「潰瘍性大腸炎と私」
匿名希望 22 歳
2010 年 11 月 10 日
匿名希望 22 歳
2010 年 11 月 10 日
私が松本漢方クリニックを初めて訪れたのはおよそ1年半前のことです。21歳の誕生日月のことでした。その頃の私は、5回目の再燃だったのですが、今までの再燃の中でも最もひどいものでした。再燃の期間は1年以上に及んでいました。体重は7kg ほど落ちました。症状はと言えば、下痢は1日に 30〜40回もしていました。水を飲むだけでもお腹が痛くなって下痢をするのです。食事は一口食べても腹痛・便意がきて、食事中は何度も何度もお手洗いへ走らなければなりませんでした。夜は寝返りをうつだけで腹痛・便意におそわれて、何度も起きてお手洗いへ駆け込んでは下痢・下血。1〜2時間継続して眠れたら良い方で、寝不足でした。お腹が痛くなってから下痢をするまでほんの数秒で、急いでもトイレに間に合わないことだってありました。当たり前のことができない自分が本当に本当に辛くて悲しくて、その度にぼろぼろ涙がこぼれて泣いていました。また、血便のために極度の貧血になってしまい、座っているだけでも息切れするという信じられない有様でした。
それでもなんとか毎日をこなしていました。「病気だからって負けてられない、私にだって出来るはず!」と、大学にも行くし、資格の学校に通ったりもしていました。授業中は何度も席を立つからいつも扉の近くに座りました。それでもお手洗いがあるのだから良い方です。電車に乗るとなれば不安でいっぱい。それでも冷や汗をかきながら、腹痛がきたら途中下車。知らない駅で腹痛に耐えながらトイレを探してさまよいました。(おむつを着用すればよかったのに、と思います。しかし、その当時の私にはその事実は受け留められなかったと思います。)
しかし、限界はやって来ました。あるとき、貧血のために駅でうずくまり倒れてしまいました。急に視界が暗く狭くなり、歩いても歩いても進まなくて、自分がとんでもなく長い道を歩いているような錯覚にとらわれました。しかし、いつも歩いているなんでもない道なのです。その頃あたりから外出も出来ず、学校へも行けず、1 日中寝込んでトイレとベットの往復の毎日でした。
「出かけられない」ということは、大変に辛いものでした。外の風にあたって気分転換しようにも、腹痛におそわれることを思うととてもじゃないけど外に出る気にはなれませんでした。友人には、仮にも女の子なのに、下痢がひどいという症状が恥ずかしくてなかなか打ち明けられず、体調が悪いとしか言えませんでした。誘いは断るしかありませんでした。話の最中に何度も何度も席を外すのが目に見えているからです。きっと何度も話を遮るだろうし、取り繕えるようなレベルではありません。それに、一緒に歩いているときにトイレもないのにお腹が痛くなったらどうしよう?もし一緒にいるときに粗相してしまったら...?そういった不安は、私にとってはとんでもないプレッシャーでした。食事をしたりカフェでお茶をしたりすることって、もっともっと仲良くなれることだと思うのですが、そういう機会を持ちたくても持てない自分がすごく辛いです。友達との旅行の計画にも参加できたことはないし、デートなんてもってのほか。数少ない貴重な誘いも、幾度となく棒にふりました。お布団から窓の外を見ながら泣き、悲しくてずーっと涙が止まらないなんてゆう毎日を過ごしていました。
私は、大阪府下の病院にかかっていました。毎食後と寝る前にペンタサ錠を4錠ずつ服用し、寝る前にプレドネマ注腸、そして貧血に効くお薬を処方して頂いていました。しかし、実際はと言えば、ペンタサ錠を熱心に服用する訳でもなく、プレドネマ注腸は意味をなしていませんでした。また、貧血の薬を飲むのは辛いものでした。というのも、まずペンタサ錠について。〈潰瘍性大腸炎は原因不明なのに、ペンタサ錠は本当に有効なのだろうか?〉と、どこか違和感を感じていたように思います。自分が潰瘍性大腸炎と診断された時に遡ります。当時の先生には「緩解してもペンタサ錠は毎食後必ず飲まないとだめだよ。緩解期にいかにちゃんとペンタサ錠を飲むかが大事なのだよ。飲んでいなかった人は、やっぱり再燃する人が多いのだよ。」と言われていました。でもなんだか飲む気になれないでいる状態でした。もちろん再燃したくないですが、なんとなく、〈こんなにずーっとお薬を飲み続けて体は大丈夫なのかなぁ〉とも不安でした。