押して叩いて追いかけて
「センセー倉庫の片付け終わったってばよ」
ひょこっと出入口から顔を突き出したナルトはその人物の姿がない事に気付いて唇を尖らせた。確かに開始前はここにいた筈だ。ここにいて色々必要あるのか無いのか分からない指示を出していた。
「・・・・・」
幾ら待っても返事がない。またサボって独りで寝ているのだろうか。それとも如何わしいシリーズの読書か。
「カカシ先生?」
ったく・・・・駄目な上忍だってばよ。
「よしっ」
ナルトは一度倉庫内に顔を戻して仲間に事情を告げ陽の下に出た。まだ太陽は高い。あのエロ上忍・・・彼を捜すのも難しくは無いだろう。
そうナルトは簡単に考えていた。
きっと何処かの草原で寝ているか待機所に戻ったのだろうと思ったナルトはまず人生色々を覗いてみる事にした。その途中大通りの店先に懐かしいスナック菓子が並んでいるのを見つけて、あ、と短い声を上げた。
「あの菓子、まだ売ってたんだな」
アルミの黄色い袋に緑色の文字と青いライン、そしてキャッチコピーの側に商品キャラクターが描かれている子供が好む味の菓子だ。
「旨いんだよなこれ」
最近は全く手を伸ばさなくなったが、十二歳の頃は仲間内で流行りよく食べていた。所謂「○○味」というやつで、元になった食品の風味が見事に再現されていると評判だった。
しかし今なら笑えるが、その菓子の所為で一騒動起きてしまいナルトは不条理な被害を被ったのだ。
三人の下忍を預かる上忍は自身に課せられた任務以外にC・Dランクの軽い下忍用の任務を監督しなければならない。それは忍者歴の長いカカシも例外ではなく、この日も下忍達に言わせれば退屈な任務、を終えた所だった。
「アスマが珍しいじゃない」
上忍待機所に入って来たカカシはそれ、と同僚の手元を指して僅かに目を開く。普段スナック菓子など口にしない男がどういう訳か、青いラインが入った袋を持っている。
「ああ・・・まあな」
煙草を吸っていた男は灰皿に吸いさしを捩じ込んで曖昧な苦笑を漏らした。はっきりした答えは返さず仲間が来たのに話し相手になる気はなく、立ち去ろうという気配さえ滲む。
カカシはその奇妙な態度に目を細めたが、まあいいかと普段通りのやる気無い顔に戻って空いている椅子に腰掛けた。
自分には係わり無いどうでもいい事だと思って。
「ニシシッ早速食うってばよ~」
日課である修行から帰ったナルトはわくわくしながら黄色い包みを破ろうとした。育ち盛りの子供にとって食べる事は遊びの次に楽しい大切な儀式だ。
だがナルトはその中身を口にする前に「よっ!」と言う声に気付いてベッド横の窓を振り返った。
「カカシ先生!」
第七班担当上忍のカカシがいつもの如く窓枠を跨いで部屋に入って来ようとしている所だった。目敏い彼はすぐナルトの持つ物に気付いて尋ねた。
「なあに、それ?」
けれど子供が答える前にパッケージを確認した彼は顔色を変えてナルトの手から菓子をはたき落とした。その勢いで袋の口は開き中身が零れ出てしまった。
「んなっ!?何すんだってばよっ。あーあ・・・勿体ねえの」
床に転がった菓子を残念そうに見つめ恨めしい視線を送る子供とは反対に、カカシは袋を睨み怒りを顕にしてとても低い声で問う。
「それ、誰に貰ったの?」
「え?」
びっくりして真ん丸の目で見上げるナルトにカカシは激しい怒りをぶつけ小さな肩を掴んで揺さ振った。
「誰に貰ったんだ!」
「え・・・カカシ、せんせい?」
「誰から受け取った!?」
ナルトはここまで怒るカカシを初めて見た。任務では沢山の失敗をしているが、その度叱られたとしても根底には生徒を立派な忍に育て上げようとするカカシの愛情がある。しかし目の前の上忍の姿にそれは無く、なぜ苛立っているのかも分からない。
「ア・・・アスマ先生が」
そう言うとカカシは舌打ちしてナルトを放し何も言わずに窓から出て行った。
翌日アスマは済まなさそうにナルトに謝って来た。けれどその行動が理解できないナルトは首を傾げて、不精なのかお洒落で生やしているのか随分立派な髭面を見上げた。ナルトの周りにはいないタイプの男だ。カカシの素顔を一度だけ見た事があるが髭はなかった。たらこ唇でも出っ歯でもない、深海と真紅の瞳、薄い唇が印象的な端整な顔立ちだった。
