「潰瘍性大腸炎手記」
25歳2014年3月17日
25歳2014年3月17日
「潰瘍性大腸炎手記中間報告」
①潰瘍性大腸炎発症までの生活
5年前の20歳の時に美容院に就職し半年たったある時、先輩たちの姿を輝かしく思う気持ちがMAXに達しました。仕事に対し突き詰める真面目な姿勢に私はある気持ちを思い覚ましました。私は小学生の時から漫画を描いていたのですが、それで生きていける自信も無く美容師の世界へ入りました。両親が美容学校へ行くというのを許してくれたおかげです。お金も全て出してくれました。美容学校に入ってからは漫画を描く時間も無かったのですが、私にとって漫画を描くことは、自分に起こった事を多角的に見ることができるような気もして、どうやったらそれぞれの人物は成長するのかな、この人にとっての成長って何かな、と考える事がその瞬間を描くことがとてもわくわくするものでした。心が満たされたのでした。美容師として就職することも漫画を描く上でとても重要だという思いも含み見学した中で一番いいと思ったサロンが神戸にあったので就職し寮生活をおくっていました。先輩たちに刺激され自分の中で熱くなれるもの=漫画だと触発されたのです。
ただ、行かせてもらった美容学校、美容師免許、を全て蹴って辞めて漫画家になるなんてできないと思い、なんとか両立できないかなと思い美容師の勉強と漫画の勉強とを両方やる生活が始まりました。寮内や店の先輩に多大に迷惑をかけました。ある月に一日だけ有給をもらえたのでそこで東京の出版社に漫画を持ち込むべく毎日休み無くアドレナリンを出しまくりました、11月出版社に持ち込みたくさんのアドバイスをいただけ、もっと漫画をよくするための勉強をもっとしたいと思うようになりましたただ、その時ボロボロに疲れていました。毎日コンビニで買った大量のお菓子を食べなければ落ち着かない日々を過ごし、体力的限界を感じ悩んだ末翌年(2010年)4月美容師を辞めました。あたたかく迎えてくれた家族に感謝しました。
この漫画と美容の日々にストレスに対抗するためにステロイドホルモンが出てステロイドを飲んでいるのと変わらない免疫抑制状態になり、体に使う免疫が心のほうに使われてそして大量のコンビニ食品を過食し化学物質が大量に体内に入り(この時、ストレスが無ければチョコ食べ過ぎてニキビできちゃった!という状態になって終わるかもしくはただ下痢になるだけで終わるんだと思います、ストレスが無ければ元々アレルギー処理の下痢はアレルギーの世界だったのにストレスのせいで逆クラススイッチして膠原病になっちゃったんでしょうか?食べている時は腹痛も肌荒れも一切ありませんでした!それで免疫が働いてなか1ったからなんだなあ心のほうに奪われてと今は思います。
<初めての自覚症状>2010年冬
春に美容師を辞めその年の冬お腹が緩いとかんじることが頻繁にありました。主な自覚症状は仕事中トイレが我慢できない、貧血、腸の張りトイレの回数は10回には満たないくらい。ただ、割と「ほっとけば治る」と思っていたので病院にはいかず仕事中何度か漏らしましたがオムツ等つけてしのぎました。あんまり頻繁に漏らすときはインターネットで「どうやったら大便を我慢できるか」を検索したりしました。実践し効果はなしです。
実際このまま放っておけば治ったんだと思います。ただ、その時は、早く漫画家になれるようもっと一日にたくさん、もっとたくさん勉強しなければ家に置いておいてくれる両親に対しどうやって恩返しを、などを毎日頭によぎらせていたので、ストレスを自分自身で勝手に与えまくっていましたので、クラススイッチすることなくだらだら下痢、少しの血便が続きました。
<大量出血>2011年冬
モツ鍋を食べ大量の血便出る一度地元の小さな医者へその時は「ひょっとしたら細菌か何かかもしれないのでもし酷くなるようなら大きな病院へ行ってみたら」と言われました、ビオスリーを貰い帰りました。
その時の症状便20回(心配でトイレに行って何もでないのを合わせると30回くらい)貧血、発熱、寒気、脂ものは控えるようにとUCの患者さんは言われますが、松本先生の理論だとこの出血の原因は…と思い色々見ていたら先生の治療をしたNaokiさんというとても賢い方が予想をつけて解説していらっしゃいました。出血の原因は本当はアレルギーIgEの世界で排出されるべき化学物質を上記のストレスによって逆クラススイッチしてしまっているので殺せない化学物質を殺し溶かそうとして戦い結合組織を傷つけ潰瘍ができ出血する。
普通のUCの免疫を抑える治療をしている人脂質が多いものをとると…小腸で脂質は脂肪酸とグリセリンに分解されリンパ管に吸収免疫系の司令塔のいるリンパ節につながっているのでどうしてもリンパ管に化学物質が脂肪酸とグリセリンとともに吸収され化学物質を殺そうと免疫が活性化しその結果として抑えていた免疫が活性化し化学物質への間違った攻撃を開始、出血!だと、考えられる、と仰ってます。すごいですね!
