「ヘルペス・潰瘍性大腸炎手記」
41歳2014年11月26日
41歳2014年11月26日
私は、2014年5月末に人間ドックで潰瘍性大腸炎と診断され、それをきっかけに松本漢方クリニックをインターネットで発見し受診しました。しかし自覚症状は全くありませんでした。それよりも、その1年以上前から吐き気とめまいに悩まされ、2013年12月末に退職するほど重症で自宅療養しておりました。ヘルペスウィルスはストレスがかかるなどして免疫が下がったために増殖し、回復するために免疫とウイルスが戦うことによって色々な症状が出てくると松本先生に教わりました。
私のヘルペスウィルスは特に迷走神経で増殖していた様で、主訴は吐き気でした。考えてみますと、最初に原因不明の吐き気に襲われたのは23歳の時で、高校卒業後すぐに一人でアメリカに渡り5年後に大学を卒業して帰国した時の事でした。文化が違うという事は当たり前の事が違うという事です。そういった異国で一人で働きながら勉強をするのはなかなか容易ではなく、自分で選んだとはいえ、楽しいことも沢山ありましたが緊張とストレスのかかる毎日でした。
母国語ではない授業を受けるというのは、どの教科もネイティブの倍の時間をかけて予習復習をしなければついていけません。そのうえ働いてもいたので、とてもハードな日々を過ごしてからの帰国でした。食事も日本食はあまり食べずに、ピザやハンバーガーなど適当に済ませていたと思います。その間に私の免疫は下がりヘルペスは増殖していたに違いありませんが、そんな事は知る由もなく、帰国後就職活動をしなければいけなかったのですが、体が重く、味噌汁を飲んでも吐き気に襲われました。
その時初めてバリウムを飲み検査をしましたが悪いところは無いとのことで、対症療法をしているうちに吐き気も止まり、治って良かったとだけ思い仕事を始めました。それからは仕事をしながら年に1度の海外旅行を楽しみに生活をしていましたが、14時間飛行機に乗っても何ともなかった私が、飛行機に酔うようになりました。そのうち飛行機だけでなく、長時間の電車にまで酔うようになり、仕方なく酔い止め薬を飲んで旅行する様になりました。
33歳の時、転職をしました。そして新しい職場で新しい仕事を始めましたが、それはとても神経を使う仕事であり、チームで仕事をするため自分一人が長期休暇を取る事は難しく、自然に海外には行かなくなりました。今考えてみると、最初の職場は帰国子女が多く、あまり日本的な規則に縛られない環境だった為、帰国してすぐの私にも馴染みやすく働きやすかったのですが、転職後の職場は金融関係だったこともあり、規則も厳しく純日本的な環境で、私にとっては少し息苦しい場であった事、私にとって海外に行けないというのは息抜きをせずに生きているという事と同じであった事などから、段々ストレスをためていっていたのだと思います。
そして仕事自体も、不況のあおりでどんどん人数を減らされ、チームの人数は半分になったのに仕事量はほとんど変化なしという状況に陥り、人間関係にまでも悩まされてアップアップの状態で日々過ごすようになってきていた2013年4月、転職後6年目の事です。3月末に全くそりが合わなかった上司が転勤でいなくなり、年度末の忙しい時期も終わり少しホッとした頃でした。歓送迎会に行き、次の日高熱と嘔吐に襲われました。生ハムを沢山食べたため食中毒かとおもったのですが、私のほかは誰も症状がなく、結局原因不明でした。同僚には疲れがたまって免疫が弱くなって生ものに負けたんじゃない?と言われ、なんとなくそうなのかな?と思っていました。この時から私のヘルペスとの戦いが始まります。
