さわさわと風が流れる演習場の木陰にカカシと並んで座ったナルトは昔のようだと思った。けれどそれは二度と戻れない時への懐古に過ぎない。
「里を・・・離れるそうだな」
胡座を組み膝に載せた両手をじっと見つめていたナルトはハッとカカシを見上げて頷いた。
ばあちゃんが言ったのか?もうカカシ先生の生徒じゃねえのに、ばあちゃんも律義だってばよ。でもこれでオレも踏ん切りがついたってばよ。先生のこと諦める。諦められるってば。
「ニシシッオレってば売れっ子だからあっちこっち忙しいんだってばよ~」
涙が零れそうになるのを必死に堪えなんとか笑って見せる。
カカシ先生、オレの好きな人。大好きだった人。次に会う時は対等な一人の忍として向かい合えるように、今は泣かねえ。未練も後悔も残さずに里を出る。それがオレにできる精一杯だってばよ。
ナルトの言葉を静かに聞いていたカカシはどこか物悲しい、何か痛みを耐えるような顔で見つめ返した。
また、だ・・・・。あの日と同じだってばよ。
一週間前不意にキバとナルトの前に現れたカカシの様子が脳裏に蘇り、告白した時とは正反対のナルトを気遣うカカシの態度に戸惑いと動揺が心の内に広がる。
なんで、なんでだってばよ。どうして、先生は―――。
「本当に行くのか?」
投げ掛けられた言葉にナルトは目を見張る。信じられない科白だった。義務感から傍に居たというカカシがどうして引き止めるのだろうか。目の前の上忍は勘違いするなと言った。教師と生徒それ以上の関係を自分に求めるなとナルトを拒絶し、恋愛感情を否定した。それなのに同じ口で顔で反対の事をしている。
理解できない矛盾がナルトを混乱に陥れる。
カカシ先生どうしたんだってばよ。心配してわざわざ会いに来たり、こうして捜してまでオレと話をしたり、変だってばよ。でも、オレはカカシ先生を諦めるって決めたんだ。この先は火影になる事だけを目指して生きるんだってばよ。
ナルトはサッと立ち上がりカカシに背を向け憎いほど青い空を見上げた。
その動作をカカシは目で追い、いつの間にか大きく成長した青年の後姿を感慨深げに眺める。
ナルト、オレの知らない間にこんなに成長して・・・・。
今までに何人もの人間がお前に惹かれ慕ってきたんだろうな。オレの知らない奴らと笑顔に囲まれてお前は―――。
カカシは想像した先に己のどす黒い嫉妬と知らぬ者達への羨望を感じて堪らず目を逸らした。
けれどナルトは荒れるカカシの心情に気付かず決意と共に言葉を紡ぐ。
「カカシ先生、今までごめんってばよ。オレの告白迷惑だったよな?」
「ナルト」
問い掛けに思わずカカシは逸らした顔を上げた。すると振り返りくしゃりと顔を歪ませて己を見下ろすナルトの姿が目に入った。
「でも大丈夫だってばよ!オレは・・・」
「おい、ナル・・・」
一呼吸置いて続きを言おうとするナルトにカカシは焦りを感じた。
妙な胸騒ぎがカカシの内に沸き上がる。
「オレはサスケと行くってばよ!」
それはカカシにとって死刑宣告だった。
ニカッと青年が笑った瞬間カカシの目の前は真っ暗になった。
ナルトは呆然と見上げるカカシに背を向け涙が零れる前に彼の前を去ろうとする。
バイバイ、カカシせんせー。
バイバイ、オレの恋心。
「今までありがとうってばよ」
ナルトは長年の想いを断ち切り演習場を出て行こうとする。
カカシは一歩また一歩と離れて行く背中を見て漸く我に返った。
「ナ・・・ルト」
行ってしまう。
ナルトが、オレのナルトが離れて行く。
サスケと共にオレの手の届かない処へ。
高みへ・・・。
「ナルトッ!」
嫌だ・・・・そんなのは駄目だ!駄目だ!!!
誰よりもオレが一番大切にしてきた。見守ってきた!
それを奪うのは誰であろうと許さない!
ナルトは誰にも渡さない!
