ifこの願いが君に届くのなら(恋人未満)
好きだと言いたかった。
言いたくて、伝えたくて。
けれど拒絶されるのが怖くて
言えないままナルトは手の届かない所に行ってしまった。
カカシは己を呼び出した主、五代目火影の前で途方に暮れた。
「頼む!お前にしか頼めない」
「五代目・・・いえ、ご意見番自ら出ていらっしゃるとは何事ですか。それにあの子供は一体誰です?」
視線の先では椅子に座った小さな子供が両足をぶらぶらと遊ばせている。顔を見ると歳は下忍の子供達に近い様な気がするが、体の方は同年代の子より幼そうだ。
「それが・・・はぁ、正直分からん」
「分からない?」
「そうだ。性別男という以外、身元、年齢、そもそもこの里の者なのかも分からない。全て不明だ。歳は推定して恐らく十二歳ぐらいだろうが」
「十二歳、下忍でしょうかね?一線を退いた私には分かりませんが、全チームの担当上忍に聞いてみますか」
「それは既にシカマルに伝えてある。問題はここのセキュリティだ。あの子供は何処から侵入したのか火影の部屋にいてな。それをサクラが見つけたんだが、こんな状況下とはいえ、いや!だからこそ警戒を怠ってはならんのだ」
「ではナルトの関係ですか?どうも面影があるような気がしますが」
どこぞで隠し子を作っていたか?例えば遠征先で出会った女、置屋でいい雰囲気になった遊女、或いは密かに想いを寄せていた相手がいたのか。
「それは私も考えた。しかし本人に聞けない状況では何も分からん。さっぱりだ。上層部はあいつがいなくなった里を纏めるので精一杯だ!面倒を見る余裕のある奴などいない」
「そこで私ですか」
「そうだ。お前はナルト・・・六代目火影の拠り所だからな。いざという時何があってもお前ならあいつも安心するだろう」
「拠り所になれてますかね」
「弱音か?」
「吐きたくもなりますよ。こんな状況にした原因の一端はオレにありますからね」
「だが里は救われた」
「ええ、ナルトの代わりにね」
「カカシ」
未だ身分は上忍だが火影の相談役になったカカシはマスクは装着しているものの、額当ては外しかつて綱手の付き人だったシズネのような格好をしている。
ナルトが大いなる敵を前に立ち上がった時、まだカカシも上忍服を着て共に前線に立っていた。それから額当てを外したのは戦場に立つ必要がなくなった事と、いつまでも共にあるという願いを込めて、何時目覚めるか分からないナルトに握らせたかったからだ。
「ふっ・・・冗談ですよ、忘れて下さい。里を守るのが火影の役目だというのは良く解ってます」
『オレには六代目火影としての使命がある』
あの言葉を否定するつもりはないが、それがナルトであった事実を認められないのだ。
「自分の判断を責めるな」
「それも分かってますよ。ですが木ノ葉の上忍としてあいつの意見を受け入れた事に変わりはありません。ま、取り敢えずこの件は承知いたしました。当面は身元を探りつつ、面倒を見ます」
「頼む」
ピッ、ピッ、ピッ、
もう一年は続いている、もしかしてこのまま永遠になるのではないかと心配を抱かせる心音が白い部屋に響く。
些細な容態の変化や経過も見逃さず、カルテに記入したサクラはそろそろ昼の鐘を打つ時刻を確認して眠る青年を静かに見下ろす。
「馬鹿、任務の日はあんたが一番の早起きだったじゃない。なのに何でまだ寝てんのよ。そろそろ目覚めなさいよ」
カカシ先生待ってるわよ。
「ナルトが伝えたかった事、まだ言ってない。けど、早くしないと私からカカシ先生に言っちゃうわよ。ねえ、ナルト・・・起きてよっ・・・私に約束を破らせないでよ・・・!」
『サクラちゃん、笑わねーで聞いてくれってばよ。オレさあカカシ先生に』
『だから、しーっだってばよ!これはカカシ先生の誕生日に言うって決めてんだ』
『もし振られても、オレはずっとカカシ先生が好きだからさ』
「見ていられないじゃない・・・・」
ぎゅうっとカルテを抱いたサクラは崩れ落ちるように冷たい床に膝をつき嗚咽を漏らす唇を噛み締めた。
『カカシ先生はオレの運命の人だって信じてるから』
軽いそれでいて昔の誰かを髣髴とさせる騒がしい足音が遠くに行ってしまうと、それを追っていたカカシは辛うじて見える小さな背中に悪態を吐いた。
「こらっ待てって!ったく・・・はあ、オジサンを労わりなさいよ。オレも昔ほど走れないんだから」
いかん、いかん。自分で言っていて虚しくなる。
演習場に着いた途端繋いでいた手を振り払って走り出した少年はまだ止まらない。
「こーら!待ちなさいっ」
無駄だろうと思いつつ、大昔そうしていたように大声を張り上げて逃げ回る子供を呼ぶと、意外にもピタッと足を止めてカカシを振り返り、ダダダダッと戻って来た。
「カカシ先生ダッセーの!オヤジくせえ」
「コラ。ダサイとか言わないの!仮にもオレは上忍だぞ」
あれ?でもオレの名前教えたっけ?
