夏の強烈な暑さも過ぎ、打って変わり冬の冷え込みを予感させる季候になった頃それは訪れる。
「あ、先生いねんだ」
その青年は上忍待機所に入ってすぐ、目的の顔が見えない事に気付いた。
彼がどうしようか迷っていると、探している男の同期が話し掛けてきた。
「お、ナルト。カカシに会いに来たのか?だが残念だったな、アイツなら急な任務が入って行ってしまったぞ。しょうがない奴だ・・・あ、でも待て、確か・・・時間には間に合わせるとか言っていたな。約束でもしていたのか?」
「ゲキ眉先生!おう、でもいねーならいいってばよ。今日の約束キャンセルって伝えに来たんだけどいーや。カカシ先生来たら言っといてくれってばよ」
「あ、ああ。でも直接言わなくていいのか?」
「ん、いいってばよ!」
ナルトはニカッと笑って親指を立てる。その行為の何処にそうする理由があるのか分からず黙っていると、ナルトは困惑しているガイを置いて行ってしまった。
「うーむ。しかし自分で伝えた方が良いと思うんだが・・・最近の若者は分からんなあ」
「ったく、こんな日に容赦ないったら。五代目も人使いが荒い」
カカシはいつになく焦った表情で待機所に向かって走っていた。暗部でも通常任務でも鍛え上げられた体、普段は息が切れることなど無いのに今は激しい動悸と共に熱い吐息が漏れる。
もうすぐナルトに会えると思っただけでこれだ。頬などは紅潮しているかもしれない。
カカシは顔の大部分が隠れている事に感謝した。
今すぐ会いたいなんて、滑稽だろうか。
カカシは今更、と思う初心の様な恋心に自嘲とこそばゆさを感じてクスリと微かに笑った。
こんな気持ちを抱くのは本当に久し振りの事だ。初めて直面したのはいつだっただろうか。アカデミーで初めて話した同級生の女の子に?女教師に?中忍時代、同班のくノ一に?それとも失ってしまった眩しいまでの金色にだろうか。
カカシは考えて、それが詮無いものであるのに気付き思考を遮断した。
失ってしまった者を追っても虚しさが残るだけだ。
生きてきた中で得たものもあるが、失ったものも少なくない。早くに両親を亡くした。上忍になったばかりの頃、新しい眼と引き替えに唯一無二の親友を失った。暗部に異動になり実力も具わってこれからという時、憧れ追い続けた師を奪われた。
『九尾の化物に』
血塗れの両手には新しい生命が遺されたが、すぐに下らない地位ばかりの狸爺共に奪われた。
あの時今ぐらいの地位を得ていれば。
後悔は尽きないが、過去の先に現在いまがある事を知っているカカシは緩やかに首を振って目先の目的地を見上げた。視界の隅で一瞬、金色が光った気がしたが注意を向けた時には彼の体は跳躍してその場を離れていた。
ナルトは角を曲がった所でその女の子を見つけて華奢な背中に精一杯の大声で呼び掛けた。
「ごめん!待ったってば?」
「ううん。ナルト君こそ任務大丈夫?」
「大丈夫だってば!オレ、ヒナタん為なら一つや二つなんてことねーもん」
「ナルト君」
ヒナタは嬉しい反面、恥ずかしさに頬を上気させてナルトを見上げる。
「そっそれよりさ・・・」
ナルトは澄んだ瞳に見つめられて柄にもなく照れ、視線を逸らした。だがその一瞬ヒナタの瞳が哀しげに揺れた事にナルトは気付かない。
ナルトは彼女を見て純粋に可愛いと思う。それはサクラに感じる類とは違うものだが愛しさに変わりは無い。現にヒナタの横顔を眺めているとナルトの心は安らぐ。
「あの、ナ、ルト君・・・ね、何処行こっか」
ヒナタの細い指先が微かに震えてナルトの腕に触れ、そろそろと忍服の袖を掴む。
「何処でも。ヒナタに付き合うってばよ」
「うん、じゃあ」
並んだ二人の後ろ姿は似合いのカップルそのものだ。彼らは他者が割り込めない程柔らかな雰囲気に包まれ、そこにカカシの存在は欠片も見つからない。見当たらない―――――。
「え?ナルトがいたの?」
待機所の扉に手を掛けたまま立ち止まり、目を丸くしたカカシはバッと廊下を振り向き踵を返そうとした。けれど親切にもナルトがいた事を告げた同僚は彼を呼び止めて「例の伝言」を言う。
「キャ、ンセル?」
「ああ、そう言っていたぞ?」
「嘘デショ」
「おお!?俺が嘘など言うか!」
「ホントに・・・?」
カカシは呆然と待機所の窓から見える青色を眺めて無意識に唇を噛んだ。そして両目がゆっくり細められた。
「カカシ?」
「あー・・・いやあ、ナンデモナイヨ。はは・・・すまんガイ。またな」
「お、おお?気を付けてな」
「繊細」とは程遠い暑苦しいまでの青春野郎たるガイが思わずそう言ってしまう程カカシの様子は不安定だった。
カカシは苛立ちと突然反故にされた悔しさをを抱えて随分涼しくなった小道を歩く。こんなにも心がモヤモヤするのは何故か。理由もなく嫌な予感がするのは何故か。
「いや、理由なら充分だろ」
約束を無かった事にされた。
それだけで。
三十路過ぎて漸く叶った恋は容易に不安を抱かせる。彼は不意に立ち止まって足元をじっと見つめた。
昔はこんな風に思ったりはしなかった。寄って来る女も去って行く女も黙って見ていた。引き留めず追い縋りもせず、自分から欲を出す事もなく相手が求めるままに与えていればよかった。稀に「欲しい」と思っても言い出す前に相手が手を伸ばし、自分の手を煩わせる必要はなかった。
全て都合よく出来ていた。
それが今では・・・。
「くくくっ・・・あの、写輪眼のカカシがねえ」
十四という歳の差は充分大きなハンデになりうるという訳だ。
「アイツだから・・・思うんだ。あいつがオレをこんな風に変えた。ナルトがいなきゃ生きていけない駄目な人間にしちまったんだ」
とてつもない笑いが込み上げカカシは口端を歪めた。
若いだけのガキに年甲斐もなく入れ揚げたりするから、ほらこのザマだ。分かってるだろう?
