上忍待機所にサスケが現れるとそれまで自分達の話に夢中になっていた者達が一斉にサスケを振り向いた。
『うちはが来たぞ』
『ああ、あれが写輪眼の・・・』
『一度は里抜けしたというが、よく戻って来れたものだな』
『しかしまあ、正統な写輪眼の継承者に変わりは無いからな』
『正に天才というやつだよ』
『しかもはたけカカシの弟子だからな』
『期待のルーキーか』
数々の心の内が聞こえてくるような不躾な視線にサスケは曝される。けれど本人はそれらの集中砲火を物ともせず、奥にいるシカマルを見つけるとそちらへ近付いて行く。
それを見ていた珈琲カップを手にソファーに座るガイはニカッと笑い自慢の白い歯を見せて、隣に座っているカカシの脇を突付いた。
「あれはお前の所のサスケ君じゃあないか!」
久しぶりだなあ!と感激して言うガイにカカシは冷めた様子で、目線を手元の本に向けたまま気の無い返事を寄越す。
「オレの所って言ったってアイツはとっくに七班卒業したでしょ。もうオレとは関係ないって」
「なんだ、冷たい奴だな!俺は未だにリーとの交流は大切にしているぞ!」
お前は特別だろ。今時熱血なんて中々いないよ。
「大体サスケがオレの手元に居たのって一時でしょ。師弟とか言ったらアイツ怒るよ」
「そうか?」
ガイは分からんなあ、と首を捻っている。
そんな温度差の激しい会話をする二人から離れた所ではシカマルがサスケに声を掛けていた。
「サスケか、こんな時間に珍しいな」
「ああ、五代目に用があったからな」
「五代目か?任務・・・じゃねえみたいだな」
シカマルは周囲に視線を走らせ小声で聞き返す。
「ああ・・・」
サスケは自分達の話に戻りつつもこちらの会話を窺う忍達の気配に笑みを零し、わざとカカシに聞かせるようにはっきりとした声で喋り始めた。
「任務の事も含めて色々だ。俺は近々半年間の里外任務に就く。ナルトも・・・一緒にな」
「え・・・そりゃ・・・・なんつーか、マジかよ」
絶句したのはシカマルだけではなかった。耳をダンボにしていた上忍達は勿論、順調に文章を読み進めていたカカシの視線がピタリと止まった。
「ああ、五代目公認でな」
サスケは公認という部分を強調して声高に言い、勝ち誇った笑みをカカシに向けた。
公認・・・・・?
長期任務・・・・?
カカシはゆっくりと顔を上げ、笑みを浮かべるサスケを見上げた。
『ナルトは俺が貰っていくぜ』
サスケの唇が確かにそう象るのを目にした途端カカシは胸に鋭い痛みを感じて胸を押さえ蹲る。
「おい!カカシ大丈夫か!?」
ガイが騒いでいるが、カカシには何を言っているのか全く分からなかった。
「カカシ!」
煩い・・・静かにしてくれ。
苦しい・・・・。
苦しいんだ・・・・。
どうして今頃になってオレは・・・・・。
ああ・・・・ナルト。
ずっと、ずっと、見守っていた。
随分昔から、誰よりも、長く・・・・・。
大切にしたいと思っていたんだ。お前の未来を、希望を、潰されないように、潰さないように。
初めての告白は嬉しかった。とても信じられない想いと喜びがオレの体中に広がった。
けれど、唯でさえその細い身体に九尾を宿し標的にされ易いお前の傍に、ビンゴ・ブックに載っているオレが居られる筈がない。
昼夜構わず狙われ続けるこの身、いつ滅びるか分からないんだ。僅かな安らぎでさえ、お前には与えてやれない。
それではお前の未来を駄目にしてしまう。
危険は少しでも避けなければならないと思った。
だからせめてそっと陰から日向を歩くナルトを見守り、その身に災いが降り掛かるならばオレが取り除いてやろうと思ったんだ。
なのに・・・なのに、そのお前がサスケに奪われる。
奪われようとしている!
大事にしてきたナルトが。
写輪眼の正統な後継者で、一度里抜けしたうちはのガキに・・・・。
あいつがナルトを幸せにするのか、オレじゃなくあいつがナルトの隣に立ち、笑い、あの笑顔を自分だけのものにするのか。
カカシは目の前でナルトが他人に奪われるのを感じ強烈な嫉妬を抱いた。心は荒れ狂い今までの自分を責める。
本当は告白の時、冷たくあしらったオレの言葉に傷付き走り去る背中を追い駆けて抱き締めてやりたかった。
こっそり尾けた部屋でベッドに突っ伏し激しく泣いている姿を目にした時は自分がした事とはいえ辛かった。
あの悲しげな表情は見ていられなかった!
けれど後悔してももう遅い。そう思って静かにその場を去ったんだ。
だが、オレは間違っていたのか?
紅が言うように、もっと素直になっていればよかったのか?
ああ・・・誰か教えてくれ。
オレはどうしたらいい・・・?
「え、サスケも行くのか?」
ナルトは今しがた伝えられたばかりの里外任務の内容を信じられない思いで反芻する。
震える手元の書面にはAランクの文字、そして火影の印と共に「うちはサスケ」「うずまきナルト」の名が記されている。
「・・・何で、サスケも一緒なんだってばよ!」
これじゃ、意味ねーってばよ!
グシャリと音を立てて紙に皺が入る。
「綱手様にも考えがあっての事です。でも、お節介を言わせて貰えるのならば・・・ナルト君はこのままでいいんですか?」
「シズネの姉ちゃん」
ナルトはトントンをゆっくり床に降ろすシズネを呆然と見つめた。
この人は事情を知っているのだろうか?