『なんでアスマ先生が謝るんだってばよ?』
『・・・その、なんだ、俺の所為でお前に迷惑が掛かっちまったみたいだからな』
『迷惑な事なんかされてないってばよ』
『いや、でもカカシがなあ』
『カカシ先生?何でカカシ先生が関係あるんだってばよ』
『何でってなあ・・・』
『?』
『まあ大人には色々な事情があるってこった』
『変なの。全然わかんねえ』
『ははっそうか、まだナルトには分からねえか』
銜えた煙草から白煙を立ち上らせる上忍は面白そうに、また一抹の哀しさと愛おしさを滲ませてナルトを見下ろした。
けれど、この日はいつもみたいにナルトの頭に触れようとはしなかった。
「やな事思い出したってばよ。あの頃からカカシ先生は・・・や、それは関係ないか」
不意に自分の失敗を思い出して恥ずかしくなる事があるが、他人の言動も目を逸らしたくなる時がある。ナルトの場合多くはカカシの振る舞いがそうさせるのだが。
「大人げねえ上忍」
過去の情景を振り払うように首を振って店を離れ、顔岩が見下ろす大通りを人の流れに乗って歩く。
段々目的地に近付いて本当にあの上忍は居るだろうかと考え始めた頃、人の合間に大きな犬の後姿を見つけた。
「よお!キバ、赤丸っ散歩か?」
「おーっナルト丁度いいとこで会ったぜ」
「んあ?何だってばよ、オレに用か?」
「ああ、ちょっと困っててな。この間任務で赤丸が怪我しちまって・・・五代目に診てもらって薬も貰ったんだ。なのにさっき使おうとしたらねーの、相手はあの五代目だしもう一度貰いに行くってのはやっぱ気が引けるだろ?だから捜してんだけどみつからねえ。昨日はあったから今日どっかで落としたんだと思うんだけどよ。頼む!一緒に捜してくれ」
親指で赤丸を指した後、下向き顔の前でパンッと両手を合わせたキバは切羽詰まって必死な様子。
「いいってばよ。で、心当たりはあんのか?」
急いでいるナルトの脳裏を待っている仲間とカカシの顔が過ぎったが困っている友人を放っては行けなかった。
「おー!助かるぜナルトッ。ここに来るまでのどっかに落ちてると思うから手分けしてして捜そうぜ。あーあと、午前中は演習場に居たっけな」
「おしっんじゃ、まずは演習場だな!」
「行こうぜ赤丸っ」
「ワンッ」
上忍待機所に行く予定は先延ばされたが、のんびりした性格の上忍が急に何処かへ行ってしまうとは思えない。
どーせ、サボってんだから迎えに行くのが少し位遅くなっても問題ないってばよ。
「よぉーし、片っ端から捜すってばよ」
「おうっ」
演習場では数人の子供達が手裏剣投げの練習をしていた。恐らくアカデミーの熱心な生徒達だろう。自分の未来が真っ直ぐ伸びていると信じて、立派な忍になる事を目指して日々精進している。その瞳に映るのは輝かしい将来だ。
「俺らもあんな感じだったよな」
ナルトは頷いたがしかし自分はあそこまで真っ直ぐではなかったのだと思い直す。あの頃は何も分からず里の全てを憎んでいた。イルカに出会い第七班の仲間と接するまで自分を必要としない世界など壊れてしまえばいいと思っていた。そしてそれを本気で望んでいた。
「俺達がいたのはこっちだ」
キバが誘導する方に行ってみると太い木々に犬の爪痕が残っていた。
「これ赤丸のか?」
でけえ。
「ああ、どうかしたか?」
「いや、だって犬にしちゃでか過ぎだし。やっぱ成長したってばよ」
「そうか?犬ってこんなだぜ」
指差して呆然と聞くナルトにキバは何事もなく自然に頷いてみせる。以前は頭に載せていただろうと指摘しても「そうだったか?」と全く意に介さないキバだ、当然の反応と言える。
彼は呆けているナルトを置いてサッと木陰に歩いて行く。
「この辺に落ちてねえかな」
二人はしゃがんで手で草を避け捜し始めた。その傍で赤丸が心配そうに鳴き手元を覗き込む。
「クゥーン」
「心配すんな赤丸。必ず見つけてやるってばよ」
赤丸はパックンのようには喋れないが人の心に敏感に反応する。特にキバとの連携は素晴らしく、攻撃時のそれには仲間達も目を瞠る。
「ところでナルト、手伝って貰っといてなんだが昼間っから大通り歩いてるなんてお前は任務じゃねえのか?」
「あーそれがさ・・・」
首を傾げる友人に溜め息交じり上向いて何をしているのか駄目上忍の姿を思い浮かべる。
