「潰瘍性大腸炎手記」
36歳2014年1月4日
36歳2014年1月4日
潰瘍性大腸炎と私(途中経過報告)
一人でも多くの方に松本漢方クリニックを知っていただき、松本理論を理解し、潰瘍性大腸炎を一緒にやっつけましょう!!どうかひとりで悩まずに、自分の進むべき道を見つけてください。
もともと春先に、鼻水やくしゃみがひどくついに花粉症になってしまったのかと思っていた時に、たまたま大きな病院に行く機会があり、アレルギー検査をしたところやはり、花粉症であることがわかりました。
その時の検査結果は、ヒノキ、ブタクサ、杉のアレルギー度がMAX10のところ8でした。幸い、アトピーの症状はなかったので、花粉症は秋と春のシーズンには2、3年我慢していました。2005年ごろには鼻づまりや目のかゆみの症状がひどすぎるので近所の耳鼻咽喉科へ通うようになりました。
2010年には花粉症の症状がなくなっていました。私自身が勝手に体質改善できて花粉症は治ったと思っていました。この頃体質改善するにはビフィズス菌がいいと聞き、乳酸菌飲料を毎日夜飲んでいたからです。
2011年、2012年の健康診断では便血栓と貧血気味なので再検査をしてくださいと通知がありました。2013年3月下痢と貧血が続くのでMクリニックで内視鏡検査を受け、4月13日に潰瘍性大腸炎と診断され、この病気になると一生治らないから早いうちに申請をするように話されました。私は何が何だかわからなかったので、これからどうすればいいのかをその先生に聞いたところ、あなたは自分の体の症状を抑えてコントロールすることができないので、病院に通うしかないといわれました。今の医療ではこの病気を治すことができないので、会社の人や家族の人に相談して体調の悪い時は、会社を休みストレスをためないようにともいわれました。
その時は気が動転してしまい何を言われてもわからない状態になってしまいました。後から考えると、その先生の顔はまるで私が犯罪者であるかのように話しかけるような感じでした。
その帰りに病院の入り口で、先生の役職やフルネームがわかるようになっていたので、その先生の名字から部長ということがわかり、だからあんなに高圧的な態度で患者に接してしまうのかなと思いました。次に病院に行くまでの間に、自分の病気のことをインターネットで調べると、一生治らない病気で、症状が悪化すると大腸を取る人もいることもわかりました。その患者さんのブログとかを見ると、自分がもしそうなったらこれから本当に生活していけるのか1どうか不安になりました。一人でいると涙があふれてくる毎日でした。そんな不安な日々を過ごしながら、一週間後に担当の先生からこれからの薬の処方を受けるので、改めて病院へ行ったところ担当の先生が変わり、話をよく聞いてくれる先生に変わりました。
その先生の話を聞くと、「この病気になると特定の薬を飲み続けなければいけない」と言われて、処方されたのがアサコールでした。「肝になる薬なのでこの薬から始めていきましょう」とも言われました。
最初の3~4日は薬が効いていたのですが、次第に薬が効かなくなり下痢と発熱をしだしました。明らかに症状が悪化していたので4月29日の時点では自分で薬を飲むことをやめました。念のため4月30日の時点でMクリニックの先生に電話したところ薬をストップしておいてほしいと言われました。5月2日に改めて病院に行き、先生の診断は、「薬に対するアレルギーが出たようなのでしばらく、薬を飲むのをストップし、再来週から新しい薬に変えます。アサコールの成分が少し入っているものですがこの薬も、この病気の症状を軽減するのに肝になる薬ですので処方します。」この話を聞き私はぞっとしました。
アレルギーが出ていると自分で言っているにもかかわらず、また同じ成分が入っている薬を飲めば、また結果は同じことになるのに平然と言っているのです。先生は自分がおかしいことを言っているのに気付かないのか、病院で処方できる薬をアサコールが入っているものしかないのかどちらかなんだと私は想像しました。この時点で、私はこの先生は私の病気を治す気がないのだろと思っていたし、症状を軽減させる薬を処方します。しかし言ってもらえていなくて本当にこの病院に通院する意味があるのかどうか不安でした。患者さんの数も多く、みんな言われるがままなのかと思い笑ってしまいました。
この日、家に帰るとすぐにインターネットで松本先生の医院を探しあてることができました。患者さんの手記や先生のコラムを読んでいるうちに私と同じ症状が書いているではありませんか。なぜ潰瘍性大腸炎になってしまうのか。この理由は私が最初に通っていたMクリニックでは教えてくれませんでした。治らない病気であることと、症状を抑える薬を処方してくれることしかわかりませんでした。
花粉症の症状がなくなって完治していたと思っていたものが、私の体から形を変え症状が出ていたのです。この原因がわかるからこそ、この医院の先生は必ず治ると言っているのだとわかりました。
その数日後に、診察室から聞こえてくる松本先生の声に少々面喰いつつも5月11日に先生とついにお会いすることができました。松本先生の顔を見たときには私はほっとしていました。
なぜ関東から大阪まで通うと思ったのかを聞かれたときに、今まで思っていたことを話す前に涙が出てしまいました。この病気を治すことができると言っている先生だったからですと答えました。松本先生は私の話を親身になって聞いてくださり、何度も何度も「貴方の免疫が病気を治すんやで」と言いながら握手をしてくださいました。私の症状は見る見るうちによくなって今では下痢をすることはほとんどありません。粘液と下血がたまにあるくらいまで症状は回復してきました。
松本先生と電話でお話しすることがいつも楽しみでいつも電話をかけて先生と現在の症状についてお話していました。まだ中間報告を提出していない私は、松本先生に電話をするのがつらくなり少しの間、漢方をさぼってしまいました。そして手記を提出するのも遅くなってしまいました。先生申し訳ありませんでした。
松本先生の論文とコラムは松本先生の所に行く前にこれだけは必ず読んで行ってください。
①漢方はなぜ免疫を上げるのか?
②潰瘍性大腸炎の完治の理論と根拠
③なぜ炎症性腸疾患であるクローン病と潰瘍性大腸炎は膠原病の中で最も治りやすいのか
④「ヘルペスについて」患者さんの手記です病気は違うのですがリウマチも潰瘍性大腸炎も同じです。症状が出る場所が違うだけです。
⑤「リウマチさんありがとう」という手記は長いですが、ぜひお会いし、お話を伺いたいなと思った方の手記です。
潰瘍性大腸炎で悩まれている日本中にいると思いますが、ぜひ松本先生のところに、来てください。一人で悩まず、先生と話してください。きっと未来がみえてきます。