「潰瘍性大腸炎中間報告」
46歳2016年1月25日
46歳2016年1月25日
私は38歳の時、第二子妊娠4ヶ月目に、ほんの少し下血を起こしましたが、長男妊娠中に便秘が原因で切痔になった経験があったため、“また痔になったか”と思い、すぐに肛門科を受診しました。診察の結果、医師から「切れ痔ではないが、妊娠中のため検査は出来ない。出産後も続くようなら検査したほうが良いだろう。」と言われました。
その後も下血は続き、妊娠後期にはかなり貧血が酷くなり、鉄剤の点滴を受けました。そんな状況でしたが、幸いなことに無事次男を出産することができました。
出産後も下血は持続しましたが、二人の子供の育児に負われ、病険を受診することはできませんでした。引越しをすることになって、その準備のために更に忙しくなると、下血の量はさらに増えていきました。そんな中、左足のすねに虫刺されの様な膨らみができました。それはみるみる膨れ、かなりの痛みを伴うようになったため皮膚科を受診しました。診察の結果、直ぐに総合病院の皮膚科に行くよう言われ、その足で受診しました。受診後、できものの細胞を採り、詳しく調べることになりました。
帰宅後、足が腫れ上がり、再度病院を受診すると、検査したことが原因で感染を起こして蜂窩織炎となった事が分かり、即入院することになりました。
入院後、抗生剤とステロイドの点滴治療が始まりました。下血の原因を調べるため大腸の内視鏡検査を受けると、検査を担当した医師から「おそらく潰瘍性大腸炎だろう」と言われました。検査の結果、できものは壊疽性膿疲症で、潰瘍性大腸炎が原因でした。退院時からペンタサが処方され、ステロイドと共に内服しました。役所に書類も提出し、潰瘍性大腸炎が認定されました、
ペンタサを飲み始めても数ヶ月は下血が続き、内服と共にペンタサ注腸を暫くやることで、やっと落ち着きました。自分が難病の潰瘍性大腸炎になったことはショックでしたが、“病気と上手く付き合い、生活していく上で大きな支障がなければいいだろう”と思うことにしました。その後3人目を妊娠し、無事長女を出産することができました。
3人目の育児休暇が終了し、2011年の2月から看護師の仕事に復帰しました。2011年の3月には東日本大震災があり、様々なことが混乱しました。私の周囲でも色々なことがありました、4月から部署を異動し、3人の子供の育児や家事をしながら新しい仕事を覚え、環境に慣れるのに苦労しました。主人は節電の影響で土日が勤務日となり、自分の休みは、育児と家事に追われ、ほとんど休む暇なく動いていました。また、遠方に住む父が食道癌となり、病状が落ち着かなかったため、度々日帰りで見舞いに行くなどし、かなり体を酷使していました。そして、そんなストレスが蓄積している状態の中、再度下血・下痢を起こしてしまいました。
その頃には、自分が働く総合病院の消化器内科の部長に潰瘍性大腸炎を診てもらっており、直ぐに相談しました。ペンタサからアサコールに薬を変えたりしてもらいましたが、血液検査で肝臓や膵臓の値が悪くなったため、先生が思うような治療は出来ませんでした。そしてまた、足に壊疽性膿疲症ができたのを期に、ステロイドの内服が始まり、下血・下痢は止まりました。
しかし、ステロイドの量を減らしていくと、再び下血が始まり、ステロイドを中止することが出来ませんでした。そのせいで、様々な副作用が出ました。仕事も休職したりしながら治療を続けましたが、下血は止まりませんでした。
そんな状況が9ヶ月続き、生活にも支障が出ている状況の中、私は初めてインターネットで潰瘍性大腸炎について調べ、松本漢方クリニックの事を知り、松本先生の治療や考えを読み、松本漢方クリニックを受診したいと思いました。
2012年6月、横浜から新幹線に乗り、松本漢方クリニックを受診しました。松本先生に初めてお会いしたとき、「なんで、今更ここに来たのか」と聞かれました。その時、私は泣いてしまい、答えることができませんでしたので、今、説明させていただきます。
私は、ステロイドを使うのは嫌でしたが、“良くなるためには仕方ない”と思い、使っていました。でも9ヶ月良くならない状態が続き、不安で一杯でした。しかし、“幼い私の大切な子供達のためにも良くなりたい。潰瘍性大腸炎を完治させたい。松本先生の治療を受けたい”と思い、松本漢方クリニックを受診したのです。