「カカシ先生ってば」
新編成されたカカシ班でも相変わらず気が抜けている上忍への文句は尽きない。午前中の出来事を愚痴交じり語れば何故か驚いた顔のキバは赤丸と顔を見合わせた。
「カカシ先生?あの人なら見たぜ」
「・・・・・ええっ!?ほんとかそれ。いつ、どこ、何処で見たんだってばよ!」
意外な情報だ。キバの口からカカシの居所を聞けると思っていなかったナルトは身を乗り出して、外で見たのならば早く捕まえなければいけないと急く。
「ここで。な、赤丸」
「ワンッ」
「俺らがここで新技を練習してたら向こう、丁度あのガキ達がいる所で寝てたぜ」
「えええっ!寝てた?」
なんて上忍に有るまじき行為。同じ上忍であるガイとは大違いだ。
「お前んとこ班の上忍変わってるよな」
「はは」
ナルトは視線を横に逸らして今更ながら他人のカカシに対する認識を恥じた。上層部はカカシの本領を認めているが、ナルトの同期達は実力を知りこそすれ常には「変わり者」と見ている。漸く最近カカシと任務を共にしたシカマルやイノ、チョウジが認識を新たにしたばかりだ。
「でも今は何処にいるか分からないってばよ」
「待機所じゃねえの?」
やっぱキバもそう思うか。じゃあとっとと宝探しを終えて・・・。
「?」
草を払う繰り返し動作の延長で手を動かした拍子に草の間キラリと何かが光った。金属が太陽の光を反射したような鈍い輝きは見た事があるものだ。
「どうした?」
「あっ」
「?」
「あった。あったってばよ!これだろ?キバ!」
興奮気味にナルトが摘み上げた金属のチューブは少し土に汚れているが、キャップはしっかりと嵌まっているし目立った傷も無い。どうやら無事なようだ。
「おー!それだ、それ。サンキューナルト」
「ワオンッ」
これで待機所に行ける。早くイチャイチャパラダイス好きの七班上忍を連れ帰らなければ仲間に怒られてしまう。
「よかったな赤丸。オレもカカシ先生捜さねえと」
カカシ先生ってばあんなんだから雲みてえにどっか行っちまわないとも限らねーってばよ。
「カカシならさっきまでいたが」
「ええ~っ!」
勢い込んで訊ねてきたナルトに濃い眉をひょいと持ち上げて見せたガイは、ふためく彼の姿が目に入らないのか暑苦しいにこやかな顔で余計な誘いを掛ける。
「それよりナルト!久々に手合わせをしないか。青春の汗が迸る熱き戦いと指南を俺が・・・」
「あーーーーチクショッ!カカシ先生め~っ。仕方ねえ、他当たるってばよ。んじゃ、オレってば急いでるから、ゲキ眉先生またなっ」
「えっ、あ、おいっ、ナルトちょ、待てっ・・・」
パタパタ駆けて行く下忍の後姿に手を伸ばしたまま固まってしまったガイの憐れな格好に、いくつか同情の視線が寄せられたがそれらは数分も経たない内に元の通り離れていった。
「はははっナルトも忙しいんだな、うん。そうだ。また今度相手をしてやろうじゃないか!ハハハッ」
妙に渇いた笑いが上忍待機所に響く。しかしガイ以外釣られて笑う者は誰一人いなかった。
「くっそー。タッチの差だってばよ」
待機所を出たナルトは徐々に焦りを感じ始めていた。簡単に見つかると踏んでいたカカシは追い掛ける者を嘲笑うように軌跡の欠片だけをチラ付かせて消えてしまう。
「何処行ったんだよ」
午前中は演習場で昼寝、先程までは待機所で読書。任務を全く無視した行動だが彼のいい加減さには悲しいかなすっかり慣れてしまっている。前回もナルトがあちこち走り回った末漸く見つけたカカシは顔に本を掛けて眩しい太陽を遮り、任務の事などすっかり忘れてしまった態で河原に寝転んでいた。当然怒るナルトに対しのっそり起き上がった彼は呑気に笑って任務の集合場所を忘れたのだと言った。挙げ句の果てナルトが自分を見つけるのは夜中頃だろうと思っていたと話した。
「頼むからマトモに任務してくれってばよ」
この願いはナルトのみならず七班メンバー全員のカカシへの切実な想いでもある。
『え・・・カカシ先生って紅先生と付き合ってるんじゃないの?』
実に思い掛けない事だがそれを聞いた時カカシはナルトを激しく誤解していた事に気付いた。無邪気な子供の科白自体、カカシ自身に向けて発せられたものではなかったが、だからこそ即座に誤解を解く必要があると強く感じた。当然同僚の女とナルトの間に物凄い勢いで割り込んだとしても責められはしまいというのがカカシの言い分だ。