病院で色々薬をもらい、2日後には仕事に行きましたが、胃腸の具合は完全には元に戻りませんでした。食欲も戻らず胃痛が時々おこりました。5月の連休はずっと寝て過ごしましたが、連休が明けても本調子にはならず、6月に入ると、今まで感じたことの無い様な体の重さを感じるようになりました。仕事帰りに歩いていると、沼を歩いているかと思うほど足が重く、体全体に何倍もの重力がかかっている様でした。食欲がないので病院で六君子湯という粉末の漢方と消化剤を貰って飲んでいましたが、治りはしませんでした。
私はもともと生理痛がひどく、毎月3日間1日3回鎮痛剤を飲んでいました。その他、パソコン仕事だったためか、目が疲れてくると頭痛に襲われて鎮痛剤を飲み、首こりが酷くなると頭痛がして飲み・・・という様に鎮痛剤と共生しているといっても過言でないくらいに服用していました。この頃から生理の後に体調がとても悪くなることに気が付きました。鎮痛剤で胃を荒らしているのかもしれないと思い、量を減らそうとしましたが、痛みが酷すぎて無理でした。この鎮痛剤が私の体を悪くする大きな原因だったのですが、体に良くないとは何となく感じていても痛みには耐えられませんでした。婦人科を受診してみましたが、どこも悪くないと言われピルを勧められました。(その後悩んだ結果、10月頃から飲み始める事にしました。)
7月には、送別会で天ぷらを食べた後また高熱と吐き気に襲われました。お腹も下していたように思います。病院で薬をもらい、何とか仕事に行ける程度には回復し、体調不良ながら出勤していましたが、8月の最終週のある日、体調が極度に悪化しました。吐き気が止まらないのです。朝、何か食べようとするのですが、バナナを一口飲み込む事さえ一苦労でした。
すぐ病院に行き、今度は胃カメラで検査をしてみることにしました。幸い胃はとてもきれいで、どこにも異常はないとのことでした。それから3週間、お粥だけで毎日を過ごし必死に出勤していましたが、胃は異常が無いはずなのに回復しませんでした。この頃から、ゆらゆら床が揺れるように感じるめまいの症状が出始めました。めまいと吐き気があるので、脳の病気かと思い脳神経外科で脳と首のMRIを撮ってもらいましたが、どこも悪くありませんでした。
内臓も一度大きい病院で診てもらったほうが良いと思い、9月下旬に総合病院に行きました。そこで血液検査、腹部CT,エコー検査などをしてもらいましたが、結局どこにも悪い所はなく、心療内科に行ってはどうかと言われました。精神的なものではないかとは、かかり付けの内科医にも言われていました。しかし仕事でストレスはありましたが、食事が出来なくなるほどの悩みとは思えませんでしたし、私生活でも別に問題はありませんでした。
その内科医には、年齢が39歳だったので、40歳になるのに何か引っかかっているんじゃないですか?とか、未婚なので、結婚のことで悩んでいるのではないですか?とか、結婚したら治るかもとまで言われました。しかし、そうですかと言って結婚するわけにもいかないので何の解決にもなりませんでしたし、あまり日本的な思考回路を持たない私は、何歳までに結婚しなければならないなどの観念がほとんどなく、私より両親の方が悩んでいるくらいでした。総合病院でも心の問題だと言われ途方にくれましたが、良くなるとは思えないのに心療内科に行っても無駄だと思った為行きませんでした。
不眠症にも悩まされ始め、お粥だけで仕事に行くことに限界を感じ始めた10月中旬、1か月間の休みをもらいました。私はもともと楽天的で、この時もまだそれほど深刻に病気を受け止めていませんでした。検査でどこも悪くはなかったのだから、1か月休めば良くなるのではないかと思っていました。この頃から鍼灸整骨院に通うようになりました。首のコリをとると、いわゆる自律神経失調症が良くなると聞いたからです。首や頭や足に鍼やお灸をしてもらいました。
だんだん良くなり、11月中旬に仕事に復帰しましたが、復帰した途端、今まで経験したことのない様な首と肩の凝りに襲われ、1時間も座っていられなくなりました。じっと座っていると首と肩が凝って呼吸が苦しくなる程で、めまいまでしてくるのです。おまけに顎がだるくなり、3時間仕事をするのが限界でした。チームでの仕事だった為、度々休むのは皆に迷惑だと思ったのと、ストレスとして考えられるのはもう仕事しかないと思い、思いきって12月末で退職することにしました。この時も、仕事を辞めて1~2か月ゆっくりすれば治ると思っていました。
