神憑 夢追篇
景色も白く飛ぶ本日は晴天の木ノ葉の里。
一人の青年が里の門を潜った。昼には似つかわしくないその姿は夜の眷属。普段の活動はもっぱら深夜に限られていた。
木陰で面を取った彼はキラリと光る鉤爪に眼を細めた。
「おせーってばよサスケェ」
言う傍からザザッと木が薙がれる。
「フン、言ってろ。火影の屋敷までは俺の方が先に着くぜ」
「あっテメ!ずりーぞ!待っててやったのによぉ!」
「フッ」
口端の微かな笑みがすぐに遠退く。
「だ~か~ら~ここまではオレの方が速かったんだってばよ~!」
待てサスケー!
追い駆ける声も遠退き門前には静けさが戻った。訪れるのは風と僅かな足音、町の喧騒の名残だけ。
何かの始まりを予期する静けさだった。
任務の報告を終えたナルトはサスケと別れて三日ぶりの里の空気を吸いに出た。夜の格好では不都合なので昼間の忍服に着替えている。何しろ昼間でさえ目立つ顔なのに、夜の仲間内でもエースなのだから。
そう、七班出身の二人は暗部に所属している。
黒髪のサスケはまだしも、金髪のナルトはまさに黄色い閃光だった。
サスケは目立ちたがりだと評すがこればかりは生まれ持ったものなのだ。
「!」
不意に懐かしい背中を見つけたナルトは足を止めた。
大通りから一本外れた軒が並ぶ道。活気は隣の通りには負けるがこちらも様々な舗が連なっていて色々な客がいる。
その男は茶屋の入り口で誰かを待っていた。
見覚えがあるというレベルではなく、非常に正しく名前を言い当てられる人物だ。
その彼は左手を忍服のポケットに突っ込み、右手で暖簾を上げ少し斜め下を振り返り顔を露にした。店から出て来る待ち人の為に暖簾を上げたのだろう。
久し振りに見るカカシの横顔だった。
『よっ!』
そう言って毎度窓から部屋に上がる上忍の指導を離れて三年・・・カカシと組む任務は格段に減り、ここ一年は碌に顔を合わさず、なのだからして当然話もしていない。
それはサスケも同じだが二人共避けているのではなく自然そうなってしまっている。サクラは時折病院で会うと言っていた。恐らくチャクラの使用率は相変わらずなのだろう。そんな風では少し分けてやりたくなる。出来ればの話だが。
ナルトは懐かしさに眼を細めた。
次に第七班が揃うのはいつだろう。今度はヤマトもサイもいるだろうか。
今までだって何度も呑み会を催したが全員が揃った例(ためし)がない。最近では呑み会にさえ参加できない。
ナルトは一歩近付こうとした。しかしカカシは気付いていない。
その時待ち人が来たり、ナルトは挙げかけた手を下ろして道を逆戻った。
背にした風景の眩しさに眼が少し霞んだ。
言い様のない想いに囚われてナルトはその場を後にした。
任務はたいてい真夜中に行われる。
内容はその都度違うが今度の任務は花街だった。
ナルトとサスケのコンビで花街の仕事は異例中の異例だ。今まで行って来た事の殆どは暗殺か闇の要人警護だったのだから。
「で、要は花街で薬売ってネーチャンに涎たらしてるオッサンを捕まえろって事だよな」
「花街の腐敗、俺はどうでもいいが一応任務だ」
「了解っ!おっし行くぜー」
ナルトは昼間の出来事を掻き消す様に気合を入れて立ち上がる。
瓦の上に二つの影が落ちた。
「始まりだ」
サスケの合図で分かれ忍び足で俊敏にターゲットを捜す。多重影分身を使用すれば早いがここでは目立つ。
目立ちたがりは否定しないが、時・場所・場合ぐらい心得ている。
『ナルト、前方 戌の方角だ』
インカムからサスケの声が聞こえる。
「オッケー」
建物の外回廊に降りたナルトは同じく後から来た相方と共に下の階へ進み一枚の襖を開けた。
ここまでは誰にも気取られていない。順調に進んでいる。
小声で問い掛ける。
「この先か?」
「ああ、だがやけに静かだ」
花街の外れとはいえ確かに静か過ぎる。ターゲットは大体週三ここを訪れ女を数人呼び、舞を踊らせ呑み騒ぎ時には乱交に耽っているという。ならば嬌声なり悲鳴なり聞こえて当然ではないか。
それが聞こえない。
「おかしいってばよ」
分かっている、とサスケは頷いて写輪眼を隅々まで光らせた。
「やられたかもな」
「へ?っておいっ」
勝手に納得して行くサスケを追い掛けて次の障子を開けるとそこには見慣れた赤が流れていた。
「わっ」
「しっ」
「どうなってんだってばよ」
「コイツは何者かに(そいつも碌な奴じゃねーだろーけどな)殺られたんだろう」
「なんとか・・・」
「手遅れだ。見れば分かるだろう」
「どうする?」
「退却する。後は他の暗部任せだ」
「ハァ。マジでかー」
「行くぞ!」
この五階建ての下階は賑やかで声も明かりも漏れている。隣の建物に飛び移ると先程まで居た階との落差、違和感が一層強まった。
「ばあちゃんに報告、めげんなあ・・・」
阻止は不可抗力でも一つの問題が未解決のまま闇に葬られてしまったのだからあの女傑は怒るだろう。
「知った気配がするな」
「ん?」
呟いた側からザザッと走る二人の目の端に思わぬものが映った。
「あれは・・・カカシッ!」
僅かな瞬間だが確かに二人が見た男ははたけカカシだった。
「お、んなの人といたってばよ」
「なに間抜けた顔してやがる」
「顔見えねーだろ、面被ってんだから」
「見なくてもな」
「言ってろ。てかカカシ先生がかァ」
「ふん、今更・・・」
見た時は驚いた様子だったサスケはもう冷めた声音で背後を振り切った。
「そうか、誰かが手を打ったか」
「はい恐らく」
意外にも怒らなかった綱手は相槌を打ったサスケではなく、言い訳も騒ぎもしないナルトを見た。
ナルトは何かに意識を取られてぼうっとしている。
「何か弁明はないか?ナルト」
ところが反応がない。隣でサスケが舌打ちする。
「ナルト!!」
「ひぇっ!ハッ―――あ・・・」
「ナルト」
「はは・・・ごめん、ばあちゃん」
「だから・・・ばあちゃんではないと何度言ったら分かるーーーーー!!!!」
一気に雷が直下した。
束の間の静寂が壊れ鼓膜が破れる程に痛む。
「はは、ごめんサスケ」
横目で睨む黒鳥に冷や汗を流して謝り、ガミガミ怒鳴る火影を、さてどうしたものかと思案するナルトだった。
当面、休みなしは覚悟だってばよ・・・な・・・。
がっくし!
