「潰瘍性大腸炎中間報告」
匿名希望 男性
匿名希望 男性
1972 年生まれ
177cm 64kg A 型 男
人に言われる性格:几帳面、真面目
1997 年:大学院生 2 回生となり日々の研究活動等がさらに忙しくなる。
「研究活動、学会発表(資料作成準備等含む)、勉強会、英文論文会、英語輪読会、後輩指
導、論文作成など毎日 23 時頃まで月曜日~土曜日研究に励む。(時に徹夜、日曜日出)」
大学院生としては上記はまずまず普通の就学内容・時間と思われるが、その内容(密度)は自分自身としてはかなり頑張った感があったので心身共に疲れはたまっていたと思われる。
1997 年 12 月頃:下痢状態で日増しにトイレに行く回数が増える。
1998 年 1 月頃:血便が確認される。腹痛が起こりトイレに行く回数が増える。トイレに行くも便が少量だとか血だけが出る場合もあった。症状が日に日に酷くなり 15~30 分に 1 回トイレに行くようになる。食欲もなくなりだす。
1998 年 2 月:病院へ行きその結果、潰瘍性大腸炎と診断される。
状態が悪いため入院となる。
治療は、サラゾピリンの服用(6錠/1日)にて安静。食事は低残滓食(全てのものを微塵切りにした食)も低残滓食は美味しいものでもなく益々食欲がなくなり食事をしなくなったため、エレンタール(栄養食飲料)に変更。1日6缶飲む。そのうちエレンタールもあまり飲まなくなってしまう。
食事もとらなくなり大丈夫かと自分ながら思うも幸いにして1ヶ月程で症状が治まり退院となる(修士論文発表と就職があったためお願いして退院した感はあるが)。63kg あった体重は入院時は 59kg、退院時は 50kg となった。
1998 年 4 月~:退院後はサラゾピリンの服用(6錠/1日)を続けることとなる。新人研修の1ヶ月は症状は安定はしており、5月より決まった配属先にて勤務することとなる。入社した会社がとても忙しくて有名な会社(平均退社時間が23時で、試作立会により徹夜等も多々)であり、体調を崩したり少し安定したりを繰り返す。
2001 年 11 月:転勤となりそれに伴って転院することとなる。転院するも今までと同じ処方。(まぁ~どの病院を行こうが松本理論を提唱する病院があるわけもないが。サラゾピリンを服用するという同様の処置になるわけで)
2005 年 7 月:症状が急激に悪くなり 2 度目の入院となる。血便・30 分に 1 回トイレに行くようになる。
治療は、サラゾピリン8錠/1日、プレドニン2錠/1日。(ついにステロイドを服用してしまった。医師が管理のもと処方すれば寛解すると言われ服用する。松本理論をこの頃に知っていれば服用などはしなかったのに・・・)
2 週間で状態は寛解し退院となる。ステロイドは怖いので止めたいと言い経時減量のうえ服用を停止。
退院後、会社に労働環境を多少変えてもらったが、体調を崩したり少し安定したりを繰り返す。
2008 年 11 月 体調を崩したり少し安定したりを繰り返しているので、掛かり付けの医師に白血球除去療法(LCAP 療法)を勧められる。寛解するかもしれないと思い白血球除去療法(LCAP 療法)を受ける(5 回 1 セット)。(LCAP 療法とは血液を一度、体の外へ出し白血球を除去するフィルターを用いて炎症にかかわる細胞を取り除き、浄化された血液を体に戻し、腸の炎症を抑える新しい治療法との謳い文句)
一時容態は寛解するもののやはり体調を崩したり少し安定したりを繰り返す。
2011 年より、サラゾピリンからアサコールに服用する薬が変更される。少し状態は良くなった気がしたが体調を崩したり少し安定したりを繰り返す。状態が悪い時はペンタサ注腸やリンデロン座薬を処方される。リンデロン座薬については医師より詳しい説明がなかった。私がしっかりと調べれば良かったのだが症状が良くなったので使用していたが、後にステロイドとわかり使用をやめた。この頃より今の治療は何かおかしいのではと思いだす。
その後数年がたち、医師より体調が寛解安定しないので免疫調整薬や免疫抑制剤を検討しないかと話をされる。免疫を調整,抑制するわけだ。体のために頑張って働いてくれる免疫を押さえつけてしまうのである。何かおかしい嫌だと思った。受診後、家に帰りこのことを妻に説明すると猛反対であった。「免疫を殺すなんてそんな怖いことはあかん!」「その他にどんな病気にかかるかわからん!」といった具合に。私も同感であった。この一件で今の治療は何かおかしいのではと二人で思うようになる。この時から色々と調べるようになる。特に妻は一生懸命色々と調べてくれていた。
