銀鈎
自身の存在を殺して目標物を監視していた二人の暗部は不意に肩を叩かれて息を飲んだ。
「!」
「!?」
背後からは何の気配も感じられない。彼ら暗殺のエキスパートは相手が気配を消していたとしても、微かな匂いや音を感じ取り敵よりも速く動く。だから後ろを取られるなど滅多に無い事だ。それを遣って退けるとしたら三忍か、同じ暗部、或いは相当の手練だ。
この予期しない現状に二人は内心汗をかいた。まさか連続殺人鬼かという考えが浮かぶがそれは即座に可能性から消える。重罪を犯した奴がわざわざ姿を曝しに来る訳が無い。
彼らは緊張などおくびにも出さず肩を叩いた主を振り返った。しかしその相手を見た途端面の下から驚きの声が漏れる。
「あ・・・」
「あなたは」
「交~代ね。後はオレが引き継ぐから君達は帰っていーよ」
どうやら暗部の知り合いのようだが、二人とは対称的にその相手はこの状況を楽しんでいるかのように軽い調子で話す。
「ですがこれは我々の任務です」
「火影様の命でもありますから、いくらあなたでも・・・」
「五代目も承知してるんだけど?」
二人が拒否するとその人物は眉を上げて、間髪を容れず彼らが納得する理由を話した。暗闇で見えない筈だが暗部には相手が笑っているように感じられた。
「・・・・そうですか。了解致しました」
「ならば我々は戻りますが後は宜しくお願いします」
「「カカシ上忍」」
男が頷くと暗部は音も立てずに跳躍して彼の前から消えた。
アスマは一楽を出た時から感じている気配に眉を顰めた。しっかりと手を繋いだ子供はラーメンを食べて元気が出たらしく、明るい表情で前を向き歩いている。
暗部か。それにしちゃやな感じだぜ。
「・・・・・」
咥えている煙草の灰がポトリと地面に落ちる、と同時にアスマはナルトの身体を抱えて跳んだ。
「おわっ!なに!?なにアスマせんせー!!!」
ナルトは何事かと叫び周囲を見回そうとするが、すぐにアスマの胸に抱き込まれ今度は地面を転げ回り始めた。
「おおおっ!?」
目を白黒させるナルトの耳に聞き慣れた、金属が地面に落ちる音が聞こえる。
この音、手裏剣だってばよ!
「うわっ!」
流れ落ちる内一つがシュッと鋭い音を立てて、自分を抱いているアスマの肩を掠めた事に気付き、さあっと青褪めた。だが幸いアスマに怪我はなく飛んで来た全ての物を避けたのだと知りホッと息を吐く。
「大丈夫か?ナルト」
膝を突いたアスマはベストを握り締めているナルトに問いかけ震えるその身体を摩った。
「う・・・ん・・・びっくりしたってばよ」
答えつつもまだ地に足が着かないナルトは彼の肩を借りてゆっくり立ち上がる。けれど目紛るしい戦闘からまだ復帰できない下忍は辺りに散らばっている手裏剣を目にして再び恐怖した。
大丈夫、しっかりしろ。オレはもう何もできねえガキじゃねーってばよ。波の国ん時とは違うってばよ!
腹に力を込めるとすぐさまいつもの「うずまきナルト」が戻って来る。
「やいやいっ誰だか知んねーけどっ、不意打ちは卑怯だってばよ!このうずまきナルト様が許さねえーーーーってばよ!!」
ビシィッと暗闇に人差し指を突き出して「決まった」とナルトは思った。
「ナルト・・・・」
この緊張した場であるのにアスマは「不意打ちは卑怯」のくだりを聞いて一気に脱力した。
忍者に卑怯も何も無いだろうが。忍が何たるか分かってるのかうずまき。
周囲はさっきまでの激しい攻撃が嘘のようにしぃんと静まり返っている。そこへ立ち上がったアスマは寝静まった里人への迷惑などなんのその、姿を隠している相手に向かって怒鳴った。
「ったく、よくこれだけ投げたぜ。嫉妬にしては随分な遣り口だな!!ナルトに当たったらどうするつもりだ!姿を現して謝れ、でねえと・・・・コイツは俺が貰っちまうぜ?」
「ちょっ・・・アスマ先生!近所迷惑だってばよっ。大体なんで怒りながら笑って・・・・」
「失礼しちゃうね~。ナルトには当たらないようにしてるに決まってるでしょー?」
「笑ってんだよぉ・・・・って・・・・・!!!」
「おーカカシ!やっと御出座しか、途中で暗部の奴等と入れ代わったな?」
「カカシ先生」
「煩いよ熊。お前どうしてナルトと一緒に居る訳?」
「一楽行ったんだよ、なー?うずまき。一楽デートだ、羨ましいかカカシ」
「デートじゃねえってばよ。つーか何でカカシ先生が・・・」
「デートとかナルトに気安く言わないでよね!熊!」
「アスマ先生、カカシ先生・・・・」
二人の会話に置き去りにされたナルトは呆然と両者を見る。罵り合っているのにアスマは妙に楽しそうで、反対にカカシは本当に怒っているように見える。その原因が何なのかナルトには全く分からないが。
アスマ先生は相手の正体がカカシ先生だって気付いてたみたいだってばよ。どうしてカカシ先生はこんな危ねえ事したんだろ。そりゃ上忍だからコントロールは抜群かもしんねえけどさ、オレは驚いたんだってばよ?
