幸せの鍵
それはナルトが任務から帰って来た午後の事だった。日はまだ高く燦々と輝いている。昼を済ませてから帰るのが丁度良いくらいだ。さて何処へ行こうかと思案するナルトの鼻を懐かしい匂いがくすぐった。ラーメン好きには堪らない一楽の香りだった。
里を離れていた一ヶ月、毎夜夢に出て来た恋しい味が頭に浮かぶ。
「決まりだ!」
叫ぶ前から足は一楽へ向かっていた。今も現役でがんばっているオッチャンのラーメンが早く食べたい。
ナルトは笑みさえ浮かべて気分は上々と歩いて行く。
だが突然その背に、こちらもまた馴染みある声がかかった。
「ナルトー」
ナルトは帰って来てすぐ会えるなんて、最高にツいてると思い嬉しそうに振り返った。
「サクラちゃん!会いたかったってばよ・・・・?」
ところが上機嫌で近付いて来た彼女は見知らぬ男と手を繋いでいる。
「私も!良かったわ会えて。まさか一ヶ月もいないなんて思わなかったから・・・カカシ先生も教えてくれれば良いのに」
「え?」
「ま、いっか。ナルト!紹介するわ、今お付き合いしてるミゾレさん」
「え」
「私たち結婚するの」
まさに寝耳に水。
とんでもない事をウキウキと伝えた彼女はこっそり、ちょっとサスケ君に似てるでしょと耳打ちした。
石化したナルトにピシリとひびが入る。
それは長年の片想いが完全に破れた瞬間だった。
赤提灯が誘う屋台のカウンターで、中年の男と若い男が並んで話している。若い者の方は相当酔っている風で溜め息混じりに管を巻く。その愚痴を大人はそうか、そうかと頷き慰めている。
「でさ、そうかぁサクラちゃんもついにかぁって、貰い手があって良かったなって言っちゃったんだ」
「お前よく無事だったな」
「うん、婚約者の前だったからさぁでもサクラちゃんが結婚かぁーって思ったら」
「感慨深いか」
「全っ然!つかオレ何度目の失恋!?て感じだってばよ!サスケでもオレでもなく、他の男とくっつくとは思わなかったし」
拳を握ってダンッと木のテーブルを打つ。その音に驚いて数人が振り向いた。
もう一人の男はそれに謝りつつカウンターにべったり懐いている彼に笑いかけ、空の猪口に澄んだ酒を注いで勧めた。
「う~ん、まあ」
そして何となく考えていた事を仄めかす。
「お前も他を当たるしかないんじゃないか?」
「ほかぁ~?」
酒で潤んだ赤い目が男を見上げた。
「サクラちゃん程の女はいないってばよ」
その瞳と科白に一瞬動きを止めた彼は苦笑して
「そうだなあ」
考える素振りで顎に手をやる。
「例えばオレとか」
騒がしい店内では他人の耳には届かない。幸いと思い隣にだけ向けた呟きだったが、相手の反応は無く沈黙だけが返ってきた。
「・・・ナルト?」
気持ち悪がられた過去があるので、また同じかと恐る恐る見れば隣人は安らかな寝顔を曝していた。
「なんだ寝てるのか」
彼はホッとしたような残念なような心持ちで指通りの良い金糸にそっと触れ、起こさないようにその頭を撫でた。
まだまだ活気に溢れる屋台でそこだけ穏やかな時間が流れていた。
数日後。
ベッドに仰向けになったナルトは染みの浮いた天井を見上げて夢現つに聞いた事を思い出していた。
「ジョーダン・・・だよな」
管を巻いた夜、彼は黙ってどうしようもない愚痴に耳を傾けてくれた。
「オレの聞き間違いかもしんねーし」
本当に言ったのだとしても、きっと落ち込んでいる元生徒を慰めようとして発した彼流の冗談だろうとナルトは思った。
「けど、カカシ先生もよく分かんねーよな」
得体が知れないのは昔からだが、その発言も何処に真意があるのか理解し辛い。子供の頃は成長すれば分かると思っていたが、大人になってからは益々解らなくなった。
サクラは逆に『分かりやすい』と言うが、何を以てしてそう判断するのか。
ナルトをニブチンと称するサイもある程度カカシを分かっているような気配を纏う。
「オレの方が付き合い長いんだってばよ」
なのにオレだけ分かってねーみてぇ。
ナルトはごろりと横に転がって放っていたカカシ人形を手に取った。
もうこんなものを持っている歳でもないのに、捨てようとしても棄てられない。いつか失くしたと思っていたのだが、いつの間にか戻って来て、今も部屋のどこかしらに必ず居る。
「お前ってばマジにカカシ先生みてえ」
ナルトはむにっと頬を摘んで目を閉じた。