その後、漢方薬のこと、鍼灸のこと、他にも話を聞きましたが、帰りの新幹線の中では、“漢方薬を煎じることができるのか”“お灸を毎日できるのか”“ステロイドをいきなりやめて大丈夫だろか”等々で不安になり、主人に泣きながらメールをしたことを思い出します。
最初は大変でしたが、少しずつ漢方薬を煎じて飲むことにも慣れ、主人に協力してもらってお灸もやりました。ステロイドを中止した直後は、下血の量が増え、疲労感も凄くて、このままでは死んでしまうのではないかと思いました。松本先生は、遠方でもちゃんとフォローできるよう、どのタイミングで電話すれば良いのかを最初の受診の時に指示して下さいました。電話をした際には、今の症状と心配に思っている事を話し、最後はいつも「治らん病気なんてない。治すのは自分や!!」という先生の言葉に励まされました。
治療を始めて3ヶ月くらい後には、あんなに悩まされていた下痢と下血がほとんど無くなり、治療の効果を感じることができました。しかし安心したその矢先に下血・下痢が酷くなり、また足にできものができました。その後、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、9ヶ月が経った頃、両足全体がアトピーで湿疹だらけになりました。ついでにヘルペスもでき、そのヘルペスから膿が出て、痒みと痛みで1ヶ月間くらい辛い思いをしました。でも、“アトピーが出たことはクラススイッチしているのだから悪いことではない”と思い、乗り切りました。抗ウイルス薬もかなりの量を飲んだので、この頃は治療費も負担となりました。
どうして他の方はすんなり良くなっているのに、自分はなかなか良くならないのかと、正直いらだつこともありましたが、いつも電話の向こうの松本先生の言葉に励まされたり、時には叱られたりして、治療を継続することができました。
2013年5月、下血が酷くてヘモグロビンの値が下がり、造血剤を飲んだり、下痢が酷くて一晩に3回から4回トイレに行かなければいけなくなりました。疲労感も強く、体重は治療を開始したときに比べ8kg減りました。心も体力的にも限界を感じたので、松本先生に相談して2ヶ月休職し、自宅で安静にした結果、大分状態は良くなりました。
しかし、仕事に復帰し暫くすると、また下痢や下血が始まりました。落ち込んで、“もう駄目じゃないか”と思うこともありました。でも、ステロイドの副作用を経験していた私は、あの治療に戻りたいとは思えず、松本先生の『真実の治療』を続けたいと思い、「治すのは自分だ」と心に決めました。そして、生活全般を見直し、休む時間を増やし、食事も更に気にするように心がけました。初めて松本先生にお会いしたとき「今更、どうして~」と先生に言われましたが、その『今更』の経験があったから、なかなか好転しない状況でも諦めず、松本先生の治療を続けることができたのだと思っています。
2014年10月の中旬から下血の量や下痢の回数が減り始め、下旬にはパタリと両方止まりました。今は2016年1月ですが、その後は一度も下血しませんでした。先生に手記を書くよう何度も言われましたが、体調が良くなったことから仕事上での責任が増えて多忙になったり、2015年4月から主人が愛知県に単身赴任することになり、育児や家事に追われたりで、なかなか書くことができず、こんなに遅く中間報告することとなってしまいました。
私は現在も多忙な日々を送っていますが、病状が悪くなることはありません。看護師としてフルタイムで勤務し、3人の子供の育児や家事を毎日こなしています。あんなに辛い日々を過ごしていたのが嘘のように、元気に毎日を過ごしています。これも、松本先生の『厳しいながらも患者思い』の治療のおかげです。先生への感謝の言葉は尽きません。ありがとうございました。
電話でもお会いしたときも、先生には良く叱られましたし、それ以上に、いっぱい励ましてもらいました。受診したときには、同席している私の3人の子供に、よく笑って言葉をかけて頂くので、3人とも「京都の先生おもしろいよね」と言っています。
他の方の手記を読むと、皆さん治療を始めて大体6ヶ月くらいで中間報告を書いている方が多いので、私は大分長くかかった方かと思いますが、こうして中間報告ができたことは、とても嬉しく思います。これからも治療を続け、完治を目指して頑張ります。
最後に。長い文章で読みにくかったかもしれませんが、この手記が同じ病気で頑張っている方の一助となれば幸いです。