闇に吼える狼の夢
ナルトが目覚めたのは暗い部屋だった。たった三本しかない蝋燭の炎が揺らめき壁や梁に不気味な影を映す。
「今度は何処だってばよ」
里外任務に出てから気を失ってばかりいるナルトは次は何が起こるのかと身構える。
「カカシ先生・・・とヤマト隊長達どうしたんだろう」
ナルトが覚えているのは写輪眼を発動したカカシが雷切を放つ姿だ。ヤマト達に向かって行く後ろ姿を見たのが最後、それから後の記憶がない。
「あん時沢山の気配を感じたってばよ。あれは多分・・・暗部・・・」
ナルトは寝ていたベッドから起き上がり、出口を探し歩き回る。すると壁の一ヶ所に僅かな切れ込みを見つけた。扉がカムフラージュされているのだ。
試しにそこを押してみようとした時、壁の向こうから声が聞こえ、その扉が開き暗闇に光が射した。
ナルトは眩しさに目を細め現れた人物を見た。
「・・・ばあちゃん!」
「ナルト、大切な話がある。いいか?」
二人は暗い部屋に入り、ナルトはベッドに腰掛け綱手は椅子に座った。
「まずは任務御苦労だった。・・・お前が無事で、本当によかった・・・!」
綱手はいつになく思い詰めた表情の中に少しの安堵を見せ息を吐いた。
「それなんだけどさ・・・カカシ先生はどうしたんだってばよ!ヤマト隊長は!?皆は!?」
矢継ぎ早に質問するナルトを綱手は手で制する。
「分かった。一つずつ答えるから落ち着いて聞け」
ナルトは暴れる気持ちを抑え頷くと、真剣な眼差しで綱手の唇が動くのを見つめ、待った。
「お前達を里外任務に送る少し前、アスマとカカシが上忍二名とAランク任務に就いた。任務は問題なく遂行したがアスマの報告書に里の機密に関わる重大な問題が書かれていた」
「機密?」
そんな大事な事を自分に話していいのかと首を傾げながらナルトは聞き返した。
「カカシに里抜けの可能性あり・・・とな」
「なっ!?・・・嘘だろ・・・」
ナルトの全身がざわりと粟立った。
「嘘ではない。お前も目にしただろう。あの、お前を道連れにしようとしたカカシを。その兆候が出ていながら私はお前達を長期任務に向かわせた。ナルトには辛い想いをさせてしまったな。すまない。だが私はお前ならカカシを止められると思ったんだよ。お前達は無事帰って来ると信じていた。しかし・・・結局は暗部も出動するハメになってしまった」
「ばあちゃん・・・そんな・・・じゃあカカシ先生は・・・もう・・・・」
死んだのか、と言おうとして涙が滲む。
カカシ先生・・・カカシ先生がいないなんて信じられないってばよ。
振り返ってみればオレの胸ん中にはいつもカカシ先生がいた。
サスケと闘った時、エロ仙人と修行に励んでいた時、サスケを連れ戻す為にヤマト隊長率いる新生第七班で里を出た時、それから里に戻ってからも・・・・・ずっと、ずっと・・・心の中のカカシ先生と一緒にいたんだってばよ。
だから・・・・カカシ先生がもうこの世界にいないのならオレが生きてる意味はねえってばよ・・・・。
火影の夢もカカシ先生がいねーなら―――。
蒼い瞳が翳るのを見た綱手はナルトの気持ちが分かったらしい。
「何言ってんだい。相変わらず馬鹿だね、誰がカカシは死んだと言った!?ああ!?・・・全く・・・カカシは里にとって重要な戦力だからね、そうそう死なせやしないよ!第一、お前が哀しむと分かっていてそんな事私が許すと思ってんのかい?大丈夫アイツは生きてるよ」
「生きて・・・る・・・?カカシ先生、生きてるんだ・・・よかった・・・ばあちゃん、ありがと・・・うっ・・・・うっく・・」
悲しみから喜びの涙へ。ナルトの頬を透明な雫が伝った。
「はぁーーーーったく、何早とちりしてんだい。ほら涙を拭きな。本題はこれからだ」
「分かったってばよ」
ナルトは涙を拭い、まだ僅かに湿った瞳で蝋燭の明かりで暗闇に浮かび上がる綱手の顔を見た。
「任務に就いた全員は無事里へ戻って来た。しかし、今回の事を疑問に思っている者もいる。特にサクラがそうだ。お前を心配して何度も私の所へ訪ねて来ている。箝口令は敷いているが、不安は拭えない。何しろアスマとヤマト達は事の起こりを理解しているからね。忍とはいえ人間だ、今迄通りカカシと一緒に任務を遂行できるか?自分を襲った男だぞ?そこで、非常事態として止むを得ず・・・この件に係わった全員の記憶を・・・消す!」
「え・・・」
蒼い瞳は見開かれ、呆然と綱手を見た。
綱手がナルトの許へ行く数時間前、火影邸の地下室で彼女は暗部総動員で捕らえたカカシに決定事項を告げた。
「記憶を消す・・・だと・・・そんな事は許さない!」
カカシは下から綱手を睨み、後ろ手に拘束する鎖をかちゃかちゃと鳴らした。
怒りを露にし、もの凄い形相で睨み付けるカカシの身体は内から沸き上がる憤怒で震える。
「これは火影命令だよカカシ。お前が許す許さないの問題じゃない。お前が引き起こした今回の事は里を揺るがす重大な問題だ!よって・・・この任務中里抜けをしようとした事実だけではなく、その原因となったお前とナルトが恋人だと言う事も記憶から抹消する!無かった事にして元の師弟に戻るんだよカカシ」
