銀色の名残
最近、ふとした時昔の事を思い出す。手足は短く力も満足に持たず、視線が地面に近かった頃の事を。
それは深い意識に閉じ込めた暗くも儚い記憶。
夕暮れの赤い教室は少し感傷的。向かい合った友人は現実的(リアリスト)
んでもってオレは夢追人。
「ニシシッ」
「んだよ?ナルト」
ナルトは少し彼をからかってやりたくなった。
いつも頭では勝てない事への意趣返しを込めて。
「シカマルその報告書まだ書き終わんねんだろ?オレの話聞きながら書けってばよ」
「はあ?」
なんで命令形なんだよ?
「むか~し、むかし」
「おい」
「ニシシッ。いいからいいから、聞けってば」
幼い時分からナルトは独りで居る事が多かったが、いつもそうだったのかと言うと語弊が生じる。数少ない友人達はナルトの出生や、里人から避けられる理由を知っていた訳ではないが、自然と周囲からナルトを守る態勢を形成していた。それは勿論充分ではなかったが出来る限りナルトと一緒に過ごすようにしていたし、彼らの親もそれを望んでいた。
そういった日々を過ごしていたある日、いつものように家に帰る友人達と別れブランコから立ち上がったナルトは公園を出ようとして若い男に声を掛けられた。しかし男と言っても顔を見た訳ではない。そう判断したのは背格好と低い声が男のものだったからだ。
ナルトはいつの間に現われたのか、傍に立つ男を警戒の色を湛えた瞳で見上げた。
実の所その青年はナルトが他の子供達と遊んでいる姿を公園の隅のベンチからずっと眺めていたのだが、遊びに夢中だった彼らはその不審な男に少しも気付かなかった。否、気付けなかった。彼はあまりにも人の気配というものを感じさせない。
人間かどうかさえも怪しい。
なぜならば彼の顔は人の面ではなく「狐」
「ねえ、いつもここで遊んでるの?」
「兄ちゃん、誰だってばよ」
「あの子達は友達なの?」
「・・・トモダチだってばよ。兄ちゃんこそ誰だってばよ」
ナルトは一歩二歩と下がって彼との距離を置こうとする。けれどその小さな間合は大人にとっては大した事無い、一歩で縮まってしまう空間だ。
「ん~オレはねえ」
『狐ダヨ』
「!」
「っくく。吃驚した?なんてね~ウソ、ちゃあんとした人間だヨ」
「んだよ」
気味悪ぃ。早く帰るってばよ。
「あっ待ってよ、明日もここで会えるかな?」
しらねえ・・・無視。じいちゃんが変な人と話しちゃいけねえって言ってたってばよ。
「待ってるよ。オレは待ってるからね、ナルト」
え?
「なんでオレのなまえ・・・・!」
ナルトはビックリしてもう一度青年を見た。けれど「狐」の姿は何処にも無かった。あるのは彼の銀色の髪に反射していた光の名残だけ。
翌日の放課後、ナルトはアカデミーの友人達と別れいつものようにイルカを探して職員室に行った。けれど忙しく出入りする大人達の中にイルカの姿は無い。放課後、任務受付兼、報告所にいる事も知っているが今日はそこにもいない。
「イルカ先生、いねえの?」
一楽に誘おうと思っていたナルトはガックリ肩を落としてとぼとぼ歩く。
つまんねえの、キバ達と遊びに行けばよかったってばよ。
「つまんねえ」
思った通りの事を呟き自分の影を率いてアカデミーの門を潜り抜ける。後は独りで修行に行くか、帰るか。目を掛けてくれる三代目火影やイルカには独りでの修行は危険だからするなと言われているが、修行に付き合ってくれる相手がいないのでは仕方が無い。それにナルトには何故危険なのか、どうして里人から忌み嫌われるのかよく分からない。ただ誰にも好かれない我が身の孤独を常に感じている。
