「もう行かなくちゃ。じゃ・・・また来ますね」
ミナトは右手をギュッと握り締めて「彼」に背を向けた。
微かな足跡を残して去った場所には、草深い地と其処に埋もれながらひっそり存在している小さな石だけが残され暮れゆく世界で佇んでいた。
あの時手を離さなければよかった
「ねえ~ミナトくーん、行こうよ~」
いつもの口調、いつもの誘い文句。彼の隊に配属されてから何度聞いた事かこの科白。おまけに噂通り女にだらしがなさそうな軽い言葉。相手は女に限らず男もいけるらしいと囁かれているが、事実かどうかは全く知りたくない。と言うか近付かないで欲しい。
変態が感染るからっ!!
「何ですかサクモ隊長、もう任務報告終わったんですか」
「んも~~~、任務外はサクモでいいって言ってるでしょ?」
「遠慮します」
ミナトは大嫌いな上司から目を逸らしつつダークな気を放って、この相手が早く何処か別の場所へ行ってくれる事を願う。
「ま、そう邪険にしなさんな」
「別に・・・」
だから嫌なんだこの人は。
ミナトは放って置けばよいのに嫌われているのを承知でわざわざ人のテリトリーに勝手に入り、構って来る男の意識が解せず不愉快だった。嫌うレベルも半端なく既に極致である。
原因は一ヶ月前、新人の上忍であるミナトは「白い牙」と名高い「はたけサクモ」と組むよう命じられ、彼の配下に入った。間もなく戦場で「黄色い閃光」と謳われるミナトは名の通り果敢な行動に依って功績を上げ、上忍仲間からも尊敬の眼差しを得るようになった。しかし隊長であるサクモはそうは見ていなかった。
『一人で突っ込んで行くのは勇気とは言わないよ。大事なのは仲間との連携、俺の班で重視するのはチームプレーだ。それを肝に銘じておけ。それから、もうあんな無茶はしないこと!』
注意を受けた時正直ミナトはうっとおしいと思った。チームが大事なのは分かっている。だがその為に個人プレーが無視され賞賛すべき個々の技が蔑ろにされる現状に憤りを感じた。
その一件から単独行動は慎むようになったが、その事に加え彼の他人の心に侵入する性質に嫌悪してプライベートでの態度は冷え切った。
勿論サクモは個々を尊重し一人一人の得意とする所や欠点も見ていたのだが、まだ若いミナトには分からなかった。
「聞きましたよ、サクモさんは女性の方が放って置かないんだとか。今日も誰か待たせてるんじゃないですか?」
「え?」
目から下をマスクで覆い隠している男はその両目を真ん丸くキョトンとした表情に変えて驚きを表す。
「んー・・・どうしてそう思うの?」
「どうしてって、別に。ただサクモさんは交友関係が広いですから」
「ああ、そう。でも」
サクモは一旦言葉を切ってジッとミナトを見つめ、細めた両目を柔らかく変化させる。
「俺が好きなのはミナト君だよ」
「・・・・」
一瞬固まった後、ミナトの背筋をゾッとしたものが通り全身の毛が逆立ち肌が粟立った。決して寄るなと思っていたモノに目を付けられ、最悪を感じたミナトは大きく息を吸い込んで目の前の男を睨んだ。
「オレは大っ嫌いです!!」
しかしはたけサクモは懲りていなかった。彼の言葉を拝借すると「はたけ家の家訓は本当に欲しい物は諦めず必ず手に入れろ」らしいが、それが本当かどうかは分からない。ただ今言えるのは、
「オレの部屋に何で貴方が居るのかって事ですよ!しかも勝手に。不法侵入!!」
ビシッと指差した先ベッドの上では靴を脱ぎ脚半を解いて寛ぎ「お疲れさま~」と手をヒラヒラ振る男が一人。
「お帰り~ミナト君独り身でしょ?心配して来たってワケ」
「心配しなくていいですからっ!なら他の人んとこ行って下さって結構ですから!」
「ん~俺の愛が分かってないねえ」
「分かりませんよっ!・・・ふう、で本当は何なんですか?」
「あー流石ミナト君」
腕を組んで睨む彼を感心して見た男はにっこり笑って立ち上がり、驚く相手の鼻先まで顔をスッと近付け一言。
風呂が壊れちゃってねえ。
貸して?
「は?」
「いや~参っちゃったよねえ、湯を沸かそうとしたら壊れててね、蛇口からも水しか出ないの!はははっ。すぐミナト君の事思い出して良かったよ。ホント助かる」
「・・・・サクモさん」
「ん?」
「こーいう時は普通仲いい人の所に行くものなんじゃないですか?」
そうだこの男ならば同僚でなくとも綺麗な女達がわんさか居て、頼まなくとも彼女達が喜んで助けてくれる筈だ。なのに何故己の所なのか。
この人はわざわざ嫌われに来たのか。だとしたら物好きな。もしやM?
