「潰瘍性大腸炎中間報告」
43歳2016年1月21日
43歳2016年1月21日
私が初めて松本漢方クリニックを訪れたのは、2015年7月19日でした。手記を書いている今は2015年12月。松本漢方クリニックで治療を始めてから、わずか4ヶ月程で、14年間患った潰瘍性大腸炎に完治の兆しが見え始めました。初めて松本医院のホームページを見た時から、完治を疑うことはなかったのですが、今、症状が落ち着いていることが、やはりまだ夢のように思えます。ホームページに書かれてある『潰瘍性大腸炎は決して決して難病ではありません。治る病気です』の先生の言葉を読んだ時、涙が出ました。そして、目の前に本当にパッと明るい道が開けるのを感じました。その予感が間違いではなかったと今、心から思います。この4ヶ月、多くの方の手記に励まされました。私の手記が少しでもどなたかの役に立てば嬉しいです。
私が、潰瘍性大腸炎と診断を受けたのは、2001年8月でした。当時、私は大阪の医療機関で受付業務をしていました。もともと内向的な性格だったので、多いときに1日千人が来所される職場での接客業は、毎日緊張の連続でした。そんな自分にいつも自信が持てず、コンプレックスのかたまりでした。自信をつけるには行動するしかないと、休日も専門学校に通ったりしていました。とにかくスケジュール帳をうめることが自信に繋がると勘違いしていたかもしれません。平日は毎日残業、休日は専門学校、一人暮らしだったので食事はファーストフード中心など、潰瘍性大腸炎になっても仕方がないような生活を送っていました。
潰瘍性大腸炎の症状が出始める前、下半身の蕁麻疹に悩まされた時期がありました。その時、病院で処方してもらった薬は劇的に効いて、症状がなくなったことを覚えています。このあたりで、スイッチが逆に入ったのかもしれません。潰瘍性大腸炎の症状は本当に不快です。トイレに行っても、行っても、治まらない残便感、強い便意があっても粘液や粘血便しか出ないのに、我慢がほとんどできず、間に合わないことが何度もありました。トイレに響いてしまう排便の音、年一回の拷問のようなCF(大腸内視鏡)・・・。苦しいことばかりです。私の場合は、職場のトイレが、お客様と同じなのに、個室が1つしかなかったので、音を気にしたり長く入っていられなかったりで、本当に辛かったです。
ただ、職場はほぼ病院だったので、私の病気を知る医師が、時折声をかけてくれ、随分励まされました。本当に偶然なのですが、職場にクローン病を患っている医師がおり、その医師と病気について話をさせてもらう機会も何度かありました。話の中で、当時、私が「ステロネマを使用している」と伝えると、その医師は「炎症が直接薬の届くところにあってうらやましい。自分の炎症は届かないところにある。」と言われました。この医師の発言や、その他の医師の「潰瘍性大腸炎は気の毒な病気だ」という話から、医師も自分で治せないのだから、やっぱり潰瘍性大腸炎=難病=完治しないと理解しました。
それからは、ほぼ毎日サラゾピリンを服用し、症状を抑えて生活してきました。炎症が強い時は、ステロネマも使用しました。その間、何度か自己判断で、薬を止めてみたりもしましたが、ひどい蕁麻疹や粘血便に驚き、主治医のもとに駆け込み、「難病患者の自覚を持ってください!」と叱られ、元の服薬生活に戻ってきました。もっと専門の病院に行くべきかと、インターネットで調べて訪れた病院では、第一声の医師の言葉が「まず言います。潰瘍性大腸炎は治りません。治そうと思わないで下さい。」でした。そんなこともあり、私の中では、一生うまく付き合っていくしかないか・・・と、悲観的ではなく、受け入れることにしていました。
それから、40歳で結婚して、他県へ引っ越すことになり、19年勤めた会社を退職しました。会社を辞めればストレスが減り、病気が完治するかもしれないと期待したりもしていました。予想通り、薬を自己判断で半分に減らしても、症状が悪化することなく過ごせました。そして、病気をもっての高齢出産でしたが、子供も健康に産まれてくれました。本当に有難く思っています。出産後も調子が良く、このまま完治するのでは・・・などと安易に思ったりもしていました。
