銀鈎
アカデミーの階段教室でイルカは教壇から問題に対してあれこれ考える生徒達を微笑ましく見守っている。
よしよし、中々皆真剣に取り組んでいるな。
その生徒一人一人を見ていた彼の表情がほんの僅かに翳る。
このクラスにも下忍試験に落ちた子供が二人いる。守ってやりたいが教師とて夜中まで見てやれる訳ではない。一人一人に護衛の忍を付ける訳にもいかず、今回の件では多くの教師達が頭を悩ませている。
暗部が動いているとはいえ難しい問題だぞ。
ピィーーーーーッ。
イルカは鳥の鋭い鳴き声を聞いて大きな窓から見える空を見上げた。ゆっくり雲が流れていく青い空に大きな羽を広げた鳥が舞っている。
あれは・・・火影様の召集か。
見る間に鳥の姿は小さくなり彼方へと消えた。
恐らく例の件で上忍の方々へ通達があるのだろう。上忍、暗部共々全面的に動き出すということか。けれど今の里の状況を考えればそればかりに人員を割けないのは明らかだ。火影様はどうなさるおつもりなんだろうか。
イルカは自分が手出しできない事態を悔しく思いながら、子供達の身を案じて早く解決する事を願った。
「お前達も知っての通りこの件は木ノ葉が誇る暗部の力を以てしても未だに解決できていない。それどころか・・・糸口さえ掴めていない!分かるかい!?我々は敵の掌で遊ばされてんだよ!お前等やる気あんのか?ああ!?」
綱手の床が揺れる程激しい怒号に上忍達の背後に立っている暗部数名が肩を強張らせた。
「まあまあ綱手様、落ち着いて」
シズネの宥める声も気に障るらしく火影はギロリと忍達を睨み付けた。
彼らが集まっている会議用に設けられた部屋には大きな窓が備えられているが、今は秘密保持を理由に黒い幕で覆われ空から降り注ぐ陽の光を遮っている。換わりに数本の太い蝋燭に火が灯されているが、その炎は時折どこからか入り込んで来る隙間風に揺れ、おどろおどろしい姿を忍達の目に映す。そしてその場に例えようもない恐ろしい雰囲気を醸し出していた。
それに加えて先程の綱手の叱咤だ。彼女の鬼の形相に慣れていない若い忍には心臓に悪いだろう。暗部とはいえ人の子、恐ろしいものはあるのだ。
「これが落ち着いてられるかっ!上忍が駄目なら暗部だと思ってやらせてんのにコラア!!何だこの様は!」
完全にキレている。
その場にいた誰しもがそう思った。
まさか酒呑んでないよな?
常日頃の彼女の行動を知る者達は本気で疑った。けれど五代目が真剣に里の事を考えているのも事実で、この件に対して厳しい事を言うのも頷ける。
「っと・・・・まだ言いたい事は山程あるが取り敢えず愚痴はこの位にして」
ええ?まだあるのぉ!?取り敢えずって何ですかーーーーっ?
やっと一区切りといった火影の態度にみな絶句し、面で顔を隠した暗部でさえも呆然と綱手を見つめた。
「この件ばかりに人を回す訳にはいかない・・・かと言って野放しにもできない。そこでだ、お前達一週間経っても解決を見ない場合は昼夜関係なく駆り出すからな、覚悟しときな」
「なっ・・・・」
これは会議じゃない、火影の鬱憤晴らしだと誰もが思った。けれどニヤリと笑う綱手に本気を感じ取った忍達は何も言えないまま冷たい汗を流した。
「まあ、私はお前達を信じているからな!大丈夫だろう?ん?」
「ハイ・・・・」
上忍も暗部も皆、火影最強の満面の笑みを前にしてはただ大人しく頷く事しか出来なかった。
「なあなあ、お前がこないだ言ってた事件の話、やっぱカカシ先生も知ってるよな?」
あーあ、めんどくせえ事言い出しやがった。
アカデミー書庫で調べ物をしていたシカマルは嬉しくない予感の的中に顔をしかめた。
「ナルト・・・お前余計な事は」
「おー!調べ物か。感心だな」
シカマルがナルトの口を塞ごうと手を伸ばした時、部屋の戸がガラリと音を立て開きイルカが入って来た。彼はアカデミーではサボり組だった二人が書架の前に立っているのを見て嬉しそうに笑った。
「探し物は見つかったのか?」
「イッルカせんっせー」
