さらさら、さらさら
SCENE1
「今更とか言わないでちゃんと話し合いなさいよ」
ざわめきが治まりつつある教室で、自然と隣に並んだ友人はそう言った。
しかしナルトは返すべき言葉を見つけられずに、彼女から目を逸らして立ち尽くした。
「アンタこうやって律儀に集会に顔を出すくらいならカカシ先生に会いに行った方が良いわよ」
善き道徳者、忍の見本たる彼女の科白とは思えない。
「来なきゃ罰としてSランク連ちゃんでやらすってばーちゃんが脅すんだってばよ。とーぜん皆出席するって」
「師匠の事よりカカシ上忍でしょ!うずまき中忍?」
「サクラちゃんまで、そんな・・・」
「ケンカ、してる場合じゃないんじゃない?」
「・・・」
「知ってるんだから。ナルト、来週から長期任務なんでしょう?それも国外の。このままで良いの?」
「いいわきゃねーってばよ。でも」
「『でも』も『けど』も『だから』も、あるかってーの!何もクソ食らえよ」
「!」
乱暴な物言いに少しびっくりして彼女の顔を見ると本当に怒った怖い目でナルトを睨み付けていた。
「後悔するわよ」
それは呪いのようだった。
じっとりと染み付く。
後悔するわよ。
会議の後、動き出した人波と喧騒に囲まれても猶、立ち尽くすばかりのナルトの脳裏にはサクラの声が焼きついて、いつまでも反響していた。
SCENE2
「私は今更とか思ってるナルトも、自分から言い出せなくて待ってるだけのカカシ先生も信じられないんですけど」
とか言って、実は怒ってたりして。
「というより、この現状にすごーく怒りを感じてるんですけど」
やっぱり。
「って、聞いてます?カカシ上忍!」
「まあまあサクラ」
「まあまあ、じゃありません!自分の事なのにどうしてそう他人事なんですか!」
「カッカすると皺が増えるよ」
「セクハラです!それ、くノ一の皆が聞いたら非難轟々ですよ。断固セクハラで訴えますよ」
「悪い。冗談だから」
「いいですけどね・・・・師匠には言っちゃ駄目ですよ」
「そんな恐ろしい事しないよ」
「じゃあナルトには言えますか」
「・・・・」
話を掏り替えようとしているのに気付いてカカシは手を止めた。開きかけた本が静かに閉じられる。
「ナルトには言えませんか」
「サクラ」
頼むから心を乱さないでくれ。今はアイツに関しちゃ何を聞いても駄目なんだ。
「じゃあどうしたら言えますか。ちゃんと話し合えるようになりますか?」
「ら・・・来週を過ぎたら・・・」
「っ!・・それじゃあ駄目でしょう!ナルトはもうじき行ってしまうんですよ!?」
「分かってるよ・・・!そんな事は・・・分かってるんだよサクラ」
怒鳴られ怒鳴り返すつもりが、ようよう出たのは振り絞る様な苦しい声だった。
我ながら随分弱々しい声を出すものだと自嘲する。
「駄目ですよ。カカシ先生はいまナルトを取り戻さなくちゃ」
「む・・・」
「無理とか、聞きたくありません」
「・・・・・」
「今月の先生は本当に駄目駄目ですね」
「サクラは知らなかったのか。オレはいつでもダメダメなんだよ・・・ナルトがいなければね」
ひっそり呟いたカカシを見上げてサクラは静かに溜め息を吐いた。
まったく手の掛かる大人がいたものだと。
SCENE3
覚えている。
あの頃まだ小さかった掌は己を抱く少年の気持ちを分かってか、心細げにぎゅうっと握り返してきて、不意に切ないものが込み上げ不覚にも涙が零れた。
「あーんな小さい時から人の心に敏感だったんだねえ」
ふうっと息を吐いてカカシは暗闇に目を向けた。
深夜の待機所、窓から見える景色はすっかり変わり昼間とは別の顔を見せている。人が去ったこの部屋にはカカシ一人が残るのみだ。
ジジ....蛍光灯にぶつかっては跳ね返り、それでもめげずに体当たりを繰り返してその末に焼け落ちてゆく羽虫の姿が見えた。
窓の方ではやはり光に惹かれて硝子にぶつかる甲虫のカツンカツンという音が聞こえる。
はあ。
もう一度息を吐く。
待ち人来たらず。
そう何も唯ここに居るのではない。人を待っているのだ。
「あら、カカシまだいたの」
待ってはいるがしかしこの相手ではない。
「そっちこそ」
カカシはぼうっとした顔のまま入り口に手を掛けて立つくノ一に向けて言った。
紅班に急な任務でも入ったのだろうか。
「待ち人?」
「・・・・・なんで」
「そういう顔をしているからよ」