ところが、子供が一歳になる頃から、だんだんとあの不快な症状が戻ってきました。主治医に相談すると、薬の量を増やして様子をみるよう指示されました。この時、遅いのですが、初めて何か違う・・・という気持ちを持ちました。薬を増やすことで症状を抑えるのではなくて、何か自分にできることで、落ち着かせる努力をしなくてはいけないと考えました。そこで、食事療法や有効なツボなどを調べようと「潰瘍性大腸炎完治」と検索をかけました。
そして、松本漢方クリニックのHPにたどり着きました。涙で文字が読めないほど、先生の言葉に感動しました。すぐに、来院したいと思いましたが、今はあらゆる所に、詐欺や悪徳商法の罠がある時代なので、まずは家族にも、ホームページを見てもらおうと思いました。そして、夫に見てもらい、長く続いている病院なら大丈夫だろうと、来院することを決めました。
初めて松本漢方クリニックを訪れた時は、皆さんがよく手記に書かれているように、患者さんの多さに驚きました。時折聞こえてくる先生の大きな声に、緊張しながら順番を待っていました。そして、順番がきました。先生に年齢と何年患っているかを聞かれ、答えると「もうあきらめたらいいのに~あっ!ゆったらアカンこと言ってもうた!プププ・・・・」と、返ってきました。夫はあ然としていました。私はノリの良い先生だなという印象を受けました。その後、君の免疫が治すんや!治る!と力強く握手してくださいました。
その日から、漢方の煮出しを始めました。サラゾピリンの服用も止めました。次の日から、大量の泥状便が一週間ほど続きましたが、血が混じることはありませんでした。その後、軟便が出始めたので、もしかしてリバウンドが軽く済んで、もう治ってきたのかなと喜んでいました。
ところが、そこから粘液が混じるようになり、漢方服用から一か月後(8月)に粘血便に変わっていきました。そこからは、夜中も便意で目を覚まし、粘血便が頻繁に出るようになり、どんどん症状が酷くなっていきました。外出先で間に合わず、漏れてしまうことも何度かありました。一日に10回以上、トイレに駆け込む日々が、3ヶ月程続きました。仕事を持っていたら、とても耐えられる症状ではなかったかもしれません。私は今、専業主婦なので、そのことにも本当に感謝しました。夫は、仕事で疲れている時も、お灸と漢方の煮出しを手伝ってくれました。二歳になる息子も、私がトイレに入っている間、おとなしく待っていてくれました。家族の協力に救われました。
松本先生も、診察の後に「怖かったら電話しておいで」と、必ず言ってくれました。その言葉と握手が、リバウンドを乗り越える力になりました。多くの方の手記にも助けられました。自分でも、『クラススイッチをして免疫寛容をおこすんだ!リバウンドなくして完治なし!』と、呪文のように唱え、お腹をなでながら、くじけないように気持ちを奮い立たせました。『明けない夜はない、夜明け前が一番暗い・・・』など、励みになる言葉を探して、ノートに書きだしたりもしました。そして、少しずつ、便意が我慢できるようになり、粘血便のみが出ることも少なくなり、形のある便が混じるようになり、乾いたガスがでるようになってきました。
11月の終わりごろには、一日10回以上だった便が、4~5回となり、血便もおさまりました。そして、今は一日2~3回普通便が出るまでになりました。腹痛は少し残っていますが、リバウンドの大きな山は超えることが出来たのだと思っています。次はアトピーとの戦いとなる日が近いのかもしれませんが、強い気持ちで向かって行けそうです。こうして、手記を書きながら振り返ってみると、潰瘍性大腸炎になったからこそ考えたこと、知ったこと、出会えた場所、出会えた人など、病気から本当に沢山の大きなものを得ました。松本先生の頭痛とはレベルが違いすぎますが、私にとっても潰瘍性大腸炎は幸運の病気だったと思えるほどです。何より、松本先生の理論を知れたこと、治療を受けられたことに心から感謝いたします。本当にありがとうございました。完治まで、引き続きお世話になりますが、どうぞよろしくお願いします。