「潰瘍性大腸炎奮闘記」
36歳2016年8月3日
36歳2016年8月3日
私は20代中頃から下痢の症状が続き、体質だと思いあまり気にする事なく過ごしていました。平成25年8月頃、便に血が混ざり、近所の消化器内科を受診すると食中毒(毒素性大腸菌O-6、ベロ毒素陽性)と診断されました。抗生剤とビオフェルミンを服用し一旦は治りましたが、翌年8月、2度目の食中毒、しかも同じO-6菌が見つかりました。
薬を服用しましたが、下痢と血便はひどくなるばかりだったため紹介状をもらい、平成26年8月21日、地元の日赤で再度内視鏡で検査を受けると、潰瘍性大腸炎(全大腸炎型)だろうと診断されました。私の母が同じ病気だった為、難病である事、何度も繰り返す大変な病気だということは知っていました。知っていたからこそ受け入れる事が出来ずに、県外の病院でセカンドオピニオンを受けましたが、やはり同じ診断結果でした。
しぶしぶ処方されたアサコールを服用していましたが、日に日に症状は悪化し、強烈な腹痛と、1日30回以上の粘血便で夜も眠るのが困難な状態となっていました。受診するたび入院をすすめられましたが、治療に対する不安と何とか自力で治したいという思いから断って帰宅しました。
フラフラになりながらも病気についていろいろと調べているうちに、松本漢方クリニックに目がとまり、たくさんの手記を読み希望を持つようになりました。それと同時にステロイドの怖さを知りました。私は「東洋医学で治療したい!」と思った時には私の大腸はほとんど機能せず、即入院となってしまったのです。H26年9月6日から3日間の絶食、その間アサコールに加え水分を補給するための点滴とペンタサ注腸で下痢は15回前後にまで減り、血便はありませんでした。
こんなに辛い思いをするならもっと早くに入院しておけばよかったとも思いましたが、戦いはこれからでした。4日目の朝には、待ちに待っていた食事が出ましたが、おかゆの上澄みに具なしのみそ汁、昼も夜もほとんど味つけのない流動食のような食事が退院までの50日間続きました。それでも口にしたその日から早速血便が始まりました。多い日には20回以上の血便です。食べた以上に排出してしまうので、体重はみるみるうちに減り、ついには輸血が必要な程の貧血と栄養失調で安静の日々が続きました。炎症による高熱と腹痛も昼夜を問わず続き心身ともに衰弱しきっていました。
そんな中、主治医からはプレドニンの服用など、ステロイドの治療を何度もすすめられましたが、それでも私は「これ以上の治療は望みません。私は漢方で治療をしたいんです。自分の免疫で病気と闘いたいんです。だから大阪に行かせて下さい・・・。」とお願いしました。私を治そうと一緒に闘って下さった主治医です。毎朝の血液検査では無表情な先生が一喜一憂して下さいました。そんな先生に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、「最悪なのは腸を切る事です。今の状態だと、いつ穴があいてもおかしくありません。なので今はこの病院で大阪まで行ける体にまでもっていきましょう!」とおっしゃってくださいました。なので私はステロイド治療を受けていません。ただ、白血球除去法(G-CAP)を受ける事にしました。ですが10回中初めの4回は警告音が鳴り中止となりました。体が拒否していたのかもしれませんが、結果、冷えると血が固まってしまう特殊な病気が見つかり血液を温めてから体内に戻すという方法で無事に成功しました。
一進一退の毎日でしたが、G-CAPを終了したH26年10月8日頃からでしょうか、下痢と血便の回数が5回前後にまで減りました。「あともう少し!」思いながらも、高熱と貧血、栄養失調は横ばいの状態でした。ただトイレに通う回数が減ったことで心が少し元気になり、食欲がわいてきて病院の食事を受けつけないのもありましたが朝と夜、差し入れを持ってきてもらうようになりました。私と違って家庭を持ち、仕事の合間をみてほぼ毎日病院に足を運んでくれた家族には本当に感謝しています。
栄養失調による全体的な脱毛が始まっていましたが、栄養剤の点滴も徐々になくなり、治療はエレンタールとアサコール、鉄剤の服用のみになり、退院という言葉をようやくいただきました。退院前の内視鏡検査では期待していたよりはるかに悪い状態でしたが、予定通りH26年10月27日退院。翌日、念願だった松本漢方クリニックに父の運転で4時間かけて向かいました。
