「自分の免役の遺伝子で治す(経過報告)」
34歳2016年12月2日
34歳2016年12月2日
私が潰瘍性大腸炎と診断されたのは2007年でした。当時のことはほとんど忘れてしまったのですが、強烈な腹痛とともに大量の粘血便が出たので病院に行き、後日、大腸内視鏡検査をして、全大腸型の潰瘍性大腸炎と診断されました。ペンタサという薬を処方されました。
数日後に症状が楽になったので薬が効いたのだと思い、その後9年間毎日まじめにペンタサを飲み続けました。発病の原因は学生生活の終わり頃にストレスがあり、就職してからもストレスがあったからだと思います。最初に診てもらった病院は大きめの総合病院でしたが、待ち時間が長いのと、原因不明の難病ということで治すことを諦め、とりあえずペンタサを飲んどけば良いと思い、近所の待ち時間の少ない病院に行っていました。特定疾患で薬代がタダなので、免役抑制剤を飲み続けることの恐ろしさも知らずに飲んでいました。切れ痔もあったので痔の軟膏も初めはタダでもらっていました。
9年間のうちに症状が酷くなり出血することも何回かありました。2015年の6月に肛門周囲膿瘍になり必死に痔の病院をネットで探していた時にたまたま松本漢方クリニックのHPを見つけました。潰瘍性大腸炎完治と書いていましたが、その時は内容を読むことはしなくて、とりあえずパソコンのお気に入りサイトに追加しておきました。肛門周囲膿瘍はⅢ型の痔瘻になりました。痔瘻は同年8月に京都の病院でシートン法の手術をして完治しました。痔瘻の原因を後になって考えますと使っていた痔の軟膏が、強力ポステリザン軟膏というステロイド入りの薬で、使用することによって肛門周囲の免役が働かなくなり、細菌に感染したからだと思います。
2016年の5月頃に下痢が続くようになりました。6月に会社の勧めで献血に行きましたが、血液検査でわずかな貧血の為に献血を断られました。何日か後に2回行きましたがやっぱり貧血でした。そのときに体の中で良くないことが起こっていると思われるので、しっかりと潰瘍性大腸炎を治さないといけないと思いました。松本漢方クリニックを思い出しHPを見てみると、理論は理解できませんでしたが、場所が高槻で私の住んでいる京都から近く、土日もやっているので行くことを決心しました。もし松本漢方クリニックが東京にあって平日しかやっていなかったら私の潰瘍性大腸炎は一生治らない病気になっていたことでしょう。
初受診は緊張しましたが、松本先生から「病気はひどくない。今日からペンタサを飲むのを止めろ。治るよ。」と言われほっとしました。お灸のやり方を教えてもらい、漢方の煎じ薬をもらって帰りました。漢方は、最初はまずくて吐き気がしていましたが、水で味が分からなくなるまで薄めて飲んでいると、そのうち慣れて、そのままがぶがぶと飲めるようになりました。
毎日、漢方を飲んでお灸をやって、松本漢方クリニックのHPを読んで仕事でストレスを溜めないようにしていると、どんどん免役が上がっていきました。初診時(6月)28だったリンパ球が1ヶ月後に36に、2ヶ月後に41に、3ヵ月後に45になりました。リンパ球が40を超えた時は先生から「治す力バリバリやんけ。」と言われました。
クラススイッチは7月に両手首にアトピーが出てきたことです。リバウンドで、ほとんど毎日下痢便か泥状便でしたので漢方の断痢湯を飲み続けていますが、10月末に便秘の症状が出るようになり、最近は固まってきています。9月に体のだるさ、しんどさを訴えた時は「ヘルペス」が原因の為、アシクロビルを2週間分もらって良く効きました。
松本漢方クリニックに行くと「病気は誰が治すんや?」とよく訊かれます。初めは「自力で治します。」と答えていましたが、最近ようやく「自分の免役の遺伝子が治します。」と答えられるようになりました。記憶に残った先生の言葉は「怖い病気はない、癌は病気ではない。」です。
最後になりましたが、松本先生をはじめとした松本漢方クリニックの皆様いつもありがとうございます。これからもよろしくお願いします。