「え~?ほんとに上忍なのぉー?」
「疑うんかい。やれやれ、こーんな『ガキ』に馬鹿にされるとはオレも堕ちたもんだねえ」
ふ~っ。
「あっその態度すっげームカツク。溜め息吐きながら首振んのってサイテー」
「生意気な。何処の誰か分からないオマエに言われたくないよ」
カカシは腰辺りにいる少年に合わせて屈み鼻を摘んだ。
「えっ・・・・ええーわかんないの?」
子供はなぜか心底がっかりしたように肩を落として俯いた。
「分かるわけないでしょー。第一どうして火影の部屋にいたんだ?ん?」
少年から悪い気配は微塵も感じられないが、今の木ノ葉の状態を知ったどこかの里が刺客を送って来た可能性はある。
それについては綱手にも話したが「全て一任する」の一言だった。
「・・・てもん」
「聞こえないよ」
「フンッいいもん!」
「おい」
「カカシせんせいのバーカ!!」
「・・・・・・ムカ」
ボコッ!
「いって~!頭なぐんの暴力はんたい!」
前言撤回。こいつはただの馬鹿なガキだ。
昨日もナルトに逢いに行った。
以前ならば入院するのはカカシの方で、上司を心配して見舞いに足繁く通ったのはナルトの方だった。
閉め切られた白いカーテンを開けて窓から新鮮な風を取り込むと、ナルトの所まで一気に吹き込み綺麗な髪を撫でた。
「ナールト、今日はいー天気だよ」
彼は今にも起き上がってカカシを外へ連れ出しそうな顔で眠っていた。
「ねえ、ナルト。切ないねえ」
それから何時間経ったのか閉じた窓の向こう、里は暗闇に飲み込まれ病室も随分暗くなっていた。
「あ・・・」
漸くカカシは己が明かりも点けず、ベッド脇の椅子に座り長い間ナルトの手を握っていた事に気付いた。いつ窓を閉めたのかも思い出せない。
カタン、
病室の扉が開く音がして僅かに緊張した。
ここは一番安全な場所だから不審者が入って来る心配はないが、却って自分の方が怪しまれると思った。
「キャッ・・・・!」
「サクラ、しぃー。オレだよ」
「・・・え、あ!なあんだ・・・カカシ先生、びっくりさせないで下さい」
小声で近付いて来る医療忍者は予想通りカカシの元部下、春野サクラだった。
「今日は別の人が診てくれてるって聞いたけど、先生だったんですね」
「はは・・・悪い。無理言ってね、替わってもらった」
「ずっと、ここにいたんですか?」
「ああ、少しナルトの顔が見たくなってね」
カカシは目線をサクラからナルトに移して彼の頬に触れた。
「生きてるんだって、分かってるんだけど駄目だねえ、オレは。安心できないんだよ。知らない内にこの呼吸が止まってしまうかもしれない、オレが寝ている間にコイツは本当に手の届かない場所に行ってしまうかもしれない。そう思うと心配でなかなか眠れない」
「先生・・・・」
サクラは手を握り締めて、小さく見えるカカシの背中と彼が手を握るナルトを後ろから見ていた。
「ナルトは絶対に目覚めます」
「・・・・」
「そうじゃなきゃ・・・そうじゃなきゃ可哀想過ぎる!先生もナルトも、救われない」
「・・・サクラ。ありがとう」
「わたしは・・・お礼を言って貰える資格なんてないです。なんにも、何にも・・・してあげられないっ・・・」
「いや充分だよ。充分だよサクラ。こんなに想われてナルトは幸せだ」
本当に、ナルトは幸せだ。
口端に寂しげな微笑をのせたカカシは自分の手を引く小さな掌に気付いて目線を落とした。
「なあ・・・なんで泣いてんの?」
「泣いてる?オレが?」
「うん」
「はっ、どうしてオレが・・・オレが泣く訳ないでしょ?」
「でも、ほら」
伸ばされる手に釣られ腰を屈めると、熱を灯した幼い指先がカカシの頬に触れて温かな雫を拭った。
それを差し出した子供は首を傾げ、紛れもなく己の頬を伝う涙にカカシははっとする。