「とにかくナルトはオレが連れて帰るから」
カカシは早くこっちへ寄越せと、ニヤニヤ笑う大男とその隣に佇むナルトの方へ近付いて来る。
「分かったからそう睨むな。よかったなナルト、迎えが来てよ。コイツならどんな敵でも逃げてくぜ」
愛ゆえにか、ちっと頭がおかしいが耐火金庫より安全てなもんだ。
アスマは子供の背をグイと押して前に出させる。
「カカシ先生」
ナルトがハッとした時にはもうカカシに肩を掴まれてアスマから引き離されていた。
「じゃ~ね、アスマ。ほら行くよ」
「うん」
顔だけ回して肩に掛かったカカシの腕越しにアスマを見れば、さっきまでの笑みはすっかり消えて真面目な顔でナルト達を見ていた。
「あったかい内に寝ような」
まんまとナルトをお持ち帰りしたカカシは風呂上りの子供にホットミルクを渡そうとした。けれど差し出した先にナイトキャップを被ったいつもの姿は無く。
「・・・何してんの」
これから一緒に眠ろうとしているのに肝心の子供は逆さまになり、指先一つで身体を支えた奇妙な格好をしている。またその表情の真面目なこと。
「へへっチャクラコントロールだってばよ」
「へえー」
自慢げに話すナルトにカカシは全く感心を示さず、それどころか少しばかり機嫌を損なってしまったようで無表情で逆様な子供の前にしゃがんだ。
「前っ!カカシ先生、前邪魔だってばよ!」
必要以上に近い距離からオッドアイに見つめられてナルトの精神は揺らぐ。
くう、近すぎだってばよ~!う、腕がぷるぷるして、き、た。
「なあナルトー」
「なんだってばよ!」
うがー邪、魔!
「今日なー、イルカ先生に会ったぞ」
えっ!?
カカシの一言、たったそれだけなのに動揺を隠せないナルトの指先は震え、せっかくのチャクラコントロールは失敗して支えを失った体は床に崩れ落ちた。
「ぐおっ」
「お前ね、色々嗅ぎ回ってるんだって?」
「いてーーーーっ!先生の所為だってばよ」
「動揺してんのは一目瞭然・・・てことは事実って訳か」
「し、知らねーーーっ」
立ち上がったナルトは見上げてくるカカシに背を向けてドキドキする胸に拳を当てた。顔を合わせずとも背中に突き刺さる視線がとても痛い。
「嘘言うんじゃなーいの、それをアスマにも聞きに言ったのか?」
すぐ傍で聞こえる低い声。
いつもより幾分低く感じるのは気のせいじゃない。
「違うってば・・・アスマセンセーは奢ってくれただけだってばよ」
「そう?」
ナルトの背後に立ったカカシは片手を金色の頭にポフッと乗せ、任務の時のように厳しい忍の声で語りかける。そこに常日頃ナルトを甘やかしたがる大人の姿は無い。
「お前が関与していい問題じゃないよ。暗部や上忍の奴等が動いてるんだから連中に任せればいいの」
「でもっ」
「弁えろ」
反論を許さない厳しい声にナルトは口を噤むしかない。カカシは間違っていない。里の一大事に下忍が口を挟むべきではない、それは分かる。けれどナルトは根本は自分にあり、カカシが関わっている可能性があると知りつつ黙っているなんて出来なかった。
「この話は終わりな」
明るい声で切り上げるカカシをおずおず見上げると彼はにっこり笑って小さな体を抱き上げた。
「さあ寝ようか」
「寒いってばよ」
ナルトは雪が積もった白い平原を見渡して「はあ」と温かな息を両手に吹き掛けた。
「ここ何処だろう」
辺りはぼんやりしてどういった経緯でどういう風景の中に居るのかよく分からない。動物や植物の影も見当たらずこの世界に独りきりな気さえする。
「誰かいませんかってばよ・・・あれ?」
雪の上をサクサク歩いて行くと不意に目の前の霧が晴れて一人の長身の男の背が見えた。この世界から生まれ出でたような銀髪に暗部の衣装を纏い、鉤爪が付いた手には先端から人間の血を垂らすクナイを握っている。
「カカシ先生?」
首を傾げたナルトは記憶の中の男と照合し確信を得ると彼の人に向かって一直線駆け出した。
「カカシセンセーっカカシ先生だよなっ」
傍に立ったナルトはカカシの腕を掴んで振り向かせる。拍子に血が付いたクナイがその手から滑り落ち綺麗な雪に真っ赤な染みを作った。
「!」
驚いたナルトはボトッと落ちた刃物をまじまじと見る。なぜクナイに血が付いているのか。そのクナイで何を傷付けたのか。なぜ自分はカカシの腕を引っ張ってこんなにも真っ白で綺麗な雪を汚してしまったのか。
「ナルト」
呼ばれ見上げたカカシの見た事も無い寂しい表情にナルトは思わずその身に抱き付いた。
「行かないでっ!行かないでってばよ!」
「ナルト」
「オレにはカカシ先生が必要なんだってばよ!」
「ごめんなナルト」
「カカシ先生」
「ごめんね」
ナルトが欲しいのは謝罪の言葉じゃない、口約束でもいい「絶対に置いて行かない」という言葉だ。しかしカカシはそれに応えず悲しい顔でナルトを見つめ何度も何度も謝り続けた。
「行かないで、ってば・・・・」
カカシは魘される子供の頬にそっと触れ、流れる汗と涙を舌で掬い取って安心させるように、かいなに包み込んだ。
「何処へも行かないよ、お前を守れるのはオレだけ。安心しておやすみ」
囁きは子供の心を癒したのだろうか。ナルトは安心したようにふっと笑み眠りの床に身を沈めた。
続く