「潰瘍性大腸炎手記」
49歳2014年10月4日
49歳2014年10月4日
潰瘍性大腸炎発症、ペンタサを4年半飲まされて
2008年12月(当時43歳)、便に出血が続いたので、家から近くのS胃腸クリニックに行きました。検査の結果、潰瘍性大腸炎と診断され、一生治らない難病であることを、雰囲気重く伝えられたのです。私は、初めて聞く病名にぴんときませんでした。大腸がんでなかったので、ほっとし、「胃潰瘍の大腸版か・・・?難病と聞いたけど血便だけやし、私は軽いうちに発見されたから、大丈夫だろう。」なんて思っていました。ペンタサを処方され、飲むようになりました。3,4日飲むと血便は治まり、薬の副作用でムカムカする気がしたので、飲んだり飲まなかったりした一週間後、熱が出てきました。ちょうどクリスマスの日でした。39度の熱と、一日に8回ほどの下痢、それに伴う腹痛。病院に行っても、原因はわからないと言われ、「お腹からくる風邪だろう・・・」と風邪薬を出されました。
しんどくて何もできず、何日も寝て過ごしました。今から思うと、これはペンタサによるリバウンドだったのでしょうか?症状はますます悪くなり、お粥に血を混ぜたような多量の血便があり、総合病院に入院することになりました。年明けの1月3日のことです。点滴、絶食の状態で、内視鏡カメラ、CT、胃カメラ、MRIと検査の結果、潰瘍性大腸炎の悪化と診断されました。一日に何回も下血があるので、止血剤の点滴、輸血、さらにステロイドの入っているプレドニンも使用されました。何が何だかわからない状態で、とにかく良くなってくれたらと願うだけでした。当時の記録が詳しく残っていないのですが、1月13日からプレドニン液開始で、25日からプレドニン錠になっています。短期間でかなりのステロイドを体内に入れられてしまいました。約40日間の入院後、ステロイドを減らしながら、ペンタサ注腸、ペンタサ錠で炎症を抑える治療が始まりました。
プレドニン錠は、順調に減らすことができ、10か月後の内視鏡では軽快と診断され喜んだものです。総合病院では、ペンタサを処方してもらう程度に落ち着いたので、また最初のS胃腸科に通院することになりました。そのころの私の体調は、下痢便が一日1~2回と数は少ないものの、いつ何時便意をもよおすかわからないので、午前中の10時頃までは外出は控えていました。ときどき腹痛もあって、用事で出かけるときは常にトイレの事が気になっていました。食事もかなり気にして制限していました。お肉はだめ。脂肪の多いものはだめ。繊維の多いのもだめ。家族の食事を作るのとは別に自分のものを用意していました。そんな状態でしたが日常生活は送れていたので、病気とうまく付き合っていると思っていたのです。
S胃腸科の先生は、「ペンタサは副作用が少なくて飲み続けても大丈夫です。寛解を維持するために飲み続けてください。」と言われていました。私も入院はこりごりだったので、真面目に飲み続けました。特定疾患でお薬が無料というありがたい状況だったせいもあり、病院の言われるままに、ペンタサ錠、ペンタサ注腸をその時の調子により減らしたり増やしたりと4年半続けた頃、とうとう調子が悪くなってきたのです。
2013年6月、下痢便が一日に3~5回、腹痛もあり、粘液も出てきました。7月の内視鏡の結果、炎症が横行結腸まで広がっていました。それまでは、S状結腸までだったので、とてもショックをうけました。ペンタサだけでは、症状が抑えられなくなってきたのでしょう。S胃腸科の先生に、「磁賀医大に紹介状を書きましょうか?」と言われました。このままでは、だめだ!悪くなる一方だ。さすがに私も、危機を感じました。それから毎日のように、なにか方法はないものだろうかとインターネットで探しました。潰瘍性大腸炎の方のブログをしょっちゅう読みました。他にも、「免疫を高めると病気は必ず治る」阿保徹教授の本を読んだり、「冷えとり」で健康になれるというので、靴下の4枚重ねばきも試したりしました。でも、どれも効果は期待できず、お腹に優しい病人食を続けることで、なんとか症状を落ち着かせていました。(もちろんペンタサは飲み続けていました。)
9月に入り、いつものようにインターネットを使っていたときに何かの拍子に松本漢方クリニックにたどりつきました。「潰瘍性大腸炎の完治の理論と根拠」は難しい内容でしたが、今まで疑問に思っていた事が解けていくような感覚を得ました。「治るかもしれない」と直感しました。場所も高槻。滋賀からなら通える距離です。私は、すぐにでも飛んで行きたい気持ちになりました。が、しかし、治療は家族の協力が必要と知り、夫に理解してもらい病院に着いてきてもらえる日まで、患者さんの手記を毎日読みながら待ちました。
