「潰瘍性大腸炎」
26歳2005年12月28日
26歳2005年12月28日
潰瘍性大腸炎と診断されたのは、2004年の3月でした。数週間前から便に血が混じるようになり、始めは痔だと思い、市販の薬を使用したのですが、良くならず、「これは、ただの痔ではないかもしれない」という漠然とした不安を覚え、検査を受けたのです。聞き慣れない病名を聞いた時は、そのうち治るだろうと楽観的に考えましたが、その後自分で調べるうちに、現代医学では治らないと言われている難病だという事を知り、大変ショックを受けました。
それからペンタサを服薬しつつ、毎日病気の事ばかり考える日々が始まりました。薬を飲んでも出血は治まらず、病院に行っても、何時間も待たされたあげく、診察は数分、ただただ同じ薬を出されるだけでした。
徐々に出血が増えて来たので、ある日、予約なしで病院に行った所、いつもの担当医ではない大腸専門の医者にあたりました。その医者は、私にプレドネマというプレドニンの浣腸式の薬を使うように言いました。しかし私はインタネットで調べた知識の中で、プレドニンの恐さを知っていたので、出来るならなるべく弱い座薬から試したいと訴えました。するとその医者は、「詳しいね?医療関係者?」と嫌味たっぷりに言い、「早く出血止めたいでしょ!」と聴く耳をもってくれませんでした。
プレドネマを使うと、一時的に出血は止まりましたが、使用を中止すると、また元通りです。結局使用を中止してもらい、ペンタサのみ服用し、2週間に1度の割合で通院していました。
このままではいけないと思い、インターネットでみた潰瘍性大腸炎の専門医がいる病院に変えたのは、同じ年の7月頃です。その医師は、「潰瘍性大腸炎は、食事の欧米化による、若年層の生活習慣病である」と考えており、食事に気を付けるように言いました。そして彼の「僕は、この病気のプロだから」との言葉に、私はこの先生になら任せられると、心が軽くなりました。(後々この考えが間違いだった事に気付くのですが…)
指導に従い、食事は玄米と和食中心に変え、薬はペンタサのみ服用していました。8月頃には出血もほとんどなくなり、このまま良くなるのだろうと思っていた矢先、9月に車で通勤中に追突事故に巻き込まれてしまい、そのストレスから、また段々と調子が悪くなってしまいました。
松本先生がおっしゃるように、私の場合、この病気はストレスが引き金になっているようです。最初の発病の時も、強いストレスがあったことを自覚しています。
こうして徐々に体調は悪化していき、遂に12月には入院してしまいました。この時の症状は、一日8回程の粘血便に高熱、腹痛等です。この時ばかりは、医者の言うことに従い、プレドニンを使うほかありませんでした。一日60ミリのプレドニンの点滴をしても、一向に良くならず、それと並行して白血球除去療法も試しました。治療はどれも辛く、でもこれをすれば良くなるかもしれないと希望をもち、勧められるままに全てのことをしました。しかし、そのかいもなく、病状は一向に良くならず、医者からは手術を勧められました。
しかしインターネットのあるサイトで、同じ病気の人達の体験談を読み、手術したからといって良くなっている人が決して多い訳でないことを知っていたので、絶対手術だけはしたくありませんでした。
その頃、同じ病気で、私より1ヶ月程前から入院している女子中学生の存在を知りました。彼女も、私のように全ての治療が効かず、最後の手段として新薬である免疫抑制剤を使用し、劇的に回復へむかったとのこと。医師からその話を聞き、私も最後の手段として、その薬を使用することにしたのです。
これでやっと良くなるかもしれないと期待しましたが、私には劇的な効果はみられず、医者からは、何度も手術手術とプレッシャーをかけられながら、プレドニンによる点滴と、免疫抑制剤による治療を続けたまま、時間は過ぎました。
結局、何が効いたのか、もしくは何も効かずに治癒を遅らせてしまったのかわからないまま(今となっては、私は後者だと思っていますが…)、本当に少しずつですが便の回数や状態が良くなっていき、4ヶ月の入院生活の末、2005年3月の終わりに、やっと退院することが出来たのです。
しかしすっかり良くなった訳でなく、下血は残った状態で、入院して10キロ近く減ってしまった体重もそのままでした。そんな状態に加え、退院の1ヵ月程前、例の女子中学生が、退院から2ヶ月程しかたってないのに再燃し、入院してきたし事もあり、全く同じ治療をしてきた私は、口には出さないものの、不安な気持ちでいっぱいでした。
