銀鈎
上忍達が駆けて行く足音に気付いたナルトは暖簾の下から顔を出して、土埃が舞う地面と彼等の脚絆を見た。
「先生達が動いてんのって・・・おっちゃん!ごちそうさまっオレ行かなきゃ!」
ナルトは腰のポーチから膨らんだガマちゃん財布を取り出して代金を支払おうとする。しかし店主テウチは顔の前で手を振ってナルトからは貰えないと言う。
「ボウズは払わなくていい。お代はカカシさん持ちだ」
「ええっ?」
ナルトはパカッと口開けた財布を取り落としそうになった。あの普段はラーメン一杯奢るのも渋る高給取りの上忍がどういう風の吹き回しか。
槍が降るかもしんねーってばよ。
「よしっ!オレがめくるめくうずまきナルト忍法帖でシカマルの仇を討つってばよ」
腹が減ってはなんとやら。大好きな一楽のラーメンで力を付けたナルトは壁を蹴って屋根に上り、上忍達が走って行った方角を確認すると驚異の跳躍力で睨んだ先を目指した。
待ってろよシカマル!んでもって、オレの目で真実を見極めるんだってばよ。どんな結果だろうと受け入れてやる。本当の事をオレ自身で確かめるんだ。
「おい、こっちで合ってるか!?」
「確かだ。拙者の鼻には奴の遺したものがプンプン臭うぞ」
枝から枝へ跳び、パックンの誘導に従って上忍、暗部達が四方から逃げた忍を追っている。塔に起爆札を仕掛けた者は相当慌てていたのか忍に有るまじき「臭い」という痕跡を遺していた。追われている身、暗部の手が伸びているのをひしひしと感じていたのか、アカデミー生を狙っていた男は奈良シカマルを襲撃し、ついに里の重要施設を襲うという形振り構わない行動に出た。情報が少ない中でその男の存在にまず気付いたのは不知火ゲンマだった。特別上忍である彼は綱手から密命を帯びて単独でこの件を調査していた。だからそれを知らぬ者達は彼の手柄を知って一様に驚きを示した。
暗部にも分からなかったものが何故一介の特別上忍に?
「カカシはどうした!?」
今までの犠牲者とシカマルの為にも犯人捕縛に力を入れるアスマは、追跡のプロであるカカシの姿が見えない事の疑問をパックンにぶつける。忍犬を呼び出した主は一体何処へ行ったのか。
まさか独りサボってエロ本読んでんじゃねえよな?
すると後ろを走っていたゲンマがアスマの隣に並んでパックンの代わりに答えた。
「この作戦には挟み撃ちが有効って事でカカシさんは先回りしてますよ」
「そうか・・・」
納得したのかアスマはゲンマの横顔を眺めて数回頷く。しかし彼の腹には消化しきれない物があるらしく、何か言いたげな雰囲気を醸し出している。
こいつ・・・こんなに頭が切れる奴だったか?確かに公平な判断と冷静な性格は特上にしとくには勿体無い位だが、独りで犯人を割り出せる程の能力を持ってるとは思えねえ。
「お前が奴を見つけたと聞いたが、そりゃ本当か?」
「はははっ。アスマさん、もしかして俺の事疑ってるんですか?俺がアカデミー生を殺して、シカマルを殺そうとしたとでも・・・」
ゲンマが後方に視線を送ると二、三人の忍が慌てて目を逸らした。随分と忍らしからぬ分かり易い反応だ。彼らは自分より格下と位置付けている人間に先を越されたのが気に入らないのだろう。
「いや・・・そうは思ってねえよ。お前に限ってそりゃねえだろ。フッくだらねえ、悪ぃな忘れてくれ」
アスマは一向に禁煙出来ない、する気も無い口から煙を吐き出して、後ろ足で枝を鋭く蹴って跳ぶパックンの後を追った。
「この気・・・近いぞっ」
パックンは前方から感じる禍々しい気配に身を引き締めて常よりも大きな声で一際吼えた。
くそっ!こんな予定じゃ無かった!何もかも・・・本当は奴が疑われて殺されりゃよかったんだ。そうだ全部アイツの所為だ。「アイツ」の存在がこの里を狂わせ、俺の邪魔をするんだ。アイツさえいなけりゃ・・・・奴さえ死んでしまえば!!