初めての潰瘍性大腸炎の症状は、ペンタサ錠を服用したおかげなのでしょうか、そのときは治まったのです。しかし、一時的に改善したものの、それから4〜5年間、再燃と緩解を繰り返すことになります。また、ペンタサ錠のみで緩解出来たのは初めの1回だけだったように思います。次に、プレドネマ注腸について。プレドネマ注腸をしても、すぐに便意となって薬を出してしまうのです。先生(以下 A 先生とします)には、注腸をしたら、ごろごろと転がって腸にまんべんなく薬がいくようにするといいと教わりましたが、体勢を変えたらもうだめでした。また、すぐに出してしまうなら、何度もすれば良いと教わりましたが、何度もするには痛いし労力もいるので、私には辛いものでした。最後に、貧血の薬について。このお薬の副作用として、吐き気があることは聞いていました。しかし、はじめて服用したとき、ものすごく気持ちが悪くなって学校を早退するほどでした。今まで薬を服用して副作用を感じたことがなかったので、まさかこれが貧血の薬の副作用とは分かりませんでした。これを飲むと気持ちが悪くなるので、A 先生と相談して就寝前に飲むことになりました。寝る前に飲むことで幾ばくかはましになったのですが、私にとっては服用には覚悟を必要とするお薬でした。
こんな状況なのだから、一向におさまる気配がないのも当たり前かもしれません。A 先生からは、ステロイドか免疫抑制剤を服用するしか症状を治める手立てはないと言われました。しかし、私はどちらも服用する気になれず、診察の度に「次の診察まで様子を見させて下さい。」と、自分の体へ一筋の望みを持ちながらも、本当のところはステロイドや免疫抑制剤の服用には二の足を踏んでいるような状況でした。なぜなら、今まで再燃と緩解を繰り返してきて、「前回緩解に効いた治療法が次の再燃では効かなくなっている」という、まるで体に耐性でも出来ているかの様な印象を覚えていたからです。ペンタサ錠、白血球除去療法、プレドネマ注腸、ペンタサ注腸...。はじめは緩解に有効だったようなのに、どれももう効き目はありませんでした。〈もう残す治療法はステロイドか免疫抑制剤しかないのに、21 歳で服用して、この先また再燃したら何で症状を抑えるの?どうやってこの病気と付き合って行くの?〉というのが率直な気持ちでした。しかし、A 先生はそんな私に対して、「いったい何がしたいのですか。治す気はあるのですか。治すためにはこういう薬がありますと提案しているのに、どうして薬を飲まないのですか。なにか不信感でもあるのですか。」と、問いつめられました。当然ですよね。私が A 先生の立場でも同じことを思ったでしょう。 私は、「先生を信頼していないとか、そういうことではありません。先生となら、安心してお薬を飲めると思います。でも、まだもう少し時間を頂けませんか。もう少し様子を見させて下さい。」と伝えました。しかし、「様子をみてもおなじだと思いますよ。」私にとってはどこか責められているような、肩身の狭い思いをするだけの診察でした。ただ傷つき、泣いて、診察終了—。正直、私には何の意味も感じられませんでした。
この1年近く、もう心は疲弊しきっていました。ある意味、腹痛・下痢・下血がおさまらないことは諦めていました。〈もう分かった。もうお腹が痛くなるのがとまらないのは分かったから、誰か私の気持ちに目をむけてほしい、この気持ちをどうにか救ってほしい—。〉私の気持ちは本当に疲れ果てていました。走っても走っても、まだ休ませてもらえず、首に輪っかでも付けられて誰かに引っ張られて走り続けさせられている様な感じとでもいいましょうか。毎日毎日、腹痛と便意と下痢の繰り返し。涙、涙、涙。
自分の症状を緩解させるために服用できる薬はステロイドか免疫抑制剤。医学のことはなにも分からないけれど、どちらも大変にきついお薬であろうことは想像がつきました。ステロイドは、まずその依存性が心配でした。体の健康のためには、必要ならば受け入れなければならないと思います。ですが、〈ステロイドをいつやめることができるのだろう〉という疑問がありました。根本的な原因に対して効果があるから服用するのではなく、症状をただ抑えるために飲むというのは、一生飲み続けることになるのではないだろうか。ステロイドの服用をやめられる日が来るとは思えませんでした。また、前述の通り、〈きっとまたステロイドに対する耐性ができるだろうから、なおさらステロイドを卒業するなんてあり得ないのではないだろうか〉と思いました。