「そ?じゃあオレと遊ぼうよ」
「!・・・・あっ」
不意に聞こえた声に驚いて顔を上げれば、己の影に大人の影が被さっている。頭の部分から角のような形を二本突き出しているそれは昨日の夕刻見た物と同じだ。
「ね?」
ナルトはパクパクと口を開閉して「狐」を見上げた。
「待ってたのに来ないから迎えに来ちゃった」
首を傾げてエヘヘと笑う若い男は見た目も手伝って怪しさに拍車を掛けている。
「う、あ・・・え?」
「あ、そうだ。いいものあげる」
狐は体を捻って腰のポーチをゴソゴソと探る。そして掴み出した男の掌、ナルトの目の前に出されたのはカラフルな包み紙のお菓子。
う、わあ。食べた事ねぇのばっかりだってばよ。
殆ど毎日誰かに小突き蹴り倒されるナルトは帰り道、傷付いた体で商店を覗き込んでも店主達はそそくさと店を閉めてしまい、珍しい食べ物を手に入れるチャンスは滅多にない。たまにイルカや三代目火影がくれるのを嬉しそうに受け取り、勿体無いからと少しずつ大切に食するだけだ。
いま目の前にあるお菓子はどれも美味しそうに見える。中でもピーナッツが描かれた赤い包みのチョコレートは子供の関心を惹いた。
けれど甘い言葉は誘拐の常套句。興味はあるがここまで親切にされると恐怖心も沸いてくる。
この兄ちゃん変だってばよ。先生も知らねえ人から貰っちゃだめだって・・・。
「ふふっ毒なんて入ってないよ?」
子供の心を見透かす大人の声。小さな体はビクッと震えたが結局興味が勝った。
ナルトはおずおず一つだけ摘もうと指を動かした。すると青年は小さな手を掴み引っ繰り返して両掌にお菓子を落とした。
「あっ」
零れそうな位手一杯に齎されたキャンディーやキャラメル、チョコレートをキラキラした瞳で眺めるナルトの頭上で狐が満足げに笑う。
「もっといっぱいあげるから、沢山ある所に行こうよ」
「いっぱい?」
「うん、いっぱいね」
首を傾げて彼を見上げるナルトの頭はこれから貰えるだろうお菓子の事で一杯だ。「知らない人間に」云々と叱るイルカの顔は遠ざかって替わりに色取り取りの包みと香りが広がる。
「なんでもあげるヨ」
その言葉で子供の心を傾かせるのは容易い事。
ナルトが頷くのを見て狐は面の下でにっこり笑った。
※
職員会議を終えたイルカは職員室の自席を綺麗に整えて、今日はナルトの帰る姿を見ていない事に気付く。
あいつ探しに来たかな?会議だって教えてやればよかったな。
独り身の中忍は両親が居ないナルトと夕食を共にする事が多々ある。それは少年に対する同情ではなく、自分の境遇に似た様が放っておけないからだ。
「たまには俺から誘ってやるかな」
纏わり付いて来る生徒に仕方なしといった風で返事をしているのだが、いつもそういった対応をしているのでは彼にも悪い。都合好いことに今日は給料日だ、景気よく奢ってやろうとイルカはまだ仕事が残っている同僚に労いの言葉を掛けてアカデミーを出た。
「今頃は修行してるか家に帰ってるかだな・・・まずは修行場に行ってみるか」
成績は良くないし悪戯ばかりして火影をも困らせる。けれど誰よりも努力している事を知っている。あの子はいつだって真剣で真っ直ぐだ。里の一般人はあの子を嫌い、憎み、傷付けるが彼自身は何一つ他人を傷付けてはいないのだ。
英雄になる筈だった子供。
英雄になるべきだった子供。
「ナルト」
あの子の笑顔が見れるのならどんな協力だってしてやる。
イルカは自身とナルトを重ねて眉を寄せふと通りの人を見て目を見開いた。
あれはっ、暗部の!