②潰瘍性大腸炎診断、入院と松本漢方クリニックに出会うまで2012年1月18日~2013年8月
<総合病院へ行く>
便の回数も体のだるさも変わらず症状をインターネットで調べると「大腸がん」など出てきて「細い便が出ると大腸がんの可能性大」とあり細いかどうかわかるような便なんて出ないんだけど、とあまりに無知すぎて大腸がんよりも深刻な症状の2ような気分になり総合病院にかけこみました。
病院の先生に症状を説明したら尻の穴に指を突っ込み指につけた紙に染み込んだ血の色を見てすぐに検査となりました、院内を車椅子で移動し(だるいけどそこまでじゃないのに…)と思いましたが初めての車椅子体験が少し楽しかったです。血液検査、尿、便検査、心電図、腹部超音波、内視鏡下生検査、CTスキャンその間に母が仕事を途中で抜けてくれて、病院まで来てくれました嬉しかったです。
午前中に行きました、夕方に検査が終わりました今日から入院したほうが良いといわれましたが、同時にベッドが空いてないかもしれないというか空いないと思うけど、一応確認しますと言われ、目の前で院内電話のやりとりしばらく待って「今やっと空きました、どうしますか?」と体力的にフラフラ精神的にもまだ何の病気か分からない不安、不安な私にそう尋ねました、何の病気でどうしたらいいのか何にも分からないのにどうやって決めたら良いんだろうか、と思ったけど、ひとまず急かされるように入院しました、私も相当何も知らない人間なので素直に「そんなに早急に部屋を空けてくれるなんてありがたいな」とぼんやり思いました。その時から絶食が始まりました。
<入院>
1ヶ月間
検査の翌日「潰瘍性大腸炎」だと知らされました。「治らないけど、死ぬような病気じゃないからうまく付き合いながらやっていこうね」と仰ってました、その後食事制限についての説明や特定疾患の説明等がありました。
先生は「調子が良いときは食べてもいいからね、ずっと食事制限は無理だから」と気持ちをやわらげてくれました。トイ・ストーリーのミスターポテトヘットに似ていました(顔が・10日間絶食(飲物とアメはOK)水溶性プレドニン30mg、ガスター注射液20mg、ただ、先生はステロイドは使い続けると抜けられなくなるから、今はかなり症状が出てるから仕方ないけどステロイド依存にならないようにしたいとその顔で力強く仰って私も元気になりました下痢は20から30回くらい頭痛や吐き気が頻繁にありました。
途中大腸検査をしました、腸内の出血の様子をこの目で見てどうしてもっと大事にしてあげられなかったのと思いました、すごくかわいそうでした。ただ、どうやって大事にしたら良いか分かりませんでした。食生活かなと思ったくらいです。食べるのがものすごく好きなので(血便時も食欲減らないです、むしろ出るのですぐお腹すく気分がします、それで余計に食べて余計にいけなかったのですね)つらかったのですが、「ぐるナイ」「お試しか」などの食べる系のTV番組を見たり、無駄に院内のコンビニへ行き食べ物をジロジロ見て売ってる料理本を立ち読みしたりして過ごしました。
・食事開始
プレドニゾロン6錠、ガスターD錠20mg2錠、ペンタサ8錠ロキソニン血便が出なくなったので食事が始まりました。コンスープやおもゆ等からはじめました、感動のおいしさです今まで早く多く食べていたのを反省しました、便回数は5回程です、先生は仕事がある日はおそらくほぼ必ず患者さんを周るようで顔を出して体調を聞いてくださいますがとても疲れているように見える日もありました大変だなと思います。
体調を見てG-capをやるかもしれない、と説明してくださったり、体調が良くなっているとG-CAPもやらずに退院できるよといつも元気付けて下さいました
<退院>