「そう?」
「分かるわよ。アンタの事だもの」
「ちょっと、そーゆう言い方はやめてくれない?誤解を招くでしょ」
「どういう誤解よ」
紅は呆れた顔で笑う。
「こっちこそカカシとなんて迷惑、お断りよ」
ナルトにも悪いしね。
「・・・・」
「待ってるのナルトでしょ?バレバレよ」
馬鹿正直に顔に書いちゃって・・・あんたも可愛い所あるわね。
紅は呆けているのか苛立ちを感じているのか、二の句が継げないでいるカカシにふふっと笑って背を向けた。
SCENE4
一ヶ月前のこと。
「カカシ上忍が消えた。うずまき、彼の居場所を知らないか?」
消えただなんて大袈裟な、任務前にちょっといなくなっただけだろう。だけれど、考える間も無く答えた。
「知らないですってばよ」
「お前はあの男の側に一番長くいた弟子だ。しかも今でも任務を共にする事がある」
「つっても本当に・・・」
「心当たりはないか」
「ないです。元弟子だからって、なんでもかんでも把握している訳じゃ」
「そうか、確かにあいつは分かりにくいが・・・・お前ならと思ったんだがな」
「オレだからって。ちっとも特別なんかじゃないってばよ」
最後の言葉は自分自身に向けたものだった。
先輩の背中を見送ってからナルトは自分にとってのカカシを、彼にとっての自分という存在を考えた。
お互いは何なのか。何を必要としているのか。一体どういう関係なのか。
他人が二人をどう思っているかは今の男の言葉が代弁していたが、実際はどうだろう。
「オレはカカシ先生が何処にいるのか少しも知りはしないのに」
何処で、何をしているのか。
その時ナルトは視界の隅に妙なちらつきを覚え、そちらに顔を向けた所でほっそりした女の手が良く知る男の腕に絡み付き誘(いざな)うのを捉えた。
見間違いか?
いや、見紛うものか。あの腕を、背を・・・顔を!
「あー・・・オレいま超ブルーだってばよ」
女遊びも程々にしろって言ったのにな。
割り込んで文句を言ってやろうなどという気は微塵もなかった。明日をも知れない忍には日常茶飯事の光景だったからだ。
しかしそれは恋人のいない忍に限っての事だったが。
後になって考えてみれば、寧ろあの時そうしていればこんなモヤモヤした気持ちにならなかっただろうにとナルトは思う。
今更だが。
そうだ、今更だ。
けれどそれを言うとサクラが酷く怒るので口にはしない。何しろこの間ついうっかり口を滑らして散々な目に遭ったばかりだ。
だけれど。
「いつまで避けていられるか、時間の問題っぽい感じだってばよ」
SCENE5
「あ、カカシ上忍ちょっといいっすか?」
「なに?」
「こないだの謝恩会凄く良かったってお礼が届いてて、カカシ上忍にもすげー手伝って貰ったんで後で届けに行きたいんすけど。今日任務とか予定、入ってます?なきゃ自宅か・・・待機所にいるんなら行きますけど」
「ああ、科研OBのか。わざわざ悪いねぇ、オレ大した事してないのに」
「や!的確なアドバイスで助かったッス」
「ま、オレも世話になった方々がいるから」
「そうっすか・・・えーとじゃあ」
「待機所にいるよ」
「了解ッス!んじゃ、後で」
軽く手を振って行こうとするのをカカシは黙って見ていたが、擦れ違い様不意に足を止め振り返った彼にハッとした。
「それとも、アイツに届けさせましょうか?」
「!」
確信的に低く問う青年の瞳は鋭く真剣な光を帯びている。カカシは一瞬その黒い光に呑まれそうになったが、惑わされる事だけは免れて、いいや、と短く答えた。
「その必要は・・・ないよ」
すると青年はいま垣間見せた貌が嘘のように明るい調子で言った。
「そうっすか」
そのまま今度こそ振り返ることなく離れていく。
残されたカカシは何とも言えぬ気まずさを感じていたが、それが何処から沸き起こるものか分からず、どうする事もできずに唯何となく待機所に向かって歩き出した。
「なんだろーねえ」
暫くしてポツンと吐き出された言葉はそんなものだった。
他に言い様がなかった。
感じたのは思ったよりも『彼』は仲間に愛されているという事だ。もしかしたら、そこには自分も含まれているのかもしれない。
あの目は本心を問うていたが挑発的ではなかった。
「協力的って言うのかねえ」
ああ、そうか。
要はさっさと仲直りしろってことね。
「ま、上司や同僚がふら付いてちゃ仕事も侭ならないってね。そーいう事でしょ」