「ハア、分かってないねミナト君」
疲れたように首を振る様はとてもわざとらしい。この男の所為で一気に疲れたような気がするミナトはムッとした顔で彼に問い掛ける。
「何がですか」
「言ったでしょ?俺が好きなのは君だって」
「・・・・・」
「じゃ借りるからね~あはははは」
「アンタという人は・・・・やっぱり嫌いだっ」
それからサクモは度々ミナトの許を訪れるようになった。任務で揉める事は無くなったがプライベートは相変わらずで、一方的に追い掛ける男をミナトが冷たくあしらう日々が続いている。だが、ふとした瞬間気付くのだ。
「そっか今日は来ないんだ」
そうだよな、あの人ああ見えて忙しいし。はっきり言わないけど彼女いるんだろうし・・・しかも沢山。
だよな・・・ってアレ?
え?
何だ、この気持ち。
珈琲の缶を開けていたミナトはハッとして口許を手で押さえ目を瞠る。
「え、何で?」
凍て付いたミナトの心に変化が生じていた。
動きを止めた部屋で白い煙を噴く薬罐がピーッと鳴った。
そんなある日サクモ班に重要な任務が入った。それはついに境界線を越えて侵入を開始した雨隠れの里の忍殲滅作戦だった。激しい攻防を繰り返す大戦中の任務、失敗は即、死に繋がる。
「既に他班が戦地に向かっておる、御主らも急いで支度せい。そして必ず生きて帰って来い!」
「はっ御意!」
フォーマンセルの忍が次々と大門から飛び出して行く。この分では里に残るのは最低限の忍のみで、殆どは戦を起こしている各地に出動するのだろう。しかしこんな事は大戦中とあって日常茶飯事なのだ。
「行くぞ」
普段ふざけた顔をしているサクモもすっかり隊長の面になってこれから赴く先を睨んでいる。
「はい」
いつもは感じない妙な違和感と嫌な予感。僅かにチリと痛んだ胸を押さえて気のせいだと振り切りミナト以下隊員は頷いた。
様々な術の作用により回復する間もない荒れた大地を駆け、地形が変わってしまっている山を越えて木ノ葉の忍は境界線に辿り着いた。誰のものか分からない殺気が飛び交い、血臭と死臭が漂う戦場でサクモの視線が雨隠れの忍を捉える。
「全員分かるか?」
インカムを通じて岩や木の陰に潜む隊員の耳にサクモの声が届き彼らは短い返事と共に頷く。
「目視しました」
「同じく」
「確認しました」
砂埃や術に因る霧が漂う隙間、敵の姿が現れては消える。同じくして同志の戦う姿も目に映り、早く救援に向かいたい想いが迫り上がって両手足が疼く。
「サクモ隊長!早くっ」
「早まるな、言っただろうミナト」
『大事なのは仲間との連携』
「クッ」
「それに、こっちから出向かなくてもあちらから来てくれるらしいからな」
「!」
隊員達が息を呑んだ瞬間チャクラの風向きが変わり敵が動いた。咄嗟に物の陰から飛び出したサクモ班は晴れていく霧の中で対峙した敵を睨む。
「これはこれは木ノ葉の忍達よ」
戦場で薄ら笑いを浮かべるのは余裕の表れかそれともはったりか。相手の忍服は血と埃で汚れている。その姿にミナトは程度を悟った。
殺した相手の返り血を浴びるとは、この敵それ程でもないな。
しかし隊長であるサクモは緊張の色を浮かべ再びインカムで指示を出す。
「ざっと30、こちらは15前後か・・・悠長にしてられなくなったな。ミナヅキとナガレは余り前に出るな、ミナトは俺の援護だ。全員他の隊との連携を忘れるな。以上!」
「了解」
数では負けているが疲弊しているのは相手も同じ。向こう側の増援部隊が到着する前に全て終わらせられれば大丈夫だ。しかし決着がつかなければ反対に不利になってしまう。正に背水の陣。
「オレが何とかする」
先に飛び出したのはミナトだった。その動きたるや光の速さであっという間に戦いの真っ只中に身を潜り込ませ、反応が遅れた仲間は彼を止める術を持たない。
「ばっ・・・ミナト!先に出るな」
流石に汗を垂らした分隊長は制御に走るが、敵がわあっと一斉に動き出して行く手を阻む。こうなっては幾ら「白い牙」と言えども簡単に前には進めない。
「クソッ」
仕方無しに次々に襲い来る敵を順番に白く光るチャクラ刀で斬り捨て、脚で薙ぎ払い馬鹿な部下の許へ近付いて行く。
その忍は前後左右からの敵をお得意の忍術で倒している最中。しかも先程よりも周囲の敵の数は随分減っている。
「お前あれ程俺が――――――」
この分なら心配ないだろうと思いつつ思い切り叱ってやろうと後数歩の所まで詰めた直後、彼の気配に気付いて振り返ろうとするミナトの右斜め上、危機を察知したサクモは緩やかになりつつあった歩を再び走らせた。
「ミナトッ」
突き飛ばされたミナトは荒れた土に全身を打ち付け激しい痛みを感じた。一体何だと文句を言おうとして仰げば其処に彼の姿が無い。疑問を抱きふと視線を横にずらして、投げ出された力ない腕を目にし凍り付いた。
「サ、クモ・・・さん・・・サクモさんっ!!!」
それからの事は覚えていない。
ただ、その時目を眩ます黄色い閃光が戦場を疾りその後には大量の血飛沫が迸った。そしてミナトはそれを全身に受けていた。
続く