一ヵ月後2月16日に退院しましたそれから一ヶ月自宅療養プレドニゾロン4、ガスター2、ペンタサ8、 ビオスリー6、プレドニゾロンを6錠から4錠にしたら体調が悪くなったので先生は嫌だったようですが試しに5錠にし、安定してきたので4錠にしました。
<仕事復帰>
一ヵ月後3月16日仕事復帰しました(添乗員)
プレドニゾロン2錠、ペンタサ8錠、ビオスリー6錠、ガスター2錠、ペンタサ注腸1g、プレドニンを減らして注腸にしたらどう、と試しにやってみることにしました。特に何も変わらないという印象をうけましたが、プレドニンの量が減り、二週間後はゼロにしてみたのですが大丈夫でした。ペンタサ注腸は…お尻からダイレクトに液体状の薬が腸へという薬ですが、ペンタサは殺しの世界の炎症をさせないようにして
しまうのでそうするとクラススイッチもおこらなくなってそうすると免疫寛容も起こらなくなります。もしクラススイッチして下痢をしててもこのアレルギの働きも抑えるので下痢が良くなったように思う、というヤバイ薬だと松本先生が論文に書かれています。
それからは体調は良好でした、ただ、添乗員に転職したばかりで緊張の中やっていた上に免疫を下げる薬ばかり飲み免疫下げ下げ状態だっただけかもしれません
<再燃>
その年の11月に徐々にトイレが近くなりました出血もありました、その時は添乗員の仕事にも慣れ、長期の宿泊が続き薬の飲み忘れやペンタサ注腸は一切やらなくなったので免疫が回復したんだと思います。トイレは日によりますが、7,8回くらいだったと思います
<ペンタサ→アサコール>
翌年2013年5月体調は基本的に毎日お腹はゆるいという状態、病院は2ヶ月に一度通っていました下痢が続くと話したらアサコールという新薬があると言いました去年5月から先生がミスターポテトヘット先生から代わりました。若めの、大人しい先生に代わりました、あまり自分の意見を押し付ける方ではありませんでしたが、私も自分が病気を知る努力を怠っていたので下痢、漏らしは続くがどうすることもできない、様子見が続く日々でした、その先生はスヌーピーに似ていました。アサコールが何か調べもせず「はい、アサコールOKです」と飲み始めました。
<レミケード>
同年7月大腸検査したいと言ったらいいよと言ったのでしました、「この縞模様が4潰瘍だよ」と教えてくださいました。そして今後の治療法について話し合いました。先生の提案は「イムラン、G-cap、レミケード、」それぞれ説明し、「ってゆうのもあるから、どうする?どうしようね」先生は道筋だけ見せ、どれが良いかは言いませんでした、先生はきっと、どれをやっても治らないと分かっているのに何を勧められるんだろう、副作用や効果、治療方法は自分が説明して、どれが得か、どれが良いと思うかは、患者さんの胸の奥でしかわからないんじゃないかな、と思っているような空気をかもし出していました気がしたので、私が決めなくてはと思いました、本当にしょうがない私はなんとなく新しい方が良さそうだと思い「レミケードをやります」と言いました、
インターネットでポツポツ調べていたのですが、やると決まると不安になり、体験記等やその後の症状等を見ました、ほとんどの方はやってからすぐはいいけどだんだん効かなくなると言っていました。
TNFαが炎症の原因親玉だからそいつを抑え殺すと書いてありました、免疫のことなど何も知らない私ですが、そこまで分かっていて何でそのTNFαがいっぱい攻撃しちゃう状況になるのかは分からないのか不思議でした、レミケードの説明書きに「UCの腸管では免疫異常が見られそのことで自分の腸を傷つけてしまうことがわかってきました」「わかってきました」の言い回しがなんだか。金額もものすごく高くて自分は特定疾患で良いかもしれないけどそういう問題かなあ?というくらい大きなお金が自分の見えないところで動いている感じが嫌でしたその時に検索してようやく松本漢方クリニックにたどりつきました!レミケードは断りました