院内に入ると、ただよう漢方の匂いと松本先生の熱心な声が聞こえ、たくさんの方が順番を待っていました。あらかじめ電話で予約しておいた鍼とお灸の治療を約30分受け、その後診察です。私は若先生に診察していただきましたが、松本漢方クリニックに来るまでの経緯を聞いて下さり「ひどかったんやね、発症したのは去年ですけど、だいぶ前から炎症は始まっていたでしょうからリバウンドはきついかもしれません。」と言われ、正直まだ続くのかという不安はありましたが、若先生の「大丈夫!」という言葉を信じることにしました。
治る為ならと翌日から自宅でお灸と漢方薬を煎じて食前と食後の1日3回飲み始めました。すると5日後には目に見える血便は無くなり、若先生のご指示で徐々に減らしていったアサコールと鉄剤は退院から20日後には中止となり、H26年11月18日頃には1日0回~3回のやわらかい普通便に変わっていたのです。それまで半信半疑だった父も喜び、理解してくれるようになりました。
リバウンドといえば、体の痒みのひどい時期が1ヶ月程ありましたが、赤色の軟膏を塗り、耐えました。今でも全身に残っている傷あとは病気と闘った勲章です!その間不安なことがあると、電話で何度か対応して下さいました。H27年1月アルコールを除いては、特に食べ物に気を使う事無く3食しっかり食べていたので、入院中8キロ痩せた体重は少しずつですが増え始め、貧血の数値も正常になりました。調子のいい日が続き、半年以上仕事に就けなかった事もあり、就職活動を始め忙しく過ごしていた頃、逆に便秘気味になり漢方薬とお灸を自己判断で勝手に止めてしまいました。
H27年3月、私は新しい会社に就職し、心機一転!完治したと思い込み、闘病中の記憶は悪夢でも見ていたかのようにすっかり元気になりました。H27年7月、特定疾患の更新の為、退院後9ヶ月ぶりに日赤を受診しました。入院中、二人三脚で闘って下さった主治医は、私の退院と同時期に日赤を離れてしまいましたので、代わりの先生が担当となり、東洋医学を理解してもらうには難しいと判断し、あまり深く話すことなく内視鏡検査を受けることになりました。
病状がひどかっただけに大腸全体に傷あとは残っていましたが、炎症はありませんでした。先生は「治療もしていないし、この状態なら来年の更新はできない。」と言われ、「西洋医学では治らないから難病なのでは?」と思いながらも安堵感でいっぱいでした。人一倍食べることが大好きな私は、仕事柄、お昼は外食、夜は晩酌と気付くとまた病気になる前の生活に戻っていました。
こんな日々を送りながら、慣れない営業の仕事を必死にやっていたH28年3月頃からまた下痢の症状とひどい疲れが続くようになりました。ストレスも相当溜まっていたので、そのせいだろうと思っていましたが、それから4ヶ月後血便。H28年7月1日、すぐに日赤で内視鏡検査を受けると炎症が見られました・・・再発です。この時は予約なしでの受診だった為、直腸部分のみの検査でしたが、病魔が全体にまでは広がっていないことを祈りつつ、松本漢方クリニックに電話をしました。電話に出られたのは、若先生ではなく松本先生でした。勝手に漢方を止めてしまったこと、しかも診察も受けず電話で漢方をお願いしたこと・・・などなどたくさんのお叱りを受けましたが、1週間分の漢方を送って下さり、H28年7月12日、松本漢方クリニックを受診し現在またお世話になっております。
この時の症状は常に残便感があり、1日に5回~8回の下痢と血便で朝起きてから出社するまでに4回ほどトイレに駆け込み、恥ずかしながら間に合わないことが何度かありました。幸い腹痛はありませんでしたが、仕事中もトイレが不安でまともに働けなくなり、信頼のできる上司に相談したところ、私の体調を最優先して仕事を続けることになりました。松本先生にお会いするのは初めてでしたが顔を見るなり「疲れがひどいんやろ?目を見れば分かる!」と言われ、ヘルペス剤も一緒に服用しています。私の病気ですとヘルペス剤は保険外のため高額ですが、漢方だけでなく、鍼やお灸などを総動員して私の免疫をバックアップしてくれています。漢方を飲み始めて今日で1ヶ月になりますが、残便感はなく下痢の回数は5回未満に減りました。体の痒い日があるものの、リバウンドは今のところ前回よりだいぶ軽く済んでいます。
この病気は周りの理解と支えがなければ私1人ではきっと闘えない病気です。病室の天井を見上げて泣いていたあの頃に2度と戻るわけにはいきません。今はまだ、免疫が下がるたびに再発したらどうしようという不安はありますが、私の幸せを願う大切な家族のためにも、完治目指して頑張りたいと思っています。強烈に熱い先生ですが、私は松本漢方クリニックに出会えた事に感謝しています。同じ病気で闘っている方の希望に少しでもなれればと思い、僭越ながらこの手記を書かせていただきました。松本先生はいつもおっしゃいます。「誰が病気を治すんや~?」私自身です。