ところがそれから少しして、ナルトは前にも増してカカシが自分の家に現れている気がして首を傾げた。
実はその変化はあの夜を境に起きていたのだが、ナルトは気付くのが遅かった。
彼は七班以外の、個人の任務前にもわざわざ挨拶に来て寝惚け眼のナルトに上機嫌な空気を振り撒いていき、任務が終わった後にまた来る。
休みになれば早朝から訪れ、かと思えば昼飯の時間に不意打ちに現れる。
夜も来て勝手に晩酌を始め、びっくりしているナルトを余所に風呂の支度までして無理矢理晩酌に付き合わせる。
何がなんだか分からない内に夜中になり泊まっていく。
あまりにもカカシの調子通りで、そのテンポに惑わされゆっくり落ち着いて考えられず、トイレに起きた時に「ところでカカシ先生は何で頻繁に来るんだっけ」となる。
『たしかこういうの、指す言葉あったってばよ・・・ナンだっけなあ・・・』
寝惚けた頭でう~ん、う~んと唸りながら考え辿り着いた答えは。
『あっ。押し掛け女房だってばよ』
「あんたそれ立派なストーカーよ!」
誰がとは言わず、友人が困っているのだと言えばサクラはびしりと返してきた。
昼の混み合う時間を過ぎたお茶の三時までの閑散とした刻、甘栗甘にて奥の席で二人は顔を突き合わせた。
なぜ今更振られた相手に相談するのか。
自問しなくても答えは簡単だ。他にできる人間がいなかったからだ。
友人はいるが、人に言い触らせる内容ではなく、万が一自身の事だと悟られたら不味い。その点はサクラも同じだが、いざとなれば身内だ。なんとかなる。
「ストーカーって」
「だって家にまで侵入してるんでしょ?相当よそれ!」
一度里の警邏隊に訴えた方が良いわよ。
「そんな大袈裟な事はしたくねえって」
ナルトが相談すれば早かれ遅かれ、カカシの事が明るみに出てしまう。そこまでする必要はあるのか。何せカカシは同班の仲間だ。制裁したい訳じゃない。
「だってその人は迷惑してるんでしょ?」
迷惑・・・?
「してんのかなあ?困ってるけど」
「困ってるって、嫌って事じゃない。どうしたい訳?」
「う~ん」
「やめて欲しいんでしょ?」
「度が過ぎてるとは思うってば」
「ほら!なら今の事を友達に伝えてあげなさいよ」
サクラは決まり決まり、とさっぱりした顔で茶を啜る。逆にナルトの悩みは深まり結局解決できない問題に頭が痛くなった。
その帰り道、ナルトは道を逸れていつもは足を止めない静かな池の畔りを訪れた。池というよりは湖に近い広さで、周囲を散策しながら今まで分からなかったが、ここは随分と静かで落ち着く場所であるのに気付いた。
頭を空っぽにして歩くと透明なチャクラが流れ込みリラックスして心が満たされる。
空を見上げてホッと息を吐く。雲のない青がナルトを見下ろしていた。
「ここは良いってばよ」
だが地上に目を戻した途端すっきりとした気分を殺がれガクッと肩を落とした。
「どんっだけ暇なんだよカカシ先生~~~~~っ!」
「よ、」
細い樺の木の傍でそれに似合わない怪しい風体のカカシが手を挙げて立っていた。
「いやなに、お前がこんな所に寄り道するなんて珍しいから気になってな」
「悪かったな!ガラじゃなくて!」
時折リスが木々の間から顔を覗かせ声の綺麗な鳥が囀る。見回せば別荘地かと思うような風景が広がっている。しかし里の一角にこんな場所が存在していた事が驚きである。
「カカシ先生こそオレを心配してる場合かよ」
「?」
「任務忙しいんだろ?ばあちゃんが言ってた、最近草との関係が危ねーって」
不法に境を越えて侵入して来る輩が増えている。今月に入って既に三件、里を内偵していた草の忍が捕まった。
「ん~、そこんとこは五代目が尽力なさってるからな」
「任務入ってんだろ?七班じゃねー方に」
「まあな」
彼はこうして濁して大事な事は話してくれない。昔からそうだ。馴染みの仲間同士では情報交換をする癖にナルトには教えない。
「大丈夫!お前が心配するよーな事はないさ。ケド、ありがとな」
「そうだな、って別にカカシ先生の心配なんか!」
反論するナルトの頭をまだ少し背の高い彼がぐしゃぐしゃっと掻き回した。
「はは、照れない、照れない」
赤くなりながら、照れてなどいない、と言い掛けナルトは深い色の瞳を見て言葉を呑んだ。
普段茶化してばかりのそれが今は穏やかにナルトを見ていた。
続く