔は一切していません。外食も出来ますし(ジャンクフードなどはもちろん食べません)、今楽しんでいる息子を見ると選択は間違っていなかったと実感します。松本漢方クリニックの皆様これからもどうぞよろしくお願い致します。読みにくい文章を最後まで読んで下さりありがとうございました。
コメント(完全に潰瘍性大腸炎は治癒して、大学受験を目指して勉強に励んでいる人です。現代の全ての病気の原因は、現代文明が作った死んだ異物である化学物質と、永遠に殺しきれないヘルペスの2つだけです。化学物質を IgE で排除の戦いであるアレルギーと、免疫を落として IgG の無駄な殺しの戦いによって生じる自己免疫疾患といわれる膠原病と、もう一つはステロイドなどの免疫抑制剤を使って免疫を落としてヘルペスを増やして、免疫が上がった時に戦うヘルペス疾患だけしかありません。治し方は、アレルギーは自然後天的免疫寛容で治り、膠原病はクラススイッチをしてアレルギーに変えて治します。最後のヘルペスは、抗ヘルペス剤を投与して抑制し続ければ必ず治ります。ただし自分のステロイドホルモンで免疫を抑えない生き方が絶対に必要ですが。いずれにしろ、原因のわからない病気はこの世界には全くありません。)