「ナルトッ!?どうしてあいつが?」
イルカは暗部の男がナルトの手を握り連れて行く姿を見て走り出す。生徒の身に何があったというのか。イルカの頭は真っ白になり、早く子供を取り戻す事でいっぱいだ。
「ま、待て!ナルトッ!!」
「!・・・イルカ先生」
「こっこっこの子がっこの子が何かしたって言うんですか!?」
驚いた顔で見上げてくる子の肩を掴んで男から引き離し、物凄い剣幕で掴み掛かると相手から殺気を含んだチャクラが漏れ出した。一般人ならば失禁してしまうその「気」に、懸命にも中忍は一歩下がるだけに留まって向けられる殺気に耐えた。
「お前には関係ない・・・大体そっちこそ何?」
冷たい低音でぴしゃりと斬り捨てられたイルカは不機嫌な男に畏怖を抱いたが果敢にも狐の面を睨み返した。
「この子の担任です!!」
「担任?」
暗部の男はナルトを見て「ああ」と頷く。
ふうん、アカデミーの中忍ね。邪魔な男。
「中忍如きが出しゃばるんじゃないよ。その子置いて帰りな」
「嫌です!いくらあなた方暗部の指図でもこいつを放って帰る訳にはいきません」
「痛い目見るよ?」
大人の事情は理解できないナルトだが、頭上の遣り取りから二人の雰囲気が険悪な事とイルカの方が不利な事が分かった。
大好きな教師を傷付けたくない。
ナルトはそっとイルカの手に触れて狐面の方に歩き出す。
「イルカ先生!オレ今日は約束してんだってばよ。だから、ごめんってば」
「ナルト?」
「一楽、また誘ってくれってばよ!!」
「お前・・・」
分かってたのか。いや偶然口にしただけかもしれない。
「大丈夫、なのか?」
火影直属とはいえ暗部の忍がナルトを傷付けない保証は無い。
「うんっ。この兄ちゃん良い人だってばよ」
「そうか・・・なら」
不安は残るが正直暗部と遣り合って勝てる可能性は万に一つもない。ここはナルトを信頼して火影へ報告に行った方がいいだろう。
「じゃあなイルカ先生ー」
子供は笑って手を振ったがその隣、手を繋いで歩き出した男は背を向けてもう二度とイルカを見なかった。
後にイルカは元生徒達の中忍試験ではたけカカシと対立した時、妙な既視感を覚えたという。
明かりが灯された一楽の赤い提灯が近付いた頃、例の男はイルカと別れてから固く閉じていた口を漸く開いた。
「いつもイルカ先生とラーメン食べに行くの?」
「・・・そうだってばよ」
「ふ~ん」
ググッと手を握る力が強くなりナルトは顔をしかめて彼を見るが、面の所為で心情を窺い知る事はできない。
「ラーメン好きなの」
「大好きだってばよ」
ぱあああっと輝く笑みを全開にして頷くと、痛かった青年の力が緩んでナルトは少し安心する。
イルカ先生と話してる時は怖かったけど、今は何ともねえってばよ。変なの。
「じゃあこれから奢ってあげる」
「えっ?」
明るい声音で話し掛ける狐にナルトは戸惑う。さすがに昨日会ったばかりの人間に奢らせるのは気が引ける。
「だめっ絶対駄目だってばよ!じいちゃんが知らねー人に物を貰っちゃ駄目って言ってたってばよ」
「う~ん・・・でも、もう飴貰っちゃったでしょ?」
「うがっ」
「くすくすくすっ面白いねえお前」
「あっ、あれは兄ちゃんがくれるって・・・」
「うん、そうだねえ。じゃあ一楽はまた明日ね」
「明日も来んのかよ」
「ん?何か言った?」
「ううん」
「そ、じゃあ早くお菓子のある所に行こうね」
青年の部屋はキッチン風呂付の簡素な住まいだった。ナルトが特別に出入りできる火影邸で見られる植物類はなく、人一人住んでいる割に生活臭が少しも感じられない無機質な空間だ。
「兄ちゃんの家って・・・うわっ」
玄関から寂しい部屋を眺めていたナルトは背後に立っていた彼に抱き上げられて一気に部屋の中へ入る。
「かわいい」
よく分からない事を言う相手を見上げていたナルトは男が面を外す様子を見てハッと息を呑んだ。仮面の下には予想通り若い容貌が隠れていたが、その顔には縦に走る酷い傷と燃える様な紅い瞳と深海の如く濃い青のオッドアイがあった。唇はアンダーから繋がるマスクに隠れて見えない。
な・・に・・・こんな人初めて見るってばよ。
傷付いた当初は相当痛かっただろうと推察できる傷は深いにも拘らず不思議と醜くは無い。それは彼が醸し出す冷たくも妖艶な雰囲気ゆえか、それとも男らしい自信を備えた態度のためか。傷は彼の顔に自然と馴染みいいアクセントになっている。
「約束だからね」
そう言うと彼はマスクを下ろしナルトの旋毛にキスをして、テーブルの上にあるお菓子が入った円い缶を取った。そしてベッドを椅子代わりに、ナルトを膝に乗せて座った。
「開けてあげる」
パカッと蓋が空いた缶には彼に貰ったお菓子と同じ色鮮やかな包みが沢山詰まっている。ナルトは自分の膝に置かれた缶の中身の豪華さに目を丸くする。火影の家でもイルカの部屋でもこんな物は見た事が無い。初めて手にするそれは特別な物としてナルトの瞳に映った。
「全部あげるよ」
「えっ!?」
でもこれは兄ちゃんのだろ?
