花散る夜に舞う
何もかもがひっそりと寝静まって草木も息を殺す夜。一人の男がゆっくりと歩を進めて来た。その彼が足を止めたのは一本の老木にして大木の下。未だ少し冷えた夜にあって、なお月光を浴びて美しく浮かび上がる桜の下だった。その根元にてぽたりぽたり血を流す男は、胸を押さえて頭(こうべ)を垂れ只一つを願った。どうか、どうかもう一度逢えます様にと。けれどもう深手を負った彼にはこの桜を仰ぐことさえ苦しい。それを押して顔を上げる。脳裏には過去の想い出が走馬灯の様に浮かびは消えまた現れていた。それが痛みに細めていた目を開いた瞬間全てが飛んだ。視線の先に広がる風景に痛みを忘れて息を呑む。
目一杯に飛び込んできた満開の花弁(はなびら)とその先に輝く月。
この景色は過去に見たことがある。
「カカシ先生~!」
その声に膝を折ったまま振り返る。呆然とする彼に年下の青年が手を振りながら走って来た。
金糸が冷たい夜風に靡く。
あっという間もなく手の届く所まで来る。
しかし驚く彼を素通りして青年は月明かりの下(もと)に立った。
傍には待ち受けていた長身の男が。
待ち草臥れたよナルト。答えた銀糸の男は青年の手を取って夜桜を見上げた。
「くっくくくっ」
馬鹿馬鹿しい・・・。
全ては過去の風景だ。
孤独を嘲笑うが如く寸劇あるいは猿芝居が目の前で繰り広げられる。
これこそ心の底から願う事だというのに。
その男カカシは任務の失態や己の愚かさを恥じるよりも最早愛しき者達に逢えぬであろう事を悔やんだ。
いや寧ろそれは結果として任務は成功したからかもしれない。
遂行したが傷を受けた。これはもう御老体だと自嘲したら亡き先代方々に笑われるだろうか。
一瞬目の前が白くなりザアッと風が吹いた。花散らしの勢いに圧されて白色に近い薄紅色の花弁が舞う。
その姿に激しい目眩に襲われたカカシは自分を見失った。
なあ、カカシ先生次の任務が終わったらさ、丁度桜が見られるだろ?
それまで夜桜を見上げていたナルトが不意にカカシを振り返って言う。
そーねえ、長期任務が一年きっかり無事に終わったらね。
いつもの様に優しく笑うカカシにナルトは指切りを求めた。
げんまん!
子供じゃあるまいし・・・。
カカシは子供遊びと軽んじたが指先からチャクラを感じて唸った。
成る程ね・・・破ったら何かが起きるってワケね。
こーでもしねーと遅刻すっから。
今日はお前の方が遅かったじゃないの。
オレってば約束は破らねェ。今日は遅れちまったけどセンセーはいつもじゃん。
ま、ナルトは早起きさんだしね~。朝強いよねえホントに。
感心して頷くカカシにナルトはニカッと笑って小指を差し出した。
一年前の事なのに随分遠く感じられる。
ゆっくり前傾に倒れ込み土にまみれたカカシは虚ろな目で自分の腹の方を見た。
真っ赤な掌が映る。
限界の様だ。黒ずんだ忍服から滴るそれはもう大分地を汚している。
この赤い血は土に染み込み栄養となりやがて大木を成す一部分となるだろう。
半ばやけになってそんな事を思った。
瞼が重くなり視界が狭まる。
カカシ先生ー!
この期に及んで未練がましい幻聴が甦る。
だがぼやけていく景色の中で自然過ぎるくらい鮮明な幻覚だ。
カカシ先生ッ大丈夫かしっかりしろ!