あれから何となくカカシが気になって(勝手にそうなっているだけだが)度々思考が苛まれるナルトは普段行きもしない花街に足を向けた。
今夜は雲が多い。
月明かりが細く、彼らの任務にはこんな日こそが相応しいのだが。
花街は暖かな間接照明とは裏腹に派手な化粧と艶(あで)やかな色衣装に身を包んだ女達と欲を纏った男共の視線が交差する。
暗い路地では時折甲高い声や嬌声が漏れナルトは顔をしかめた。路地に面している小窓に人の影が映っていた。
やはり自分には合わない場所だ。
こんな所にカカシは来るのか。
ふ、と風向きが変わり角の柳の流れが止まった。雲の切れ間微かな月の光が射し込む。
「あ・・・」
正面五メートルも行かない先に長身の影が現れた。
ナルトは声を出せなくなった。
せっかく当人を見つけたのに、鉢合わせは予定になかったので戸惑っている。
頭は何か言えと命令を発すが何も出てこない。
すると男の方から声を掛けて来た。
「なあに、お前もこんな所来るんだ?」
意外そうに眼を丸くしたカカシは本当にそう思ったのだろう。
だがすぐに眼を細めてぼんやりしているナルトを見る。
「―――あぁ、当然かお年頃だし」
気の抜けた様な姿はいつも通りだが感じが少し違う。
気怠げと言えば良いのか。
何も言えないままカカシがスッと近付いて来て傍で立ち止まった。
『何を考えているのか分からない』これも久し振りに思ったナルトはすっかり気を抜いていたと言えるだろう。
カカシの息が耳にかかる程に二人は接近していた。普段は有り得ない距離、なのに動揺さえも通り越して呆然としていたナルトは遅れを取った。
カカシの左手が持ち上がりナルトの頬から顎をつるりと撫でた。
「相手くらいなら・・・してやれるよ?」
瞬間カッとなって手を振り解いた。
「ばっ・・・バカにすんな!」
顔が熱い。
オレにだって相手くらいいるってば!
そんな事を言った気がする。
言われた内容が信じられなくて、幻聴かとも思えて混乱する。
ただ他にどうしようもなくて逃げ出した。
花街の明かりは入口で途切れ、前方には黒い闇だけが広がる。
背後にはまだカカシの気配がしていたが門を出る頃には消えた。
さっきのは一体何だったのだろう。あれが本当のカカシなのか。理性は大人だからと落ち着けと、遠くから囁くがとても信じられない。
ナルトはカカシを良く知っているつもりだ。
第七班で一緒に居た間の出来事が脳内を駆け巡る。
任務では昼も夜も共にした。寝食を同じくする中で皆で温泉に入った事もある。暇な時にはカードゲームに興じ、笑い、怒り、本音をぶちまけた。
けれどハッとなる。
しかしそれは・・・プライベートではない。
あれは、任務の中の彼でしかないのではないか。
上っ面だけでカカシを知った気になっていた。何しろメンバーで唯一ナルトだけ彼の家に上がった事があるのだ。あのヤマトでさえ・・・後輩のテンゾウでさえ知らないと言うのに!
あの瞬間はプライベートな彼を見ていた。それは任務中の厳しさは鳴りを潜めていたが同じ人物だった。
ナルトの頭は酔った様にぐるぐると何度も同じ事を思い浮かべる。
良き日々の第七班であった頃のカカシと自分達を。
里の遠くで鐘の音が響く。
それは懐古するナルトに今と昔は同じではないと告げていた。
再びの夜。
今夜は雲ひとつない暗部にとっては最悪の天候だ。里外がこれでは滅入る。
「オイ、大丈夫かよドベ」
「ヘーキ、だってばよ」
「チッ」
『ドベ』に反論しないナルトは相当だ。
サスケは首を振って面の下で嘆息すると任務の内容を諳んじた。
続く