カカシは綱手の言う事をすぐに理解できなかった。寧ろ分かりたくなかったのだろう、カカシの頭は考える事を拒否し首を振りながら繰り返し嫌だと呟いた。
「だ・・・駄目だ・・・それだけは・・・駄目だ!五代目・・・」
カカシは縋る瞳で綱手を見上げるが彼女は黙ってカカシを見下ろす。
「お前自身が招いた結果だ・・・!」
「嫌だ!ナルトを・・・ナルトを返せ!あれはオレの・・・オレのなんだ・・・返してくれ・・・・・」
カカシは暴れ綱手に向かって叫び、叶わないと知るとがっくり項垂れた。
「忘れろ・・・それがナルトの幸せにもなる」
「幸・・・せ・・・ナルトの幸せ、だと?・・・クククッ・・・ククッ笑わせてくれますね五代目」
顔を上げたカカシに先程まであった哀しみの色は無く、反対に不敵に笑い綱手を真っ直ぐ睨んだ。
「ナルトはオレ無しでは幸せになれませんよ。あいつとオレは一つじゃなきゃ意味がない・・・・・・。記憶など消しても無駄だ!ナルトはオレを忘れはしませんよ・・・・決して・・・・ね」
「・・・・つ・・・」
この男には何という強い意思が宿っている事か。
とても暗く誰も近付けない心の深淵が広がり、その中央では熱く昏い焔が燃えている。
数え切れぬ程の修羅を見てきた綱手が息を飲んだ。
「これは決定だ・・・!お前達の記憶は私が完全に消す!」
綱手はカカシを振り切り部屋を出て行く。けれど先程見たカカシの眼差しは瞼の裏に焼き付き消える事は無かった。
「ばあちゃん・・・・・それ、本気だってば?」
ナルトは今聞いた綱手の話を嘘だと思いたかった。
「いや、今からお前の記憶を消す。他の者達は既にシズネと医療班によって消去された」
「そんな・・・・」
ナルトの瞳は瞬きさえ忘れて見開いたままだ。
「カカシ先生も、消すの?」
「そうだ」
「そうか・・・だったら、仕方ねえよなー」
絶対に喚くだろうと思ったナルトは意外にもぽつりと呟いてニカッと笑った。
「死んだわけじゃねーし・・・・・オレッてば又、カカシ先生の事ぜってー好きになるってばよ!そんでえ、また恋人んなる!!!そしたらばあちゃんだってどうしようもねーもんな!ニシシッ」
ザマーミロ!
ナルトはVサインで胸を張った。
「ナルト・・・すまない」
「ばーちゃんが謝る事はねえってばよ。寧ろオレとカカシ先生が記憶を取り戻したらどうしようってハラハラすんだってばよ!ヘヘッ・・・でもさ・・・」
笑っていたナルトは不意に真面目な顔で綱手を見つめた。
「オレはカカシ先生が生きててくれればそれだけで幸せなんだってばよ。そうすりゃ何でも立ち向かって行けるし、諦めねえ」
「ナルト」
「ばあちゃん、ありがとな。だってばあちゃんは里長として今回の事忘れられねーだろ?だからさ、ごめん!って謝るのはオレ達の方だってばよ。本当に感謝してるから」
そう言ってナルトは瞳を閉じた。
「ナルト、私がお前のカカシへの想いを覚えているからな。例え・・・・あいつに届かなくても・・・・・」
綱手はナルトの頭上に両手を翳して意識を掌に集中させた。一つの温かい珠が生まれ、それは徐々に膨らんでいく。そのオレンジの光はナルトの顔を照らし、額に吸い込まれた。
「遅ーーーーい!もう何時だと思ってるんですか!?」
サクラは手を挙げてのんびり現れた上忍に文句を言う。
「気合いが入ってねえってばよ!」
ナルトも頷き、集合時間ぴったりに来たためしの無い上忍に怒る。
「いやーすまん、すまん。額当てを何処に置いたか忘れてな」
「バカーッ!」
同時に叫んだサクラとナルトの息の合った声に、上忍カカシはハハハッと笑い、仲いいね~と誤魔化す。
「サイも何とか言いなさいよ!」
怒鳴り散らすサクラを見てサイは笑う。
「はは、まさかカカシ上忍が遅刻魔だとは知りませんでしたよ。ナルトとサクラさんの話ではいつも何時間も遅刻するとか」
「あははっナルトとサクラはそんな嘘言ってんの?」
「嘘じゃないってばよ!」
「そうよっ!もう構ってらんないわ、さっさと任務に行きましょ!」
サクラとナルトは並んで歩き出し、サイも付いて行く。
「お前達酷いね~」
カカシは三人の後姿を笑って見ていたが、真ん中を歩くナルトの背でぴたりと視線を止めた。
「ナルトがいないからだよ。いつも隣で目覚めて起こしてくれるナルトがいないから寝坊しちゃったんだ」
さっきまでのにこやかな笑みは消え、哀しみが過ぎる。
「でも、ネ。ナルト、ずっと一緒って約束したでしょ?」
カカシは三人に聞こえない小さな声で意味深長な科白を漏らし、一瞬うっそりと笑った。
その視線の先には金色の子供。
「カカシ先生ー!本当に置いてっちゃうってばよー」
「早くして下さいっ」
「遅刻魔・・・・」
中々来ないカカシを立ち止まった三人が呼んでいる。
「ふ・・・さて、行きますか」
カカシはいつもの掴み所の無い笑みを浮かべ、青い空の下三人の許へ歩き出した。
END