「潰瘍性大腸炎中間報告
(30年前に発症、5年前に松本漢方クリニック受診)」
59歳2016年2月9日
59歳2016年2月9日
私が潰瘍性大腸炎と診断されたのは30年前の29歳の時でした。その後の25年間は西洋医学で治療を続け、全く治癒の望みがないまま、ただ悪化する一方となり、まさに絶望の淵に突き落とされていました。そんな時に、幸運にも松本先生とめぐり会えたのです。その発症から現在に至るまでを、そのつど記録してきたメモを元に、記憶をたどりながら列記していく形をとります。あまり整理がつかないものとなってしまう事をお許しください。
1986年(29歳)
今から30年前、粘液便が1カ月位続いたので、近くの大学病院の外科を受診しました。そこで、潰瘍性大腸炎と診断され、その時からサラゾピリンを飲み始めました。しかし、受診するたびに外科手術の話があるので、違うお医者様にも診ていただいたほうがよいのではないかと考え、半年後、内科胃腸科を開業しているA先生を受診しました。A先生も「治らないが、サラゾピリンで抑えていきましょう」ということでした。その後は、サラゾピリンを服用しても、粘血便が続いたり治まったりを繰り返す状態でした。
1994年(37歳)
今から22年前、熱とお腹の激痛、粘血便、下痢、白血球12000、痛みに我慢できなくなって、A先生に紹介状を書いていただき、最初に受診した大学病院の内科を受診し、4週間入院しました。そこでも、サラゾピリンを服用しましたが、ステロイドを初めて注腸されました。1日1回5日間位だったと思います。その直後から、それまでの激痛がウソのようになくなりました。
退院後は、またA先生のお世話になりました。退院後も、またサラゾピリンのみの服用でした。3カ月位粘血便が続いたとき、湧永製薬のキヨーレオピンを1日1ml飲んでみました。1カ月すると粘血便が出なくなり、その後は、粘血便が出ても、1カ月位すると治まりました。
1997年~2002年(41歳~46歳)
6年位は、サラゾピリンとキヨーレオピンで粘液が全く出ることなく落ち着いた状態で、サラゾピリンも昼食後飲み忘れてしまうことが度々ありました。2週間分のサラゾピリンを6週間程かけて飲み切るようなことがよくありました。
2003年(46歳)
今から13年前の6月頃、1日に10回位お腹がほんの10秒位痛くなりましたが、粘液も出なく、下痢にもなりませんでした。
それから2~3週間後、長い間出なかった粘液が出始め、下痢腹痛が始まりました。腹痛は1日に10回位でしたが、下痢便を出しきると治まりました。すぐにA先生のところに行くと、自宅でもできる注腸、ステロネマ3mg(1日おきに使用)と、下痢止め(ラックビー微粒N1%・タンナルビン「ヒシヤマ」・CBスコポラ錠10mg)を処方されました。ステロネマ3mgを、1日おきに5本位使うと粘液は出なくなり、下痢も治まりました。その後、サラゾピリンだけになりましたが、1年は大丈夫でした。
2004年(47歳)
前回からちょうど1年後、前年と同じような状態になりました。前年と同じように、ステロネマ3mgの注腸と下痢止めの服用で治まりました。その後は、何回も同じことの繰り返しでした。粘液が出始め下痢になると、サラゾピリンの他に、ステロネマ3mgと下痢止めを使いました。治まると、サラゾピリンだけになりました。そのうちに、治まっている期間が徐々に短くなっていき、ステロネマの使用本数を増やさないと治まりにくくなってきました。
2011年(54歳)初めて松本先生を受診した時(2月22日)
赤みがかった薄茶色の水のような粘液が出て、便器に散り、腹痛があり、1日2~4回下痢でした。粘液だけの時もあり、下痢便が出ると、痛みは治まりました。当時私は、身長150cm、体重36kgで、前年より1年で3kg減っていました。
ステロネマ3mg
2008年1月 9本位
11月 10本
2009年1月 4本
2月 7本
5月~6月 13本
2010年2月~3月 8本