2014 年 妻が目をランランとさせ私に話しかけてきた。「高槻に松本漢方クリニックというとこがあって、漢方で免疫機能を正常化し潰瘍性大腸炎をおこさなくしてくれるといった医療をする医院があるんやって」と言うことであった。そこで二人で松本漢方クリニックのホームページを熟読し、漢方によってどのように免疫の機能が正常に戻りその過程でどのような症状となり潰瘍性大腸炎が沈静化し、その後潰瘍性大腸炎が再燃しない体・免疫になるかを理解した。
2014 年 9 月 松本漢方クリニック受診。医院に入るなり漢方の良い香りが漂い、「あぁーいい香り」と思った。体が免疫が欲していたのかもしれない。
1 時間半ほど待ち順番がきて私の診察となった。中に入ると鋭気に満ちた松本先生がおられた。そして、何故この医院に来たか、ホームページを読み免疫機能の正常化の仕組みを理解しているか問われ、それについて話すと松本先生は「よぉー理解しとる。よぉー来たな。ここに来たから潰瘍性大腸炎は完治するで。」とニッコリ笑いガッチリ握手をして下さいました。横にいた妻にもガッチリ握手。今までこんな先生はいたでしょうか。潰瘍性大腸炎と言えば完治しない一生付き合わなければいけない病気で治療はアサコール服用、ステロイド服用、免疫抑制剤、白血球除去療法、大腸切除などのどれかを選択するだけで一生薬代を支払わなくてはいけない。そんなことはもう嫌だ。松本理論に従い潰瘍性大腸炎の根治を目指しやっていくことを更に決意した。漢方の香り、松本先生の鋭気、完治するという言葉それら全てが完治するんだという自信に繋がった。診察後診察室を出る間際に松本先生は「治らん病気なんてない。治すのは自分や!!」と力強くおっしゃいました。16 年治らなかった潰瘍性大腸炎が治るんだと自信が出てくる力強さだった。
それから漢方を煎じ服用する日々がスタートした。
服用してから 1 ヶ月ぐらいすると下痢がひどくなり 1 日に 20 回以上トイレに行く日々が続いた。その状態は 1 ヶ月程続き少し辛かった。しかし、これだけ下痢が酷いのに以前の治療では体がだるく食欲も無くなったのに、松本療法ではそんなことは全くなかった。下痢はひどいのに体は元気。不思議な感じであった。1 ヶ月程過ぎると次第にトイレに行く回数が減ってきた。便は基本的に下痢ではあった。私は遠方よりの受診であり、私も妻も関西出身で今は違う地域に住んでいるため、帰省の時にしか松本漢方クリニックにうかがえないがその際は血液検査もしていただいている。炎症を表す CRP 値は 3.5 以上を示す時もあったが、だんだんと良くなり始め 0.2 を示すまでになり、トイレに行く回数も 1 日に 3~5 回となり軟便である日もあり改善した感じがした。(しかし今は少し下痢になりトイレに行く回数も少し増えた。)まぁ~この 1 年半にも症状の浮き沈みがあり、そのたびにリバウンドしたかな?クラススイッチはするかな?と期待したものだ。松本漢方クリニックを受診してから 1年半まだ完治と行かないが、「治らん病気はない」と自信を持ちこの松本療法に従っていこうと思っている。近い将来完治し中間報告ではなく完治報告ができるよう免疫と頑張っていこう。
最後に松本療法を実践するには家族の協力がなくては成り立たないと記載されていたが、そのことは痛感いたします。妻は松本漢方クリニックを見つけてきて、今は漢方を煎じることや漢方風呂・お灸なども全てやってくれている。漢方だけでなく食事に関しても色々と考えて作ってくれています。添加物が入っていない食材を選ぶのは当たり前で、免疫に良い食材を調べてきて使ってくれたりしています。本当に感謝しております。これを見ていると益々完治する気がします。
また、松本先生には私が遠方よりの受診のためそのことを考慮していただき、電話診察にて漢方を処方していただく処置をとって下さり、とても助かっており感謝しかございません。2 週間に 1 度遠方から松本漢方クリニックにうかがうのは金銭的にも大変苦しくなるので助かっております。世の中には金儲けばかりを考える医者が多い中、松本先生は患者のためにこれらを考慮し電話診察など色々な手を尽くして下さっています。ひょっとするとこれらのことを良く思わない他の医師、医療機関、国などから妨害や圧力があるのかもしれませんがこれらに屈せず松本先生は今のやり方を貫いて下さっているのかもしれません。ありがとうございます。この松本理論が広く知れ渡り認知されるようになり、全国に松本理論を提唱する医院が一つでも増えることを願うばかりです。そうなれば遠方のため受診の困難な方、断念している方、金銭面で厳しい方などにとって良いこととなり、より多くの方が受診できるようになり数多くの方が救われると思います。松本先生これからも遠方よりの受診となりますがどうぞよろしくお願いいたします。また、松本漢方クリニックの看護師、事務員、薬剤師のみなさまいつも丁寧に優しく対応下さり誠にありがとうございます。完治に向け近い将来まで引き続きよろしくお願いいたします。