ステロイドを飲み症状が治まれば、初めのうちは良いかもしれません。しかし、ステロイドを飲んでも効かなくなった時には、もう何も手だてが残されていないのではないだろうか...。また、ムーンフェイスになるというのが嫌でした。何を言っているのだと怒られてしまうかもしれないけれど、仮にも女の子の自分にとっては大きな問題でした。事実、18 歳のとある1ヶ月間、再燃しては困るので、毎晩、ステロイドの注腸であるプレドネマ注腸をしていた時期があります。ステロイドの中でも比較的体に残りにくいということで使用していました。そのおかげか、再燃することはありませんでしたが、3kg ほど体重は減っていたのに、顔がふくれていたのでしょう、「太った?」と友達によく聞かれたものです。注腸でそれなのだから、飲み薬などで服用したらきっともっと顔はふくれるのだろうと想像しました。体は悪く、治すためには外見も諦めなければならないというのは、これから私はどうなってしまうのだろうと、とても先行きが不安でした。
免疫抑制剤は、はじめて聞いたお薬の名前でした。主治医の先生は、免疫抑制剤を服用することになったら注意しなければならないことを、私にも分かりやすく説明して下さいました。その中でも驚いたのが、子供を作れないということでした。免疫抑制剤を飲むといつ服用をやめられるのか分からないだろうに、子供を作れないということは、私は一生子供を産めなくなるのではないだろうか。大変に強いお薬なんだなぁという感想が全てでした。
どちらのお薬も、服用すると決めたら、私の人生を大きく変える決断になるだろうと感じていました。症状は依然としておさまらず、毎日 40 回近い下痢・下血。治す(「抑える」といった方が良いのでしょうか)にはステロイドか免疫抑制剤。現状のまま下痢に耐えながら生きて行くか、どちらかの薬を飲むか—。実際には、下痢をし続けたまま生きて行くなんて出来ないだろうから、薬を飲むしかないのか...。自分の人生が詰んだような気持ちでした。
そんな私は、松本先生に出会い、人生が変わりました。母が、漢方薬を試してみようと提案してくれたのです。母がインターネットで、松本漢方クリニックの潰瘍性大腸炎の手記を見つけたのです。漢方薬は、兄も試してみようと言っていたことがありました。でも、どこの病院に行けば良いのかわからずにいました。ですが、母が手記から松本漢方クリニックの HP に出会い、私に紹介してくれて、背中を押してくれました。振り返れば、私は現状を受け止めるのにいっぱいいっぱいで、新しい治療方法を探してみるという選択肢はありませんでした。というより、主治医の先生からは「ステロイドか免疫抑制剤」と、道をはっきりと示されていたために、それしかなかったし、他の選択肢があるかもしれないという発想に乏しかったのだと思います。それに、「新たな葛藤を生み出すであろう、新しい選択肢を探してみるという余力も余裕もなかった」と言うことも出来るかもしれません。現状維持で苦しみながら生きるか、ステロイドか、免疫抑制剤か。この選択肢で悩むこと以外に道を作るには労力が要ったのです。自分の死活問題なのに、探すぐらいできるのでわないの?と思われるかもしれませんが、どこか享受してしまおうか、私はそうなのだ、という気持ちになってしまうものです。ある意味、享受してしまった方が楽なのかもしれません。そんな私にとって、母が漢方薬という新しい道を探してくれました。もしその手記が無かったら、私は松本先生と出会うことは出来ませんでしたし、私の人生は大きく変わっていたと思います。これは大げさでもなんでもありません。患者さまの手記と、松本先生の HP に心より感謝しています。そして、HP を読み、松本先生の漢方薬を試してみたいと思いました。ですが、この強靭な私の症状に、温和なイメージの漢方薬が有効なのだろうか...。だけど、どこか「この御縁は大切にしたい」と、感じるものがありました。
早速、高槻市の松本漢方クリニックへ向かいました。道中では、下痢になりませんようにと祈るような気持ちでした。何度かお手洗いに寄りながら、松本漢方クリニックの扉を開きました。
