「希望をもらいました(潰瘍性大腸炎 経過報告)」
匿名希望 33 歳
2017 年 1 月 13 日
匿名希望 33 歳
2017 年 1 月 13 日
14年間使い続けていた西洋薬・医療の恐ろしい体験と、松本漢方クリニックでの1年間の回復について手記をまとめました。
●発症そして現代医療開始
初めて症状が出たのは高校3年生の時です。下血と下痢が続いていましたが、部活を引退して間もなくだったので疲れが溜まっていたのかなとあまり気に留めていませんでした。強豪運動部のマネージャー業は激務で、3年間のストレスは相当なもの。引退と共に解放された私の免疫が働きだしていたのでしょう。
なかなか症状が治まらず地元の内科で診てもらう事にしました。疲労だろうということで整腸剤を処方されましたが、下血と下痢はおさまりませんでした。とうとう耐えられない程の腹痛と高熱を発し、駆け込んだ大学病院で潰瘍性大腸炎と診断されました。即入院そしてステロイド点滴を受けました。「一生治らない病気です。」医師の言葉は高校生の私にとって残酷で絶望的で夢も希望もぶち壊され、この先どうなってしまうのだろうと不安でいっぱいでした。入院と自宅養生含め2ヵ月の間使った薬は、ステロイドの点滴・錠剤・座薬、ペンタサ、胃薬、整腸剤です。退院後もステロイド錠剤とペンタサは長く続ける事となったのです。一生治らない病気だし、この薬を飲むしか無いのだと思い込んでいました。(3年間の強いストレスで自ら膠原病になり、その症状は体内に入ってきた化学物質との戦いだと、この頃は思いもしませんでした。)
●大学〜就職で手放せなかったステロドとその代償
ステロイドの常用は確実に体を蝕んでいきました。恐ろしい数の副作用に苦しめられ、この頃にはそんな西洋薬に疑問を持つようになりました。ムーンフェイス、骨粗鬆症、貧血、筋肉痛、倦怠感、精神不安定、数え上げれば切りがありません。しかし目の前の大学受験や就職を優先し、やめる事ができませんでした。担当医師もちょっと下血があるとすぐプレドニンの量を増やす始末でした。
就職してからの6年間は過酷な労働によるストレスで、止まらない下血・下痢、激しい腹痛や嘔吐、全身蕁麻疹や帯状疱疹に襲われました。ステロイドをやめたい気持ちがあるのに、でも他にどうすれば良いのか分からない、と完全に道を失っている状態でした。(今思うとこれらの症状は全てヘルペスウイルスが原因で起こったものです。自身のストレスと大量のステロイドのせいで、ヘルペスウイルスが爆発的に増えたのでしょう。一番症状が酷い時期でした。)
●主婦になり実施した免疫抑制剤の恐怖と後悔
結婚を機に退職。早く赤ちゃんが欲しかったこともあり、アサコールを服用しながら1年かけて脱ステロイドをしました。しかし数ヵ月後には再び下血と下痢。寛解が長く続いて安定していないと流産しやすいと言われ、免疫抑制剤の使用を勧められました。「妊娠の際、問題や危険はほぼ無く安全」と言う医師の言葉を疑いもせず、完全に受け身で治療を受けていました。(妊娠を急ぐあまり軽率な判断でした。結局妊娠できていないばかりか、更に自分の遺伝子をめちゃくちゃに傷つける結果になってしまいました。後悔してもしきれません。)そして免疫抑制の恐ろしさを体感する事となるのです。顆粒球除去療法は毎回終盤に激しい腹痛に襲われ終了しました。免疫抑制剤のレミケードとヒュミラ
は約1年。リンパ球激減で風邪の症状が2ヵ月も続き、血小板が減ったため鼻血が頻繁に出て止まらず体中アザだらけでした。顔は青白く気持ちも沈んでいました。潰瘍性大腸炎どころではない恐ろしい症状が次々と起こり「薬に殺される!」と怖くなりました。手詰まりになったところで、やっと正面から向き合ったのだと思います。今までの治療と呼ばれるものは何だったのか、自分の体はどうなってしまったのか。いつの日か生まれてくる子供と家族のためにも、本気で自分を大切にしようと思いました。
インターネットで検索しまくり辿り着いたのが松本漢方クリニックとNaokiさんのブログでした。(Naokiさんは松本先生の理論を、自身で得た知識も加えながら分かりやすく綴られております。松本漢方クリニックのサイトにもリンクがありますので必読です。)
● 松本漢方クリニック受診
受診する1ヵ月前から西洋薬(ヒュミラとアサコール)は自己判断で断っていました。間もなくして両足首が突然腫れ立てなくなり、さらに足に赤い発疹が出て高熱が続き、目の奥と頭全体の激痛で目も開けられない状態になりました。(今思うとリバウンドだったのかもしれません)