③松本漢方クリニック2013年8月
●何故松本漢方クリニックへ行こうと思ったのか
・今まで自分が見たどの医院よりも(沢山ではないですが)理論に対し詳しく説明されていた。大変難しい話ですが、何度も同じ事を反復的に言ってくれるので1度目は分かりにくくても、他の話をしてからまた同じ事が再登場すると2度目3度目には理解でき、結果分かりやすさを感じた。読んでいる途中に「あれ?」と思った時はほぼ必ず次の瞬間にそのことが説明され、計算つくされた読み安さを感じました。理論を熱心な感じで説明しているところは他にありましたが、必ず「あれ?」が説明されず「その部分はスルーにされるともう分からないな」というのが多かったので結局その理論を理解する事が出来なくてその医院に行きたいと思うことはありませんでした。
・症状が出ているのは体が戦っているからだというのを見てそういえば風邪で熱が出るけどその後はとても良くなる事を思い出しました、何も家だけがそう言っている訳じゃなく周りの友人やドラマだってそういうシーンが当たり前の様に出てくるくらい「熱出し切ったら治る」が常識的にすり込まれているから風邪で熱が出たってそう焦る訳じゃないけど原因不明とされてるものの症状を出なくする為にだけは躍起になるのは確かに変かもと思いました
・①花粉症治療の「舌下免疫療法」(花粉エキスを少しずつ口に含み反応が出ない体質への改善を目指す)説明にこうありました「これまでの花粉症治療薬の多くは5症状をもたらすヒスタミンなどの作用を一時的に抑えるといった対処療法だ、免疫療法は患者の体を少しずつ花粉に慣らしアレルギー反応が起こりにくい体質にするため完治の可能性もある、8割が症状が全くでなくなった」今年6月から保険適用が始まっていくそうです
②NKT細胞療法「がん治療で免疫機能を高めがん細胞を攻撃させる免疫療法の一つNKT細胞と呼ばれるリンパ球を活性化する治療法」
免疫療法はたくさんあるんだと思いますが、私が偶然知っていたのはこれらでした先生の理論と同じと思ったわけではありませんが「免疫ってすごいね!」っていう事なんだな、と思いました。でも免疫が増えすぎると邪魔だから消そうとして必要だと何とかして増やそうと外から注入したりして、でも病気の原因は分からないのに、そんなに勝手なことして大丈夫なのかな?てやっぱり何やっても副作用があるんだね、何で副作用になるのかを細かく説明してくれないのに治療法が沢山あって、一番多くの人がやっている治療法が「主流」ということになって今私はその「主流」をとりあえず試しにやってみてるだけなんだけど「大勢がやってるから仲間が沢山いて安心」では済まされないくらい治療を続けてもっとまずいことになってる人沢山いるのにそれでも「主流」をやるのはなんでなんだろうと色々謎に思いましたが一番スッキリ解説してくれるのは松本先生の理論でした。
●院内
自分が今まで使ってきた薬を書き血液検査と尿検査をし、お灸を説明していただき先生とお話しました、松本先生は、たれ目で長い手足が特徴的でした、松本先生二世はものすごく肌がきれいでした、先生は何に似ていたかは・・・また考えます。先生は何度も握手し温かく声をかけてくださいました。先生は多分ものすごく脳に刺激をあたえ続け鍛えまくっているので頭の回転がとても速くかつ人の感情的部分にも微細に反応することができ、人がぼーっとしていたら見えない世界も見えてしまうところもあるんじゃないかと思いました、人には速く見えるハエが先生には止まって見えるみたいな、だから余計に傷ついたり逆に嬉しくなったり感情のふり幅もとても大きそうだと思いそんな様子が私を刺激しました。その後漢方の煎じ方と風呂の使い方を教えてきただき下の薬局で薬を買い帰りました。