初めて松本先生に会った時、「治るよ!死なん限り、この世に治らん病気なんてないよ。」そう言って握手して下さいました。「治る」。今までの私の症状や葛藤から考えれば、信じられないような話です。だけど、私にはすーっとその言葉が入ってきました。松本先生の想いが“心で”分かりました。その言葉の重みは、きっと誰よりもご存じだと思うからです。「治らないのにお金をとったりしないよ。」という話を聞きました。だけど、私は松本先生に会ったときから、お金儲けで漢方薬を出しているのじゃないということが心で分かりました。なぜ心がそう感じ取ったのか...松本先生だからとしか言えない自分が歯がゆいです。なのに、そういう説明が要るのだろうというのは何だかさみしい気もします。松本先生には、本当に多くのことを頂きました。心のあり方、生き方。私は、松本先生の漢方薬でこの潰瘍性大腸炎を治そうと決めました。なので、私にはもうペンタサ錠もプレドネマ注腸も処方は不要になりました。これは、なにもペンタサ錠やプレドネマ注腸が悪いとかではなくて、「私がそれを選択した」のです。そう、そんな当たり前のことも松本先生に気付かせて頂きました。私は、高校時代からお世話になっている A 先生に対して、「ペンタサ錠はもう飲みません。」ということをなんとお伝えしたら良いのか、考えあぐねていました。ステロイドも免疫抑制剤も考える猶予を下さり、私を思っていつも処方して下さっているペンタサ錠なのに...。また、ペンタサ錠を飲まないからといって、ステロイドや免疫抑制剤を飲む決心をした訳でもなく、漢方薬を飲むことを伝えるでもなく...。今度こそ、「あなた本当にいったい何がしたいのですか。」と愛想をつかされてもおかしくありません。そこで私は松本先生に尋ねました。「松本先生、私は A 先生にペンタサ錠を飲まないということを何てお伝えしたら良いのでしょうか。」すると松本先生はおっしゃいました。「君は何をゆっているのだい。ペンタサ錠を飲まないというのは、君が選んだことじゃないのかい。それで何を悩むのや。漢方薬で治すのだろう?それとも、ペンタサ錠飲むのか?飲めへんのやろ?君が選択したのだから。君ももうハタチを超えた大人じゃないの。もっと自分で考えやなあかん。」本当にその通りです。松本先生は温かく、本当に温かく私を叱責して下さいました。私は涙が止まりませんでした。温かさにふれました。まるで私のお父さんであるかのごとく、私を諭して下さった松本先生。自分の娘でもない私に、そんなことまで示して下さるなんて。同時に、自分自身、足りないものがあるのではないかと考えるようになりました。自分で考えて、自分で選んで、自分で生きて行く。そんな当たり前とも言える「生」に対して、自分の姿勢はどうなのだろうか—。〈私は、松本先生と一緒に漢方薬を飲むことを選んで、きっと必ず潰瘍性大腸炎を治す。〉それが私の理念になりました。
漢方薬を煎じるのは初めてのことでした。すごく香ばしい香りがするのですね。飲むと苦いのですが、良薬口に苦しとはまさにこのことだなぁなんてしみじみと感じました。それから、大阪府下の病院では内視鏡検査を受けることになりました。毎日お腹を下してばかりいるので、下剤はほとんど不要なぐらいです。検査の結果は、腸管の炎症がひどいというものでした。A 先生には、「このまま放置していたら大腸がんになりかねません。場合によっては大腸の摘出手術などの外科的措置も考えなければなりません。」と言われました。私は、何を言われているのかよく分かりませんでした。というより、自分に言われているのだ、自分のことなんだと理解したくありませんでした。ただただ泣きながら、黙って頷くことしか出来ませんでした。だけど、唯一の救いは松本先生の漢方薬を飲んでいたことでした。泣きながらも、私の心には松本先生がいました。松本先生が支えてくれました。〈大丈夫、松本先生と一緒に私はこの病気を治すから。漢方薬を飲むから—。〉私は、心の中でそう思えたから、その話を聞き終えることが出来たと思います。私が心から松本先生を信じているから、松本先生と漢方薬を飲んで病気が治ることを信じて疑ってないから、〈そんなはずない、松本先生とならきっと大丈夫...。〉そして、このことを松本先生に言いました。「私は大腸がんになるかもしれないと言われてしまいました。」水曜日のことでした。すると松本先生は、「ちょっと待ち。そんなことはない。僕は明日休診日やから、僕が今一度調べてあげるから、待っとき。大丈夫や!」と言って下さいました。正直、私は驚きました。〈休診日は先生が休息なさる日なのに...こんな人が世界にいるのだ...。〉人間誰しもが、生きて行くために何かにどこかで線を引いているはずです。でも、松本先生は—。次の日、松本先生が連絡を下さいました。松本先生が教えて下さった内容は以下の通りです。潰瘍性大腸炎でがんになることはないということ。潰瘍性大腸炎を 15 年以上患っていると、普通よりも10%大腸がんの確率が上がるだけだということ。病気由来でがんになるのではなく、薬でそうなってしまうのだということ。薬で免疫を抑えてしまうと、白血球ががんを食べなくなるためにがん化するのだそう。松本先生のお薬には免疫を抑えるものは使っていないから一切心配しなくて良い。炎症が続くと、腫瘍のように見えてくるだけだということ。
