神憑 夢追篇
ナルトが巻物を開こうとしているのを見てサスケは叫んだ。
大体巻物は見てすぐ理解できるものではない。中に書かれている術式を読んで印を組むか使用者の血を刻む。
しかしこの巻物は開いた途端発動する。そういう仕組みだ。
サスケの声はナルトに聞こえていない。
ナルトは呆然とした顔で巻物の紐をしゅるりと解く。
相手の忍はまだよく分かっていない顔で動きを止めている。
そこへ必死に藻掻き敵の手を逃れたサスケが飛び出した。
「ナルトォ!」
だが一歩遅くそれは宙を舞い書の全容を明らかにした。
「サ、スケ・・・!?」
ナルトは前に出たサスケに驚いて退こうとしたが遅く、敵の忍も逃れようとしたが間に合わなかった。黒く禍々しい気が巻物から立ち昇りサスケに吸い込まれていった。
それからは尾獣化の様な恐ろしい変貌が目の前で起きナルトは吹き飛ばされた。木にぶつかりながら彼らの方を見ると敵は倒された後で、やっと自分の体がコントロールできるようになり駆け付けるとサスケは地面に倒れていた。
サスケの姿は元に戻っており、巻物も元通り巻かれて鳴りを潜めていた。まるで自分の意思を持っているかのようだった。
「で、それ以降はよく覚えていないという事だな」
綱手の厳しい眼差しにこくりと頷くと溜め息が漏れた。
「綱手様、これはやはり」
トントンを抱いたシズネが囁くと綱手は立ち上がり、青い顔をしているナルトを睨んで付いて来る様に促した。
火影の部屋を出て着いた先は木ノ葉病院の特別室。
辺りは静かで誰もいない。或いは綱手が人払いを命じたのか。
入り口には封印が施されていた。見慣れない紋様が白いドアに浮かび青から深緑、黒に変化する。物々しい様子に不安が高まる。
「この部屋の封印は三重にしてある。一つ目はこの札だ」
綱手は扉に貼った札を外しながらナルトを振り返る。手は静かに戸に触れて紋様をなぞる。
「二つ目はこの術式・・・三つめは中のベッドの周りだ。お前の記憶ではあの書には何者かの契約の印と見た事がない術式が書かれていたんだな?」
ナルトは青い顔で頷く。
ぼんやりとして声は発せなかった。
「入るぞ」
ドアが開くとベッドに上半身を起こしたサスケが見えた。
空色の病院着ではなく黒の着物を着ている。
「サスケ・・・」
ナルトはベッドの側に寄り不安げに綱手を見た。
「巻物が開いた後の記憶はねェ」
「そうか」
予想できていたのか綱手は頷くだけだ。
「腑甲斐ねえな」
サスケは苦笑いするがナルトの表情は変わらない。
「ばあちゃん、サスケは大丈夫だよな!?」
しかし綱手は応えてくれない。
「ウスラトンカチが余計な心配するな」
「サスケ!」
カッと言い返しかけるナルトを制して不敵に笑う。
「てめえに心配されるようじゃ俺も駄目だな」
「オレのせいだってばよ!」
「違う」
「違わねえっ」
「あの時は他に方法がなかった。今思えば正解だったと思うぜ」
「サスケは止めようとしてた」
「そうだな・・・だが」
パンパンッ。
綱手が手を叩いて二人は口を噤んだ。
「隠しても仕方ないからね。ナルト、うちはは神憑だよ」
「かみつき?・・・サスケが?」
「ザマアねえな」
サスケは口端を弛め己を嘲るがナルトは笑えなかった。
「その反応は名前くらいは聞いた事があるようだね」
「詳しくは分かんねーけど、あの巻物がそうだったのか?」
禁術としか知らされていなかった。
「そうだ」
知らなかったのはサスケも同じ。
「どうしたら元に戻れるんだ!?」
「分からん」
「分からねーって、ばあちゃんなら」
「これは禁術で知る者が少ない!私にだって解るものか!」
「そんな・・・」
「だが抑制くらいはできるかもしれん。それはうちは次第だがね」
「でもばあちゃん」
「肝心なのはこれからだ。違うかい?取り敢えず五日の休養を与える。その間にサスケは自己コントロールをしろ」
「フン、言われなくてもやってやるさこれくらいな」
飽く迄も不敵に返す。
サスケは平気な顔をするがナルトは心配だった。あの書は解読するにも開いて読む通常の方法が罷り通らないのだ。綱手はその術の解析を始めると言うがどうするのか。
まだ深く問いたかったが綱手は出て行きナルトも強制的に出させられて再び封印が掛けられた。