6月 3本
9月 7本
11月 5本
※これ以前は記録しておかなかったのでデータがありません。
松本先生は、力強い語り方をされる反面、とても優しい目をされているというのが第一印象でした。私は、ステロネマ注腸は何10本も使用しましたが、ステロイドの飲用を1度もしなかった事と、25年間腸を切る手術を1回も受けていなかったのが良かったとおっしゃられ、「大丈夫や」と何回も固い握手をしてくださいました。帰りの新幹線の中では気持ちがだいぶ落ち着きました。
翌朝、生まれて初めて漢方を煮出すと、部屋いっぱいに松本漢方クリニックの待合室と同じ匂いが広がりました。初めて飲む漢方薬はやはり飲みやすいとは言えませんでしたが、この一口が完治への一歩と思い飲み続けました。今では、食前も食後もお茶代わりにスッと飲んでいます。特にのどが渇いている時など、さっぱりしていてとても美味しいです。お灸もこの夜から始めました。ただ、お灸をしている箇所は暖かいのですが、エアコンをつけていても2月の夜は寒かったです。車で10分程の鍼灸院にも週1回程度で通うようになりました。
リバウンドについて
私のリバウンドは、深く長く続きました。ここからは、リバウンドの様子だけになってしまいます。今でも過去形にしてしまって良いのか分かりませんが記していきたいと思います。
松本先生を初めて受診した2011年の2月22日から西洋薬は一切飲んでいません。(松本先生が処方してくださったフロモックス・ベルクスロン錠・ビオフェルミン・フェルムカプセル・メチコバールは飲みましたが)
松本先生受診前から腹痛、水様便、粘液はありましたが、漢方薬だけになると、回数が増え、疲れた時などは粘血便も出るようになりました。お腹が痛いと思ったらすぐにトイレに駆け込まないと我慢できなくて、廊下で出てしまう事も度々ありました。車の中でも急にお腹が痛くなり、近くのトイレに間に合わなくて車の中で出てしまい、膣の中に細菌が入り黄緑色のおりものが出た時もありました。腹痛、下痢が1日10数回。夜中も2~3回はトイレに行っていました。どうしても出かけなければならない時は、紙オムツをして外出していました。体重も徐々に減っていき、体力が落ちていくのを実感しました。その事を、松本先生に申し上げると「近所で点滴を」というご指示を受けましたので、今までのA先生の所ではなく、初めて行くB先生のクリニック(一般的な西洋医療のクリニック)に行ってみました。漢方薬で治したいので点滴と検査だけして欲しい旨を伝えると、B先生がどう思われたかは分かりませんが、了解していただき、それ以降は、月2~3回点滴に行っています。
体重減少と同時に両膝のあたりに何とも言いようのないだるさを感じるようになりました。椅子に座っているだけならなんともなく、痛くもなく腫れているわけでもないのですが、歩くと変な感じなのです。息子さんが私と同じ潰瘍性大腸炎のお母さまが書かれた手記で、やはり、その息子さんが膝が変だという記述があり、“私と同じだわ”と思いました。また、その時々で困っている事を松本先生にお伝えすると薬を出してくださいました。この時は、ベルクスロン錠を飲用したと思います。膝のだるさも秋口には解消しました。
私は、先生の理論と患者さんの手記をプリントアウトしてトイレとベッドの横に置いて松本漢方クリニックを受診する前から何回も読んでいましたが、それがとても励みになりました。先生の理論は私にとっては難しかったのですが、1ページずつ理解していこうと思い、トイレに入るたびにページをめくっていました。リバウンドに苦しんでいると、夫は「先生がおっしゃっている事は、とても道理にかなっているのだから頑張れ」と言い、洗濯、ゴミ出し、お風呂掃除をかってでてくれました。先生が「家族の理解がないとダメや」と言われるのがよく解りました。