1月・2月は吐き気・めまい・倦怠感・首こり・肩こり・顎関節症・不眠症といった症状に悩まされて、ほとんど寝たきりの状態でした。週に2回、鍼とお灸はしてもらいに行っていました。この頃、事態打開の為に近所の心療研究所という所に行ってみることにしました。そこでは100問以上の質問に答えてそれを数値化してうつ病などの疾患を判定する方法をとっていて、その心理テストを受けました。点数が高いほどうつ病が深刻なのですが、私の点数はとても低く「あまり落ち込んでもいない」という、病気とは程遠い診断でした。病気になって落ち込んではいるんだけど・・・などと思いながら結果を聞き、やっぱり心因性ではないと思うと同時に、何をどうしたら改善するのか、自分の体なのにさっぱり分からず、道を見失った様な気分でした。
3月下旬になってやっと首・肩の凝り、倦怠感が良くなってきました。吐き気とめまいはまだありましたが、このまま暖かくなれば治るのでは?と思い、明かりが見えてきた気がして喜んでいた頃、人間ドックの案内がきました。今までの健保では5万円程していたものが、国保では1万2千円で受けられる上に近所の病院でやっていることを知り、予約しました。しかし4月中旬、風邪をひいて39度の熱をだしました。熱、喉の痛み、咳、鼻水といった典型的な風邪で、耳鼻科で薬をもらいました。なかなか治らず、しばらく続けて薬を飲んでいました。後で考えるとこれが悪かったのだと思います。
5月初旬にまだ風邪気味のまま人間ドックを受けました。風邪は咳だけが1か月も続きました。やっと咳が良くなりかけた頃、人間ドックの結果が来ました。検便で引っかかっていました。2度のうち1度だけ血便有りだったのです。内視鏡検査をうけてくださいと書かれていました。風邪のせいかと思ったのですが、かかり付けの内科医に相談すると、「風邪で血便はでません。今女性の死亡原因の第一位は大腸癌です。早く治療すれば治るので検査したほうが良いでしょう」と言われ、病院を紹介されました。
しぶしぶその病院にいくと、全く同じことを言われ、大腸内視鏡検査を受けることになりました。大量の下剤を飲まされ、これが一番体に悪いんじゃないかと思いながら検査を受けたところ、「大腸の入口と出口に浮腫と荒れがあります。おそらく潰瘍性大腸炎ですね」と言われました。その時の私の潰瘍性大腸炎の知識は、『安倍首相がなった病気』という事だけで寝耳に水の話でした。その医師は5ミリ程度の厚さの冊子をパラパラさせながら、「でも、この病気はこれくらいの似た症例があるから、細胞検査してみたほうが良いので、出しておくから来週また来てください」と言いました。
その時見せられた大腸の写真のうち1枚に目が留まりました。出血して真っ赤になっている部分があったのです。質問すると、「検査の為少し取りました。すぐ治るから大丈夫」と言われましたが、荒れている所をますます傷つける事に違和感を受け、荒れは治らないけど傷は治るんだ・・・と不思議に思いました。1週間後にもう一度行くと、また前回と同じ冊子をパラパラさせながら「この病気はこれくらい似た症状の病気があるから判断が難しいけど、この細胞検査の先生は潰瘍性大腸炎の検査を一番沢山していてよく分かっている先生で、その先生が十中八九間違いないって言っているし、私もそう思うから、あなたは潰瘍性大腸炎です。難病なので難病申請しないといけません。薬を飲んでもらいますが、これは飲み始めたら死ぬまで飲み続けなければなりません」と一気にどんどんしゃべりだしました。