里の精鋭達に追われ後が無い男は利己的感情に囚われて、己の全ての行動と結果の原因は他人にあるのだと、ある一人の人間を罵った。
元凶は奴だ。アレが居る限りこの里はよくならねえっ!!あの周りの人間も奴に騙されてるんだ。俺がこの手でぶっ殺してやる!!!そうすれば皆泣いて俺に感謝するだろう。
正常な判断を欠き、後先考えられなくなっている彼は人々が己に感謝する様を思い浮かべて酔い痴れる。
「邪魔なものは消すしかないよなあ?」
道無き道を走っていた彼は地面を蹴って草が茂る前方に大きく跳んだ。
そしてそこで目立つオレンジ色の服を着た金髪の子供を見つけた。
「え・・・カカシ先生?」
目を丸くする子供を前に男は多大なチャンスを与えてくれた神に感謝し、幸運な己の生まれ星と自分は間違って無かったのだという根拠無き自信に歓喜した。
「九尾め・・・」
上忍達を追って来たナルトは途中で方向を見失い、草深き森の中で物凄く鋭い殺気を放つ気配を感じた。それをすぐさま敵と認識したナルトはホルスターに手を掛けて攻撃に備えた。
しかしザザザッと音を立てて木々の向こう側から現われたのはナルトが充分過ぎる程よく知っている人物だった。
「カカシ先生」
ナルトはやや呆然とした面持ちで相手の顔を見つめていた。上忍達を追って来たのだからここでカカシに出会ってもおかしくはない。けれど、なぜか、理由は分からないが目の前のカカシはいつもと似て非なる人物のようだ。
「っく、くく・・・カカシか、クククッ九尾に肩入れしてる奴も裏切り者だ」
「カカシ先生?」
様子が変だ。このカカシはまるでナルトが知らない男のようだ。彼は体を折って不気味な笑い声を薄暗い森に響かせ、一頻り笑うと顔を上げてスッと鋭く恐ろしい視線をナルトに合わせた。
「化け狐め」
「!」
鋭い言葉の刃は小さな胸の深い傷を抉ってナルトに衝撃をもたらし、普段風にも負けない元気な子供を呼吸も儘なら無い状態に追い詰める。
「・・・あ・・・は、あ・・・あう・・・・」
「化け物・・・お前がこの世界にいる所為で・・・何で、てめえが生きてて俺の仲間は死んでる?お前は生きてていい存在じゃあないんだよ。てめえさえ死ねばいいんだよ!!!」
彼は磨き上げられた、けれど僅かに血臭が漂うクナイを取り出して強く握りその腕を振り上げた。
「死ねぇっ化け狐めえええッ!」
ナルトはカカシの残酷な言葉に撃たれ鋭く光る切っ先から逃れられずに呆然と立ち尽くす。憎しみの目を自分に向ける男が七班担当上忍であり、昼にラーメンを奢ってくれた者と同一人物とは到底思えない。しかしナルトを呪う声と姿は紛れもなく大好きな大人だ。けれど今その相手はカッと目を見開いてナルトの頭上に凶器を降り下ろそうとしている。
全部、嘘だったんだってば。
毎日勝手に遊びに来ては好きだと囁いた声。ラーメンの食べ過ぎだと言って山盛りになった野菜籠を抱えた腕。よくやったと褒めて頭を撫でてくれる大きな手。
全部、全部・・・演技で、嘘だったんだってばよ。
この日の為の・・・。
オレを殺す為の・・・・。
「死ねッ!!!」
鍛えられたクナイがナルトの身を引き裂くべく降りてくる。ナルトは耐え難い悲しみと絶望を抱いてカカシを見上げていた。
「カカシせんせい・・・」
「ナルトォッ!!!」
だが突如猛烈な怒号が静かな空間を襲い、弧を描いて飛んできた手裏剣がカカシのクナイを弾いて、間一髪切り裂かれる寸前の小さな体を救った。そして忍具を放った主はナルトの横から跳んで来てしっかり両腕に抱いて素早く攫った。
「ナルト!大丈夫か!?」
虚ろな瞳をカカシに向けているナルトは体をカタカタ震わせてとても返事が出来る状態じゃない。
「ゲンマ間に合ったか!・・・・ッ!カカシ!?」
突入したゲンマの後から来たアスマは暗部に背後から取り押さえられた男を見て絶句した。
「狐めがあっ!!」
男は捕らわれてもなお、憎しみの炎だけは消えず血走った目でナルトを睨み付けて「狐」という侮蔑の言葉を連呼する。
「なっ!?カカシッてめえっ」
咄嗟にアスマは暗部に捕らわれて喚き散らすカカシの頬を殴って止めたが、慕っていたカカシが自分に向かって叫ぶのをしっかり見て、聞いてしまったナルトは両目を見開いてゲンマの手を逃れ、慌てて呼ぶアスマの声を振り切って走って行ってしまう。
カカシ先生もオレを狐だと思ってたんだってば!今まで優しくしてくれたのは・・・演技だったんだ。オレを騙してたんだ!!
ナルトの後姿は深い森に吸い込まれて消えてしまった。
悔しい想いと深い哀しみと自分の存在に対する懺悔と、
小さな足音を遺して。
「カカシ!どういうつもりだ!?ああっ?」
アスマは自由を奪われた無抵抗のカカシの胸倉を掴んで引き寄せる。
コイツには失望したぜ!とことん殴らねえと気が済まねえ!!!
「アスマさん」
怒りは尤も。理解出来る上忍達がどう止めようかと思案する緊迫した空気の中、気の抜けた声が顔と一致しない意外な人物の口から出てきた。
「ちょおーっと、そんな男がオレなワケないでしょ?」
オレもっとイイ男よ?
ゲンマがボフンと煙を上げてカカシに変わるのを見た忍達は大口を開け唖然とした顔で固まった。
「なっ・・・!なっ?どういう事だ?」
アスマは眼前の胸倉を掴んだ男と今現われたカカシを交互に見比べて、心の内で「ドッペルゲンガー!」と叫んでいる上忍達と同じく目を白黒させる。
「説明は後でする!今はナルトが先だ、アスマ!ここは任せたぞ」
しかし唐突に現われたカカシは暗部や上忍をその場に残して、ひとり激しく泣き濡れているだろう愛し子の許へ跳んだ。
続く