9月末、夫と一緒に松本漢方クリニックを訪れました。患者さんの手記を読んでいたので、びっくりはしませんでしたが、待合室では、先生の元気な話し声が聞こえ、漢方薬の香りがする風変わりな病院でした。松本先生に初めてお出会いしたときに、「なぜ、今頃になって来たのか?」と聞かれました。確かにその通りです。アンテナを張り巡らせていたら、もっと早くに出会えていたかもしれません。4年半もペンタサを続けてしまったことを後悔しました。それでも帰り際には、「絶対治るから」と握手していただきました。普段日常生活で握手する事がないので、なんだか照れくさかったのですが、患者一人一人と向き合って下さっていると感じました。さあ、漢方薬、お灸、漢方風呂の治療開始です。そのころの症状は、朝起きたてにガスと粘液が出て、その後2~3回、腹痛ありの下痢便でした。5,6回トイレに駆け込むしんどい日もありました。晩御飯の後、胃や背中が痛むことがあり、先生に相談すると、「ヘルペスが原因」とベルクスロンを飲むように言われました。
10月末、左手が荒れてきました。足のすねにもブツブツと湿疹が出てきました。11月に入ると、腕にもアトピーが出てきました。11月9日、漢方風呂に入っていると、左まぶたから膿のような汁が出て、急に腫れて目が開きにくくなりました。あっという間にお岩さんのようになり、頬も数か所大きなニキビの様なモノが出て酷い顔になりました。まぶたは腫れて、顔は赤黒くなり、とても人前には出られませんでした。アトピーは日に日にひどくなり、手の甲、腕まで広がり、リンパ液までしみ出てきました。腕は広い範囲で皮がむけて、テカテカと光ったようになり、常にジュクジュクしているのでガーゼやキッチンペパーを当てて保護しましたが、ヒリヒリ、チクチク、ピリピリと痛みました。
一週間ほどすると、今度はかゆみが出てきました。腕も、顔も、背中も、とにかくかゆいのです。アトピーがこれほどつらいとは、想像していませんでした。寝る前に布団の中で体が温まると、腕、背中、足とかゆくてたまりません。夜中に、うでをかきむしってしまい朝には血がにじんでいました。12月になると、腕のリンパ液は出なくなり、今度はカサカサの粉がでるようになりました。腕、背中、足の皮膚が乾燥して、掻くとパラパラと舞い散る状態でした。アトピーがこんなにも出たので、もうクラススイッチが起こって治るのかと期待しましたが、なかなか、そんなにうまくはいきませんでした。
2014年2月、アトピーがおさまって来た頃から、またガスと粘液が増えてきました。ガスだけ出したくても、粘液が一緒に出てくるので、いちいちトイレに駆け込みました。外出で心配な時や、寝るときは、生理用のナイトナプキンを使用しました。松本先生に伝えるとフラジールを処方して下さいました。3月、相変わらず朝起きたてはガスと粘液が出て、その後10分以上腹部をマッサージしながら排便という感じでした。排便時「ううっ。」とうなるほどの痛みがある日もありました。
5月、ガス、粘液、排便痛はあるものの、便の回数が1~2回になってきました。便は細い軟便です。今までずっと下痢便だったので、少し良くなってきているのかなと希望をもちました。粘液とガスがなかなか治らないことを先生に伝えると、漢方薬がもう一種類増えました。これで、食前・食後・食間の3種類です。水分はほぼ漢方でとっている感じで、滅入りました。6月、ガス、粘液は減ってきました。先生に漢方薬の3種類はつらいと言うと、もとの2種類に減りました。(助かりました)便の回数は1~2回。下痢便だったり軟便だったり。
週に1回ペースで体がだるくてしんどい日がありました。7月、便の調子は変化なしです。手の指がまた荒れて顔も痒くなってきました。アトピーがまた出てきました。8月、手荒れがますますひどくなりました。うろこのようになった皮が次から次へとめくれて、傷だらけです。手の甲は象の皮膚のようにゴワゴワして赤黒くなっています。かゆみと、チクチク、ヒリヒリの痛みが交互にきます。指からリンパ液がにじんでくるので、ティッシュや絆創膏でなんとかしていました。どうしてこんなに手に酷いアトピーが出てくるのか…30代のころ主婦湿疹で皮膚科に通い、リンデロンというステロイド軟膏を使用していたからでしょう。これから私はアトピーの治療も引き続きしていくことになるなと思いました。
9月現在、便は一日1回、細めの普通便になってきました。排便痛も軽くなりました。まだまだ、粘液とガスは出ますが一年前と比べるとずいぶんとましになったと実感します。松本漢方クリニックに通うまでは、食事制限をしていたので、食べたいものも我慢していましたが、今は家族と同じものを食べています。本当にありがたいことです。
それにしても、食事の際に便利を選ぶといかに化学物質が多いか(ファストフード、冷凍食品、コンビニ弁当、○○の素、○○のたれ等)をこの歳にしてやっと知りました。私の実家は食品スーパーをしていて、高校生のころから朝ごはんはヤマザキパンの菓子パンでした。インスタント食品がすぐそこにある環境でしたので、若いころから体に悪いものを常に摂取していたのだと思います。こういう事って、学校では習わないですね。怖いことです。今更ではありますが、最近は食材を買うときも裏面の品質表示をチェックし、化学物質の少ないものを選んでいます。
今、松本先生に、「困っていることは、何や?」と聞かれたら、潰瘍性大腸炎の症状よりも、アトピーの症状のほうがつらいと言うことでしょう。私の体は、まさしくIgGからIgEに変わっているのです。手荒れに加えて、最近は腕と足にもアトピーが出ています。潰瘍性大腸炎の完治目指してもう少し頑張ろうと思っていますので、先生、スタッフの皆様どうぞよろしくお願い致します。