私は1週間の間にネットで潰瘍性大腸炎について少し調べており、何となく分かっていた為話を聞き流していたのですが、死ぬまで飲み続けるという言葉を聞いた瞬間目が覚めたようになりました。『なぜ自覚症状がないのに薬を飲み、死ぬまで飲まなければならないのか?だいたい、十中八九ってどういう事?100%じゃないのはなぜ?』と疑問がわき、なぜ死ぬまで薬を飲まなければならないのか聞きました。治って止める人もいるが、やめた途端リバウンドみたいになってもっと悪くなる人がいるから、一度飲み始めたら止めては駄目なのだとの答えでした。
しかし私は、症状が無いのに薬を飲み始め、止めたら症状が出るくらいなら、最初から飲まなければ良いと思いました。自覚症状なく薬を飲み続ければ、いつかこの薬は必要無いのではないかと疑い、薬を止めてしまう日が来るに違いないと確信していたからです。症状が無いのに飲む必要性を感じないと言うと、先生は「確かに1年後に再検査をして大腸が良くなっていた時に、薬のせいなのか潰瘍性大腸炎じゃなかったのかの判断がつきにくくなるだろうから、3カ月後にもう一度検査して、もし同じ症状が大腸にあったら、その時から薬を飲みましょう。今は良い薬が開発されてきているので大丈夫、そんなに心配することないですよ」と言われ、とりあえず何も薬を貰わず帰りました。
その頃、咳はなくなり風邪は治ったようでしたが、体調はまたどんどん悪くなっていました。耳鼻科でもらって飲み続けた風邪の薬が私の免疫を下げ、やっと収まりかけていたヘルペスウィルスをまた増殖させてしまったのでしょう。吐き気とめまいがだんだんひどくなり、睡眠不足も深刻でした。夜5~6回は目が覚め、ほとんど眠れないので昼間少しウトウトすると、訳のわからない何かが首からザアーッと後頭部に上がって来る感覚があって驚いて飛び起きます。この1年で体重は7キロほど減り、もともと太っていないので、すっかりガリガリになっていました。また食べられなくなるともっと痩せる・・・その恐怖と悲しみと眠いのに眠れない苦しみ、顎関節症の顎のだるさなど、自覚症状のない潰瘍性大腸炎よりこれらの症状の方が私にとってずっと切実でした。
そしてもう一つ、私が恐怖していた理由があります。それは祖母の死因でした。私の祖母は両親が結婚する前の昭和46年に亡くなっているのですが、死亡原因が不明で、父が言うには「ある日ご飯が食べられないと言いだし、入院して検査したけど癌でもなくどこも悪い所は見つからなかった。1年半後にそのままやせ細って亡くなった」らしいのです。聞いただけですが私と同じ症状だと思いました。私はこのままいつか食事が出来なくなり祖母と同じ様に死んでしまうのかもしれない。そういう、食べられなくなるイコール死という恐怖が常にどこかにありました。
潰瘍性大腸炎と診断されてから、時間がたてばたつほど再検査を受けたくない思いが強まっていました。しんどいのでベッドで寝ている時間が長く、その間なぜこんな病気になってしまったのかという事ばかり考えていました。そもそも、なぜ大腸の荒れが治らないのか?手荒れも胃の荒れも治るのになぜ大腸だけ治らないのか。人間は生きている限り治癒力があるのだから傷は自然に治るはずだという考えが、常に私の中にはありました。だから大腸の荒れが治らない意味が分からないと思っていました。
しかし、ある時ふと、アトピーはほっておいても治らないと思いつきました。私は大腸のアトピーなのか?と思った時、ふと昔友人に聞いた話を思い出しました。友人のご主人が酷いアトピーで、初対面の時は眉毛が無く、ステロイドを塗ることを拒否したらどんどんひどくなって眉毛も抜けちゃったらしいと言っていました。彼は食べ物が原因と考え、どんどん疑心暗鬼になって食べる事が怖くなり、最後には梅干しのおにぎりしか食べなくなったが、おにぎりだけ食べているうちにだんだん良くなってきて少しずつ食べる物の種類を増やし、今では普通に暮らしているというような話でした。ならば、私も食べ物のせい?アレルギーなのか?しかし吐き気がひどい私は、1年程ずっとお粥・うどんなどお腹に優しいと思われる物しか食べない生活をしていた為、食べ物ではないのではないか?と考えました。