静かになった部屋ではサスケが顔を歪めていた。
ナルトの前ではああ言ったが、その裏で自身はじわじわ迫る闇を感じていた。
かけられたサスケが良く分かっている。この術は内側から攻めて精神を破壊する術だ。ずっと前から深い闇が問い掛け隙あらば入り込もうとしている。
恐らく、誰彼構わず攻撃するシステムで最後には自爆する。
自我を奪われたら終わりのゲーム。
「―――っは」
気付けばぐっしょり汗をかいていた。
振り払った筈の過去の闇が押し寄せるのを感じる。
「ウスラトンカチは俺か」
相当酷い顔をしていると思ったが今は鏡を見たくなかった。
ナルトは自己嫌悪に陥ってすっかり自信を無くしてしまった。心はサスケへのすまなさと心配でいっぱいになっている。
上忍待機所に行っても気が晴れないで鬱陶しい顔をしているので仲間が家に帰ってゆっくり休めと言う。
心配するシカマルに見送られて待機所を出ても帰る気になれない。けれど誰かに会いたい訳でもなく途方に暮れる。
憔悴した顔で路上に立ち尽くした。皆は避けて通り過ぎるが時折数人が振り返って顔を見た。
そして人影が何も無くなった後、ナルトは俯いていた顔を上げた。
「なんだ、カカシ先生か」
「オレはこんなナルトを期待した訳じゃない」
悲痛な顔をしたカカシが立っていた。
「オレもだってばよ」
だがカカシが何を期待したのか知る由はない。
「先生はどこまで知ってるんだ?」
「今回の任務のことは・・・だがどの任務、どの忍でも同じ事態は起こる」
カカシの言葉は決して慰めなどではなく事実だったがナルトは首を振った。
「でもこれで決心がついたよ。オレは綱手様に鋭く切りつけられるまで覚悟が出来なかった」
「―――何の」
「お前と向き合う覚悟かな」
「なんで、カカシ先生はオレには別に何も」
「第七班だからじゃ駄目か?」
「元、だってばよ」
「そうだな、でも班を卒業してからもお前達の事は気にかけていた」
「じゃあオレがどうって訳じゃ」
「一番に思い浮かぶのはいつもお前だよナルト」
「!」
「時効だと思って正直に言う。七班はナルトが居たから担当上忍を請け負った」
「え・・・?」
「三代目から話を受けた時にお前の名前を聞いて決めたんだ。監視役じゃない一人の教師として」
「そんな話聞いた事ねーってばよ」
「伏せていたんだ。三代目もオレも」
「でも、じゃあ・・・いや、そうだとしてもどうして今話したんだってばよ」
「言っただろちゃんと向き合うと」
その目は花街のカカシでも上忍や暗部のカカシでもなく、七班で共に過ごしたカカシの顔だった。
「オレは本音を言うからお前にもちゃんと聞いて欲しい」
真剣な気持ちが自然と伝わりナルトは耳を傾ける気になった。
「わかった。先生の話ちゃんと聞く。オレも知りてーことあるから」
答えたナルトは未だ沈んでいながら、先程より少し明るい顔でカカシに近付いた。
額当てを取りベストとマスクを脱いだカカシがキッチンに立つ。
「簡単な飲み物しか出せなくてごめんね」
近くには公園があったがカカシは自分の部屋へ招いた。ナルトには七班を卒業して以来の訪問だ。
「ありがとってば」
昔は苦くて飲めなかった珈琲に別の壜でミルクと砂糖が添えられた。そこに変わらないカカシの優しさを見て涙が滲む。
「本当はもっと早くこうするべきだった」
テーブルの上で組んだ手に目を落としたカカシは後悔を口にした。彼には珍しい科白だ。
「あの晩を覚えてるか?」
「あの晩、」
「花街でお前に逢った時オレの心はざわついた」
「!・・・カカシ先生が?」
それは寧ろ自分の気持ちだったので驚いた。
「そうだ。なぜ・・・どうしてか分かるか?」
「分からねェ。あの日から先生のこと何度も考えて理解しようとしたけどわかんなかった」
カカシは少し驚いた様で意外な顔をした。
「考えてくれたのか」
「うん」
素直に答えるとカカシは口を弛めた。
「サスケがああなって、オレは狡い(ずるい)かもしれないが」
“ああ”とはやはり何もかも知っているのだ。当事者が黙っていても彼の耳に入るのは元とはいえ担当上忍だから当然か。
「班を受け持った身で不謹慎だった」
