「潰瘍性大腸炎手記」
43歳2011年6月13日
43歳2011年6月13日
潰瘍性大腸炎と診断され、松本漢方クリニックを訪れました。
まずはこの松本漢方クリニックさんのHPを見る幸運に出会えた皆さん、必ず道はここに足を運ぶことで開けますので、病気になったことに感謝して、自分はお医者さんが作り上げた難病患者ではないと自覚してください。今かかっているお医者さんのいいなりでステロイドで免疫をさらに壊してしまわないよう願うばかりです。私は病院で診断を受けてからおかしい、と思いながら二ヶ月後に幸運にも松本先生のHPに出会い、先生の病気について書かれた事をくまなく読んだ瞬間一瞬にしてこれだ!と光が差しました。人間の体はそんなもんじゃない。松本先生はあたりまえの正しいことをおっしゃつていると思いました。
難病とは何でしょう?ある方から聞きました。簡単に言うと「悪いね。俺たちでは治せないのだよ。」と言うことです。お医者様でも治せない。原因がわからない病気と言っているのです。お医者さんには学会と言うものがあって、良い治療法が見つかると学会で報告しあうので学会でお医者さんが治せないといっているのだから、どのお医者さんに行っても治らない。治らないのに沢山の薬を処方している。しかも危ない薬を軽い感じでどんどん使っている。治らないと決めている人の治療で自分の大事な体の免疫をどんどん壊していっていいのでしょうか?それでもそういうお医者さんについていける、そちらの方に私は何倍もの勇気がいりました。
ここに治らない病気はない。治す。とおっしゃっている先生がいるのです。そして実際完治している患者さんがいます。私も腸で免疫が戦うのでなく皮膚で免疫が戦うように一段階上がってきました。詳しくは先生の病気についての理論をお読みください。そして私もその一人ですが、この病気を治すに当たって、良い先生に出会うと同時に自分の心も治していくことが大事かもしれません。私の場合は自分をある理想の状態に持っていくことにきりきりしていました。本当は今のままで充分幸せなのです。なのにこうでなきゃいけない、こうしなきゃだめだ。という観点で生きていました。そこに気づくために病気になったのかもしれません。今回の震災で私たちはいかに恵まれた生活をしてきたか、気づいた方も多いかと思います。
去年の4月、異常を発見し、5月に内視鏡を受けKDであるという診断を受けました。私はその時ある資格の受験を控えており忙しかったので入院だと困るなと思っていたので、薬で治療をするのなら問題ないと明るく先生の説明を聞いていました。先生の口調は暗く、すぐに区役所での手続きをとってください。でないと、これから医療費が沢山かかるので大変になります。というようなことを何回も言うのです。そして症状が塊較的軽い方だからと、座薬のサラゾピンを処方されました。
家に帰って調べてみると、病気で治療を受けている人々同士のコメントなどがインターネットで飛び交っており、この世の終わりを見たような気持ちになりました。出口の見えない治療。免疫がどんどん壊れていくのに使い続けなければいけない矛盾。私の中では理解不能でした。人間の体はそんなものではないと個人的に私は思っていたので、何か絶対ある、と思いながら、良い情報はないかと探したり、落ち込んで全くインターネットを見る気にもなれない日を見る気にもなれない日が続いたりもしましたが、子供がいるので、毎目を出来るだけ、いつもどおり明るくこなしていました。一ヶ月くらいすると一日何回もトイレに行っていたのが前よりは楽になっていきました。
7月になって受験も無事乗り越え、相変わらず処方された薬を使っていましたが、食べ物も気をつけるようにし、症状もきっと血の粘液はついているのだろうけれど自分の目で確認できるほどではなくなった感じで、症状は落ち着いた。と言う感じでしたが、薬を使っているという怖さからは逃れることが出来ませんでした。そして症状が落ち着いてきたのに先生が「次回から新薬を処方しようと思っています。今までは出たばかりで副作用についてデータが少なかったから様子を見ていたけど。」と言いました。もっと「強い薬ですか?」と聞くと、「そんなことはないよ。」と言います。でも症状が治まっているのに座薬から経口薬なんてどうしてだろう。やっぱり恐ろしい。と思いました。
そんな中、8月末のある日、松本漢方クリニックさんのHPに出会いました。くまなく先生の理論なり、すべてを読んだとき、日本にこういう先生がいて本当に良かったと光が差しました。なんて私はついているのだろう!と、まだ先生のところに伺っていないのにも関らず、その日で私は薬をやめてしまいました。一週間後に遠かったのですが子供が学校に行っている間に思い切って新幹線に乗り、松本漢方クリニックを訪ねました。
受け付けをして患者さんの手記を読んで待っていると、皆が書いているように中から先生の元気な声が響いてきます。本当に患者さんの立場に立って診療をしてくださるお医者様がここにいるのだと声からも感じ取れ、涙がもうすでに出そうでした。
先生にお会いする前に、看護師さんとお話をします。病気の説明を受け、血の検査をします。とても素敵な方で先生にお会いする前にもうすでに癒されていました。そして先生にお会いし、いろいろ話していくと、私も何も関係ないと思っていたのですが、小さい頃喘息があり注射を打って体質改善をしていたのを思い出しました。そういうのも知らない間に免疫が抑制されていたということのようです。私は肌のトラブルが今まであまりなかったので肌が強いと思っていたのですが、私の免疫が戦う場所は肌を通り越して、もっと深いところまで進んでいた。ということがわかりました。
まずは漢方を処方され毎目飲むことから始まりました。私はあまり漢方に抵抗がないのですんなり飲むことが出来ました。薬を飲まなくなって気づいたことは、薬を飲んでいる間はガスがでていなかった。ということでした。腸の自然な働きであるガスがでるということがこんなにもありがたいことなのかと思いました。二ヵ月後の11月には年に一回の定期健診があり、普通に検便をとったら何も引っかからず、私は喜んで結果を先生のところに持って行きましたが、先生はこんなのはあまり関係ないのだよ~と言う感じで軽くあしらわれてしまいました。
免疫が戦う場所が変わるというのは腸から花粉症やアトピーに移行するという段階があるそうです。今年に入って春に花粉症が出始め、そして先月くらいから腕に湿疹がでたり、肌に敏感に現れてくるようになりました。先生に電話をしたら「よっしゃ~!悩んでいる人にあなたの手記書いてなあ!困っている人が沢山いるから治った人が生の声を聞かせてあげてね。」とおっしゃってくれました。とても嬉しかったです。
病名の前に「灘」と付いている限りとてもこの病気が手ごわいもののように感じ、自分で自分の病気を'精神的に治せなくしてしまうことがあると思いますが、私はこの「難」と言う字はお医者さんがつけたもの、ただそれだけと思っています。本当にお医者さんの言うとおりの治療を続けていけば、本当に「難病」になることは間違いないと感じます。たとえばKDとリウマチは基本的に同じ病気で、現れる、症状が出るところが違うとすれば、なぜ片方は「難」で片方は「難」でないのか?とても不思議に思います。
まずは先生のHPをよく読んで足を運んでみてください。自分の体です。大切な自分の体を誰に任せるかを決めるのも自分を守るのも自分しかいません。