2015年11月千葉県より夫の運転する車で向かいました。待合室に入ると奥から大きな声がしたので、夫と顔を合わせてびっくり。まさかあれが松本先生の声だったとは。診察では体調がとても悪く弱っていたので、次々と質問され上手く答えられず「アホー、もっと勉強しとけ。」の言葉にちょっと落ち込みながらも、見捨てられてないのだと嬉しく思いました。「治すのはあんたや。」と、私と夫に何度も握手。処方されたのはアシクロビル、煎じ薬2種(下痢止め、下血止め)、紫雲膏(塗り薬)、鼻炎の薬。個人差はありますが、診察と2週間分の薬の処方等で2〜3万円かかりました。(抗ヘルペス剤のアシクロビルが保険適用外のため高価)。鍼灸の施術後は、目の奥の痛みと頭痛が明らかに軽くなったのを感じました。またアシクロビルを服用した晩は久々に安眠でき、早速その効果を体感。足の腫れも頭痛等も順調に治まっていきました。
今まで西洋医学にかかり医師や薬がどうにかしてくれると頭にある方は、その考えを改める必要があります。受け身ではいけないと思うのです。先生や漢方・鍼灸は手助けをしてくれているのです。治すのは自分の免疫です。
● 治療開始
<初期>
初体験の漢方。下痢止めの方はしびれる程の苦さ(!)でしたが、2回目以降は慣れました。止血の漢方薬の方は甘くて美味しく難なくクリアできました。自宅でのお灸はじんわり温かくて気持ち良く、とてもリラックスできます。1ヵ月で激しい下血と下痢が緩和していきました。3ヵ月後には首から背中にかけて湿疹が出ました(先生に「それはアトピーじゃー」と言われました)。下痢と下血はまだあったのでクラススイッチではありませんが、IgE抗体が働きだしてくれた事に安堵しました。
生活面では食品添加物をできるだけ避け、ストレスを溜めないよう注意しました。体調が悪く心が折れそうなときは手記に励まされ希望をもらいます。自分の体に何が起きていて、これから何が起こるのかが分かるという事は、何よりも心の安定剤となります。体重が増え体力もつき活き活きとした私の様子に、いつも近くにいる夫が1番その変化を喜んでくれました。
<中盤>
貯金が尽き、お金を稼ぐのに半年も受診できませんでした。もちろんお叱りを受けましたが再開してもらえました。先生は人生を捧げて取り組んでいるのです。私の態度に腹を立てるのは当たり前です。「いい加減な治療をしている!金より体を治す方が大事やろ!家族に頼れ!」等、語尾は強いですがどれも人を想う内容の言葉でした。家計が厳しく負担になりたくないが為に、家族を頼らなかった自分が情けなかったです。
<現在>
アシクロビル、煎じ薬2種、漢方風呂、鉄剤、ビタミン剤。下痢が解消されたので、ヘルペスと免疫アップに効く漢方に変わりました。血液検査ではようやく単純ヘルペスの数値が250から150に下がりましたが、まだまだです。アシクロビルの服用は、症状が強く出た時は量を調整して良いと言われました(1回につき最大6〜7錠は大丈夫との事)。強いストレスがあり腹痛が増していたので多めに飲んだところ、2日目には大量の下血がおさまりました。突き上げるような腹痛も穏やかになりつつあり、トイレも1日3、4回で安定しています。下血は少々あります。
妊娠の為に生理不順も改善していきたいです。他の方の手記で、本来の機能を取り戻した方もいらっしゃるので希望がわきます。妊娠すると女性ホルモンが免疫を抑えてしまい完治が遠のいてしまうので、今しっかり治療していきたいと思います。松本漢方クリニックに出会ってから約1年が経ち、体の不調が取り除かれ生きている喜びを実感しています。また家族の理解がとても有り難いです。
●今後の課題 引き続き
・リンパ球を増やしクラススイッチを起こすこと。長期ステロイドの服用・免疫抑制剤やストレスで、2016年12月現在のリンパ球は4%と絶望的な数値です。免疫抑制剤による幹細胞の破壊がどの程度か分かりませんが、諦めません。
・EBウイルスが陽性でした。アシクロビルでしっかり抑えていきます。2015年にEBウイルスが原因で、声優の方が亡くなっております。適切な治療を受けられていればと思うと他人事とは思えません。松本漢方クリニックに出会っていなければ、私も今頃この世にはいなかったかもしれないのです。サイトメガロウイルスは陰性でしたので、今後も手術の心配は無いとの事でした。
・心の持ちようを改めること。自覚している性格として、完璧主義で思い通りに行かないとストレスがたまる、マイナス思考で失敗すると必要以上に自分を責める、心配性で考えすぎて勝手に1人で落ち込む等々。先生がよく言われる『妬まない』『人の喜びを自分の喜びにする』『諦めるそして受け入れること』を引き続き実践中です。
・高額になってしまう保険適用外のアシクロビル。先生は長年にわたり医療機関に訴えています。私達も手記、ブログ、Twitterなどを通して、声を上げる必要があると感じています。
「お前はここへ来るのが遅かったな。」と言われるまでに体を蝕んできた私です。今までたくさんの西洋薬を使ってきたので長期戦になるでしょう。松本漢方クリニックでの治療を迷っている方は私の様になる前に、一刻も早く受診されることを願います。潰瘍性大腸炎は不治の病なんかではないのです。病気を作ったのが自分なら治すのも自分。希望をもって治療に挑んでいます。