これらのことは、日本の医学会の本には何も書いていないそうです。洋書を読むとはじめて書いてあるのだそうです。洋書を引っ張って来て、そしてそれを読み、私にも分かるようにご説明下さる松本先生。「うそで治る治る言わないよ。本当のこと、真実のことしか言わないよ。真実に対する思いは人一倍強いから—。」松本先生は世界で一番のお医者様です。「21 歳の乙女に、がんになるやなんて...。薬で病気を作っているのや。がんの心配なんてあれへんよ。」私のために、そして私から繋がる多くの潰瘍性大腸炎の患者様のために、松本先生が使って下さる真実への想い、松本先生の全てに対して...感謝というだけでは足りない気がして、私にはそれに値する言葉を見つけることができません。
もし、松本先生がいなかったら、私はただ悲しみの中に突き落とされ、どうしたら良いのか途方に暮れて、諦めて...いや、どうなっていたのか、想像もしたくありません。松本先生のおかげで、私は大腸がんへの心配を払拭することが出来ました。そして、漢方薬を飲めることにより一層感謝しました。
私は心のあり方を見つめるようになりました。松本先生は、私の心に耳を傾けて下さいました。そして、それは私自身が自分の心を見つめ直すことへと繋げて下さった気がします。松本先生の診察では、なぜでしょうか。いつも泣いてしまいます。だけど、今までの涙とは違います。私の心はいつも洗われて、私が私の心に耳を傾けるから流れる涙。自分を見つめる涙。
松本先生は言いました。「昔、辛かったことがあるのじゃないかい。」私は、ただ泣くばかりで答えることが出来ませんでした。この7年ぐらいの間にあったこと。そして、誰にも言わずに、決めていたこと。〈私は、私を許さないで生きていこう。それが私のせめてもの罪滅ぼし。〉だけど、それは本当にそれでいいのかな?
松本先生は、どんなことがあったのか、私にそれを聞いたりしません。私が、私と向き合うきっかけを下さり、時間を下さっているのだと思います。松本先生の言葉をよく思い返しました。「病気はあなたが治すもの。僕が治すのじゃないよ。」無責任な医者でごめんね、なんてお茶目におっしゃるけど、それがどんなに難しいことなのでしょうか。「いつか、君に昔辛いことがあったのじゃないかって聞いた時、泣いていたでしょう。それはね、すごく辛いことがあって、君の免疫がその辛さから心を守るためにしたことなのだよ。」
なんとなく、この約7年間、私の中では時間も何も進んでいない様な気がしてきます。心と体は繋がっている、ということを先生に教わりました。松本先生に出会った今にしてみれば、それは当たり前だけれど...。むしろ以前の私が心と体についていったいどう考えていたのか思い出せません。「腹痛」「下痢」「腸管の炎症」などの症状ばかり良くしようとしても、「心」をすっ飛ばしたら、それは本当の意味での治療ではないのですね。
限りなく労力のかかるのであろう松本式診察は、心から治癒して下さる、本当の治療だと思います。漢方薬を飲み始めてから9カ月が経った頃にリバウンドが来ました。それまでの間、漢方薬の効果として初めに実感したのは夜に寝返りをうっても大丈夫になったことでした。これは本当に有難かったです。おそるおそる寝ていたのが、眠れるようになってきていました。そして、少しずつ外出も出来ました。学校にも出来るだけ行くし、母と買い物に行ったり出来るようになっていました。体のしんどさが軽減されていくのが分かりました。また、松本先生に教えて頂き、プロテインを飲みました。アミノ酸が一番多く含まれているのが良いとのことでした。
また、お灸と針も初めてやって頂きました。少し緊張しましたが、体があったまる感じがしました。「急にすることになってびっくりしたでしょう。」と先生はおっしゃって下さいましたが、そうやって突然にでもして頂けるなんて幸せ者で、先生にはただただ感謝の気持ちでいっぱいでした。
