「ナルト、暗部を辞めて通常任務に移る気はないか?」
綱手は火影の椅子に腰掛け呆けた表情で突っ立っているナルトを見上げた。
「ばあちゃん・・・なんで?」
キバと別れてから無性にイルカに会いたくなったナルトはアカデミーに向かった。そこで任務受付所にいたイルカには会えたのだが、隣りに座っていた綱手に話があると真面目な顔で言われ、火影室に連れ込まれたのだ。
「お前を暗部にやったのはいいが、こっちの任務にも優秀な奴が必要でね。それに・・・お前は暗部向きじゃない!」
綱手はゆっくり首を振るとニコッと笑顔を作って、きっぱり言い放った。
「へえ・・・って、ええ!?ばあちゃん何言ってんだってばよ!木ノ葉の上忍に優秀な忍はいっぱいいるってば。それと暗部にオレが申請した時、ばあちゃん反対しなかったじゃんか」
ナルトは綱手の科白に面食らって猛然と反論した。
「全く、まだ気付いていないのか。お前相当疲れた顔してるぞ。かなりきてるんじゃないのか?」
綱手の呆れと心配を含んだ表情にナルトは先程のカカシの言動を思い出した。
まるで自分の胸が痛んでいるかのような、苦しそうな顔をしていた。
『無理、しちゃ駄目だよ?』
「私はね、始めからお前をずっと暗部にやるつもりは無かったんだよ」
「うそ・・・」
「少しあちら側にやれば気が済むだろうと思ってたんだが、なかなか強情だねえ」
「ばあちゃん、マジで?」
「ああ、そうだ。で、どうする?」
「どうするって・・・・」
迷わないといえば嘘になる。他の上忍と任務を共にするとなれば、カカシとも一緒に行動できるかもしれない。けれど、ナルトは暗部を諦めたくなかった。精神的な疲れを理由に辞めるのは嫌だった。
「ごめん、ばあちゃん!オレ負けたくねえんだってば」
自分の忍道を貫くと決めた時から諦めないと誓った。これが火影への道に繋がっているなら尚更だ。
「どうしてもかい?」
「ばあちゃんの気持ちは嬉しいってば。サンキューな!」
「ふー仕方ないね」
綱手はいじらしくも明るい笑みを見せるナルトに何も言えなかった。
「じゃ、オレもう行くってばよ」
ナルトは軽く手を振り火影室を出る。
「相変わらず不器用だね」
ナルトが去った後綱手は室内の隅、誰もいない筈の空間に呆れた笑みを向け呟いた。けれど馬鹿にした様子は少しも無く、寧ろ行く末を心配し応援する気配が滲んでいる。
「素直になれないねえ」
少し遡ってこの日の朝。
サクラはまだ陽が昇り始めたばかりの木ノ葉を演習場に向かって走っていた。
弾む息は荒いが、決して苦しいものではなく、むしろ心臓は喜びに弾んでいる。
「しゃーんなろー待っててね、サスケ君!」
上忍になってからナルトとサスケは暗部へ、サクラも医療班に配属され第七班メンバーが顔を合わす機会は少なくなった。
ナルトとサスケは任務で会うが、サクラは全くと言っていいほど二人と会う時間がない。
だから偶然会える時間はとても貴重なものだ。
今朝サクラがいつもより遅く起きると超早起きの友人が来ていて、サスケが演習場にいると教えてくれた。
勿論恋する乙女はばっちりメイクして、ブローも完璧に家を飛び出した。
「二週間ぶりに会えるっていうのにオチオチしてらんないわよ!」
サクラはお気に入りのワンピースの裾をはためかせ想い人の許へと急いだ。
ところが、全力で走り荒い呼吸もそのままに飛び込んだ演習場に想い人の姿はなかった。
溜め息を吐き重い足取りで来た道を戻る。そこへ追い打ちをかけるように強風が襲う。
「しゃーんなろー!」
風に舞う乱れた髪を押さえ、誰もいない演習場でがっくり肩を落とす。
「また会えなかった」
次に会えるチャンスはどれくらい先になるだろう?
