「現代医療の常識に惑わされないで(潰瘍性大腸炎途中経過)」
37歳2015年11月10日
37歳2015年11月10日
私が潰瘍性大腸炎を発症したのは、2012年の8月でした。最初は腹痛と血だけで、慣れない仕事で疲れているのかなあと思いましたが、日を追うごとに、激痛、下痢、吐き気を伴うようになりました。そして、いてもたってもいられなくなって、近所の消化器内科を受診しました。
そこでは風邪や過敏性大腸炎を疑われ、薬を出されましたが全く効果がなく、再診時には「これ以上は内視鏡検査しないと分からない」と言われました。大腸内視鏡検査の結果、潰瘍性大腸炎と告げられ「完治しない難病で、一生薬を飲み続けないといけない。炎症・びらんがあり、重症です。大腸癌のリスクも高くなります。」と説明されました。非常にショックでした。
1日4錠のプレドニンとペンタサが処方され、食事制限をしながら服薬しました。1週間程で症状が緩和され、ペンタサのみとなりました。その後、ペンタサからアサコール錠へ変更され、この薬の方が腹痛を軽減させたので、毎日欠かさず4~12錠服用しました。しかし体調が悪化する予兆があたったので、仕方なく無理な仕事を退職しました。
アサコールを飲み続けた結果、1年後にはバイトが出来るようになり、再検査では軽症と診断されました。「このまま治まってくれればなあ」と思っていましたが、結局2014年の12月に再発してしまいました。腹痛と下痢の為、アサコールを多量に飲むようにしましたが、悪化していきました。再びプレドニンとステロネマ浣腸が処方されましたが、服用しても効果が持続しませんでした。「浣腸は使用しづらいし嫌だ。プレドニンも効かない。」と医師に言いましたが、「プレドニンの服用量を守りなさい。浣腸も毎日して慣れなさい。」と言われました。「日赤病院を紹介しましょうか?」と聞かれましたが、治療に対する不信感(大きな病院に行っても免疫抑制剤を使用されると思った)と先行きに希望が見出せなかったので断って、医師に怒りをぶつけて帰りました。
ネットで何か他の方法がないかと(もっと早く探していれば良かったのですが)検索すると、松本漢方クリニックのホームページが出てきました。手記と理論をざっと読んで、「すぐに行ってみよう」と思いました。すぐに行かずにはいられないほど症状が悪化していたからです。
2015年の2月に初めて松本先生の診察を受けた時は、あまりの辛さに号泣してしまいましたが、先生は、「大丈夫や。君の免疫力が治すんや。今までの薬は全部要らん」と握手して下さいました。そして煎じ薬3種とアシクロビル、紫雲膏と黄軟膏、入浴剤を処方され、帰ってすぐに煎じて飲みました。最初は激痛が治まらず、5日後に電話診察を受けると、「ヘルペスや。アシクロビルの量を増やす。」と、追加で送ってくださいました。すると10日後には驚くほど症状が緩和され、1ヶ月経つと、煎じ薬1日分を3日に分けて飲んだり、アシクロビルの量を減らしたりできるようになりました。
最初の血液検査の結果、CRPの数値は正常値の範囲でしたが、抗核抗体とヘルペス抗体価が高いことがわかりました。またリンパ球・コルチゾールの値が低く、ACTHが非常に低いことがわかりました。2回目の血液検査では改善が見られました。ダニや埃のアレルギー数値は現在も高いままです。
そして、リバウンドのアトピーはすさまじかったです。このアトピーは幼少の頃からのもので、ステロイド軟膏は常備薬でした。以前アトピーが酷い時期に、新大阪の丹羽診療所で出された茶色い軟膏と、SOD食品を使用して難を逃れた事がありました。今回も辛さのあまり、その茶色い軟膏を塗ってしまいました。後日、松本先生にその事を言うと、こっぴどく怒られ、「ステロイド入ってるやろ。全部捨てろ。勉強し直してこい。」と。ステロイド軟膏が常備薬だった私にはキツイ言葉でした。今もアトピーが苦しいですが、松本漢方クリニックは脱ステロイドという高い信念を持って治療をされている医院ですので、紫雲膏と黄軟膏で頑張っていきます。
このような難病で苦しんでいられる方へ。現代の西洋医学の常識に惑わされず、自分の病気と真正面から向き合って、元気になれるよう助けてくれる松本漢方クリニックを訪れて下さい。