「うわっ」
カカシは去りゆく背を追い駆け捕まえて強い力で自分の胸に引き寄せ腕の中に閉じ込めた。
「嫌だ、嫌だ・・・どこへも行かせない。行かせるものかっ!」
何度も繰り返し呟く彼の両目からは止めどなく涙が溢れナルトの肩を濡らし続けた。
え、なに?これってどういう事だってばよ?何でカカシ先生がオレに抱き付いてんの?
それに何処へも行かせねえってどういう意味だってば?オレってカカシ先生にとっては邪魔な存在なんだよな?
なのに、どうしてこんな事すんだってばよ。
何でオレが勘違いするような事ばっかりするんだってばよっ!!!
カカシの不可解な行動にナルトの思考は完全にパニックに陥ってしまった。
「ちょっ苦しっ・・・・カカシ先生・・・・離してってば」
ナルトが身じろぐ素振りを見せるとカカシは更に強く抱き締めて銀髪を激しく振る。
「嫌だ、離さない!お前は誰にも渡さないっ!!」
「な・・・んだよ、それっ!訳わかんねえっ・・・オレッ先生の言う事全然分かんねえってばよっ」
理不尽なカカシの言い様に心の内から沸々と怒りが沸き上がりナルトは無我夢中で暴れ喚く。
「ナルトッ」
「大体、オレがどうしようが、カカシ先生には関係ねえだろっ!」
「関係・・・ない・・・?」
急にカカシの身体から力が抜け、ナルトはするりと逃れた。温かみを失ったカカシの両腕はだらりと下がり、見開いた右目が呆然とナルトを見つめる。
「そうだろっ!?今更っ、今更だってばよっ!ずっと放って置いたくせに!オレの事なんてどうでもいいって、義務感しか感じないって言ったくせに!」
「違うっ!違うんだよ、ナルトッ」
「違わねえだろ!?先生言ったじゃんか、生徒以上には見れねえって。でもオレは諦められなかった・・・・!でも、でも、やっと吹っ切れたのに!!サスケと行くって決めたのに、何で今頃んなってこんな事するんだってばよ!!!カカシ先生酷いってばよっ」
「ナルトッ」
カカシは苦痛に顔を歪める。ナルトの言っている事は正しい。これまで無関心を装ってきたカカシの手の平を返すような態度は詰られても仕方が無い。
けれどカカシは自分以外の誰かがナルトを幸せにするのかと思うと、胸が苦しくなりどうしようもない嫉妬が渦巻くのだ。
「ごめん・・・信じられないだろうけど、オレはいつでもナルトが大事だったんだよ」
じっとみつめる瞳に偽りの色は無かったが、ナルトはすぐには信用できなかった。
「嘘だっ!」
一体何が嘘でどれが真実なのか、分からなくなったナルトはそれ以上の言葉を思い付かなかった。
「本当にごめん。でもオレはナルトを他の人間に渡したくないんだ。その事にやっと気付いた。オレは馬鹿だね」
「そんな」
落ち込む上忍の様子にナルトの全身から力が抜け、怒りは灯火がふっと消えるように去った。
「じゃあ・・・どうして、もっと早く言ってくれなかったんだってばよぉ」
ずっと堪えていた涙が盛り上がり溢れた雫が頬を伝う。
「オレはあっ・・・カカシ先生がっ・・・・迷惑だって・・・思っ・・・・っつ・・・・思ってたんだってばよ!・・・ヒック・・・なのに、なのに・・・グスッ」
「ごめんな。ナルト・・・ごめんっ」
カカシは泣き出してしまったナルトに歩み寄り今度はそっと抱いた。
「オレが臆病だったんだ。でもお前がサスケに奪われるって思ったら我慢できなくなった。どうしてオレじゃなくてアイツがってさ」
カカシは己の胸で泣き続けるナルトの金糸を梳いて、頬をなぞり仰向かせて眦に唇を落とした。
「それが、ホントーならっ」
「うん」
「もうぜってえー離すなってばよ!」
ナルトは青い瞳でキッと睨み付け次は許さねえからな、と脅す。上忍は一瞬目を見開いた後とても嬉しそうに微笑んで分かったと頷いた。
「離さなーいよ」
そしてナルトの耳元で「ありがとう」と囁いた。