「潰瘍性大腸炎に選ばれてしまった私」
匿名希望 21歳 2011年2月18日
匿名希望 21歳 2011年2月18日
「潰瘍性大腸炎です。」
「難病です。」
「大腸癌になる可能性も高いです」
「原因は不明です」
「人工肛門になる人もいます」
「一生お薬を飲み続けなければなりません。」
「現代の医学では治りません」
総合病院で、検査結果の後医師にこう宣告された時、大学三回生、20歳の私は目の前が真っ暗になり、ショックで言葉がでませんでした。
それは2011年4月21日のことです。それから松本先生に出会い、漢方に出会い半年が過ぎました。今ではその宣告がまるで嘘のように毎日元気に過ごしています。同じ病気で悩んでいる人の少しでも助けになればと、現在までの途中経過をご報告します。
2011年3月の初め頃から便に血が混じるようになりました。母に相談したら、「痔かもしれない。一回病院に行ってみようか?」と言われましたが、見てもらう場所が場所ですので、すぐに病院に行く勇気がありませんでした。しかし症状は一向に良くならず、下痢が続き腹痛もおこり、食べたらすぐトイレに行くような日が続きました。やはり心配になり、3月30日総合病院の内科を受診しました。「潰瘍性大腸炎の疑いあり。」と言われましたが、その時はあまり詳しく説明されることもなく、4月21日に大腸内視鏡の予約をし、アサコールとビオスリーという薬をいただいて帰ってきました。家に帰ってインターネットで調べましたが、あまり自覚もなく、薬を飲めば治るのだろうという認識でした。しかし、4月21日の検査の予約を待てず、4月15日に下痢、下血がひどくなり、再び病院に行ったところ、即入院になりました。
生まれて初めての胃カメラ、そして内視鏡検査は私にとって大変きついものでした。そして4月21日検査結果から「潰瘍性大腸炎」と告げられたのです。 入院したその日からアサコール3錠、ビオスリー1錠食後1日3回飲んでいましたが、精神的ショックもあったのか症状はどんどん悪化し、下血が止まらず、お腹は痛み何度も病院のトイレに駆け込む日が続きました。先生から、私と家族にこれからの治療法について説明がありました。お薬だけで効かない場合はGキャップ(白血球除去治療)かステロイド投薬があるが、ステロイドはムーンフェイスになったり副作用も強いので、Gキャップをすすめられました。私も家族もやはりこんな大病院の医師からこの治療法がベストであり、「我が病院は厚生労働省の指導にのっとって進めている」と言われれば、「お願いします」と頭を下げるしかなかったのを覚えています。
4月25日。初めてのGキャップ、透析ルームで行われました。私はとても怖くてそして痛みもかなりありました。これを10回もするんだと思うと泣けてきました。そして10回しても治ることはないんだと思うともっと泣けてきました。実はこの頃父は、インターネットで松本医院を見つけ手記を読み、松本先生の理論を何度も読んでいたそうです。
4月28日。二回目のGキャップ。しかし静脈に入らず動脈にもチャレンジしましたが、やはり入らず大量出血しました。そしてこの日から栄養は点滴のみ、絶食が始まりました。再度医師から説明があり、血管が入りにくいので次回からはカテーテルで鼠頚部から入れることと、同時に栄養が足りていないので、IVH(首に穴をあけて直接栄養を入れる)を提案されました。この提案を聞き、両親は松本医院を訪ね、今までの私の症状を説明してくれました。
先生は噂どおりの熱い人で「大丈夫。必ず治る。Gキャップダメ。ステロイドダメ。アサコールもだめ。」と強く言われ、強く握手してくださったそうです。私も先生にお電話し、先生の熱い声を聞き「あんたの免疫が病気を治すんや」と言われ、その晩から父がプリントアウトしてきてくれたたくさんの手記と理論を入院中のベッドの上で何度も何度も読みました。
4月30日。この日から入院中の私は病院の薬を飲んだふりをし、毎日漢方を食 前、食後そしてアミノバクトを飲む日々が続きました。漢方は母が家で煎じて水筒に入れ病院に届けてくれるのですが、その味は人生生まれてからこんなまずいものは飲んだことがない!!というほどの味でした。砂糖を入れたり、 はちみつを入れたりしましたが、なかなか喉が通りませんでした。匂いは独特のものがあるので隠れて早く飲むのに最初は苦労しました。Gキャップもステロイドも拒否したので、かなり病院にはいずらい状況でしたが、絶食のまま点滴のみの治療になりました。医師からは、「Gキャップやステロイドなしでこの病気は絶対によくならない。」と両親も呼ばれ叱られましたが「もう少し様子を見させてほしい。」と拒否し続けました。松本先生からは、「そんな金にならん患者はほりだされるぞ!」と言われましたがまさに病院の対応は冷たくそんな感じでした。
5月6日。結果は下血の回数も下痢の回数も少しずつ減っていき良い方向に向かっていました。漢方の力恐るべきです!汁ものの食事も始まりました。しかし熱は続き、左横腹に強い痛みが始まりました。
5月10日。横腹の痛みがとれず、尿、便、血液、CT検査の結果、「急性腎盂腎炎」と言われました。松本先生に「病院で移されたんや!」と言われました。今度は腎盂腎炎を治すために抗生物質の点滴が始まりました。この間、下血は止まり、食前の漢方はなくなりました。体重は43キロから39キロになりガリガリになっていました。
5月16日。やっと点滴が終了し、捕らわれの身から自由の身になったようなとても嬉しい気持ちになりました。「Gキャップやステロイドなしで絶対に良くなりません。」と言われましたが症状は明らかに良くなっていました。熱もなく下血もとまり下痢もなくなっていました。しかし医師からは全くそのことに関してはふれられませんでした。こちらからもそのことを尋ねることもしませんでした。
5月21日。待ちに待った退院。私にとっては本当に辛い入院でしたが、自分の病気を向きあい、自分の体を知る良い機会でもあったような気がします。
5月25日。退院後、松本医院を訪ねました。先生は強く握手してくださいました。情熱と強い信念を感じました。「ストレスためたらあかん!頑張りすぎたらあかん!」と励ましてくださいました。針とお灸も初めて体験しました。
下痢止めの漢方と目のかゆみを治す漢方をいただきました。この頃から目のかゆみがひどくなり、背中にじんましんがでるようになりました。これがクラススイッチなのかなあ。と思いました。私は幼稚園の頃喘息で入院したことがあり、その後も時々発作がでました。漢方を飲み始めてから喘息の方もよくなってきたような気がします。その後、最初は二週間に一度、そして一カ月に一度、鍼灸をしてもらい、漢方を頂きに松本医院に通っています。6月は時々下痢もありましたが、7月からは絶好調です。私の場合ステロイドを使っていなかったのがよかったかもしれません。今では普通に大学に通い、ファーストフード以外の食事はいろいろと楽しんでいます。
10月15日で入院して半年が過ぎます。「潰瘍性大腸炎」と告げられた日、まさか半年後にこんな生活が過ごせるなんて、夢にも思っていませんでした。松本先生、そして松本医院の皆さま、本当にありがとうございました。そしていつも私を支え、見守ってくれる家族にも感謝の気持ちでいっぱいです。子供の頃からの喘息も完治して、完璧に元気な身体になれるようにもう少し頑張りたいと思っています。