参ったね・・・。
なんか、紅かサクラ辺りが暗躍していそうだな。
でもまずは
「ナルトを捕まえなくちゃどーにもならないな・・・」
しまった。やはりシカマルに協力してもらうべきだったか。
SCENE6
あと四日。
ナルトはカレンダーを見つめ刻々と迫る期日を数えて四つ目の大きな赤丸で囲んだ数字を睨み眉を寄せた。
結局自分はどうしたいのか、まだ面と向かってはっきり言っていない。
それどころか、任務に行くことさえ直接は知らせていないのだ。狭い里のことだから耳に入っているとは思うが。
「会いに行かなきゃ何もはじまんねーのは分かってる」
出発日に指先で触れるとチクリとした痛みが胸に走った。
「もう十分だよな」
スッと身を翻して部屋を飛び出す。
持って行くものは何もない。身一つで構わない。必要なのは伝えたい気持ちとそれを為す言葉だけだ。
ところが、もうすぐカカシの家に着くという所でナルトは見知った顔に出くわした。
「ナルト!丁度良いところに来てくれた」
「ヤマト隊長?うわ、すっげぇ久し振りだってばよー」
「ああ、そうだな・・・いや!そんな事はどうでもいいっ。いま実はこれから出発する任務の班員が欠けて困っていた所なんだ!空いているなら参加してくれ」
「ええっ・・・ちょっ・・・オレ今急いでて・・・」
「こっちも急いでいるんだ頼む!」
「うおっ!ちょ、まっ・・・待ってくれって」
しかしどうして、ナルトの願い虚しく急遽ヤマト班、隊員として出立することになってしまった。
ヤマトは急げば一日半で終わる内容だと言うが、長期任務を控え更に諸々整理がついていないナルトは気が気ではなかった。
「前途多難だってばよ」
ヤマトの所為だとしても、予定の任務に間に合わなければ火影にどやされるのは自分なのだ。
ナルトはヤマトの横顔を仰いで精一杯の願いを口にした。
最早こうなりゃ・・・である。
「しゃーねえ・・・全速力で頼むってばよ」
それにヤマトは力強く頷いたが、ナルトは素直に首を縦に振れる心境ではなかった。
SCENE7
「?」
サクラはドアをノックしたところで異変に気付いた。いつも騒がしく頼まずともその存在を主張してくる家主の気配が全く感じられないのだ。
「あんのバカナルト~!どこ行ってんのっ」
苛立ち拳を強く握って扉を睨むがそれは素知らぬ顔で佇むばかり。
サクラは踵を返してまた後で来ようかと考えるが、この間会った時の様子を思い出し、あの調子では夜来ても会えないだろうと諦める。
わざとらしく任務入れて忙しくして。反則よ。
「きっとまた任務に行ってるんだわ・・・もう時間がないって言うのに!どうする気よ、ナルト」
カカシもカカシだ。
せっかく周りがお膳立てしているのにハッキリした意思を示さない。
「お節介だとでも?」
あの二人ときたらトンでもなく悠長で周りばかりが急いているよう。お蔭でサクラの苛々はMAXだ。
「上等っ!今に見ていなさいよ二人とも。必ず仲直りさせてやるから」
しかしそう言いながら、はて自分はどうしてこんなに熱く他人に干渉するのだろうと思う。
人を助けるのに理由なんかいらねェ。いざって時に考えてる暇なんかねーだろ。
以前そう言ったのは紛れもなくナルトだが、とすると自分もまた彼の言葉に突き動かされているのだろうか。
決して信念を曲げない強い瞳を思い出して、逆に心配になった。
「だから、間違った自己犠牲でも真っ直ぐ突き進んじゃいそうなのよね、あの馬鹿は」
サクラは仕方なく今日はフレックスで入っている木ノ葉病院へ向かった。
当初ナルトに会ってから行く予定だった為早く着いてしまったが、ステーションに顔を出して仲間に挨拶をする頃には頭のスイッチは完全に仕事モードに切り替わっていた。
装いを変え真剣な表情で任に就く彼女の後ろを急患のベッドと医療忍が滑るように走って行く。
「なあこれ縫わなきゃ駄目か?」
ステーション前の待合所ではソファに掛けた犬塚キバが、らしからね駄々を捏ねていた。
「これだけ切れていればな」
立ったままの油女シノが静かな突っ込みを入れる。
「大体着地寸前、器用に枝に腕を引っ掛けたお前が悪い。普通あんなミスは犯さない」
「わーってるよ!俺だってびっくりしたって。なんで自爆してんだよ俺。カッコわりぃ・・・ヒナタ心配してくれたけど、ダセェよなあ」