そして、潰瘍性大腸炎と診断した医師がジャンクフードは食べない様にと言っていた事を思い出しました。理由を聞くと、悪化する人が多いからというものでした。なぜジャンクフードを食べると悪化する人が多いのか、今なら理由は化学物質が多いからと分かりますが、その時は、油のせい?なんて事をぼんやり考えたりしていました。
その頃、心療研究所でやっているヨガに通っていたのですが、臨床心理士でもあるヨガの先生に潰瘍性大腸炎と診断されたという話をしたところ、それは免疫の病気だよと言われ驚きました。そんな話は検査した医師もかかり付けの医師も言わなかったからです。もしそうであるならば、免疫力が低いから腸の荒れが治らないという事なのか?免疫力を上げれば治るのでは?と考えました。
それから免疫力を上げる方法が書いてある本を何冊か読みました。そのうちの1冊に、解熱鎮痛剤は免疫力を下げると書かれてあり、≪ある解熱鎮痛剤の副作用≫という表が載っていました。そこに『まれに潰瘍性大腸炎』と書いてありました。副作用というものは、その原因となる薬の服用を止めれば治るという認識でしたので、なぜ治らない難病の潰瘍性大腸炎が副作用の中に入っているのか疑問に思い、その著者も潰瘍性大腸炎は治ると書いていましたが、やっぱり治るに違いないと強く考えるようになりました。以前、いわゆる自律神経失調症は漢方で治せると聞いたことがあり、免疫力も漢方で上げられると考えた私は、いっそ私の不調全てを漢方で治せないかとネットで調べ始めました。そしてとうとう漢方内科松本漢方クリニックを発見しました。2014年7月2日の事でした。
ホームページの松本先生の潰瘍性大腸炎が完治する理論は、聞いたことがない単語が沢山あり最初は意味がよく分かりませんでした。そこで患者さんたちの手記を読みだしましたが、初めて潰瘍性大腸炎の薬の恐ろしさを知り、驚き、気の毒で涙が出そうになりました。そして薬をまだ飲んでいない私はなんてラッキーなんだと思いました。そのなかで、ヘルペスウィルスという名前に引っかかりました。8年程前に帯状疱疹をしたことがあったのでヘルペスについては知っていましたが、ここに書いてあるヘルペスとはそのヘルペスの事?と思いながら何となくヘルペスについての文章を読んでいるうちに思わず叫びだしそうになりました。
私がずっと死ぬかもしれないと怯え、悩み、普通に生活できなくなってしまった症状全てがそこに書いてありました。あの、突然飛行機に酔うようになったことまでも原因はヘルペスウィルスだと。そうなんだ!やっぱり心因性なんかじゃない!と、大興奮して何回も何回もヘルペスについての先生の文を読みました。ここに行けば私はまた日常生活を取り戻せるかもしれない!どこにあるんだろう?と思って場所を見ると、高槻市と書いてあるではないですか。同じ私鉄沿線です。やったー!とますます興奮して診療時間を見たら、翌日は休診でした。仕方がないので翌日は一日中ベッドに横になりながらiPhoneでホームページを読み続けました。そして私が考えていたことは、素人考えながらそんなに的外れではなかったのだなと思いました。
7月4日金曜日、必死で朝から混んだ電車に乗って高槻まで行きました。吐き気とめまいの中、混み合った電車に乗るのは本当に辛く恐ろしいのです。でも、私の将来がかかっていると思っていました。このままでは私はずっと働けず、食べられず、楽しみも無く、病気のオンパレードで年をとっていくしかないかもしれないと、楽天的な私も流石に1年以上病んでいるとそんな絶望感にとらわれていました。ドアが開くたびに深呼吸し、目をギュッとつぶって一駅ずつ我慢しました。とにかく必死でした。