ナルトの胸に不安が込み上げる。
「実は私も綱手様の傍にいるから事情は少し知っているんです。これは個人的な意見だけど、いま里を離れても何も解決しないと思いますよ。もう一度よく考えてみてはどうですか?」
「でもオレってば」
このまま里にいても何も変わらない気がするってばよ。先生の傍にいたいけど偶然でもない限り全然会えないし、あの告白以来気軽に会いに行けなくなってる。
「ナルト君だって本当は分かっているでしょう?綱手様も同じ。随分昔に話しましたよね、ナルト君が身に付けている首飾りのことを。もう一度思い出して下さい。時間は戻せないんですよ」
ナルトは拳を握り俯いた。
「綱手様は酷い事をしているように見えますけど、本当は君に賭けてるんですよ。じゃなきゃこんな横暴私が許しませんから」
シズネはサスケが火影室を訪れた日の事を思い出していた。
サスケに里外任務を与え彼が去った後、食って掛かるシズネに綱手は唇に指を当てて静かにしろと目配せした。
どうしたのかとシズネが首を傾げると数十分経った後で漸く口を開いた。
「用心に越した事はないからね。あの「うちは」の小僧は頭が切れるが、鼻も利く。何処かで聞き耳を立てているかもしれないからねえ」
シズネは綱手の言葉に目を丸くした。
「じゃあ何故わざわざ、うちはサスケを呼んだのですか?」
「いやな、私としちゃナルトの望む道を行かせてやりたいが、如何せんカカシがあんなだからねえー」
綱手はハアと盛大な溜め息を吐いてくるりと椅子を回し背後の窓を振り返った。
「奴がちんたらしてなきゃこんな事にはならなかったんだが」
「では先程うちはサスケに言い渡した言葉は・・・」
嘘なのかとシズネは思った。カカシを焚き付ける為の手の込んだ嘘だと。けれど火影の考えは深いようで、
「ああ、あれも私の本心だよ」
あっさり返されてしまった。
「カカシが今まで通りならそれも良いと思ったのさ。うちはも中々捨て難い存在だぞ?何しろエリート一族だ」
「綱手様!!」
シズネはふざけているのかよく分からない綱手の言葉に堪り兼ねて叫んだ。
「そう怒るなシズネ、どちらにしろ最後に選ぶのはナルトだ」
「はあ。そう上手くいくとは思えませんけど」
頭痛の種が増えるだけだと思った。
「どうするかはナルト君次第です。私としては貴重な戦力を二名も里外に送るのは反対なんですけどね」
シズネは冗談を言うように笑って「頑張って下さい」と小さなエールを贈る。
ナルトは無言でぼんやり頷き綱手不在の火影室を出た。
心の中に嵐が訪れ激しい動揺と迷いが渦巻いていた。
自宅に戻ったサスケは任務に備えてクナイを研ぎ始めた。床に広げた忍具一式は全て細かな手入れが行き届いた素晴らしいものだ。刃先からはどれも負けず劣らず鋭い光を放っている。それらの内一つを手に取ったサスケは窓から差し込む光を反射して目を突き刺した切っ先に瞳を眇めた。
「クッ・・・・・」
上忍待機所では優位を見せつけたがカカシに会ったあの日から心は常に騒いでいる。
ナルトの心はまだアイツにある。俺にはそれが分かる。
長期任務申請の理由は知らねえが、あの一途な気持ちがそう簡単に変わる筈がねえ。
里を出ちまえば何とかなると思ったが・・・・あのウスラトンカチが俺をパートナーにして本当に里を出るか?
「チッ」
いつだって肝心な時に邪魔をするのはあいつだ。
はたけカカシ。ナルトの奴への想いが邪魔になる。
「クソッ」
サスケはクナイを一振り空気を引き裂いた。
ナルトは第三演習場の周りを懐かしげに歩く。その表情は胸の痛みや苦しさに哀愁を帯びて影を落としている。
あの頃は良かったってばよ。サスケとサクラちゃんがいて、そしてカカシ先生がいた。ずっと独りぼっちだったオレを皆はいつでも励ましてくれたし、あったかい気持ちにしてくれた。
「もう戻れないってばよ」
立ち止まりカシャンと音を立てて金網を掴んだ。
「もう終わりにするべきだってば?」
カカシ先生を想い続けること。シズネの姉ちゃんはああ言ってくれたけど、もう一度告白したところで変わりねえってば。あー見えてカカシ先生頑固な所あるし。
ふっと寂しげな笑みを漏らして頭を金網に押し付ける。
頑張っても無理な事もあるんだって知ったってばよ。それもカカシ先生が教えてくれた。あ・・・これって笑えるってば?
ナルトが泣き笑いの表情で顔を上げた時、信じられないものが目に入った。
前屈み気味に歩いて来るその姿。この里で、里外で、どんなに広い世界でも見間違える筈の無い想い人。
「カカシ先生」
動揺に瞳が揺れる。鼓動も速くなった。幻術じゃないかと思う。都合よく己が生み出した幻だと。
「少しいいか?」
低く心地いい声が聞こえた。
この声はカカシ先生だってばよ。本物のカカシ先生だ。
「聞いて欲しい事があるんだ」
こっそり想ってたけどオレがまだ好きでいる事、カカシ先生なら気付いてるかもしれないってばよ。
ナルトはカカシを見返し「いい加減忘れろ」とでも言われるんだろうなあとぼんやり感じた。