④漢方生活今までの薬を全て辞めしばらく漢方薬(まずい)を飲み1週間くらいで便が少し固まりました。食前のは苦く食後のは苦いのに微妙に甘く辛みを感じるという摩訶不思議な味でしたが、この味もが免疫を上げてくれるんです。頭痛の時はロキソニンを辞めヘルペスの薬を飲みました、頭痛→嘔吐→二時間後くらいにはスッキリというサイクルでした。
今まではロキソニンを持っていないと不安でしたが、この時は仕事中頭痛があってもその時は苦しいのですが、この瞬間をやりすごせば一日終わる頃には通り過ぎるということが分かったので気が楽になりました。便は3から5回程度、日によって固まったり下痢になったりしましたが血便は無しです
⑤クラススイッチ
その年2013年11月頭くらいから、わきの下乳首が痒みだしました、乳首は以前から冬になると乾燥して痒いときがありました。11月中頃乳首から”汁”が出るようになりました、腕が痒くなり始めました美容院時代によく皮膚科の薬を塗っていた所です。11月終りものっすごい形のいいバナナ型の便が出ました!両腕全体がものすごく痒くなり、毎晩毎晩掻いていると膨張し、腕が突起のあつまりでぼこぼこになりました、ついにクラススイッチがきたか!翌日には突起は少し落ち着き浸出液が出始め、とめどなく出るのでラップを撒いて上からタオルを巻きました。
11月25日腕全体が痛かったです、ジンジンと締め付けるようでした。その夜熱が38度出ました、感染症だけ怖かったので総合病院の救急外来へ行き、理由を述べて抗生物質一日分だけ貰って帰りました、若い先生でしたが「何を言っているか全くわからない」という顔でした、私も疲れていたので説明が面倒でした伝わらないのが分かってましたから…血液検査をし一時間待ってる間もとてもしんどかったです。
家に帰り抗生物質とピリピリとした痛みもあったのでヘルペスの薬を飲んで寝ました。翌日先生に電話をし抗生物質とヘルペスの薬を送っていただきました仕事を長期で休みを入れました、CRPは2.26でした。それから四日後痛みは引き、痒みが出始めました、ピリピリの痛みもまだありました。とても痒いですが掻くとその後とても痛いです汁が臭って不快です。水泡が繋がり皮膚がもっと灰色になり皮がめくれ始めました、めくれた下からピンくい薄い皮膚がでてきました便は1,2回程で調子良いです、<BR>腕以外に顔(少し)、耳の裏、鎖骨、お腹周り、背中、太ももがアトピー肌になりました。水泡ができたのは腕だけです。頭皮からはフケがよくでます。
実物はもっと酷かったように見えたのですが、写真にすると迫力がかけるなあとか思い何度も取り直しどれだけグロテスクに写るかを楽しみ友人に送りつけ楽しみました。紫雲膏をところどころ塗り、液が出るところにはラップを撒き腕はラップとタオルで基本的には放置していました。
ドラマを観て感動し泣いたりしている時は痛みも痒みも忘れられました、普段仕事してたら多くの見たかったドラマをものすごく連続して観続けるなんて不可能だったのでとても充実した時間でした、原因不明でアトピーをかかえ何十年もの時を過ごした方は本当に辛いだろうな、と自分はこれは一時で通り過ぎることだと分かっているから悠長ですが・・・・
基本的放置状態で一ヵ月後
すごいな!2014年1月1日友人に会うと必ず「腕を見せて」といわれますがすっかり治った様子に「すごい!人間ってすごいね!戦って勝ったんだね!」と皆言ってくれました(負けたんだよと突っ込まざる終えないのでややこしいんですが・・・ものすごく快感です!
⑥現在2014年3月
漢方を飲み続けています便が下痢になる時もありますが固まって調子いいときもありますリバウンドの時症状の出なかったひざ下のすねあたりにポツポツアトピーが出来ては治り、をしています!どんどんクラススイッチしています!後もう少しだ!~続く~