どうにか着いた松本漢方クリニックは、漢方薬の匂いの古風な感じの病院でした。松本先生の力強い「大丈夫や!心配ない!」という声が響き渡っていて、まだ診察を受けていないのに治る気分になってきましたが、同時に怖い先生だったらどうしようという気もしていました。名前を呼ばれて入っていくと、想像以上に狭いスペースに若い息子先生が座っておられました。私の話を最後までちゃんと聞いていただき、やはりヘルペスが原因と思われる事、解熱鎮痛剤が私の免疫力を低下させている事などを説明してもらい、納得して診察を終えました。前日に質問事項を手帳に書いて行ったのですが、「最後に質問はありませんか?」と聞いていただき、落ち着いてそれを確認できたのはとても良かった事でした。
そして何より驚いたのは、たんぱく質を中心に食べなさいと言われた事でした。体調を崩してからというもの、私はお粥やうどん、イモ類を中心に炊いた物しかほとんど食べていませんでした。明らかに炭水化物過多です。しかし全く気付いていませんでした。鶏肉を入れたり焼鮭を食べたりはしていましたが微々たるものです。たんぱく質を多くとる事、特に青魚と赤身の肉が良いと言われました。炭水化物は胃での残留時間が長い事もあり、ご飯は軽くお茶碗半分位にしてとも言われましたが、もともと炭水化物が大好きな私にはそれを減らすという事が大きな苦痛でしたし、吐き気がひどく脂分をほとんど取れずに1年以上過ごしてきた為、魚や肉の脂分が吐き気を酷くしてしまうのではと恐ろしく思いました。しかし治す為です。
先生を信じて、それから言われた通りに人生でこんなにたんぱく質を食べたことがあるかと言う程食べ、ご飯、麺類は半人前にして努力しました。塩鮭・鳥の胸肉は脂が少なく食べやすかったので最初はそればかり食べていました。煎じ薬はやっぱり苦かったですが、不思議な事に3日飲めば慣れました。生理痛の漢方の粉薬を食間に飲み、とにかく言われた通りにすることに専念しました。お灸も母に手伝ってもらって頑張りました。
1週間後に血液検査の結果を聞くため、もう一度松本漢方クリニックに行きました。予想通りヘルペスは単純ヘルペスが195という高い値で、リンパ球が27.3%と少8なく、免疫力は低いという結果でした。その他いくつかの値が基準値を外れていました。抗核抗体も160と高くでていましたが炎症を示す数値は低く、ステロイドホルモンも自分でたくさん出していたことが分かりましたが、私は外からステロイドを摂取しておらず、「大丈夫。良くなりますよ」と言っていただき安心しました。
そして、スギ花粉症であることが判明し驚きました。とにかく青魚・赤身の肉などたんぱく質を食べて過ごす事などの話を聞いていると、松本先生が「これ、息子やねん」とニコニコしてひょっこり顔を出されました。それから色々話を聞いてくださり、質問にも答えていただいて「大丈夫や、怖い病気は無い!絶対治る!」と励まされて帰りました。
最初の2週間は吐き気が酷く、本当に良くなるのか不安でした。1度、朝からあまりに吐き気が酷くうずくまって吐き気に耐えていた時、我慢しきれず松本漢方クリニックに電話しました。松本先生に抗ヘルペス剤は1日10錠まで飲めるから今8錠のところを増やしなさいと指示され「心配ない!大丈夫や!」と言ってもらって、湧き上がっていた不安感を減らして耐えきりました。それからは、毎日先生の言葉をぶつぶつ繰り返しながら耐えていました。「大丈夫や!怖い病気は無い!絶対治る!死なへん!」
2週間に1回、松本漢方クリニックに行き、鍼と診察の後、薬を貰って帰ります。1カ月後の2度目の血液検査の結果、ヘルペスの値は132に減っていました。抗核抗体は変化ありませんでしたが、リンパ球の値が40.4%に改善していました。その2週間後、太ももに痒みのある赤いものが出来ました。しばらくすると反対側の太ももにも対になるように同じものが出来ました。これがアトピ?と思い、先生に言うと、もっと出てくるから塗り薬を塗りなさいと赤い塗り薬をもらいましたが、それから何も出なくなってしまい、その薬はお灸の為に出来た火傷に使いました。