サクラはショックを受けている心を必死に落ち着かせ、愚痴を聞いてくれる長年の恋のライバルの許へ歩いて行った。
そして家の手伝いで花屋の店先に立っていた、いのに散々不満をぶちまけ相手の文句も聞いて、色々喋り満足したサクラは帰る途中、独りで歩いているナルトに会った。
「ナルト!久しぶりじゃない」
「サクラちゃん!」
俯いて足元の石を蹴っていたナルトはサクラの声に顔を輝かせニシシッと笑った。
「珍しいじゃない、アンタがこんな所にいるなんて。あ、分かった!任務にあぶれたんでしょ~」
「サクラちゃ~ん、そりゃないってばよー。オレってば売れっ子なのに」
シクシクと泣き真似をするナルトの言葉にサクラはからかいを引っ込めて、真面目な顔で「やだ」と呟く。
「サクラちゃん?」
「ナルト大丈夫なの?」
ナルトは何がとは聞かなかった。聞かずとも分かってしまったからだ。付き合いが長く機敏な彼女はキバ以上にナルトの状態を察知したのだ。
「皆優し過ぎだってばよ」
「ナルト?」
首を傾げるサクラにナルトは綱手に言われた事を全て話した。自分の想いは教えなかったが、カカシへの恋心を知っているサクラにはナルトの心情が分かってしまったかもしれない。
「ふ~ん、そんな事言われたの」
「でも断ったってばよ」
「ナルトらしいわねー。でも私は綱手様の意見に賛成よ。あんた暗部には向いてないもの」
「サクラちゃんまで言うってば?」
「仕方ないわよ、サスケ君ならまだしも、ナルトは優しすぎるもの」
風にたおやかに揺れる桃色の髪をそのままにサクラは柔らかい笑みを浮かべる。
「優しい?オレってば優しくなんかないってばよ」
胸の中はいつもカカシばかりで、他人を思いやる余裕なんてない。随分勝手な奴だってばよ。
「そんな事言って。だから、優しいって言うのよ」
訳が分からんと大きく顔に書いているナルトを置いてサクラはまたねと手を振って駆けて行く。最後に「サスケ君によろしくね」と言う辺りが彼女らしい。
「あーあ、長期任務とかないかなあ」
少しの間里を離れて気持ちの整理をしたいと思う。
サスケにも会いたくないってばよ。
「なーんか、一気に疲れたってばよ。帰って寝よ」
ナルトは収拾のつかない気持ちを抱え再び歩き出した。
早朝サクラが着く少し前に演習場を出たサスケは狐面を返しにナルトの自宅へ足を向けた。清々しい青空の下、演習場でも会えるかと思ったがナルトは現れなかった。任務で会うのだからその時返せばいいが、仲間達に詮索されるのは快くないし理由を答えるのも面倒だ。
サスケは道の角を曲がりナルトの家が目に映った所で足を止めた。
「カカシ」
前方から天を衝くように逆立った銀髪の男が歩いて来る。相手も立ち止まっているサスケに気付いて片目を僅かに開いた。サスケの登場はカカシの意表を衝いたのだろうか。普段他人に心情を全く悟らせないカカシにしては珍しい動揺の表れだ。
「なんであんたがここにいる」
低く唸るサスケの声にカカシはマスクに隠れた口端を歪めた。
「ナルトなら自宅にはいないぞ」
「!・・・・まさか今更あいつに何かしようとしてんじゃねえだろうな」
カカシは睨み付けてくる写輪眼を軽く流して嗤う。
「何でかな。なあサスケ好きな子は苛めちゃ駄目でしょ、暗がりとはいえあんな事しちゃ嫌われるよ」
「あいつを傷付けてるあんたに言われる覚えはねえ!大体・・・見てたのか!?」
話を逸らされてムッとしたのも一瞬。暗に昨夜の事を匂わすカカシの発言に目を剥いた。
「あら、気付いててやってるのかと思ったけど、違ったか?」
鎌を掛けただけなのに。
サスケはカカシの心が聞こえたような気がして舌打ちする。
「あんた、何考えてるんだ?」
カカシは行動しないだろうと高を括って安心していたが、ナルトに急接近している気がしてサスケの心はざわめく。
「ん~何も。お前が考え過ぎなんでしょ。オレはナルトが嫌いだし、もう関係ないしな」
無表情のカカシはそう言ってサスケの脇を通り過ぎる。
「なら、ナルトはオレが貰う」
サスケはカカシの背中を睨み宣戦布告する。
「オレには関係ないよ」
だが、サスケには呟く声に様々な想いが籠もっている気がした。
「クッ」
突然風向きの変わった風にサスケは髪を嬲られ葉が舞い上がる青空を見上げた。
サスケとナルトのキス事件から一週間経った頃だ。綱手はナルトが提出した長期任務申請書を見て眉を顰めた。