「酷い出血だったぞ。怪我をしていないヒナタが真っ青になっていたくらいだからな・・・あの時すぐに治してもらえば良かっただろう」
「余計格好悪いだろ!任務ならまだしも」
自分で引っ掛けたなんてよ。ナルト並みのドジじゃねーか。
「お」
「?」
「血ぃ止まったぜ!大丈夫かもな」
「・・・大丈夫じゃないだろう」
傷口に顔を近付けて納得するキバにひっそりと訂正をした。
SCENE8
今日もカカシはナルトに会えないまま、入り口からは背高い植物に阻まれて見えない待機所奥のソファにぼうっと座っていた。
人を探すなら出入り口をよく見通せる場所の方が良いが、カカシにはナルトの声を聞き分ける自信があった。
「会おうとすると会えないもんだねぇ」
口調はのんびりとしているが、その実胸中は焦燥に駆られていた。
待機所に現れないのは自宅に居るからなのかと、行ってはみたが不法侵入した部屋はがらんとして主人の不在を伝えていた。しかしテーブルには飲みかけの牛乳があり、まだ飲んでいるのかと苦笑を禁じえないそれは予定外の外出を示していた。
「仕舞い忘れてるって可能性もアリか」
カカシは予想外の行動ばかり起こす彼に本当はどうなのか詰め寄りたい気分だった。
「カカシ上忍憂鬱そうですね」
「んー・・・・憂鬱だからねえ。明るい顔してちゃおかしいでしょ」
「・・・・」
「なに?」
「あ、すみません。何か・・・カカシ上忍がそうやって素を曝け出すのって珍しいなって」
「そお?」
「いつも『そんな風に見える~?』とかって誤魔化すじゃないですか」
「オレってそんななの?だとしたら・・・やっぱり調子悪いのかね」
「気掛かりなんですね」
「何が?」
「いえ・・・」
その時、ダダダダダッと激しい足音が聞こえてきて静かだった室内が一気に騒々しくなった。
足音は中まで入って来てピタッと止み、滑り込んで来た一人の忍が早口で言った。
「ぜぇはぁぜぇ・・・っ・・聞いてくれっ、例のヤマト班の件うずまきナルトが代わりに行ったって!」
すると男の予想通り室内は騒然としたが、一瞬で逆にしぃぃぃんと静かになった。
「バカお前っ!」
「え?」
ひとりが口に指を当てて怒鳴った。見れば全員部屋の奥を振り返っている。
急に頭が冷めた。
「・・・・・へぇ」
低い声が聞こえて、なんとなく・・・嫌な予感がした。
SCENE9
「久方振りの大きな任務だ。心してかかれ」
「はあ」
怪我人が出る前に先手を打たれたと思わないでもない。
カカシは詳細なデータを記した指示書を見つめて曖昧な返事を零した。
「なんだ?文句でもあるか?」
「いえ」
「お前がいると怯えて仕事が手に付かない者もいるんでな」
予想通り。
カカシは例の一件を思い出して、信用がないなあとぼやく。
「ヤマトの件はこっちは了承済みなんだよ。お前がどうこう文句言ったって仕方がないだろう」
「まあ、そーですけどね」
「ナルトの事だ。キッチリ済ませて来るさ」
「任務の心配はしていませんがね」
「ヤマトは期日に間に合わせると、ちゃんと約束したぞ」
「ええ、まあそれもそのとーりだと思いますがね」
「カカシ、私の前でこうも食い下がるのは珍しいな。お前はいつも言いたい事があっても口にはしないだろう。それが間違って顔に出てしまったとしても、だ」
「珍しいですか・・・そういえば、最近も言われましたよ」
誰にだったか、忘れたけれど。
「~~~~あー!どーにも調子が狂うねえ!お前はっ」
「・・・・」
「ったく!ナルトの事がなけりゃ思い切り殴ってやるところだよ!」
「止めて下さい顔変形しますから」
「いっそ変形でもすりゃ女も言い寄って来ないだろうに」
「・・・・」
「そう暗い顔をするな。あいつも子供じゃないんだ。わざわざお前達の色事に首を突っ込んでどうこう言うつもりはないよ」
頬杖を解いて椅子に深く座り直し、カカシを見上げた彼女は十分判っているのだ。口出しすべき領域ではない事を。
しかし、お前を殴りたくなるのは私の気分的なものだ。安心しろと言われても安心はできない。
「ともかく・・・」
「了解しました。任務は任務、ちゃんと遂行して戻って来ますよ」
「それならいい。健闘を祈る」
「御意」
一礼して下がったカカシはそれにしてもと独りごつ。右手には先程の指令書があった。
「う~ん、これ程遠くに行くのは久し振りだなぁ」
全速力で一日半。
誰かと同じ様な事を思った。