尋ねているのか叱っているのかどっちなんだ。
こんな時にまで厳しくて、最期に見る夢なのだからせめて眠りに就く瞬間くらい優しくしろとカカシは胸中で文句を溢す。
「ナルトッそのまま動かさないで!」
ついには元教え子までしゃしゃり出て来た。ピンクの髪のそう正に春野サクラだ。
「先生っ」
「意識がないってばよ」
焦る声に答えようにもカカシの吐息は虫の息だ。
「こっち支えてて!」
手際良く手当てを始めるのはさすが上忍の医療忍くノ一だ。
駈けて来た二人は横たわる男の顔や体を確認するなり合点して忍らしい動作でそれぞれ作業にかかる。青年の方はトランシーバーでどこかへ連絡をしている。カカシの治療をするサクラは真剣な表情に焦りと不安の汗を浮かべ青い顔をしていたが、視線を受けてニコッと笑った。
「私達精一杯走って来たんです。帰ったらいっぱい文句を聞いて貰いますからね!」
血色の戻ってきたカカシは漸くこれが夢ではないと思い至った。
「サ・クラ・・・か」
「ハイ!まさか・・・一年の内にこの顔を忘れちゃった訳じゃないですよね」
答えつつカカシには安静を命じる。
「ナルト・・・は・・」
「まったく!早速それですか。覚悟しておいた方が良いですよ~。あいつ相当怒ってましたから」
手光を当ててある程度の処置を終えたサクラは振り返って離れたまま戻って来ないナルトの後ろ姿を探した。
「はぁ、こんなに美しい桜に出会えたっていうのに任務なのが残念」
目を戻し肩を竦めて起き上がりかけるカカシを見下ろす。
「さっきナルトが援軍を呼びましたから、そしたら寝たまま木ノ葉へ帰れますよ」
「そこまでして貰わなくても帰れるさ」
「ハイハイ駄目ですって。師匠の命なんですから」
問答無用カカシを地面に押し戻してまた背後を見る。
「あのバカ!何処まで行ってんのかしら」
ぼやく姿は相変わらずだ。カカシは安心してふっと笑った。
「本当を言ってしまうと・・・」
「?」
「ナルトは何度も後を追い掛けようとしたんです。その度に皆が必死に止めたけど・・・」
「おいかける?って、」
「今日も本当は出動の予定は無かったけど、虫の知らせって言うのかしら」
「 」
「あのバカは真剣にカカシ先生一筋だから」
「それは」
「筋金入りですね!二人とも」
ごちそーさま。プププッ!
口に手を添えにんまり笑う。
「あ、戻って来たわね。ナルト~!おっそい!」
「わーりぃっ隊長の話が長くてさ。すぐ医療忍を寄越すって」
謝って頬を掻くナルトは中々視線を合わせようとしない。焦れたサクラはパシンと背中を叩いてカカシに押し付けた。
「ッテェーサクラちゃん!」
地面に伏したナルトは大袈裟に痛がる。
「いい加減現実を見なさい!カカシ先生が気の毒ってか焦れったいつーの!」
「ハハハ、相変わらずだな」
渇いた笑いの横でナルトはムスッと唇を尖らせてそれでも、気を利かせて離れて行く彼女に小さく礼を言った。
「サンキュな、サクラちゃん」
けれど気まずいので容易に話し出せず、それも一年ぶりの再会とあってナルトは緊張していた。だがそういった所も全て理解しているカカシはそっと指を差し出した。
「これが効いたんじゃない?」
その小指はげんまんの印だ。
「それってば何かが起こる訳じゃなくて、先生を見つける為のアンテナみてーなもんだったんだってばよ」
「ああ、だと思ったよ。お蔭でこうしてまた逢えた。ありがとうナルト」
カカシは横に座るナルトの方へ体を傾け、手を伸ばしその頬へかけた。それからゆっくり顔を近付けて花びらが舞う中・・・・。
「せんぱ~いっ!」
いい雰囲気の二人を突然の声が破った。
カカシの瀕死を聞いて駆けつけたテンゾウだった。
「先輩っ大丈夫ですかっ!?ボクが来たからには 」
「・・・・テンゾ~」
「ヤマト隊長ってばタイミング悪ぃってばよぉ」
カカシまっしぐらに走って来たテンゾウはしょんぼりするナルトを発見してハッと表情を変えた。
「カカシ先輩っ・・・てあれ?」
「テンゾウお前ワザとだね?」
「へっ?あっボク何か・・・しちゃった・・・みたいですね・・・・ハハ」
「雷切ぃぃぃっ!」
「ひぎゃあああ」
「ちょっと!絶対安静って言ったでしょーーーー!」
失敗を悟ったと同時に技をくらって飛び上がるテンゾウと落ち込むナルト、追い掛けるカカシの叫び声、その騒ぎを聞きつけて戻って来たサクラの怒号が夜桜の下で炸裂した。
風吹き、花散らしの中で四人の姿は薄紅色の景色に融けた。
END