「何だこれは!」
苛々とシズネに突き返すと彼女は困惑の表情で答えた。
「先ほど綱手様が出掛けている間に来て置いて行ったんですよ。当分里外の任務に就きたいと言っていましたよ」
「何だと!?シズネ、どうして奴を引き止めておかなかったんだい!」
「そう言われましても・・・一応綱手様の許可がなければ無理だとは伝えておきましたが」
「あ~っまったく!!何考えてんだい、あの阿呆は!!」
綱手は髪を掻き毟り書面を睨んだ。
「半年も里を離れたいなんてどうかしているぞ!!!」
強引なキスをした夜以来サスケはナルトと顔を合わせていない。擦れ違いかナルトがサスケを避けているのか、会おうとしても中々会えず、仕方なく暗部の面はナルト宅のポストに入れて返した。
「何処行きやがった、ウスラトンカチ」
煙のように姿を掴ませない相手に舌打ちして、窓の外を睨む。
すると青空の彼方から一羽の鳥が飛んで来るのが見えた。
「任務か」
演習場に行こうとしていたサスケは予定を変更せざるを得ない事態に溜め息を吐き家を出た。
火影室に着いたサスケは扉を叩くべく手を上げるが、拳が扉に触れる寸前で室内から綱手の声が掛かった。
「うちはサスケだな、入れ」
サスケは叩き損ねた拳を一瞥して脇に下ろし五代目火影の領域へ足を踏み入れた。
「失礼します」
「ナルトの事で聞きたいことがある。ここ数日変わった事がないか話してくれないか」
サスケは指先を僅かに震わせ心の中まで見透かそうとする五代目火影の瞳を見つめ返す。
「変わった事・・・・ですか。あいつは、毎日いつも通りでした。あいつらしいほど任務に一所懸命で問題は何もありませんでした」
火影の力強い瞳に負ける事なく淡淡とした口調で話しきったサスケは「何かあったんですか」と聞いた。普段気持ちを乱す事は殆ど無いサスケだが、掌に汗をかいているのに気付き苦笑する。
冷静な態度は崩さなかったが、嘘が綱手相手に通せるかどうかは分からない。
「あの馬鹿が、半年間の里外任務に申請してきたんだよ」
「!」
「心当たりはないか?」
「・・・・いえ、分かりません。ですが」
サスケは言うべきか躊躇ためらうがこれはチャンスだと思い、己の内で密かに嗤う。
「ナルトはカカシを特別な想いで見ています。ですが奴はナルトの事を何とも思っていない。そんな状況にナルトは疲れたんじゃないですか?あいつが・・・・里外に行きたいと言うならその背を押してやりたいと俺は思います。そしてあいつが行くなら俺も付いて行く、行かせて下さい!」
綱手はサスケの言葉にふっと笑みを零した。
「本当に、そう思うかい?カカシがナルトという存在を何とも思っていないと?」
「はい・・・・」
「ククッあははっホントあいつらは馬鹿だねえ」
おかしそうに笑う綱手を前にしてサスケは怪訝な表情になる。
「よしっいいだろう!うちはサスケ並びにうずまきナルトに半年間の里外任務を命じる!」
「あひぃっつつつ綱手様!?重要な戦力を二名も出すとはどういうつもりですかー!?この任務ならば暗部でなくてもいい筈です!」
今まで黙って聞いていたシズネは驚いて綱手に食って掛かる。
「まあ、落ち着け。うちははもう下がっていいぞ。詳しい内容は追って連絡する」
「は、ありがとうございます。では失礼します」
サスケは戸が閉まる瞬間綱手を振り返ったが、彼女の視線は既に机上に移っていた。
サスケが去った後もシズネは綱手を睨んで、納得できないと顔に表す。
「シズネ、あいつらをどう思う?」
「あいつらって・・・・うちはサスケの事ですか?」
「それもあるがカカシだよ。もし、ナルトを黙って見送るならあの男もここまでだと言う事だ」
「ですが、ナルト君の気持ちも・・・・」
「だからさ。うちはが嘘を吐いていた事も、もしかしたらナルトにはいい機会になるかもしれないよ。一向にはっきりしない男を見限ってうちはの小僧に付いて行くのもいいって事だよ。あの二人は若いんだ。それぞれ良い道を選べばいいさ」
「ですが、それでナルト君は幸せになりますか?私は納得できません。これじゃ逃げてるだけじゃないですか」
シズネにしては珍しく人の色恋に口を出す。
「ふん、幸せはその時々で変わる。カカシが今まで通りなら、これでナルトとカカシの関係も終わりだね」
綱手ははっきりとした口調で「やっと決着するんだ」と言い切り、火影承認の印を書面上のうずまきナルトとうちはサスケの名前に押した。