『お前は棄てられるんだよ』
音無き声の嘲笑に体を震わせたカカシは前屈みになり両耳を塞いで銀糸を振り乱す。
「っく・・・違う、違う!ナルトは・・・特別だ!!」
今のオレには唯一無二の存在なんだ!
ヒナタは楽しそうに笑いながら喋るナルトを微かな笑みを浮かべて、しかし寂しそうな目で見ていた。
二人でよく来る甘味処。昔は友人達と来ていたこの場所に付き合い始めてからは頻繁に二人で来るようになった。ここで色々な話をした。任務の事(勿論守秘内容は除いて)新術の事、仲間の事、これからの事、将来の夢。毎日の些細な事も。
でもナルト君は変わった・・・・ううん始めから、ただ私が気付かなかっただけ。ナルト君には他に――――。
「な?ヒナタ!」
いつの間にか視線を落としていたヒナタはハッと我に返って曖昧な笑みを浮かべた。
「う、うん。そうだね」
ナルト君、私気付いちゃったの。ナルト君には他に好きな人がいる。それは誰よりも大事な人。全身全霊懸けて守りたいヒト。
だから、私達お別れしなきゃね・・・・・。ごめんね、今までありがとう。
「な!ヒナタ、次何処行く?オレ今日はとことん付き合うってばよ!」
舗を出たナルトは夕陽を背にして振り返りニシシッと笑う。けれど後ろを付いて来ている筈のヒナタは黙って泣きそうな顔で舗の前に立っている。
「え?ヒ・・・ヒナタ?」
動揺するナルトに彼女はにっこり笑って心の中で手を振る。
『さよなら』
「ごめんねナルト君ここでお別れしよ」
「そ、そか。じゃあ明日また――」
「違うの、別れようってこと」
「え」
「お仕舞いだよナルト君」
え、なに。
オレってば全然分かんねえってばよ。
ヒナタ、いま、なんて言ったの?
別れようって、うそ。だよな。オレにはヒナタがいなくちゃ駄目で、それで・・・・ヒナタには、
でも別れようって、
おしまいだって、
だけどオレは
ヒナタの言ってる事理解できねえ。
ヒナタの言ってる事分かんねえ!
「ヒナタぁ!」
「来ないでっ!」
ヒナタは後退り胸を押さえて叫んだ。
「ナルト君は楽な恋を、道を選んでるだけだよ!」
ヒナタ?何言ってんだってばよ。オレ達これからもずっと、ずっと一緒に・・・・一緒に笑い合って・・・・・・・。
「ヒナッ・・・」
ナルトが手を伸ばすと彼女はまた一歩後退り首を振って長い髪を揺らし涙を零した。
「駄目だよっ!自分の本当の気持ち、大切にしてあげて?じゃないと、私、ナルト君を怨む。許せなくなっちゃう」
「ヒナタ」
「ごめんね、ナルト君。私じゃ駄目だった」
彼女は泣きながら無理やり笑顔を作り涙でぼやける視界に、もう向き合う事はないだろうナルトの顔を映してくるりと背を向け走り出した。
「ヒナタ!」
「ヒナタァー」
「ひなたぁっ」
ナルトの声はもう彼女の心に響かない。
外がすっかり暗くなった頃。
どうやって家に辿り着いたのか分からないが、ナルトはいつものように部屋の電気を点けた。けれど実際には彼がスイッチを押す前に明かりは点いていて、一人の上忍が彼の帰りを待っていた。
「先生」
「おかえり」
「ずっと待ってた?」
ナルトは放心状態のまま虚ろに聞いた。まだヒナタの言葉が耳に木霊している。
「ああ・・・うん」
「カカシ先生」
今日は、と言い掛けた彼を遮って、常に美しい顔を隠している覆面を取り去ったカカシがぼそぼそくぐもった声で喋り出した。
「なあ、ナルト。オレは自分の想いを言葉じゃ巧く伝えられないけど、お前を慕う女の子達みたいな魅力もないけど」
ナルトはベッドに座っているカカシの横にのろのろ腰を下ろして、そっと彼の肩を抱き寄せ「んなことねえってば」と優しく背中を撫でた。
そして
ふ、と息を吐き
「先生・・・誕生日おめでとう」
ナルトの声が二人きりの部屋でカカシの耳に、胸に、静かに流れる。それは緩やかに穏やかに泣きそうなくらい温かなものだった。
けれどそれでもカカシは想いの違いを感じずにはいられなかった。
そう言えばナルトは否定するだろうけど。
「好きだってばよ」
「ああ」
カカシは頭を恋人の男らしい肩に凭せ掛けて切なげに眉を寄せた。
END