また、「食事はファーストフード以外何を食べてもよい」との事だったので、私は何でも食べました。漢方薬のおかげだと思うのですが、夏の暑い時でも食欲がなくなるという事は全くありませんでした。しかし、少しでも量を多く食べると、すぐに腹痛下痢でした。いくらでも食べられるものですから、途中でストップするのが難しかったです。食事も食材にはこだわりました。限界はありますが、なるべく化学物質が入っていそうもなく、また、遺伝子組み換えでもなく、無農薬、有機肥料のものを調達し、自分で調理しました。ファーストフードはもちろん、コンビニ弁当もこの5年間は1度も食べていません。外食もほとんどせず、友人と会えるような体調になってもお弁当を持って行くようにしています。
2012年の秋あたりから水様便の回数が減ってきましたが、また2013年の春からは、1日8~10回の腹痛、水様便、粘液、血液が出るようになってしまいました。少し良くなると、“このまま良くなり、アトピーの症状が出て、便秘になり、完治するのか”と期待してしまうのですが、2~3日もすると、また1日に何回もの下痢になってしまいました。体のどこかが痒いと“やっとアトピーが”、くしゃみを1回すると“花粉アレルギーが戻ってきた”と思うのですが、いつも違いました。期待しては、違い、また期待しては、下痢に戻るという事を何回も何回も繰り返しました。
私は、排便の時間と便の様子をすべて記録するようにしています。(最初の時、先生にいつか手記を書いてと言われていたので)2013年から2014年にかけては、完治の期待と下痢の繰り返しでした。体重も29kgをわってしまった時期もあり、イヤになり体重計に乗らない期間もありました。このリバウンドがどれくらい続くのかは、私の免疫が25年間の西洋薬でどれくらい傷つけられてしまっているのかによります。つまり、“いつ完治できるのかは、今はまだ誰にも分らない事なのだ”と分かっていても、やはりそれはつらい日々でした。しかし、漢方薬で治そうと選んだのは私自身ですし、25年間も西洋薬を飲んでいたのですから、とにかく短期間で免疫機能が戻るはずはないと割り切る事に努めました。先生が以前書かれていた①あきらめる②他人のエゴを受け入れる③自己中心的な欲望を捨てる④他人の幸せを喜ぶ、という人間に半歩でも近づけたらと願いつつも、ついつい忘れがちの生活になってしまいます。
しかし、そんなふうでありながらも、先生がことあるごとにおっしゃられる「あなたの免疫が治すんや!」という科学的根拠に裏打ちされた理論に励まされ、私もいつかは絶対に完治するという気持ちだけは常に持ち続けながら5年間をすごしてきました。
そして、2015年の夏あたりから徐々にトイレに行く回数が減ってきました。また腹痛もなくなりました。でも、良くなっては下痢の繰り返しを何回も経験していますので、心配性の私は、それでも簡単に手放しで喜べないところがあります。
昨年12月、夫が突然大きな手術をしなければならなくなってしまいました。この時もその日だけは何回もトイレに駆けこみましたが、粘液や水様便になる事もありませんでした。日常生活でも外出時トイレを探す必要はここのところなくなりました。まだアトピーの症状は出ていませんし、便秘にもなっていませんが、便は、形様便になってきて(小指ぐらいの細さですが)1日1~2回です。夜中トイレで時間を過ごすという事もなくなりました。私はリバウンドの中にいても気力を失う事は全くありませんでした。それは、先生と漢方薬といつも笑わせてくれる家族のおかげだと思っています。とても恵まれていると感謝しています。
私が悔いているのは、長いこと西洋医学しか頭になかったという事と、なんでもっと早く松本先生を見つけられなかったのか、という事です。今、潰瘍性大腸炎で苦しんでいる方々は、1日も早くこのホームページの手記や先生の理論をよくお読みになり、松本漢方クリニックを受診してみてください。25年間も西洋薬を飲み続けていた私でさえも、今、長く暗いトンネルを抜け出して、いつか完治するという希望の光が遠くに、しかし、確実に見えてきています。
先生、これからもどうぞよろしくお願いいたします。