「何を言ってんだよ、カカシ先生は立派な教え手だってば」
「違う、失格なんだ。担当は教え子を平等に見る義務がある。それをオレは誤った」
「サスケばっか面倒見てたことか?それなら当たり前だってばよ!写輪眼の遣い手は」
カカシは手を解いてナルトを見た。
「オレはずっとナルトを見ていた」
「え・・・」
「こんな話は気持ち悪いかもしれない」
「先生?」
「ずっと好きだったんだ」
「エェッ!」
「本気で。三代目は薄々感じていただろうね。五代目には筒抜けだ」
「そんな・・・素振りなかったのに」
「黙っているつもりだった」
「この間だって!」
「悪かった」
「オレは七班が解散して、会えないのは自然なのにすげー寂しくなって・・・サスケとはツーマンセルだしサクラちゃんはばーちゃんとこで会える。ヤマト隊長やサイは時々任務で一緒んなった。そりゃ皆一同に揃う事はなくなっちまった。けどカカシ先生には全然逢えねェ」
「ナルト」
目尻が熱くなる。カカシの気遣う顔がぼやけた。
「オレは昔この部屋に来るのがスッゲェ楽しみだった。皆知らない秘密をオレだけが知ってるみたいでウキウキしてたってば」
「それは、嬉しいな」
「オレはカカシ先生を追い駆けてた」
「!」
「初めは憧れで、その内・・・つまり恋愛っつーか・・・好きになった」
「!!・・・本当か?」
「ホントだってばよ」
「信じられないな」
「そりゃ、こっちのセリフだっての!」
ナルトの涙はすっかり引っ込んで可笑しさに噴き出した。
「ありがとうナルト」
「こちらこそだってばよ!」
すると椅子から立ち上がったカカシの手がナルトの手を掴んで、木ノ葉内外の女性が最高に格好良いと評する美形が近付いてきた。
「せっせんせ!」
慌てたナルトは手を引っ込めようとするが案外強くて敵わない。
「センセーってばっ・・・・」
「しーぃ、少しだけ、少しだけだから・・・」
「ちょ、やばい、って・・・そんな」
抵抗は簡単に流されて、いつの間にかナルトの方から抱き付いていた。
頭に一瞬、雑誌の記事や世の女性達が浮かんだが深いキスに消えた。
「えっ任務に出られるのか!?」
ナルトの素っ頓狂な声に綱手が顔を顰(しか)める。
火影命令で召集されて赴いたのはあの病室だ。寝ていると思ったサスケはしっかり忍服を着込んでナルトを待っていた。
「ああそうだ。その代わり、お前がちゃんとサポートしてやんな」
その言葉にナルトの表情が引き締まる。
「それからあと一人・・・入れ!」
すると長身の男が病室に入って来た。
「ハイ、失礼します」
「カカシ先生!」
「チッ・・・」
「サスケー聞こえたぞ」
早々に中の悪さを発揮する二人に綱手が釘を刺す。
「お前達精々仲良くやりな。うちはは良く解っていると思うが、カカシは写輪眼対策の為に参加して貰う。対サスケ要員だって事を忘れるな」
「ばあちゃん!そんな言い方って!」
「承知している」
表面上はピリピリしているが理解しているサスケは噛み付くナルトを止めた。
「よし!この後うちはの身体に封印を施し準備が出来次第任務を言い渡す」
「はっ」
「私は引き続き術の解読をする。何かあったら些細な事でも報告しろ!」
「御意!」
綱手とサスケを残して二人は部屋を出た。
「まさかカカシ先生が入るとは思わなかったってばよ」
するとカカシは真面目な顔で顎に手を当てた。
「五代目が考えていた以上に事態は深刻だ」
「えっ」
「もし最悪暴走した場合ナルトじゃ止められない」
「そんな・・・そんな程度まで進行してんのか?」
「言ったろ、“最悪”だって」
カカシはナルトの頭をくしゃりとやって安心させる笑みを浮かべた。
「とにかくヨロシクな」
「おうっ!」
腕を振り上げたナルトを目を細めたカカシがそっと引き寄せマスクに手を掛けた。だが腰に回した腕が一層強くナルトを抱いた時不機嫌な声が聞こえた。
「お前ら視えてるぞ」
「・・・あらら、サスケちゃんたら」
そして溜め息混じりに苦笑う綱手の気配が扉の向こうから漏れていた。これにはヒヤッとしたナルトも笑うしかない。
「ま、よろしくね~」
「だってばよ!」
今は前へ。
ナルトは笑って不意打ちにカカシの頬へキスをした。
END