イルカは棚から取った本をペラペラ捲るシカマルに聞いた。しかし叫び声を上げたナルトが広いとは言い難い通路で飛び掛かかって来たせいで、彼は質問の返事を聞く事なく受け止めた小さな体ごと床に尻餅をついてしまった。
「ってて、コラー!ナルトッ。お前は下忍になってもちっとも変わってないのか!!少しはシカマルを見習って落ち着きを学べ!」
怒り心頭の教師は唾を飛ばして怒鳴る。けれど当の子供は怒られ慣れている為か少しも反省の色を見せずにヘヘッと笑った。
「それよりさ!イルカせんせー」
「それよりとはなんだ!」
「聞いてってば!」
イルカはナルトのめげない根性が羨ましくなった。少し目線をずらしてシカマルを見れば、彼は頭に手をやって呆れた顔をしている。イルカも頭痛を感じた。
「あー分かった、聞いてやるから」
尻に付いたゴミを払い除け子供と一緒に立ち上がり何を知りたいのかと問う。すると黄色い子供はワクワクに近い表情でイルカを見上げた。
「なあっ!イルカ先生が教えてくれた誘拐事件今どうなってるってば?」
「ナルト・・・・」
イルカは昼間の教室や子供達の笑顔、笑い声を思い出して顔を曇らせた。そしてナルトがこの質問をしてくる事に嫌な予感がして眉を寄せた。
「どうなんだってばよー」
「ナルト、お前が心配しなくともカカシ先生達上忍や暗部が頑張っている。何とかしてくれるさ」
心配すんなと金色の頭に手を置いてイルカは優しい笑みを浮かべる。その様子はまるで自身の心にも言い聞かせているようだった。けれどナルトは納得がいかないのか唇を尖らせて文句を言う。
「オレが聞きてーのは、そんなんじゃねーの!どうなってるかって事だってばよ。大体カカシ先生も関係してんの?先生ってばなんも教えてくれねえんだってばよ」
「あのな、ナルト」
イルカは腰に両手を当てて息を漏らした。そして任務に係わる者の機密保持について懇懇と説こうとした。しかしそれより早くシカマルの声が遮った。
「やめとけってナルト、変に首を突っ込むと危ないぜ。そんじゃイルカ先生俺達もう用は済んだんで」
「おお・・・そうか?」
出端を挫かれたイルカは次の言葉を見つけられずに呆然と頷いた。
「オレはまだイルカ先生に用があんだってばっ」
シカマルは暴れるナルトを強制的に連れて部屋を出て行く。けれど諦めきれないナルトは掴まれた腕を振り払おうと必死だ。仕方なくシカマルはナルトの耳元でそっとある言葉を囁いた。すると不思議とナルトは大人しくなり、横目でシカマルを疑わしそうに見るとホントかよ?と呟いた。
「ああ、だから少し黙ってろって・・・・」
「そーゆーことなら」
ピシャリと扉が閉まるまでその光景を不思議そうに見ていたイルカは
「なんだ?あいつら」
心底訳が分からないという風に独り呟いて二人の気配が微かに残るその場に暫く佇んでいた。
一方ナルトはアカデミーを出ても中々話し出さないシカマルの横を苛々と歩いていた。そしていつ喋り出すのかと最初の言葉をうずうずとして待っていた。
約束が違うってばよ!
そんなナルトの気配を察してかシカマルは落ち着いて表情を崩す事なくもう少し待てと言う。
「用心に越した事はねーからな」
「?」
「まあどうせ、端からお前を止められるわきゃなかったんだ」
そう言うと彼は再び黙って自宅に着くまで一言も漏らさなかった。
そしてやっと両親が出掛けていないというシカマルの家に着いた時、彼は用心深く家や自室の鍵を確認し訝るナルトに微かな笑いを漏らした。
「さあ聞かせて貰うってばよ!お前の知ってる事を、そんでもって考えってやつも」
ナルトは座布団にどっかりと腰を下ろして腕を組み正面のシカマルを挑むように見た。
「仕方ねえ・・・恨むなよ」
見えない歯車がギシと音を立てて動き出す。
引き返せない道と知らず子供は許されない領域へ足を踏み込んだ。
その先で何を思うのか、それはまだ分からない。
けれど選択権は子供の手の中に残されている。
ただその事に誰も、当人でさえも気付いていない。
すべては見えざる力のままに。
続く