私は潰瘍性大腸炎の症状は無かったのですが、数年前から下痢と便秘を繰り返すことが多く、『過敏性腸症候群』と言われていました。朝から何度もトイレに行き、小分けに便が出ている状態で軟便でもありました。そこで断痢湯をもらい飲んでいたのですが、1か月半でアトピーのようなものが出た後しばらくして少し便秘気味になりました。先生に治ってきていると思われると言われ、断痢湯を飲むのを止めましたが、しばらくするとまた軟便に戻ってしまいました。再び飲みだしましたが、3袋にすると便秘気味になります。3袋で1日2回にし、2袋1日3回にし、2回に・・・という具合に様子をみてだんだん減らしていきました。4か月後の今は全く飲んでいません。
今思うと、私のめまいは腸の調子ともかかわっていた様に思います。軟便で何度もトイレに行っていた時ほどめまいが強かった気がするのです。ヘルペスが大腸にもかかわっているのでは?と思っています。吐き気もだんだん良くなり、今はほとんど無くなりました。たまに膨満感のような軽い吐き気はありますが、以前は寝込んでいた事を思えば軽いものです。あんなに毎日死にそうな思いで吐き気と戦っていた日々が嘘のようです。たんぱく質を積極的に取り炭水化物は半分に減らしたままですが、週に1回程は炭水化物を1人前食べて食事を楽しんでいます。
松本漢方クリニックに行きだしてからは、一切鎮痛剤を飲んでいません。頭痛は抗ヘルペス剤で改善しましたが、生理痛は、今は仕事をしていないので耐えられていますが、仕事を始めたら鎮痛剤を飲まずにいられるか不安です。しかし何より私が飲みたくないので、どうにか飲まずにいられるよう先生に相談しながらやっていこうと思っています。不眠症も改善してきており、睡眠導入剤を少しだけ飲んで朝まで眠れるようになりました。そのうち飲まずに眠れるようになると思います。顎関節症もずいぶん悩まされましたが、今ではめったに感じません。
良くなってくるとだんだん外出が増えてきて、秋の紅葉を見に行こうとか、温泉に行こうとか、友人と約束をするようになりました。家族も私の変化にとても喜んでくれていて、長いこと心配をかけたので私も本当にうれしく思っています。こうやって良くなってみると、だんだん病んでいた頃のことが遠く薄くなっていっているのが分かります。それは良いことなのでしょうが、健康でいることの大切さ、ありがたさを忘れてはいけないと思うのです。病気になって、病気になることの辛さ、苦しさ、悲しさ、口惜しさ、不安、絶望感・・・沢山のネガティブな気持ちをこれでもかという程味わいました。
けれど、それと同時に人の優しさや温かさなど、今まで本当には分かっていなかったのではないかと思う気持ちがよく分かるようになり、心から人に感謝出来る様になりました。人生に無駄な時間など無いと言い聞かせて闘病してきましたが、今は無駄な時間にはさせないと思っています。もっと暖かく、もっと深みのある人間になり、与えてもらったものを倍にして返していきたい。心からそう思います。
長い文章になってしまいましたが、私がそうであった様に、手記に自分と同じ症状・経験を探している方がきっとおられると思い、自分の症状、経過、どう考え何をしたかをなるべく詳細に書くようにしました。私のこの手記が、少しでもどなたかの参考になり、お役に立てれば幸いです。
松本漢方クリニックに行ってからは、先生の言われるとおりにしていただけなので、すこし簡単になってしまったかもしれません。けれど、全ての症状は行きつ戻りつしながらも確実に良くなっていきました。1日単位で考えるとあまり良くなっていない様に感じましたが、1か月単位で考えるとものすごく良くなっていることを実感できました。これからもヘルペスとは付き合っていかないといけないのですが、増殖させないように気を付けてやっていこうと思っています。最後まで読んでいただき、有難うございました。