ああ・・・そうか、オレはずっと泣いているんだ。あいつが眠りに就いてから、ずっと。
「泣くなよ、オレはそれを望んでないからさ。カカシ先生が泣いたら駄目だってばよ」
一つ一つ色々なものを失って。
また一つ、大切な者が奪われていくような錯覚に陥る。
遠ざかる小さな足音はそれを象徴しているようで、また熱いものが溢れた。
『せーんせぇーっ』
「ナルト?」
呼ばれた気がして頬を拭い目を向けると、いつの間にか子供が丘の上に立っていた。カカシの顔が悲しみから一転蒼くなる。
よしんば、あの小さな子供が一端の忍者であったとしても一瞬で移動できるような距離じゃない。
「うそ、今目の前にいたでしょ?」
背筋を寒いものが這い上がり、ざわり全身の毛が逆立つ。
子供の方はそんなカカシの気も知らず、ピョンピョン跳びはねて頭上にあげた両腕を彼に見えるように大きく振っている。
「かっかしセンセー!カカシ先生~大好き!好き!好きだってばよーっ!!オレなんにもあげらんなかったけどっ。今までありがとう」
「え・・・なに?・・・なんだよ、それ」
「独りで泣いちゃ駄目だってばよーっバイバイ!」
「なんで・・・?なんでオマエがそんな事言うの?まるで、」
まるでナルトみたいじゃないか。
カカシが呆然とする顔を苦痛に変えて手を伸ばすと子供の姿はフッと消えた。
オレはいつもいつも遅刻してしまう。
肝心な時に手を伸ばせないで、大切な者誰一人支えられないで救えないで。
繰り返し誰かを失ってから気付いて。
どうしてオレのこの手は届かないんだろう。
どうしてオレはナルトに伝えられなかったんだろう。
「ナルトーーーッ!」
規則的な心音だけが聞こえる静かな部屋に小さな影が忍び込む。それは迷わず一人の男が眠っているベッドに近付き、その側の椅子で眠る女性を見て「ごめんな」と囁く。
カルテを持つ彼女の頬には涙の痕が見えた。
「いい加減、目覚める時だってばよ」
なあ?六代目火影さま。
影はベッドに上がり男に被さるとその身に体を沈め徐々に消えていく。
「起きたらさ、まずはサクラちゃんに謝んねえとな。それからカカシ先生にちゃんと好きだって言うんだ」
皆には「ただいま」って言おう。
サクラちゃんは怒ると思うけど、きっと許してくれる。
カカシ先生はいつも遅刻してばっかだから、これでお相子だってばよ。
そんでばあちゃんには・・・・殴られっかなあー?
影が去った後の室内には女性と眠る青年だけが残った。彼女の手からカルテが滑り落ち、閉じていた目蓋がゆっくり開く。
先程まで誰か居た様な気配に戸惑い目線を彷徨わせ、更にいつもとは違う空気の変化を察知して動きを止める。
「ナ、ルト・・・?」
「ただいま、サクラちゃん」
叫んでいるのか、泣いているのか、笑っているのか、抱き付く彼女を受け止めて火影は笑った。
「馬鹿!」
「ごめん」
「バカ・・・私がどんな気持ちで待ってたか、カカシ先生がどんな思いをしていたか」
「カカシ先生が?」
口に出せば泣き声になってしまいそうなサクラは聞き返すナルトの肩口で頷いて答える。
「心配してくれたんだ」
「当たり前でしょう!ほんとに、あんたは・・・」
キッと睨んだサクラは一頻り抱き締めた後、目元を綺麗に拭って扉の前に立った。
「カカシ先生呼んで来るわ」
言うなりすぐに走り出した彼女の足音は軽やかだった。
閉じた扉の向こう、急ぐサクラの後ろ姿とその先にいるカカシを想ってナルトは穏やかな笑みを浮かべる。
「病院は走っちゃいけないんだってばよ?」
ゆっくり流れる時の中で過去の囁きが聞こえる。
『カカシ先生はオレの運命の相手だって信じてるから』
「オレが好きだって言ったら驚くだろうな」
けれどなぜか不安は微塵もなく、ナルトはクスクスと笑ってこの世界に還って来られた事に感謝した。
END