ナルトは突然目の前に立ちはだかった上司を大きく見開いた瞳で見上げ、言葉もなく覆面からはみ出た片目を唯見つめていた。
『どうしたのよカカシ。ビックリするじゃな・・・』
『来いナルト』
『へっ?』
『ちょっとカカシ』
『悪いな紅、今は駄目だ』
忍者とは便利なものだが、反面こんな時にという場面でチャクラを無駄に消費してやらなくともいい術を使ってしまう。ナルトを捕まえたカカシは瞬身で紅の前から姿を消し、意外にもせっかちな性格の一片を覗かせた。
「カカシ先生が好きなのは誰なんだってばよ、か」
カカシは己の気持ちをかの子供は理解してくれていると思っていた。だがそうではなく、期待していた分余計にそれを知った時のカカシの落胆は並のものではなかった。
「久し振りに妙な夢を見たねえ」
あの頃の小さな子供を恋しく思っているのだろうか。成長は喜ばしいが時折ふと一抹の寂しさと懐かしい暖かさがカカシの内をよぎる。カカシが昔は・・・などと言えば部下の女の子は爺臭いと言うが、実際その通り彼が下忍を受け持ったばかりの頃は遠慮なしに胸に突っ込んでくる子供の重みをよく抱き留めていた。今となっては遠いその瞬間を思い出すたび例の寂しさが沸き起こる。そういう時カカシは決まって手を握ったり開いたりするが、それはあの感触を忘れたくないからだと最近になって漸く気付いた。
「オレもまだまだだってのに、随分老け込んだもんだよ」
誰にも見つからないように木の上で読書と昼寝をしていたカカシは引退にはまだ早い軽やかな動作で草の上に降り立ち、遠く稜線から昇った陽が一日の仕事を終えて里を赤く染めながら下りていく様をぼんやり眺めた。
「あいつら帰っちゃったかな?」
カカシが眠っていた丘の辺りに人影はなく寂しい風景が広がるばかりだ。
「戻るかな・・・ん?」
微かだが人の足音が近付いてきている。だがカカシが身構える必要はなかった。過去の経験からこの場合来る人間は一人しかいないからだ。カカシはゆったり姿勢を崩してポケットに両手を突っ込みマスクで見えない口元を綻ばせた。
「思ったよりも早かったじゃない。ナルト」
「早くねーってばよ!こんなトコで何やってんだよ、ったくカカシ先生上忍失格!!」
見つけたからには絶対に離すもんか、という勢いで現れたカカシの部下は彼の前まで来ると腰に手を当てて仁王立ちでぷりぷり怒り出した。
「あはは、それは困ったナー。ナルトに呆れられたら参っちゃうよ」
「がーっ!何が参っちゃう、だっての。皆待ってんだってばよ」
「あはー。ごめーんね?」
「ヘラヘラしてないで早く行くってばよ」
「うーん」
「カカシ先生っ」
「ごめんね」
「え?」
先に歩き出していたナルトは不意に人一人分の重みを感じて驚く間も無く地面に倒れた。夕陽が男の体に遮られてナルトの視界が暗くなる。ゴロンと仰向けに転がされたナルトは薄く笑うカカシの顔を仰いで瞬いた。
「ごめーんね」
「ちょ、なに、何してんだってばよ」
「んーなんでしょう」
チリ、と首筋に痛みが走って思わず手を当てれば次にはその手を奪われて動揺する。
「なにしてんだってばよ」
「うん、だからごめんね?」
このまま帰してあげられそうにないからさ。
落ちてゆく夕陽に混じって男の悪い囁きが耳元を掠める。普段何ともない上司が恐ろしく思えた。
「重いってばよ」
「ごめんねえ」
「先生」
「シーーー・・・ネ?」
「ん・・・」
押し付けられた柔らかな感触と下肢で触れた熱がナルトを妖しく誘う。こんな所で、と動揺する彼の逃げを打つ両手をやんわりと押さえ込んで、男は生き物の如く柔らかい舌を絡め交わりを更に深くする。
「は・・・」
「ん、このまま・・・」
おちていこうか。おちてしまおうか。
ナルトは頷かなかったが、抵抗もできないままカカシの動きに流されていく。
カカシの熱がナルトの体を侵食してはっきりした意識を奪う。最後にぼんやりした頭に残ったのは欲情した美しい男の顔と下肢から広がる甘い痛みだった。
そのナルトは翌日、怒り心頭に発した少女の説教を連れ戻せなかった上司の分も纏めて延々と聞かされる羽目になる。
END