今思うと、入院生活は本当に地獄でした。医師からは、事あるごとに手術をすすめられ、病状が安定しない事で不安を煽るような言葉を言われた事もありました。それに加え、日に何度もある検診、週に1度の部長会議では、何人もの医師や研修医に見せ物のように見られ、心が安らぐ時間が全くありませんでした。今思うと、入院せずに自宅で療養していた方がまだ治りが早かったのではと疑問になる程です。
退院した後も、プレドニンは減量しつつも飲み続けました。もう2度と再燃しないように、前にも増して食事にも気をつけていました。しかし、努力のかいもなく、悪夢はすぐにやってきたのです。
プレドニンが減るにつれ、なんとなく腹痛や便の回数が増えていき、6月になり、遂に再燃してしまったのです。この時は思い当たるストレスもなく、大量のプレドニンを使用した事によるリバウンドだったのだと思います。苦しかった入院生活から開放されたのも束の間、たった2ヶ月で再燃したことに、本当に失望を感じました。結局はプレドニン等で病状をおさえていただけだったのを証明したかのようです。
病院に行ったら、また同じ事の繰り返しで、一生病気から逃れられなくなると察した私は、以前インターネットでみた松本漢方クリニックのことを母親に話しました。そして6月の末、大阪に行き、初診を受けたのです。松本先生に概要を話したら、「プレドニンを多量に使用したこと、何故もっと早くこなかったのか」ということを指摘されました。確かに、みなさんの体験談にあったように、言葉遣いは荒かったのですが、不思議と安心感を覚えました。そして「絶対治る!」と言ってくれ、最後に握手をしていただいた時、初めて誰かから「治る」と言ってもらった事で、やっと今までの不安から解放された気持ちでした。
松本漢方クリニックに行った直後、今までの主治医に漢方薬を始めたことを説明するため、母親に病院に行ってもらいました(寝たきりで、自分では行けなかったため)。医者は、母親の説明を聞き、私の病状を気にかけてくれる言葉を言うでもなく、ただ自分のプライドを傷つけられたことだけを主張したそうです。それを聞いた私は、憤りよりも物哀しさを感じました。
漢方薬を飲み始めてからも、プレドニンのリバウンドのせいで、一日8回程の下血下痢便に加え、高熱も続きました。毎日ほとんど寝たきりで、一歩も家を出る事も出来ずに過ごしました。体調は悪く苦しかったですが、松本先生に電話する度、「絶対治る!」と励ましてくださり、また家族の助けもあって、病院で入院していた時よりはマシでした。
次第に便の回数・状態や高熱も良くなり、8月頃には外出もできるようになりました。9月の下旬からは、手や足にじんま疹が出るようになりました。いわゆる好転反応だと思われます。段々と背中やお腹にも出るようになりましたが、それと同時に、潰瘍性大腸炎の症状は順調に回復していきました。
12月現在は、下血もなく、便の回数・状態とも安定しており、無理しない程度の日常生活を送る事が出来ています。ずっと戻らなかった体重も元に戻りました。血液検査の結果も、貧血はありますが、良好です。今はまだ中間報告という形ですが、これからも漢方薬を続け、最終的に「治った」と言える日が来る事を信じています。
さて、例の女子中学生ですが、結局は手術をしてしまったそうです。しかも1度ならずも、3度も…。詳しい内容は分かりませんが、一度目の手術後、少ししてまた下血し、入院、人工肛門をとった今でも、下血は続いる状態だそうです。私は直接見てないのですが、お見舞いにいった母親の話では、骨と皮だけのように痩せてしまい、爪は栄養不良のためか、紫色、呼吸が苦しくて、鼻孔を広げて息をする姿は、とても痛々しくて、見ていられなかったそうです。
私も、もし松本漢方クリニックに行かずにいたら、きっと今頃は彼女のようになってしまっていたでしょう。そう思うと、決して他人事とは思えず、母親も私も泣くことしか出来ませんでした。しかも、例の医師は、手術をしてから一度も見に来ていないということを聞き、その無責任さに強い憤りを感じました。
この医師も含め、松本漢方クリニックに行く前に私が診察を受けた医師は、書籍等に潰瘍性大腸炎の専門家として名前が掲載されるほど名のある人達でした。しかし彼等は、私の病気を治してくれるのではなく、医者に対する不信感を植付けただけでした。よく考えると、治せないのにプロを名乗る事も、それが罷り通っている医療の世界も、おかしな話です。本当のプロは、松本先生のように、責任をもって「治る」と言ってくれる先生だと言う事を、私はこの体験を元に、ハッキリと言い切れます。
どうか例の中学生のような犠牲者がこれ以上増えないように、松本先生には、これからも戦っていただきたいと思っております。