ですが、今でもよく覚えているのが、夕方の5時にやっと目が覚めた日のことです。その日は、眠いとかではなくて、体が床に吸い込まれるように重くて、起きることが出来ませんでした。その頃から私のリバウンドが始まりました。1日のトイレの回数は 40~50 回ぐらいに達しました。また、食欲が全く失せて食べることが出来ませんでした。私はもともと食べることが大好きなので、自分でも驚きでした。頭では食べてみようと思うのですが、結局入らないのです。うどん半玉でも、〈なんて多いのだろう...これだけでもものすごい量なのにこれに丼ぶりがつく定食ってすごいな...〉なんて感じたのを覚えています。また、食べている途中や食べた後に、吐き気がして辛い思いをしました。えづいて戻しそうになるのです。ひどい頃は、食べた訳でもなく、漢方薬を飲んだだけでもえづいていました。こんな調子なので、この頃、体重が一番減っていました。あわせて、のど(食道?)が細くなってしまった様な感覚もありました。実際、一口で飲めていたアミノバクトが一口では飲めなくなりました。あと、冷たい飲み物が飲めませんでした。冷蔵庫に入っていた飲み物は冷たすぎて、食道でしょうか、飲むと冷たさが堪えるのです。〈今、体がデリケートになっているのかな〉と感じました。松本先生のアドバイスで、大阪府下の病院で頂いた栄養剤を飲みました。エレンタールです。正直なところ、おいしいものではないし、飲むのも辛いのですが、あまりに食べられないのでこのままではまずいと思い、これだけはなんとか頑張って飲むようにしました。松本先生がその時の私にエレンタールを飲むと良いということを教えて下さり、それが私を繋いでくれたと思います。
今までのお薬を服用してきたことも、やはりリバウンドとして影響するそうです。私の場合はペンタサ錠、ステロイド注腸...。また、頭痛や生理痛のたびに10 年近く飲んでいた鎮痛剤も良くないと聞いたのは衝撃でした。そんな状態だし、あまりにお手洗いに行く回数が多いので松本先生が「大丈夫か、続けられそうか?」という話をされたことがあります。母も辛そうなわたしを見て、「漢方薬続けられる?」と心配していました。ですが、その私に道を示してくれたのは兄でした。「ステロイドは使わないで、漢方薬で治すのやろ?」そう、私の理念。〈私は、松本先生と一緒に漢方薬を飲むことを選んで、きっと必ず潰瘍性大腸炎を治す。〉理念を思えば、私にはここで漢方薬を飲むのをやめるという選択肢はありませんでした。そして、このリバウンドの先には必ず治ると信じていたので、「私は先生と漢方薬で治したいです。」と伝えました。松本先生は「よし。君は忍耐強い子や。」とおっしゃって下さいました。でも、私にとっては先生と一緒に漢方薬を飲むことが出来ることはこの上ない幸せでした。それから3,4カ月した頃には、吐き気やえづくこともなく、食べる量も戻り、卒業式にも出席することが出来ました。お手洗いに行く回数は半分ぐらいに減っていました。そして、今年の4月には社会人になりました。御手洗いに席を外すことは普通の方よりは多いけれど、御客様に会ったり、車に乗って移動したりする時の不安感がまるで違います。朝起きて、1日仕事をすることができているのだ。これは本当に考えられないことです。入社したころ息切れしていた会社の階段も、今では元気よくのぼっています。そして最近は、アトピーがひどく出てきています。今では、夜に腹痛で起きることもそうですがアトピーのかゆみで起きるほどです。なので、食前の漢方薬をアトピーに効く薬に変えたところです。不思議なことがあるのですが、そのアトピーが出てきた箇所が、小学生のころにアトピーが出てきたところと同じなのです。松本先生に「昔アトピーがでたことないかい?」と聞かれた時、忘れていましたが、たしかに小学生の頃にアトピーがでたことがありました。薬を使うことはせず自然に治まるのを待ちましたが、1年ぐらいかかった様に記憶しています。その
時と箇所が同じというのは何とも不思議です。
私が松本先生とともに漢方薬を飲めることに感謝して。理念をもっていれば、ときに迷っても理念をコンパスにしてゴールに向かっていくことができるのだということ。そして、自分を一つにして生きること。ゆるすこと。
松本先生、つたない私に生きることを教えてくれてありがとうございます。
そして、私を支えてくれる家族に感謝します。
この手記が、一人でも多くの方の心に留まることを祈ります。