「人に貰ったんだけどね・・・オレは甘いの苦手だからいーの」
その代わりお前を貰うからね。
後ろからナルトを抱いている青年はスウッと紅い瞳を細めてうっすらと唇に笑みを浮かべる。
「可愛い子」
※
「何じゃと?」
イルカの報告を受けた三代目火影は吹かしていた煙管に噎せて、ゴホゴホとこの歳にはよろしくない咳をして聞き間違いではなかろうかと半分は希望を込めて聞き返した。
「ええ、ですからっ!ナルトが暗部の忍に連れて行かれたんですよ!火影様がご命令なさったのですか?」
居ても立ってもいられない。まさにそんな感じの中忍の慌てぶりを目にして笠を脱いだ火影は白髪の頭を掻く。
暗部の狐面か。
「あやつめ、あれ程接触は禁じたというに、しょうのない奴じゃ」
「ナルトは大丈夫なんでしょうか!?」
「大丈夫じゃろう。あやつがナルトに危害を加えることは無い」
だが・・・別の意味で不安ではあるが。
「まったく、良くも悪くもあの子は目立ち過ぎるわい」
まだまだ現役を行く三代目火影は受難の予感に煙管から吸い込んだ煙と共に溜め息を吐き出した。
※
「うまいってばよー」
キャラメルを口に含んだナルトは幸福な表情で頬っ辺が落ちると両手を顔に当ててキャッキャ喜んでいる。
「そう、よかったね」
連れて来た甲斐があったヨ。
「いっぱい食べていいからね」
青年は子供の頭を見下ろして右手をスッと上げ首筋から柔らかい髪に触れる。甘いお菓子に夢中になっているナルトはそれに気付く事無く、彼は更に青色のTシャツに触れた。
「あま~い!」
「本当に甘いね」
既に暗部のコスチュームを全て脱ぎ、上は黒の袖なしアンダー一枚になっている忍は子供のTシャツの裾から両手を滑り込ませ素肌を撫でる。温度の低い大人の手に対して子供の体温は高く心地好いものだった。
「ひゃあっ」
悲鳴を上げた拍子に握っていたキャンディーがバラバラと床に散らばる。蛍光灯の下に広がったそれは味気ない部屋に色を与え、常にはない第二者の存在を強調する。流石に驚いたナルトは体を捩って振り返るが、大人はそれに構わず細い首筋をペロリと舐め体を撫で回す。
初めてナルトの心に暴力に対する以外の得体の知れない恐怖が広がった。
「やっやだっ!離してっ帰る!オレ帰るってば!!」
半泣き状態で逃れようとするが彼の手がしっかりと捕まえて離さない。
「駄目だよ、やっと捕まえたんだから」
ナルトは涙が浮かぶ目を見開いて銀髪の男を見上げた。
力によって拘束された体は逃げようとしても逃れられず、紅い瞳に見つめられたナルトの心は痺れいつまでも捕らえられていた。
※
「って、待てよそこで終わりかよ」
唐突に話し始め話し終えたナルトに渋面のシカマルは明かされた過去に対する後悔やら無念やら、とにかく力不足だった己への苦々しさを感じて、自分から話し出したくせに全てを喋ろうとしない友人を睨んだ。
「ん・・・」
アカデミーの椅子の背を抱き跨いで座っているナルトは数秒、意味深な笑みを唇にのせてシカマルを見つめた。
「ナルト」
珍しくシカマルの胸に妙な焦燥と違和感が沸き起こる。明晰な頭脳でその原因を探ろうとするが、落ち葉に混じった木の葉のように姿を晦まして容易には捕まえられない。
「ナールートー」
教室の入り口から聞こえる低音。
シカマルが尻尾を捕まえられない内に友人の迎えが来て話は完全に打ち切られた。
「あ、カカシ先生が来ちまったってばよ。じゃあな!シカマルッ」
「あっおいっ・・・て行っちまいやんの」
シカマルは全く進まなかった半分は白紙の提出用紙を見て頭を掻く。
「あいつ・・・あんな顔できるんだな」
ああいう微妙な表情はよ、あいつには似合わねえ。
「・・・・・!」
カカシとナルトが消えた出入り口を眺めていたシカマルは違和感の正体を見た気がして視線をドアの一点で止める。
そういや、あの顔は前にも見たよな。
蓄積された記憶を漁ってみればナルトのあの笑みはカカシの事を話す時、稀に見られたものだった。
おいおいおい、まさか、だよなあ?
「あの人なら有り得るが・・・・犯罪じゃねえか」
めんどくせえ。
下忍の子供時代とは違う、責任ある立場の彼が最近は呟きどころか胸にも抱かなくなっていた言葉を漏らして、染みが浮き出ているアカデミーの天井を見上げ白い紙面をどうするか悩むのだった。
END